ツーリング日和6(第34話)エピローグ

 久しぶりにユッキーと茶室で茶飲んどる。

「上手く行ったね」
「シノブちゃんにしばらく頭が上がらんわ」

 宗瓦の息子の兄の家が青松葉事件の後に復活したのは知らんかったもんな。もっとも紹鴎の直系の血筋なんか江戸時代に絶えとるわ。女系でさえ切れて別の家の養子が何代も挟んどる。

「それは弟の知信の家もそうでしょ。江戸時代ってお家大事で家を守るために懸命になってたけど、あれって家の血筋を守るのじゃなくて、家禄を守るのに変質してたものね」

 そういうこっちゃ。大名の世継ぎ問題も大変やったけど、家臣の家の跡継ぎ問題も大変やってんよ。幕府ほどドライやないけど、やっぱり跡継ぎがおらんようになったら家名断絶や。

「武士の地位も価値あったんよね」

 武士とは俸禄をもらうもんで、

「登録制だったのよね」

 士籍って言い方しとったけど大名とか旗本に雇われて初めて武士を名乗れるぐらいかな。士籍を離れたら浪人になるけど、

「あれさえ価値あったのよね」

 浪人になれば町奉行支配になって身分的には町人や農民と扱いは変わらへんかったけど、特権として苗字帯刀が許されたんや。

「千葉周作のエピソードって本当なのかな」

 それはわからんが、旗本で最低身分の武士として中小姓ってのがあった、給料が年に三両一分やったから町民からはサンピンと卑しまれたぐらいやったらしい。まあ、三両一分言うたら、一人扶持の半分やから半人前ぐらいに見下されてんやろ。

 そやから世襲で継ぐなんてのは少のうて、随時雇いみたいなのも多かったらしい。雇う方からしてそんな扱いや。

「だけど短期でも中小姓になったら士籍に登録されたことになり、公式に苗字帯刀を許されることになるのよね」

 理屈はそうなるが、それを有難がったのはフィクションやと思うわ。むしろ中小姓をやったという経歴の方が良くない気がするやんか。

「江戸では中小姓がどんなものか知れ渡ってるけど、地方に行けば違うはずよ」

 それはある。町人や農民にも苗字帯刀が許される事はあるけど、これは特権として与えられるものやねん。同じ町人や農民でも持ってるだけで格上に待遇されるぐらいの価値はあるもんな。

 そんなことはともかく紹鴎の孫の家は明治まで残ったが、紹鴎の直系の血筋は残らんかったってことや。直系どころか傍系も残ってへん。

「それを言えば直樹の家だって無関係じゃないの」
「そやな、たんにタケノって音が一緒なだけや」

 知信の家が昭和に途絶えて、娘の嫁入り先の岡本の家が紹鴎流の家元を名乗ってるのはホンマやし今も続いとる。そやけど仲定の家は青松葉事件を生き延びたもののやっぱり無くなっとった。

 シノブちゃんの調査でもはっきりせんとこが多いんやが、維新後のある時期に東京に移住しとる。食うに困っとる士族が多いさかい、東京で一旗を狙ったぐらいやろ。そやけど鳴かず飛ばずやったらしくて、

「関東大震災の猛火に巻き込まれて行方知れずだってね」

 昭和を前に消えてなくなってもてた。シノブちゃんもあれこれ探してくれたけど、関東大震災後の足取りはついにつかめてへんねん。ほいでもこんな好都合な話が転がってるのにコトリは小躍りしたわ。ここまで誰も調べるやつなんておらんから、逆にいくらでも捏造できるってことやんか。

「本人も香凛も騙したのね」
「そうせんとウソがばれる」

 知らずに信じ込んだ方が本人もその気で話すし、聞く方かって信憑性が増すやん。ましてや直樹があの顔と声で話したら誰も疑うかい。それに別にこんなウソなんかどう転んだって誰も損せえへんやん。

「そうよね。これで二人は晴れて夫婦になれたし、華仙流は予定通りに紹鴎流を取り込んだから不満なんて出ようがないものね」
「そうや、こんなもん紹鴎研究家でも調査するかい」

