麻吹アングルへの挑戦:浦崎班の終わり

 それにしてもトップ・プロって、あそこまでアッサリ撮ってしまうのに驚きました。

「篠田君、ボクも初めて見たけど、プロとはあそこまでなんだな」
「五枚勝負と言ってましたが、本当に五枚しか撮らないのですね」

 五枚と言っても、それなりに撮った中から選ぶと思っていました。

「それとあの気迫」
「殺気さえ感じました」

 撮影前後のキャピキャピした、いかにも若い女の子だったのとは対照的に、撮影に入った瞬間に部屋中に張り詰めた緊張感は思い出しただけで背筋がゾッとします。

「あれがプロの本気だとか」
「どれぐらい本気だったのかは見当も付きませんが、写真を見る限り真剣勝負だったとして良いと思います」

 それと驚いたのが光の写真まで含まれていたこと。これを麻吹つばさが撮れるのは有名ですが、尾崎美里や泉茜までアッサリと。それも写真はまったく違うものです。尾崎美里のものは夏の日差しが降り注ぐ感じで、泉茜は稲妻が走り抜ける感じです。

「光の写真はレタッチ技術が進んだために撮られなくなったそうだが、本当に撮れるのに驚いただけではなく、これならどんな光の写真も撮れるとして良いだろう」

 ふと見ると涼が震えています。

「間違いなく彼女らはアングルが見えています」

 だからあれだけ手早いのはわかりますが、

「アングルから撮れる写真も見えています」
「そりゃそうだろう」
「いえ、そうじゃなくて。二人の写真はそろい過ぎています」

 そろい過ぎてるって?

「わかりませんか。五枚はすべてペアになっています」

 言われてみれば、

「泉茜は尾崎美里がどんな写真を撮っているのか知り、それと同じテーマでさらに上をいく写真を撮ったことになります」
「でも尾崎美里が撮ってる時に泉茜は横から見ていただけだぞ」
「だから線が見え、その線がどんな印象の写真になるかわかっていたのです」

 印象がわかるって、

「これは推測に過ぎませんが、彼女らが見えるアングル・ラインはまず横からも見えているのは確実です。尾崎美里が光の線のようだと言ったのが裏付けられます」
「それでわかるのはアングルだけじゃないか」

 涼は苦しげに、

「あくまでも仮定ですが、光の線は彼女らにはレーザー・ビームのように見えていると考えられます」

 だから横からでも見えるのは説明出来ますが、

「彼女らにはどの線を使えば、どういう印象の写真が出来上がるかを知っていたとしか考えられません」
「その区別は」
「可能性として色が一番有力です」

 涼の説明ならあれだけ手早く撮れる理由は説明できます。被写体から伸びる線に合わせて写真を撮っているだけだからです。それにしても色付きの線で見えているとして、尾崎美里はどうして泉茜に及ばなかったのでしょうか。

「考えれることは一つしかない。泉茜は尾崎美里の見える線がすべて見えていた」
「それって泉茜には見えても、尾崎美里に見えてないものがあるってことか」

 泉茜は尾崎美里が選んだ線からどういう写真が仕上がるかわかり、同じテーマでさらに上を行く線を選び撮っていたことになります。それが二人の差。どんなレベルの争いか気が遠くなりそうです。ここで浦崎教授が、

「非常に参考になったと思うのだが、天羽君は今回の実験を踏まえてどう思う」

 涼はもう完全に山姥の表情で、

「彼女たちは加納アングルを見るのに特殊な機械や撮影設定を用いていません。カメラも関係ありせん」

 たしかに。あの二人は本部からいきなり来て、こちらが用意したものだけで無造作に撮っています。

「それと明らかにあの二人にはアングルが光の線として見えています」

 これも否定しようがありません。浦崎教授は、

「そうではないかと予想はしていたが、その想像さえ超えるほどの見え方で良さそうだ。あれだけ目の前で見せつけられれば、否定する材料は無いとして良いだろう」
「そこからわかることですが、麻吹アングルは実在しています。それも人が見えるものとしてです。研究の限界です」

 人に見えるものなら・・・教授も同じことを思ったようで、

「人に見えるのなら解明可能だろう」
「いえ、あれこそディラックの海です」

 前もそうですが、どうしてこんな難解な例えをわざわざ、

「ディラックの海は確実に存在します。この部屋にも存在しています。しかし見ることも、感じることも、計測することも出来ません」
「天羽君は麻吹アングルがディラックの海に等しいぐらい解明困難な世界だと言うのかね」

 涼は恐ろしい目をしながら、

「ある意味、ディラックの海以上かもしれません。そこは触れてはならない領域にさえなります」
「まるで神の領域のようだね」
「神の領域でなくとも禁断の領域です」

 涼は麻吹アングルについて、あの写真はその存在の証明の意味しかないとまずしています。これはデイラックの海の存在がガンマ線の通過による陽電子の発生で確認されているぐらいでしょうか。

「陽電子は発見可能ですが、陽電子からディラックの海を見ることは出来ません。あくまでも理論上のものに過ぎません」

 ディラックの海もボーズ粒子への適用問題から場の量子論に拡張していますが、

「理論では説明出来ても無意味です」
「意味がないとはどういうことだ」

 不審がる教授に、

「彼女らには見えますが彼女ら以外には見えません。彼女ら以外にも見える者も出てくるかもしれませんが、見えるのは人に限られます。まだわかりませんか。写真にもビデオにも映らないのです。装置が感知できないものを解明するのは無理です」

 そういうことか。ボクたちは麻吹アングルで撮られた写真でのアングルはわかりますが、どうしてその時にあのアングルが発生しているかを探りようがありません。とにかくほぼ同条件程度では再現性が無いのは確認しています。教授も何かを悟ったようで、

「そうか・・・麻吹アングルが見えるのであれば発生条件は調べられるが、見えなければ明滅するような光の線の発生条件を調べ解明するなどまさに無理難題・・・」
「ですからディラックの海になります」

 さらに涼は、

「いつの日にか麻吹アングルを探知できる装置が開発できるかもしれません。なぜならそれは実在するからです。しかし現実には存在しません。装置の開発から手を付けるのはここでは無理です」

 原理も不明な装置の開発となると、どれほどの費用と歳月がかかるかわかりません。そもそも開発できるかどうかさえわかりません。

「天羽君、ここが限界か」
「残念ながら」

 しばらく黙り込んでしまった教授でしたが、

「天羽君、我々は無駄な寄り道をしたのだろうか」
「いえ、ここまで追求したからこそわかった事です。この壁は現在の技術では乗り越えられません。乗り越えるには時を待つしかないでしょう」
「研究では多々あることだが・・・」

 がっくりと言う感じで椅子に深々と座り込んだ浦崎教授は、

「写真を甘く見過ぎていたのかもしれない。思えばこの程度の研究は誰でも思いつき、手掛けられるものだ。そう、見逃されていたのではなく、この壁に達することで挫折していたのだろう」

 青田教授もそう仰ってました。だから未だに加納アングルの謎は解き明かされないと。一息ついた教授は、

「今日、この時点でもってこの研究は終了とする。長い間、ご苦労だった。それでも私は満足している。ここまでたどり着けたのも君たちあってのものと感謝している」

 そこまでいうと寂しげに、

「黒木君と林君は一足先に旅立った。君たちも行きたまえ。良い部下と良い仕事をさせてもらった。もうここに君たちの仕事は残っていない。君たちの前途が幸多からんことを願っている」

 これで浦崎班は解散。ボクと涼はフォトテクノロジー研を退職。科技研に転職の準備にかかりました。