ツーリング日和6(第32話)問題解決

 今日は二人の運命を変え、切り開く日です。この日のために香凛は心も体も万全の準備を整えました。さすがの直樹も緊張しています。だけど頑張って。香凛の心も体もすでに直樹と一心同体です。一つになった二人に出来ない事などないはずです。

「やっぱり凄い家だな」

 ここは香凛の実家。あれから何日ぶりでしょうが、見慣れ切っている家ですが、どこかいつもと違うように感じます。玄関には母が出迎えてくれましたが、

「香凛の人生は、香凛が思うようにしなさい」

 それだけ告げると客間に通されました。床の間を背に険しい顔の祖父と父が座っています。座卓を挟んで直樹と香凛が座ります。いよいよ対決の時が来ました。今日の対決も月夜野社長のお力添えがあります。

 まともに直樹と香凛が訪れただけでは玄関払いにされるどころか。香凛はそのまま家に監禁にされてしまいます。そうならないようにお膳立てしてもらったからこそ、客間まで進むことが出来ています。直樹は、

「ボクは竹野直樹と申します。この度・・・・」

 自己紹介と挨拶を手短に済ませ直樹は単刀直入に、

「ボクと香凛の結婚を許して下さい」

 ここで我慢の限界が来たのでしょう。祖父が、

「だれがお前のような馬の骨との結婚を許すものか!」

 それこそ部屋中に響き渡るような怒声です。すると直樹さんは静かな声で、

「私が馬の骨ですか。ではお尋ねしますが、香凛の婿の資格はどんなものですか」

 今日の直樹の顔と声は一段と迫力があります。さすがの祖父も気押されて怒鳴れなくなったようです。

「香凛の婿は紹鴎流の家元だ」
「ほう、ではお聞きしましょう。その紹鴎流なる物がどこに存在します」

 不意を突かれたのか、祖父は少し慌てながら、

「茶道の祖は諸説あるが、現在の茶道の系譜は村田珠光から武野紹鴎に伝わり利休が完成させたとして良い。その武野紹鴎の茶道こそが紹鴎流であり、これは武野家の子孫が守っておる」

 直樹は祖父の顔を睨みつけたまま、

「紹鴎の息子は宗瓦になりますが、紹鴎から宗瓦に伝わったとお考えですが」
「無論じゃ」

 直樹さんは出されていたお茶を一口飲んでから、

「宗瓦には二人の息子がおり長男が仲定、次男が知信です。二人とも尾張徳川家に仕えていますが、この二人にも宗瓦を通じて紹鴎の茶道は伝わったとお考えですか」
「無論じゃ。二人とも茶人であり、とくに弟の知信は宗朝または安斎として知られており茶道史にも名を遺す茶人じゃ」

 さすがに祖父も詳しいです。

「では紹鴎の茶が尾張藩に広まらなかったのはなぜですか。尾張藩だけではなく他にも広がっておらず、残りもしていません」

 祖父は苦しげに、

「そ、それは・・・」
「簡単ではありませんか、広めなかったからです。紹鴎の茶の技は利休が受け継いでいますが、茶の精神は受け継いでおりません。それを受け継いだ可能性があるのは宗瓦のみ。しかし宗瓦は茶の技こそ二人の息子に伝えたものの、紹鴎の精神は伝えていません」

 直樹さんが言い切ると物凄い迫力です。これにいつもシビレてしまいます。祖父の顔が青ざめているのがわかります。

「技すなわち所作なら千家の茶で紹鴎の茶は十分です。あなたが欲しいのは紹鴎の精神でしょう。それがもし残っているのならば紹鴎の血筋の者のみ」

 ここでなんとか祖父が口を開き、

「仰る通りだ。残念なことに宗瓦の長男の仲定の家は青松葉事件で家名断絶になり滅びた。残っているのは弟の知信の家のみだ。香凛の婿は弟の知信の家の血筋の者しかいない」

 直樹さんは笑いもせずに、

「あれは岡本の家であり武野の家ではありません」
「それはそうだが、女系であっても紹鴎の血筋を正しく残しているのはそこだけだ」

 直樹さんは一呼吸おいて、

「明治三年に大赦令が下り、青松葉事件で斬首になった十六人の名誉回復が行われたのをご存じないのか。この時に武野の長兄の家も復活している」
「えっ」

 そりゃ、驚くでしょう。

「武野新五郎は家名断絶を受けた時に、これを恥じて苗字は竹野に変え、さらにお家復活の時にも竹野姓にしている。そしてその家は今も続いている」

 祖父は意外な話の展開に驚いています。

「どうしてそんなことを知っている」

 直樹は、

「ボクが竹野の現当主だからだ」

 祖父は茫然した感じになり、

「我が家には伝わっている。宗瓦は紹鴎の茶の精神に歪みがあったと見たのだ。だから息子に伝えていない」

 さらに続けて、

「宗瓦は紹鴎だけでなく利休の茶の精神さえ認めていない。茶は茶道ではない、あくまでも茶の湯であり、数寄を楽しむのが本来のものだとな」

 直樹はきっと宗瓦に似てる気がする。きっとこんな魁偉な風貌だったと思います。

「これで婿としての資格は十分でしょう。紹鴎の直系であり、宗瓦の茶の精神を身に着けていてまだ文句があるとでも」

 勝負あったです。祖父も父も直樹が婿としての条件を備え、なおかつ香凛と深く愛しあい、将来も誓ってるとなれば認めざるを得なくなります。もちろん祖父や父がそれでも認めないと言うのなら香凛は家を捨てる気でした。


