麻吹アングルへの挑戦:涼の執念

 予言通り天羽君は元に戻っていました。あれだけ良く変われるものだと感心するぐらいです。やはり狸の仕業か、二重人格とか。相も変わらず調子がイマイチの黒木の特撮機で麻吹アングル探しです。

 天羽君が言うまでもなく、光の変化による変数問題も、麻吹アングルもデータが集まらないと解明しようがありません。それには地道な作業の積み重ねしかありません。ここで思いついたのが撮影時間の短縮です。とにかく五時間は長すぎます。

 被写体を撮る時にすべてのアングルは必要としません。とくにフォトグラファーならそうです。たとえばティー・カップを撮る時に必要なショットはま全景、一部であっても、カップの口が映っていないアングルは必要としないはずです。

 この辺は被写体によっても変わる部分はありますが、そこはAI、条件付けで不要なアングルを学習させるプログラムを組み込もうと思ったのですが、

「黒木の野郎、手を抜きやがって」

 なんと特撮機側のプログラムが対応していないことがわかったのです。黒木はプログラムを組む時に汎用性をバッサリ省略していたのです。仕方がないので、全部組み直し。それでも、これで検査時間は一時間に短縮してくれました。

「ここも削って良い」

 天羽君は集まってきたデータを分析してさらに不要なアングルを見つけ出し、これをバサバサと削り倒していくと最終的には三十分にまで短縮しています。これで検査効率は十倍にアップです。

 スピードアップの恩恵は如実でサンプルが次々に集まります。その中には本物の麻吹アングルと見れるものも交じってきています。もちろん光の変動のデータもです。すっかり山姥に戻っている天羽君ですが、何かをつかみかけているようです。

 それを検証するために次々に新たな条件が出されるのですが、渡されるのはメモのみ。口で説明するパワーも惜しいぐらいなのはわかります。外から見れば、無言でメモを出す天羽君と、その条件に従って撮影条件を設定するボクしか見えないと思います。山姥の天羽君は無口ではありますが、

「そうじゃない!」

 この手の叫びは定期的にあります。それにしても物凄い集中力で、夜に帰らせるのにいつも往生させられます。放っておけば一週間でも徹夜しそうな勢いだからです。これも映画に行く前よりマシになっているのは助かっています。先日もヒョッコリ黒木が顔を出したのですが、

「篠田を尊敬すわ。よく付き合えるな」

 その時に轟く天羽君の絶叫、

「違う、違う、こうじゃない!」

 黒木はビビっていましたが、

「慣れだよ慣れ」
「お前はマゾか」
「可愛いものだよ」

 最近は開き直った気分です。天羽君の変貌は狸の仕業でないと説明不可能ですが、もう騙されたって構わないぐらいの心境です。素敵なレディの天羽君を知ると山姥の天羽君でさえ可愛く思えるようにさえなっている気がします。来る日も来る日も、こういう毎日を過ごした末に天羽君は突然、

