どこに飲みに行こうか迷いましたが、天羽君はボクをぐいぐい引っ張って、裏通りにあるビルの二階に。重厚そうな木製の扉を開くと、
『カランカラン』
ドアベル代わりにカウベルが鳴るようです。入ってみると長いカウンターとずらっと並ぶ酒瓶。噂に聞くバー、それもオーセンテック・バーで良さそうです。まさか狸の巣窟。だってですよ、あの天羽君がこんなオシャレなところを知っているなんて信じられないじゃありませんか。ビシッとベストを着こなしたバーテンダーが
「いらっしゃいませ。何にいたしましょうか」
これも狸が化けてるとか。こういう時に飲まされるのは馬のションベンとかが定番だったはずです。でも逃げて帰るわけにも行きません。ただ困りました。バーだからカクテルを頼まないといけないのですが、カクテルと言われても、えっと、えっと・・・
「涼はロングにする。そうねぇ、今日のフルーツは?」
「パイナップル、スイカ、パッションフルーツ、パパイヤ、ビワです」
「ビワなんかあるんだ。それにしてみる。篠田君は?」
なんて手慣れたオーダーなんだ。やはり狸仲間だとか。ボクはテンパった末に、
「ジン・フィズを」
「かしこまりました」
隣に座っている天羽君をもう何度見直したことでしょう。狸ってここまで人を変えられるのかと感心するばかりです。こんな素敵なレディが結ばれたとたんに山姥に戻ったらショックだろうな。でも結ばれなければ、このままとか。そんなことを考えているうちに、
「お待たせしました」
オーダーが来てしまい。
「カンパ~イ」
「天羽君は良く来るの」
「たまにね」
グラスを傾ける天羽君はこの世のものと思えません。
「どうどう、ちょっとは褒めてよ。頑張ったんだから」
聞くと美容室に行ってたみたいで、
「篠田君にエスコートしてもらうんだから、張り切ったんだよ」
「褒めようにも言葉が出ないよ。まるで狸に化かされてるんじゃないかと思ってるぐらい」
「ご心配なく、狸じゃなくて涼だよ。でも篠田君には感謝してる」
自分から狸と明かすはずはないですが、もう騙されようと心を決めました。騙されてる間はきっと楽しいはずです。そこからの話ですが、こんなプライベートな話をするのはコンビを組んでから初めてです。
山姥状態になっている時は論外ですが、そうでない時でも研究以外の話題は出たのを覚えていないぐらいです。天羽君が極度に集中すると周囲が何も見えなくなり、聞こえなくのはよく知っていますが、
「ああなっちゃうと、考えることに全パワーを集中して表情も出なくなっちゃうの。でも聞こえてるよ」
「それって表情も」
「それを動かすパワーも注ぐ感じかな」
思考も問題解決のみに集中され、身だしなみとか服装に使う気さえなくなると言うのです。ある種の変人と言って良いかもしれません。これは山姥状態が極限ですが、研究室にいる時は、ほぼそうなってるとして良さそうです。
「こんな涼をあれだけわかってくれたのは篠田君が初めて」
いや、わかってなかったのですが、パートナーがしっかり働いて欲しいと思っただけです。そうだそうだ、前から聞きたかったのですが、天羽君と林さんはホントに仲が良いのです。
たとえ天羽君が山姥状態になっても、林さんの天羽君への接し方は変わらないと言うか、そうなっている天羽君を気にもしないと言えば良いのでしょうか。もっとも林さんと山姥の天羽君のツーショットのコントラストは強烈でしたが。
「真奈美とは長いからね」
家がアパートの隣同士だったそうで、それこそ物心ついた時からの友達で、
「アパートから公団に応募したのだけど・・・」
当選したのは良かったのですが、なんと同じ棟の同じフロア。ですから保育園からずっと同じだったそうです。こりゃ、長いわ。その後も中学受験して親愛学園中学から高校に進学。
「高校の文化祭で学園の女王コンテストがあって・・・」
へぇ、今どきミスコンなんてやってるのかと思いましたが、
