理工学部は本部とキャンパスが違います。だから尾崎美里に会ったことがなかったのです。サークル室まで訪ねてみると、
「代表は指導中です。申し訳ありませんが、しばらくお待ち頂けますか」
聞くと会員たちが撮って来た写真の指導だそうです。これはアポ時刻より早く着きすぎてしまったので仕方ありません。サークル室は三部屋続きの広いもの。もっとも、公認サークルに昇格してこの部屋に移ったのは三月だそうです。
「サークル室と言っても立派なものね」
「ああ、なにが立派って、指導しているのがオフィス加納の事実上のプロだぞ」
三十分ほどしてから映画から抜け出して来たような尾崎美里、いやあれはそれ以上です。涼はいつものようにボクをツネりながら、
「これも共通点ね」
「なにが」
「加納アングルを駆使する女は、桁外れどころでない美人だってこと」
ツネられてる太腿が痛いのですが、そこに実在するのが不思議なぐらいの美少女、いや本当に実在する妖精としか言いようがない尾崎美里がそこにいます。なにやら部員から報告を受けていますが少し驚いたような顔になり、
「お待たせして申し訳ありません。フォトテクノロジー研の篠田先生と天羽先生ですね。初めまして、フォトサークル北斗星代表の尾崎です」
声も素晴らしい。これほどの女性を射止める男に軽い嫉妬を覚えざるを得ません。だから痛いって。こちらも挨拶して、
「我々は麻吹アングルの謎を追っています」
「はい、麻吹より聞いております。お二人が来られたら、知っていることを自由に話して良いとなっています」
やはり麻吹つばさはボクたちが尾崎美里に会いに来るのを予想していたようです。それはともかく、少し気になった事を、
「尾崎さんの師匠は麻吹先生ですか」
ちょっと困った顔をした尾崎美里は、
「私は弟子ではなく単なる教え子です。もっとも弟子同然とされていますから、あえて言えば直接の師匠は新田でありますが、麻吹の弟子でもあります」
弟子と教え子の何が違うかと聞いたのですが、弟子は入門願を出して許可されたものだそうです。それ以外に何があるかと思ったのですが、
「高校の時に・・・」
なんとあの麻吹つばさが高校写真部の非常勤顧問に就任し、写真甲子園で優勝したとか。つうか、写真にも甲子園があるのに驚きましたが、
「それからの御縁のようなもので、正式に入門して弟子になっていないので教え子です」
珍しそうなケースです。さて本題に入りたいのですが、
「加納アングルは尾崎さんは使えますか?」
「はい、使えます」
やはり。
「では麻吹アングルはどうですか」
「あれは使えないと言うか・・・」
イメージするのが大変なのですが、尾崎美里によると加納アングルと麻吹アングルはやはり違うようです。これは麻吹つばさもそう言っていましたが、
「加納アングルはご存じの通り加納志織が編み出したアングルです。このアングルはこれまでの写真常識を覆す素晴らしいものです。しかし麻吹は加納アングルでさえベターとし、さらなるアングルを追求し麻吹アングルとしています」
麻吹つばさが言っていた、加納アングルと麻吹アングルは近縁性はあるが別物とはこういう意味か。
「麻吹アングルは加納アングルを習得しないと駆使できません」
「尾崎さんはだから加納アングルしか使えない」
尾崎美里は少し考えてから、
「私もオフィスの仕事では加納アングルを使いません」
「では何を」
「とくに名前は付いていませんが、麻吹はミサト・アングルとしています」
だから麻吹つばさは加納アングルなど基礎技術と言い切ったのか。
「尾崎さんのアングルと麻吹アングルは違うのですか」
「はい。違います」
それにしてもフォトグラファーのトップを争うとは、ここまでのレベルとは驚きました。ここで涼が、
「加納アングルは見えるのですか」
「はい、見えます」
麻吹つばさも見えるとしていましたが、
「それはどう見えるのですか」
「被写体から伸びる光線のようなものと思って頂ければ良いと思います」
光線?
「それには強弱がありますか?」
「あります。ただ強いから必ずしも良い写真が撮れるとは限りません」
「それは一本ですか」
「撮影条件に依りますが数十本になることも珍しくありません」
複数の可能性は実験結果から得てはいましたが、そんなにあるなんて。
「それは固定ですか」
「違います。撮影条件の変化により刻一刻と変わって行きます」
やはりそうか。再現実験が誰も成功しないはずだ。
「それは尾崎さんが使われるアングルでも同じですか」
少し考えてから、
「表現しにくいのですが、同じとは言えません。類似してるかと言われればそうですが」
「その中のどれを選んで撮影するかの基準はありますか」
「撮りたい表現に応じて選んでいます」
涼が考え込んでしまったので、
「天羽関数はご存じですか」
「恥ずかしながらあの関数を理解することは出来ませんが、麻吹は褒めておりました」
やはり知っているようです。
「あの関数で撮れる写真についてはどう思われますか」
「私はあまり見たことが無いので評価を差し控えます」
これは評価以前として良さそうな、
「究極の写真はあると思いますか」
「現時点ではわかりません。麻吹はそれが存在するかどうかわかるのは、写真の行き着く先に到着した時のみと申しております」
「それは遠いのですか」
「どれぐらい先かわからないぐらいとだけ、申しあげておきます」
これってひょっとして涼が言っていた、麻吹アングルの広がりの世界かもしれません。涼もそうですが、尾崎美里たちにはどんな世界が見えているのでしょうか。
「これはお願いなのですが、フォトテクノロジー研に協力してほしいのですが」
「協力ですか」
「難しいことではなく、うちの研究室で写真を取ってもらうだけですが」
尾崎美里は少し困ったような顔になり、
「お求めになられるのはプロの写真ですよね」
「御無理を申し上げるのは承知の上ですが、そこをなんとか」
やはりプロはタダでは仕事をしないか。
「この場での御返事が必要ですか」
「もちろん後日でも構わないが」
後日連絡すると言うことでこの場は終わりました。