 直樹は婚約者として認められ、今は結納から結婚式への準備中。この結婚式もかなりどころでない盛大なものになる予定です。と言うのも直樹は香凛の婿になるだけでなく華仙流茶道の家元になり、そのお披露目も兼ねているからです。もっとも、

「実際に覚えるとなると難しいな」

 直樹は茶道の経験はゼロですから、祖父にしごかれています。でも血は争えない気がします。直樹の茶は香凛から見てもまさに豪放磊落なのです。こじんまりした上品な茶の枠内に留まるものとは思えないのです。


 紹鴎の茶ですが、これは珠光の茶を受け継いだものです。またその茶を利休は受け継いでいます。しかし紹鴎の茶はある時期から変質してしまいます。そのために息子の宗瓦には否定され、利休は受け継がなかったのです。

 ですが紹鴎の茶の精神は残っています。紹鴎の晩年の茶は受け継がれませんでしたが、それ以前の茶は宗瓦にも利休にも受け継がれています。あまりにも晩年の紹鴎の茶が異質であったがために利休も精神を受け継いだのは珠光としたのです。

 では今に伝わる利休の茶が紹鴎の茶かと言えば違うはずです。祖父でさえ言っていましたが、紹鴎や利休、さらに今井宗久、津田宗及が若き日に堺で楽しんでいた茶の湯は違ったものであったはずだと。

 ではどんなものかですが、黄金の日々の堺の豪商たちのまさに遊びです。遊びであるからこそ雑器に過ぎなかった茶碗に価値をあえて見出し、茶の湯の遊び仲間だけの価値観で千金の値を付けて興じていたのじゃないかと。

 しかし茶の湯が大名の遊びとして広がるうちに、その遊びの精神が変質してまったぐらいです。茶の湯が茶道になってしまった事さえ、茶の湯の劣化とさえ見ています。茶の湯は道ではないです。あくまでも数寄を極めるための道具立てに過ぎません。

 茶の湯は茶道と名を変えた瞬間から形骸化の道をひたすら進んいると言えます。茶の湯とは茶を飲む作法ではなく、茶室での自由を謳歌するものなのです。茶の湯の本当の精神は今の喫茶店にあるのかもしれません。

 喫茶店と言う茶室に入り、コーヒーを楽しみ、仲間内でその場の会話の時間を楽しむ。これこそが茶の湯そのものになります。茶の作法とは、茶室内でお互いが不快にならないようにするマナーでありTPOです。

 お茶もそうです。抹茶である必要など何もないのです。あれは利休の時代に好まれたのが抹茶であったに過ぎません。抹茶であることが重要ではなく、時代の変化に応じた美味しい飲み物であるべきなのです。

 それを茶釜がどうだとかとか、茶の点て方がどうだとか、茶碗の持ち方がどうだかだとか、些細なマナーとTPOだけの作法茶道など生き残っていること自体が不思議です。茶の湯はそんな部分を競い合うものではないはずです。

 そういう意味では珠光が義政に伝えた茶でさえ奇形かもしれません。当時としては身分制が重すぎて、楽しんでいたのは義政一人じゃなかったかと思います。いくら茶室に入れば、身分は浮世を離れて亭主と客だけになるとはいえ、浮世と完全に離れられる人間など存在しません。これは村田珠光でさえ離れられるものではなかったはずです。

 信長も秀吉も茶を好みましたが、あれは義政の茶です。あれは権力者だけが楽しむ茶です。だからこそ珠光も茶の湯の会話は精神世界を楽しむものとしたはずです。あそこに俗世の話を持ち込めば、浮世の身分関係が出るだけです。

 身分制がなくなった今こそ本当の茶の湯が楽しめるのかもしれません。いや、そうじゃなくて茶の湯と言う仮想世界を演出せずとも、自由に会話を楽しめる現代社会こそが茶の湯の精神を具現化しているのかもしれません。

 それでも茶道は必要かどうかは難しい問題になります。少なくとも鯱張って、茶室での作法に神経を尖らせるだけなら、誰も楽しくないからです。目指すべきは現代に求められる仮想空間の遊び場の気もします。

 そんな未来に生きる茶を直樹なら作り上げてくれる気がします。だって、香凛が認めた男の中の漢だからです。