「なに言ってるの女子高だよ。選ぶのは女子生徒。タカラヅカの感覚。あの時は涼がクイーンで真奈美がプリンセス」
天羽君の説明ではクイーンが男役、プリンセスが娘役ぐらいだったようです。これも、
「クイーン争いの決め手は身長だったかな」
わかるような気もしますが、この話は林さんから聞いたことがあるのを思い出しました。研究室の天羽君との落差が大きすぎて笑い話になったのですが、まさか実話。実話なら本物の天羽君が今で、狸に化かされてるのが山姥。いや、もしかして林さんまで狸でグル。
それと、これも不思議だったのですが天羽君なら港都大どころか京大や東大だって行けたはずです。
「どこでも良かったんだ。真奈美が関学か西学にしたいって言うから両方受けて、真奈美が合格にした西学にしただけ。家から近かったし」
AI研に入ったのも、
「それも真奈美が行きたいって言ったから。別にやりたいこと無かったし」
そこで天羽君はボクの方に振り返り、
「篠田君に、どうしても謝っておきたい事がある・・・」
浦崎班のチーム分けの時ですが、浦崎教授は天羽君と黒木を組ませる予定だっと言うのです。
「でも、涼はどうしても篠田君と組みたかったの。だから差し替えてもらってるんだよ」
「もし、そのままだったらボクは林さんとコンビだったかも」
「かもね。でも真奈美もそうなりたかったみたいだし」
林さんが黒木を・・・仕方ないか。黒木は背も高いしスポーツマンです。大学の成績だって、AI研に入ってからの実績も水がだいぶ空けられています。見た目も将来性も冷静に考えれば黒木に旗が上がります。
「そこまで卑下しなくても。男と女の仲なんてわからないから、涼がわがまま言わなかったら、真奈美のフィアンセは篠田君だったかもしれなかったよ。これだけは悪いことをしたと思ってる。ゴメン」
人生って微妙だな。あの時にコンビが変わっていたら・・・いや、ちょっと待て。そもそもボクと林さんがコンビを組む可能性があったのでしょうか、
「それは知らない。あの時に浦崎教授から聞いたのは、涼と真奈美と黒木君の名前だけだったから」
浦崎班にボクが入ったのを不思議がってる連中は確実にいました。天羽君は評価として一番でしたし、黒木と林さんを入れてベスト3として良いはず、それに比べてボクはその他大勢。もし天羽君が指名してくれなかったら入れなかったもしれません。
「そこはわからないけど、大事なのは結果よ。今回の研究で確実な成果になったのは審査AIだよ。とくにあの感性評価のところ。あれはこれからの応用範囲は広いもの。あれを作り上げた価値は高いよ」
「天羽関数は」
天羽君は少し寂しそうに、
「光の変数を組み込めても及ばない」
「そんなことないよ」
「だから、どうしても麻吹アングルを解明しなきゃならないの。そのためには篠田君の協力が必要なの」
あれっ、天羽君の目に涙が、
「こんな性格でしょ。友だちとして付き合ってくれるのは真奈美ぐらいなんだ。だからずっと寂しかったんだ。やっぱり誰かに支えて欲しいし、力になって欲しかったんだ。やっと見つけたんだ、涼を理解してくれる人を」
ああ、わかった気がします。天羽君は林さんと離れたくなかったんだ。唯一の友だちであり、親友でもある林さんと。天羽君なら中学だって神戸女学院でも合格したはず。それを全部林さんに合わせてたんだ。
「どうしてボクを」
「女の勘。篠田君なら涼をわかってくれて、支えてくれるって思っただけ」
なにか不思議な一日になりました。安達ケ原の山姥が突然素敵なレディに変身して、友だちになって欲しいと申し込まれるなんて。
「明日からは逆戻り?」
「そうなるけど嫌いにならないでね」
戻るってことは、やはり正体は山姥大狸。いや騙しているのなら山姥に戻るのはおかしいはずです。そんな複雑な騙し方はなかったはず。だったら天羽君は狸じゃないはず。え~い、どうでも良い。たとえ狸であっても天羽君は天羽君だ。