麻吹アングルへの挑戦:甘い? 生活

 涼はボクと結ばれてから引っ越してきて同棲状態です。これで文字通り朝から夜まで二十四時間一緒の生活になっています。涼は研究に熱中すると山姥になるのですが、服装とか身だしなみは、やりたくないのではなく、そちらに頭が回らなくなっているだけです。

 ですから毎朝服を選び、髪形をセットし、化粧もしています。言い忘れてましたが、ボクの実家は美容室で、ある時点まで家業を継ぐ気だったのです。本職には及びませんが、それなりぐらいに涼のコーディネイトは出来ます。

 本当の涼は素敵なレディですから、少し手を加えるだけで見違えるように美しくなります。もっとも表情は能面より固いですし、仕草も身のこなしも女らしさが無くなるので、どうしても限界はあります。それでもAI研の連中に言わせると、

『男が出来るとあれだけ女は変わるものなのか』

 これぐらいの評価は頂いています。やっぱり自分の恋人を超えて気分はとっくにフィアンセですから、褒めてもらいたいじゃないですか。


 家事は期待通りでした。ボクもそんなに上手とは言えませんが、涼となるとよく一人で暮らしていたものだと感心するぐらいです。御飯はすべてコンビニ弁当とか外食だったらしく、鍋釜どころか食器も持ってこなかったのです。

 あれも最初は驚かされました。涼は帰宅するとすぐにシャワーを浴びる習慣があります。それは良いのですが、玄関のドアが閉まるや否や服を脱ぎ始めるのです。玄関から浴室まで脱ぎ散らかして進むぐらいです。シャワーが済むと、

「パジャマ」

 嫌でも愛しの涼の裸が目に入るのでドギマギしましたが、今は涼が脱いでい行ったのを拾い上げて、脱衣場にパジャマもセットしてあります。

 そこから夕食になるのですが涼はノートを広げて数式とひたすら格闘。山姥状態の涼は味覚もなくなっているかと思うぐらいで、あるのは空腹と満腹だけのようです。料理を出せば、数式と格闘しながら胃に流し込むだけです。

 数式のとの格闘も、これも放っておけば朝まで続きます。ですから寝るように勧めるのですが、研究室からの帰宅時と同様に素直に聞いてくれます。と言っても、そのまま行きなりベッドに倒れこんで即爆睡です。

 エッチ? あるわけないじゃないですか。これも誤解しないで欲しいのですが、今なら山姥の涼だって可愛いのです。いや素敵な涼と同じぐらい愛してます。とくに寝顔なんてうっとりするぐらいです。

 とにかく山姥になっている涼は邪魔をしてはいけません。涼が暮らしやすく整えてやることが、ボクの与えられた役割なのです。そうする事を涼は望み、ボクが満たしてあげるのが二人の関係です。

 それと同棲してから良く分かったのですが、素敵な涼も山姥の涼も同じなのです。涼は素直で、優しくて、寂しがり屋で、やきもち焼きです。ただひたすらボクを愛し、ボクを信じてくれています。

 山姥になってもそれだけは変わりません。ただボクへの表情とか、愛想とかに振り向けるエネルギーが無くなっているだけです。だからボクが声をかければ、なんでも素直に聞いてくれます。

 涼の山姥状態ですが、浦崎教授に退職の話をした頃から緩和されています。研究室では相変わらずですが、家に帰ると話ぐらいは出来るようになっています。仕事の話しか出ませんが、そうなっている涼は少しですが表情も出ますし、

「ありがとう」

 これぐらいは出る時がタマにあります。とにかく結ばれて同棲してから大山姥状態が延々と続いていましたから、涼のこの言葉を初めて聞いた時に耳を疑ったのを良く覚えています。

「涼には何が見えてるの」
「見えてない。ただ可能性の一つがあるだけ」

 そこから尾崎美里のプロフィールについてあれこれと。これについては、研究室に出入りしている学生の一人が尾崎美里の熱狂的なファンだったので、かなり調べ上げてくれています。

「やっぱり幻の写真小町の尾崎美里と、映画のあの写真を取った尾崎美里は同一人物だね」
「そうあの一昨年のツバサ杯獲得者の外れ値を撮った人物ともね」

 ここで気になったのは所属事務所です。映画の主演をするぐらいですから、女優であり、女優であれば芸能事務所に所属しているはずです。当面の目標は尾崎美里を研究室に招き、目の前で写真を取ってもらう事ですが、

