麻吹アングルへの挑戦:浦崎史郎

 AI研の大山教授から寄附講座の話を聞いた時に呼ばれたのが、当時講師であった浦崎史郎です。話を聞いた浦崎は頭の中で素早く可能性を検討しています。カメラもデジタル、写真もデジタル、これをAIに出来ないはずがありません。むしろ今まで手を付けていないのが不思議なぐらいです。

 もっとも浦崎も写真について詳しいとは言えません。せいぜいスマホで記念写真を撮る程度です。その点を大山教授は危惧していたようですが、浦崎は理詰めで押し切れるはずの直感がありました。写真に特別の秘密があるとは思えなかったのです。

 それでも大山教授はこの寄附講座の行く末に不安を強く抱きます。そこで浦崎の部下に若手の選り抜きを配します。大山教授は愛弟子である浦崎に躓いて欲しくなかったのです。

「天羽君まで回してもらえると聞いて喜んだ」

 AI研の若手女性研究員の中で一番人気は林真奈美です。それに相応しい美貌と性格の良さを併せ持ち、研究センスの評価も高いところです。

「林君も天羽君の前ではモノが違う。あれこそ鬼才だ」

 研究に対する真摯な姿勢はもちろんですが、没頭し始めると異常なほどの集中力を発揮します。さらに複雑な事象の中から原理原則、法則性を見出す能力が卓越しています。

「恋人にするなら林君だが、研究なら天羽君だ」

 ただ天羽涼は鬼才ではありますが孤高のところがあり、誰かと組むのを好みません。これまでも、それで幾つかのトラブルを起こしています。おそらく組んだ相手との能力差への苛立ちになっていると見てよさそうです。そのためかAI研の中でも少し浮いた存在になっています。

 浦崎は今度の寄附講座で、天羽をいかに生かすかが研究の成否の大きなポイントになると考えていました。一人でやらせるのが無難な選択ですが、浦崎は適切なパートナーと組ませることで天羽のさらなる才能の開花を期待したのです。

 寄附講座開設の準備段階で浦崎は天羽を密かに呼び、これから取り組む研究に参加してもらう事と、そのときにはコンビを組んで研究に当たってもらう旨を伝えます。浦崎がパートナーとして提案したのは黒木孝之です。

 黒木も優秀です。とくに能力を発揮するのはAIを活かす機器の設計製作になります。とにかく予算など一顧だにせずに自分の理想の設計をするために、いつも揉めますが、浦崎もその才能を認めています。

「黒木君がその才能を発揮するには、うちでは無理だろう」

 それと研究とは関係ありませんが、黒木は高校まで野球をやっていたスポーツマンです。それもかなり本格派で甲子園まで後一歩まで進み、プロからも育成契約の打診があったぐらいなのです。

 背も高く、顔もいわゆる彫の深いタイプのイケメンで、黒木がAI研に入っただけで女性研究員が色めき立ったほどです。天羽とて女ですから、見た目が良い男の方が気持ちよくペアを組んでくれるはずの計算です。ところが、

「黒木君では・・・」

 浦崎は天羽の反応の悪さに驚きました。どう見ても天羽は黒木とのコンビを厭っています。天羽の姿勢がこれでは、研究を始めても、トラブルの種になるとしか考えられません。それなら一人でやらせる方が百倍マシです。そう腹を括ったところで、

「浦崎先生、今度の研究ではパートナーが必要なのは認めます」
「誰か希望はあるのか」

 天羽が提案した人物は浦崎には意外でした。篠田真とコンビを組みたいとの旨なのです。篠田も若手研究員ですが、どちらかと言えば平凡な印象です。凡庸とまでは言い切らないとしても、研究そのものよりも、細やかな気遣いで研究室の雰囲気を和ませる潤滑剤的な働きが評価されているぐらいです。

 篠田のような存在はチームを編成する上で重宝はするのですが、研究者として食べていけるかとなると無理だろうが浦崎の見方です。篠田の能力では天羽と軋轢を起こす懸念が頭を渦巻きます。

「失礼ですが、浦崎先生はわかっておられません」

 歯に衣を着せないのも天羽です。どちらかと言うと口数の少ない方ですが、一たび口を開けばガチガチの正論で相手を切り裂きます。これが今までのトラブルの原因にもなっています。

「黒木君は林さんとでも組めばよろしいかと。私が組むのなら篠田君」

 浦崎は天羽が篠田の何を見て、どう評価しているのかを考えましたがわかりません。あえて言えば、角を立てない篠田なら、天羽も研究がやりやすいからだろうと自分を納得させています。

