麻吹アングルへの挑戦:青田教授

 理工学部がある狸ヶ原キャンパスから本部までは電車を使って三十分ほど。

「天羽君、本部は久しぶりだね」

 狸ヶ原キャンパスは良く言えば現代風で、悪く言えば味も素っ気も無い感じですが、本部はネオ・ルネッサンス様式を取り入れた重厚なものです。これは第二次大戦の戦災で焼失した時にその場しのぎのようにまず前校舎が建てられ、これを作り直す時に戦前の姿に近づけたとされています。

「学芸学部はこっちだったな」

 メディア創造学科の教授室も見つかり、

「失礼します。フォトテクノロジー研の篠田真です」
「天羽涼です」
「よく来たな。青田だ」

 青田教授は五十六歳と聞いていますが、既に白髪になっており、もう少し老けて見えます。

「あははは、ツバサ杯で老けたよ。それはそうと写真もAIの時代が来るとはね。歳は取りたくないものだ」

 こうボヤキながらも相談に乗って頂きました。

「麻吹アングルのルーツは、加納志織先生が編み出された加納アングルにある」

 加納志織とは三十一年前に亡くなったフォトグラファーで当時は世界の巨匠とも呼ばれていたそうです。

「その加納志織が加納アングルを使い始めたのはいつからですが」
「遅くとも七十年以上前には使われていたとして良い」

 そんなに古いテクニックなんだ。それにしても妙だ。そんなに昔からあるのなら、もっと広まっていても良さそうなものです。

「当然の疑問だな。答えは加納先生が存命中は誰もこれを真似ることができず、加納先生の弟子も誰一人受け継ぐことが出来なかったのだ」

 会得するのがそんなに難しいのか、加納志織が秘伝にして教えなかったかだな。

「その辺は加納先生が弟子にも積極的に伝授しようとされなかったらしい事だけはわかっている」

 やはり秘伝にしたのか、

「そうかもしれないが、伝授するに値する弟子がいなかったのかもしれない。なにしろテクニックの難度は超弩級だからな」

 世界には日本では想像もつかない規模の写真学校があり、そこでは中学から大学まで備わっていると聞いて驚きました。

「大学では当然ことだが、写真について専門的に研究している」
「では加納アングルも」
「もちろんだ」

 聞くとボクたちの研究手法は基本的に同じで、被写体の全方向から写真を撮り尽くし、そこから加納アングルを見つけ出そうとしたようです。でも、その手法では限界が、

「君たちもやったのか。であればわかっただろう。その手法で見つかるのは加納アングルの影に過ぎん」
「そんな論文を見たことがありませんが」

 青田教授はお茶を一口飲んでから、

「商売だからな」

 なるほど! 学術研究と言うより、企業の製品開発に近いって事のようです。しかし影とはよく言ったもので、見つけても影を作っていた物は既になくっていると考えてよさそうなのはボクたちも味合わされています。

 それと麻吹つばさが加納アングルをどうやって会得したのかも謎に包まれているらしく、麻吹つばさ本人は自得したと言っているそうです。

「そんなことが・・・」
「そう思うだろうが、加納先生と麻吹先生の間には接点はないとされている」

 加納志織が亡くなった三年後に、麻吹つばさは加納アングルを携えて彗星のようにデビューしたのは事実のようです。

「麻吹アングルと加納アングルは同じですか」
「麻吹先生がデビューされた当時は同じと見て良い。しかし今は違う」

 青田教授の見るところ、麻吹アングルは加納アングルの進化系と理解すれば良さそうです。ここで話が少し変わり、ボクたちが発表した究極の写真のことに、

「良く撮れてたな。あのレベルに達するのは容易じゃない。うちの学生では歯が立たんだろう」

 やはりあのレベルの上がある。

「かつては写真も収束すると考えれていた時代がある」

 西川大蔵の言葉だ。

「何事もそうだが、上達していけばある上限に達する。しかしだ・・・」

 スポーツの世界記録を例に青田教授はされましたが、なかなか破ることが出来ない大記録があるとします。この記録が君臨している時代は、それが記録の上限となります。しかし破られてしまうと、次々とこれを破る者が出現する現象は確かに起こります。

 原因として用具やトレーニング方法の向上もありますが、かつての大記録が平凡な記録に短期間のうちに変わることはボクも知っています。体操なんかもそうで、ムーン・サルトも出現したときには驚異の大技でしたが、今では出来て当たり前ぐらいになっています。

「加納アングルの扱いも似ていてな」

 加納アングルは他の写真を圧倒するぐらいの地位にいたとして良さそうです。いや、今でもそうです。ただ会得した者が少なすぎて、

「そういうことだ。ただしあれは別格過ぎて、写真界では規格外の天才の産物として取り扱っていた。だから加納先生が亡くなったときにはホッとしていたし、麻吹先生が台頭されても鬱陶しい存在ぐらいのもだった」

 加納アングルを別扱いとして作られたのがいわゆる三大メソドであり、そこの上限がボクたちが達した究極の写真で良さそうです。それだったら不満は残りますが、天羽関数を完成させればフォトグラファーAIは完成になるはず。

「君たちは畑が違うので知らなかったのを責める気はないが、今の写真界は激動期に入っている」
「激動期?」
「そうだ。麻吹先生が壁を壊されてしまったのだ。いや、壁など存在しない事を示されたとして良い」

 どういうこと?

「二年前にハワイで学生団体戦世界一決定戦が行われた。そこに参加された麻吹先生は、三大メソドの選り抜きのチームを圧倒して優勝されてしまったのだ」

 さすがだと言いたいですが、学生の大会に勝っただけでどうして激動期に。

「麻吹先生のチームは誰もが加納アングルを使えたのだ。だからこその圧勝劇であったが、加納アングルを使えば当然すぎる結果だ。だから問題はそこではない」

 どこが問題?

「わからんかな。団体戦は三人であったが、学生でも加納アングルを会得できることを示したのだ」
「それって、誰でも加納アングルを使えるって意味に・・・」

 今まで規格外の天才のみが扱える特殊技術と信じこんでいた加納アングルが、突然三人もの学生が駆使できたとなると、もはや例外とは言えなくなります。写真の上限がいきなり跳ね上がり、

「そういうことだ。加納アングルを使えない者は二流以下となる。誰もが懸命になって加納アングルを会得しようとしている」

 だから写真界の激動期。だったら、その後に加納アングルを会得した者は、

「いないと見てよいと思う。だが、麻吹先生なら養成出来るのが知られてしまっている。麻吹先生と言えども魔法使いでない。何らかの方法で加納アングルを教えるメソドを作り上げているはずだ」

 青田教授は苦笑いしながら、

「君たちが天羽関数を発表したものだから、尻に火が着いたとして良いだろう」

 青田教授は、

「君たちが理のみからアプローチしたのは必ずしも否定しない。少なくとも二年前までは君たちが目指したレベルをAIにすればフォトグラファーは失業したかもしれない。だが、どんな世界でも進歩するし変わる」

 それはそうでした。

「しょげるな。研究には試行錯誤が付きものだろう。これは私からのアドバイスだが、もう少し写真とはどんなものかを知っておいても損はないはずだ」

 ここで意外だったのが進められたのが映画です。現在大ヒット公開中の滝川監督の幻の写真小町です。たしかアイドル系の青春映画のはずですが、

「ただのアイドル映画では」
「ああそうだ。良かったぞ」

 青田教授もミーハーだな。

「勉強は机にしがみついて本を読むだけではない、狸に騙されたと思って見てくるがよい。凡百の教科書よりよほど写真の神髄がわかるはずだ」