シノブの恋:意外なやる気

 シノブちゃんも段々とは回復しとって、部屋からも出て来たし、仕事にも行ってる。ただ表情は暗く沈んだまま。三十階でもほとんど口も利いてくれへんし、晩御飯が終わったら自分の部屋に直行って感じや。コトリもユッキーも腫物にさわるようでピリピリしてるんや。その夜も食事が終わると、

    「ごちそうさま」

 これだけ言ってシノブちゃんは部屋に戻ろうとしたんだけど、ユッキーが呼び止めたんや、

    「シノブちゃん、ちょっと待って。話があるの」

 シノブちゃんは座り直してくれたんだけど、

    「実はね・・・」

 北六甲クラブと甲陵倶楽部の果し合いみたいな団体戦対決の話を持ちだしたんや。シノブちゃんは静かに聞いてたわ。コトリは表情見とってんけど、全然反応があらへんから、無理やと思たんや。そしたら、

    「飛べる気がします」

 えっ、出るんか。

    「覚えてる感覚と較べて、すっごく軽い感じがするのです」

 そやろな。エレギオン時代はモロの実戦馬術で、完全武装で訓練しとったからな。それこそ鎧兜着こんで、槍抱えて、剣を腰に差して、馬にまで防具付け取ったんよ。それに較べたら、今はそんな余計なもん付けてへんし、北六甲クラブの馬でもあの頃よりは立派やねんよ。そりゃ、軽く感じて当たり前やけど。

    「わたしもそうなのよ」

 ウソつけ。ユッキーも馬乗れるのは間違いないけど、

    『女神に武装は似合わない』

 とかなんとか抜かして、せいぜい剣一本だけで乗ってたやんか。甲胄着けると不細工に見えるとか、肩凝るとか言うてたんも覚えてるで。シノブちゃんは、

    「ここはお世話になっている小林社長のために一肌脱ぐべきです。それが女神じゃないですか」

 ちょっと違うと思うけど、

    「コトリ、これで決まりね」

 マジでやる気か。ほいでも失恋以来、沈み切っていたシノブちゃんがこれだけやる気になってるのを止めるのは拙いよな。ええい、しょうがない乗りかかった船や、

    「大障害は甘ないで」

 休日があったんで北六甲クラブに行ったんやけど、いきなりシノブちゃんが、

    「コトリ先輩、ちょっとやってみます」
    「やめとき、怪我するで。やめとき言うてるのに、その馬じゃ無理やて・・・」

 ああ、行ってもた。シノブちゃんはいきなりギャロップにして、

    『ポ~ン』

 ありゃ、飛んでもた。社長が目を丸くしとった。あのなぁ、目を丸くするぐらいやったら、こんな勝負を挑むなよまったく。そしたらユッキーまで、

    「ちょっとやってみる」
    「やめとき、怪我するで。ユッキーの腕とその馬じゃ無理だって。アカン言うとるやろが・・・」

 ああ行ってもた。

    『ガタン』

 やっぱりな。

    「ちょっと引っかけちゃった」
    「ちょっとやないやろ、横木二本落ちてるで。だから無理って言ったのに」
    「でも馬が良くなれば飛べるんじゃない」
    「ユッキーじゃ飛べへん」

 落馬して怪我せんかっただけでもラッキーと思いやがれ。こりゃ、不安がテンコモリや。そんなコトリの心配をよそに練習コースは着々と作られて行ってもたんや。小林社長は他所のクラブから馬まで借りてきた。

    「うちのよりだいぶマシなはずや」

 たしかにかなりマシやった。やはり問題はユッキーで、

    『ガタン、ガタン、ガタン』

 障害飛越は、障害を飛び越える競技やちゅうのに、障害物倒しみたいになってもてる。

    「コトリ、案外難しいね」
    「一つぐらい、まともに飛んでや」

 シノブちゃんも苦戦してるわ。前の時はギャロップに加速して飛んでたけど、競技となるとそこまでの助走をする余裕がないんよね。キャンターぐらいで飛ばんとアカンねんけど、そうなりゃ馬の能力がモロにでる。