「女優なら事務所を通さないと撮ってくれないかな」
「どこなの?」

 これが珍妙なことにオフィス加納となっています。ボクも芸能事務所と言われても疎いので学生に聞いたのですが、

『オフィス加納は写真を志す者の聖地です』

 写真スタジオで、あの麻吹つばさも所属しているところと言うのです。写真スタジオが女優を抱えているのは妙だとも思いましたが、オフィス加納に動画部門も有名だそうですから、それで納得しようとしたら、

『尾崎美里はオフィス加納の専属フォトグラファーの一人です。ここも正確にはアルバイトですけど』

 学生が力説するには、オフィス加納こそ世界一の写真スタジオであり、そこの専属プロは世界でも指折りのプロ中のプロだそうです。それこそ写真界では名前だけで世界中に通用するとか、

『それって妙じゃないか。尾崎美里のアルバイトってフォトグラファーだろう』
『はい、オフィス加納の専属プロの代わりにアルバイトしています』

 なんなんだ、その状態。学生の話を聞いていると、尾崎美里が行っているバイトはプロ野球やJリーグのレギュラー選手の代役を学生バイトとしてやってるようにしか聞こえません。そんな尾崎美里がどうして映画になんか出たんだろう。

 さらに珍妙極まるのが西学の写真サークルに所属し、あまつさえその代表なのです。そりゃ、そんな凄い写真スタジオの事実上の専属プロなら、一昨年のツバサ杯を獲得し、去年のハワイの学生大会を勝ってもおかしくありませんが、どうなってるのだと言うところです。すると涼が、

「これならチャンスがあると思う」

 尾崎美里が加納アングルの使い手であるのは審査AIが示しています。本当は麻吹つばさ当人に撮ってもらえば一番良いのですが、プロはタダでは仕事をしてくれません。研究室には依頼料を払えるカネなんてないのです。

 尾崎美里なら西学の学生ですから、学部が違うとはいえ研究に協力してもらうのは不自然でありません。そこで気になったのが女優である点です。女優にもギャラが発生するのです。

「でもプロのバイトだよ」
「アマチュアの写真サークルの代表でもある」

 涼が言いたいのは、写真にプロはいるけど、アマチュアとの間に資格のような厳格な線引きが無い点です。プロはあくまでも自称であり、それ以上でもそれ以下でもないとの見方です。尾崎美里にはプロとアマの両面があり、アマの面を上手く使えば謝礼程度で協力してくれる可能性があるぐらいです。

「それと学部が違うとはいえ、こちらは教える側であり、尾崎美里は学生」

 あれっ、涼の表情が、

「でも涼は心配」
「なにがだよ」
「真が尾崎美里に会うのが」

 会わなきゃ始まらないでしょうが、

「だって尾崎美里はあんなに綺麗で可愛いのよ。もし真の心が・・・」

 出た。少しは自分に自信を持てよな。どれだけ涼が素敵なレディなことか。それこそ女房思うほど、亭主もてもせずだよ。涼が山姥にさえならなかったら、どれだけもてまくってた事か。こっちの方が余程心配だよ。

「だってだよ、尾崎美里は涼より十歳ぐらい若いじゃない。男って若い女の方が良いに決まってるし、涼なんてアラサーをどれだけ超えてるか。涼が勝てる要素ななんて無いじゃない」

 あるよ、それも山ほどある。それに、こんな事で泣きじゃくるな。

「涼、AIが苦手な分野は人の感情の分析。涼も前に言ってだろう、男と女の仲はわからないって」
「うん」
「ボクは、涼を心の底から愛しているし、涼以外に愛そうとも思わない。ボクは涼を愛するために生まれてきて、涼を幸せにするために生きてるんだ」

 今夜は完全に素敵な涼だ。何か月ぶりだろう。

「そういうけど、ずっと一緒に暮らしているのに手もロクロク握ってくれないじゃない」

 山姥になっても涼は可愛いと思えるようになってるけど、その状態の涼を襲えるか。

「夜だって待ってたのに」

 ウソつけ。コンマ三秒の早業で大爆睡するのは涼だろうが。あれを起こしてやれって言うのかよ。素敵な涼に戻ってくれるのは嬉しいけど、そうなるとヤキモチ焼きが炸裂するのが涼でもある。

「こんな涼を嫌いになっていない?」

 涼の口を唇で塞いでベッドに。結ばれた夜から、やっと二回目です。しっかり一戦を交えたら涼も落ち着いてくれて、

「真、ずっとだよ」
「約束する」

 言った途端に爆睡。聞いてたのかな。でも、すやすやと眠る涼のあどけないこと。とにかく取り扱いは難しいのですが、そんな涼を愛しています。次に涼を抱けるのはいつの日になることやら。