 直樹に覚え込ませるのは手間かかったけど、直樹に吹き込んだ茶の湯の精神は、ホンマはコトリの茶の湯の精神やというのは黙っとこ。真剣に茶の湯の行く末はコトリも心配してるねん。

 華道と茶道は花嫁修業の双璧みたいなもんやけど、華道は残る。どんなに時代が変わっても花を愛でる心は絶えん。これをいかに見栄え良く飾るかの技術は必ず必要とされるし、こんなもん人類が続く限り永遠に続くもんや。

「茶道は難しいところだと思うよ」

 いわゆる形骸化や。茶人の精神とか神髄とか言うてる奴かって、どれだけわかっとるか疑問や。元は遊びやし、おもろいから流行したんやんか。その根本を忘れとる気がする。

「やっぱり利休が悪いのかな」
「エエ意味でも悪い意味でもな」

 利休は偉大やし、茶の湯の完成者の敬称は間違ってるとも思わん。そやけど利休は安土桃山時代の人やぞ。そんな時代背景に完成させたお茶が、現代でも通用すると思う方がおかしいやろ。

「茶道史に改革者はいないものね。ひたすら利休を追ってるだけ」

 それがおかしいねん。どんな芸事でも進歩や改良はある。なくて伝統を墨守してるところは必ず衰える。古臭くて誰も近寄らんようになるからや。もちろん利休を無視せえ言うてるんやない、利休の精神を時代に合わせて行かんとならんはずや。

 コトリに言わせれば今の茶道になんの実用性もあらへん。実用性言うても広く捉えてな。別に仕事の役に立つだけやないねん。遊びの役に立っても立派な実用性や。遊ぶのも人生ではムチャクチャ大事やからな。茶の湯は遊びやんか。遊びの精神が抜けた茶道なんか、どこがおもろいねん。

「それなりに需要があるのと、誰の目にも見える芸術性がないのと、煙に巻くような精神性が通用しちゃってるものね」

 そう言う意味で大拙の華茶一如の考え方はおもしろいと思うんよ。常に時代に順応していく華道の精神を茶道に注入できるんやないかと思うからや、

「だからあれだけ肩入れしたんでしょ」
「ユッキーもやろが」

 まあなんとかなったから、後は大拙に任せるわ。茶の湯まで手が回らんからな。

「ところでさぁ、どうしてあそこまで直樹と香凛がやるのにこだわったの」
「そんなもん男女一如やん」

 好き合うてる男と女が結ばれんでどうする。結ばれてこそ団結するし、団結してこそ一丸となって事に当たれるんやないか。あれはな、直樹に自信を付けさせるのに不可欠なもんや。それぐらい女に自信を失うとった。

 ああいうタイプの男はやれば必ず女を守り抜く。やっとらんでも守る気はあったと思うけど覚悟の桁が跳ね上がる。大拙は甘い男やない。直樹の覚悟に毛ほどの緩みがあったら突き崩してまうで。

「そりゃ、そうだけど、もしやらなかったら」
「その時は力づくでも結ばせてた」

 そこまで心配せんでも香凛はベタ惚れやったやんか。ああなる気持ちはわかるわ。あれだけの男はそうはおらん。

「女が放っておかないよ」

 気づいた女はな。それが香凛やったら直樹も文句あらへんやろ。綺麗やし、ヴァージンやったし、性格もエエやんか。チイとお嬢さんやけど、あれだけベタ惚れされて悪い気がする男はおらんと思う。

 男と女の関係を結婚という狭い枠組みで見たら、直樹は女難の相で受け続けた災難を香凛一人で取り戻したようなもんや。

「色んなドラマがあったね」

 そういう意味でオモロかった。鶴の湯まで来た時には、初めて平穏無事にロング・ツーリングが終わると思たけど、最後の最後にサプライズや。別にそれを期待してツーリングに行ってる訳やないけど、なかったらなかったで寂しいやんか。とにかく、

「二人で行けば」
「いつもツーリング日和」

 次は目指せ北海道か。

「ミサキちゃんとシノブちゃんの説得は任せたわよ」
「ちょっと待てい」
「言ったもの勝ち」