「バー」

 夕食を食べた後に、

『カランカラン』

 あのバーです。

「光の変数は人工光ならほぼ対応できるはず。これを応用すれば自然光でもある程度はね」

 隣に座っている天羽君は山姥ではなく素敵なレディです。狸の力の偉大さがヒシヒシとわかります。

「麻吹アングルは?」
「ヒントだけはね。でも、おかしすぎる点があって・・・」

 麻吹アングルが光の条件によって微妙に移り変わり、さらに強弱としか言いようがないものがあるのは既にわかっています。

「仮に、仮にだよ。涼がすべて解明するとするじゃない・・・」

 そこに、

『カランカラン』

 女性の二人連れです。あれっ、どこかで見たことのあるような、天羽君も勘づいたみたいで、

「あの女は麻吹つばさじゃない」

 ボクも写真でしか見たことがありませんが、

「似てるけど麻吹つばさは五十二歳のはず」
「でも若く見えるって噂じゃない」

 そうは言いますが、どう見たって二十代、それも下手すれば前半で、ボクよりずっと若くしか見えません。

「これはチャンスよ。麻吹つばさの話を直接聞けるじゃない」
「本人ならばね」

 と言葉に出した瞬間に天羽君は席を立ちその女性の下にツカツカと歩み寄り、

「失礼ですが麻吹つばさ先生ですね」
「そうだが、貴女は」
「西宮学院大フォトテクノロジー研究室の天羽涼と申します」

 二人連れは顔を見合わせて、

「悪いがプライベートなので・・・」
「そこをなんとかお願いします。どうしてもお話を聞かせて頂きたいのです」

 そしたら二人連れのもう一人の女性が、

「話ぐらいイイじゃない、減るもんじゃないし。こちらに来なさい」
「ユッキーがそういうならしかたがないか」

 ユッキーって呼び名みたいだけど、麻吹つばさの友だちかな。それにしても若いけど貫禄あるな。あれは貫禄と言うより威風かな。

「ただし、もうちょっとしたらコトリが来るから、そこまでにしてね」

 席を移った天羽君は、

「先生の使われる麻吹アングルと加納アングルはどこが違うのですか」
「あれか。まったく違うものとして良いだろ言う」
「では完全に別物ですか」
「そうではない。加納アングルを使えない限り麻吹アングルは無理だ。そういう意味では近縁性はあるが、写真としては別物になる」

 なにか判じ物のような問答ですが、

「混じることはありますか」
「それはない。だから別物とは言える。わかりにくいかもしれんが、見え方が違う」

 見え方?

「麻吹アングルと従来の三大メソドとの一番の違いはなんですか」
「写真に求められるものだ。あいつらの写真は実用写真程度なら十分だ。だがな、実用写真ではアートにならん」

 そりゃ、そうですが、

「加納アングルは誰でも習得できるものですか」
「あんなものは基礎技術に過ぎん。だが誰でもとは言えん。どんな分野でも最低限の天分が必要だ。それなりの天分があれば可能な事は見せてやったつもりだ」

 加納アングルが基礎技術だって!

「AIはフォトグラファーに取って代われると思われますか」

 ここで麻吹つばさはニヤッと笑い。

「写真が行き着くところまで行けばそうなるだろう。だがまだ無理だ。たとえ今のわたしに追いついても追い抜けない。追いつかれれば突き放すだけの話だ。それがAIの限界だろう」

 ここまで言うとはなんたる自信家。たしかにAIの限界は教師モデルに依存しますが、写真の限界はまだまだ先で、そこを突き進んでいく限りAIには追い抜けないとしています。そこに、

『カランカラン』

 新しいお客さんが入ってきて、ユッキーと呼ばれた女が、

「コトリが来ちゃったから、この辺で勘弁して下さいね。どうか、楽しい夜をお過ごしください。お幸せそうなカップルをお邪魔するのも無粋ですし」

 カップルと言われた瞬間に顔が熱くなるのをどうしようもありませんでした。そう見えるのは仕方がありませんが、まだ天羽君とはそこまで行ってませんからね。結ばれたりしたら山姥固定になりそうですし。席に戻ってきた天羽君は、

「篠田君はだいじょうぶよね」
「なにが」
「あの三人を見て心配になっちゃって」

 天羽君も素敵なレディですが、あの三人はなんなんだ。あそこまで行けば美しさは人じゃないぞ。

「涼は必ず麻吹アングルの秘密を解き明かしてやる。だから篠田君、お願いだから助けて」
「言われるまでもないよ」

 さらに天羽君はボクの瞳をのぞき込むように、

「お願いがあるの。涼が涼であるときは涼と呼んで欲しい」
「えっ、その、あの」
「そうしてくれないと、麻吹つばさに勝てそうにない」

 これは、もう。

「じゃあ、ボクも真って呼んでくれる」
「うん」

 ちょっとどころでなく変わったところのある天羽君、いや涼ですが、ボクは夢中です。涼が狸なものか、たとえ狸でも喜んで騙されてやる。