    「ユッキー、飛ぶ前に馬にタメを作らせんとアカン」
    「なるほどタメね」
    『ガタン』
    「だからタメと言ってもスピード落としたらアカンねん」

 あんまり横木を落とすさかい、馬が傷つかんように、横木は紙テープにしてもうた。垂直障害もラクやないんやけど、オクサー障害も難物。高さに加えて奥行というか幅があるんよね。

    『バリッ、バリッ、バリッ』

 どんだけ破ってるねん。もうユッキーとシノブちゃんの指導に手いっぱい状態。

    「コトリさんは指導も上手ですな」

 気楽に言うな。こんな無茶な勝負持ってきやがって。

    「ガンバレ、お嬢ちゃん。オレらがついとるで」

 あの夜の話は広まってるんよね。そりゃそうで、レストランにデッカイ貼り紙がしてあって、

    『北六甲クラブの勝利を疑う者に食わすメシはない』
 まったく堪忍してくれや。それだけやなくて、レストランの常連客がにわか応援団みたいになって、練習中もギャラリーが多いんよね。どっちゃでもエエけど、そこに弁当売って、ビールまで売って回ってるわ。ちゃっかりしてるで。


 最近の馬術大会は自馬戦が多いけど、少ないけど貸与馬戦もある。学生の大会とか、社会人の大会とか。この辺は学生や社会人に自馬を持たせるのが経済的に難しいのはあるからやと思てる。

 自馬戦が主体となってるんは、やはり馬術の特徴で馬の能力の比率の高さや。馬をどれだけ自分の好みに合わせて調教するのも勝負のうちやねん。格好良くいえば人馬一体となることで、どれだけ能力を示せるか競い合ってるぐらいかな。

 これに対して貸与馬戦は、騎手の即応能力が求められるのが特徴かもしれん。そりゃ、会場で初対面の馬に乗っていきなり競技をするんやからな。短時間の間に馬の特徴やクセを把握せんとアカンのよ。見ようによっては騎手の能力の比重が高いかもしれん。

 たぶんやけど、勝機はそこにあると見ている。甲陵倶楽部の騎手のレベルは高いけど、あれはあくまでも自馬で鍛え上げたもんやんか。あそこの騎手やったら、貸与馬戦の経験は少ないやろから、そこで弱点を出してくれるかもしれん。

 そやけど、こっちも不安はテンコモリ。ユッキーの技量は落ちるし、シノブちゃんも昔の技量を全部取り戻してる訳やない。勝つにはユッキーかシノブちゃんが対戦相手に勝ってくれんと話にならん。

 団体戦の方式やけど、総減点法になっとるけど、一対一の対決方式にもなっとんるんや。同じ貸与馬を二人の騎手が使うんやけど、これを先攻後攻でやるんよ。勝ち点方式ではないにしろ、ユッキーとシノブちゃんが両方負けたら終わりになってまうんよね。

    『バリッ』

 ユッキーよりマシやけど、シノブちゃんもこんな箱庭みたいなところでの障害飛越に苦労してるわ。

    「コトリは練習しないの」
    「そんな時間があるか! ユッキーとシノブちゃんがもうちょっとマシにならんと勝負にもならへんやろが」
    「そうだね」

 それにしてもお気楽やな。そこに小林社長も顔を出したから、

    「やっぱり無理あるで。負けたらクソ駄馬クラブになってまうんやろ」
    「勝利は確信しとる」

 こら他人に丸投げしといて胸張るな。

    「ところで、野路菊クラブの馬のレベルは」
    「悪ないで。野路菊さんも甲陵倶楽部に貸与するから、エエのん出して来ると思うで」

 そやろな。

    「貸与馬の練習時間は?」
    「二十分や」
    「そんだけ!」

 ほいでもちょっとやけど有利な材料かもしれん。ユッキーはともかくシノブちゃんなら出来るはず。もっとも体が思い出してくれたらやけど。

    「勝ったら御褒美は?」
    「御褒美? えっと、えっと・・・」

 そこにユッキーとコトリちゃんが来て、

    「御褒美でるの、なになに」
    「御褒美楽しみ」

 社長はグッと詰まって、

    「レストラン三%引き」
 三人とも転んだわ。