「天羽君の目は確かだった」

 研究が始まるとチームAの成果は目を瞠るものがありました。あまり期待していなかった篠田は、なんの問題もなく天羽とコンビを組んだだけではなく、審査AIの開発に大きな貢献をしています。これは浦崎だけでなく、大山教授も認めるところです。

「安達ケ原の山姥になった天羽でも物ともしなかったからな」

 天羽が集中すると完全に周囲が見えなくなります。普段からオシャレやファッションとかに縁遠い天羽ですが、集中すると凄まじい姿になります。だから安達ケ原の山姥ですが、篠田はそうなった天羽をきっちり支え、あの天羽関数を生み出すのに貢献しています。

「そこまで天羽君にはわかっていたのだろうか」

 今度の研究での天羽は、これまでに比べても格段の切れ味を示しています。浦崎も光の変化による変数の処理は手に負えない感想を持っていました。ところが天羽は一歩一歩、その解明に確実に前進しています。浦崎でさえ天羽の考えに付いていくのがやっとです。

「もう置き去りにされている気さえする。そんな天羽君と互角に検討できる篠田に驚かないといけないだろう」

 浦崎の今度の研究の狙いはAIフォトグラファーへの扉を開くことです。そこでの審査AIの位置づけは究極の写真の発見器ぐらいの位置づけでした。審査AIで究極の写真を見つけ、それがどうやって予想できるかを解明して行くぐらいです。

 ところが天羽と篠田は三大メソドのマニュアルを研究し尽くし、そこから導かれる究極の写真のアングルまで解明してしまったのです。おかげで審査AIも特撮機も天羽関数の検証機になってしまったぐらいです。

 この予想外の展開に浦崎は喜び過ぎた後悔があります。浦崎は研究の初めから光の変動による変化には目を瞑る予定でした。寄附講座の期間・予算から無理があるとの判断です。特定条件でフォトグラファーにAIが追い付けば成果としては十分ぐらいです。

 研究成果の発表による反響も満足すべきものがありましたが、写真界を知らな過ぎたの悔いがあります。天羽と篠田が見つけ出した究極の写真は、写真界では究極ではなかったのです。

「まさか麻吹アングルが存在するとは・・・」

 まさに奇怪なものです。浦崎は特定条件下での被写体が撮られる写真は、すべて撮影可能であるとの前提で研究を行っています。言い換えれば常に決まったベスト・アングルがあり、一度見つければ何度でも再現できるはずです。この考えは今でも間違っていないと思っていますが、

「光による変動要素を舐めていた」

 ほんの少しでも光が変わればベスト・アングルはまさに変幻自在に変わっていくのです。それだけはありません。

「それでも三大メソドの範囲内であれば、天羽君の関数の応用ですべてカバー出来ていたのに」

 いきなりすべては無理でも研究さえ重ねれば、いずれすべてを解き明かせるぐらいです。天羽もそれに一歩一歩近づいています。しかし麻吹アングルはそれさえ超越しているとしか考えられません。天羽も篠田も麻吹アングルの謎を必死になって追いかけていますが、あまりの短時間の変化に研究は足踏み状態になっています。

「いや、麻吹アングルと言えども物理現象に過ぎない。しょせんは限定された条件の中の一枚だ。これさえ乗り越えれば、フォトグラファーはこの世に不要になる」

 天羽と篠田が取り組んでいる光の変数を天羽関数に組み込めれば、道は開かるはずです。研究には壁は付き物で、壁は高くて厚いほど乗り越えた時に手にするものが大きいのは良く知っています。

 浦崎は天羽が専門家であるメディア創造科の青田教授の話を聞きたがっているのを知っています。浦崎としては理のみから写真のすべてを解明したい願望は変わっていませんが、

「天羽君なら止めても行くだろう。それが研究に必要と判断すれば、そこに情など存在しないからな」

 天羽の優秀さは浦崎も驚嘆しています。浦崎は自分こそが大山教授の後継者であると自負していましたが天羽には及びそうにありません。

「あははは、それでも私が後継者になるだろうな。天羽君は西学では収まらない。港都大は愚か東大や京大でさえ小さすぎる。あの才能を活かせるのはマサチューセッツかハーバードあたりだろうし、科技研に誘われても不思議はない」

 浦崎は天羽にとってはこの研究でさえ踏み台に過ぎないと見ています。しかし浦崎にとっては一世一代の仕事になると予感しています。これは自力では不可能です。天羽を部下として使える今しか成果を挙げられるとは思えません。

「なんとしても麻吹アングルを解明して見せる。こんなチャンスは二度と訪れない」