麻吹アングルへの挑戦:オフィス加納のお昼休み

 今日はスタジオ撮影だ。昼休みはロケ弁をやめて、マドカと最近評判の淡路島バーガーの店からテイク・アウトで食べることにした。マドカも食べたがっていたし、

「なかなかだな」
「ええ、これは結構なものでございます」

 しかしまあ、いつも事だが、ハンバーガーでもマドカは上品に食べるものだ。しかもマドカが食ってるのはメガバーガーだぞ。わたしは慎ましく三元豚のトンカツバーガーだ。これも結構なボリュームだが、わたしの食いっぷりは聞くな。アカネがいれば目立たんが、マドカとじゃ目立ってかなわん。フライドポテトも当然セットだが、

「おのころチーズフライもいけるな」
「唐揚げもお試し下さい」

 十個入りかよ。まあいくら食べてもスタイルが変わらないのも女神の特権だ。食いしん坊なら女神になるべきだな。酒も底なしに飲めるし。飲んで、食べてが何の遠慮もなく楽しめてこその人生だ。

「オニオン・リングも頼まれたのですね」
「淡路と言えば玉ねぎだ」

 マドカは島レモンにしたか。わたしはマンゴーを試してみたが、素直にアイスコーヒーでも良かったかもしれん。

「サトル先生とタケシさんはロケですね」
「暑いのにご苦労さんだ」

 この暑さでサトルのハゲが進まなきゃ良いが。どうにも最近怪しくなってるからな。カツオがドラッグストア幸福堂から買って来た育毛剤だが逆効果じゃないのか。ハゲが進んだらカツオを丸刈りにしてやる。いや頭髪丸ごと永久脱毛処理にしてやろうか。

「ところでツバサ先生はお読みになられましたか?」
「たいした発表じゃなかったな」

 あれじゃ、プリクラに使える程度の代物なのに大騒ぎしすぎだろう。もっとも、そうやって扉を開いた点に脅威を感じるのはありだ。

「マドカはロボットが面白く感じましたが」
「最後はあれに取って代わられる日が来るかもな」

 アングルは三次元の中で決定される。だからあのクレーンゲームの出来損ないみたいなものを作ったのだろうが、あれでは撮影対象が限定さる。もちろん実証機だからあれでよいが、進化系の究極がロボットだろう。

 屋外撮影も対象と考えると台車方式は使用範囲が狭すぎる。写真は広場ばかりで撮るものじゃないからな。そうなると歩行タイプが必要としたのだろう。台車方式よりは遥かに広く使えるからだ。

 写真を撮る時の動きは単純だ。被写体を見て、欲しいアングルの位置に移動してシャッターを切る。求められるのはたったそれだけなのだ。ロボットなら可能だろう。もっともさすがに今ではない。ロボットも進化はしたが、今の写真家が生きているうちなら出ないよ。

「やっと気づかれたでしょうか」
「わからんが、あいつらが写真の素人なのはわかる」

 発表されたAIカメラだが、あの条件だから可能なのだ。研究のために撮影条件を単純化したからこそ天羽関数を見つけられたようなものだ。もちろん、それだけでも褒めてやって良いと思う。

 だがあんな条件で写真を撮るのはレア・ケースだ。だからプリクラだ。写真に最も重要な要素が飛んでいる。言うまでもなく光だ。写真家は光を使いこなし、味方にしてこそ良い写真が撮れるのだ。

 光とは実に厄介な代物で、片時も同じ状態を保ってくれない。これをどれぐらい見分けられるかが腕の差として如実に現れる。天羽関数はあくまでも特定条件の光でしか適用できない。

「まだ荒いかと」
「そうだな」

 天羽関数はユッキーにも見てもらった。悪いがあんな数式は苦手だ。ユッキーよると、

『良く出来てるけどシオリの欲しいレベルより落ちるのだけは言えるかな』

 どうしてあんな変な記号と数字の行列を見ただけでわかるのが不思議で仕方がないが、現実が証明している。わたしやマドカならあの照明は一つに見えない。一見のっぺりしているように見えるがそうでないのだ。まあ、撮りにくいのは白状しておく。

「いつかは関数化できるでしょうか」
「それはわからん。出来るかもしれんが、とにかく見えないだろうからな。今ごろ気が付いていたなら大騒ぎだろう」

 先ほど素人と言ったが、麻吹アングルを知らなかったようだ。別に知らなければならないものではないし、知らなかったからあそこまで行けたのだろうが、

「写真界では・・・」
「それを言ったら可哀想だ」

 さて仕事だが、

「アカネの産休は決まったのか」
「前に遊びに来た時に、近いうちに産婦人科を受診すると仰ってましたが」

 アカネのやつ、本気で四人作る気マンマンだからな。タケシも苦労するだろう。アカネはホントに家事をやらんからな。まあ、やらせた方が余計に仕事が増えるのも間違いないのもあるが。

「でも育児はされているそうです」
「あれでか。オッパイやってるだけではないか」

 まったく、やっとこさオシメがまともに替えれるようになったとタケシが喜んでたぐらいだからな。もっとも最後まで前後の区別が付いていないと言ってたっけ。あれって『まえ』とわざわざ書いてあるのに、ずっと模様と思い込んでたって言うから呆れたよ。

「尾崎は」
「学校が忙しいようです」

 マドカの方針は学業優先だから仕方ないか。三年だからゼミも始まるだろう。去年も大変だったるから、たまには平穏な年もあって良いだろう。とはいえ、まだ三分の一ぐらい残っているから油断ならない。とにかく女神がトラブルに巻き込まれやすいのだけは良く学習させられた。

「そう言えばお子様も高校受験でしたね」
「誰に似たのか苦労してるよ」

 ありゃ絶対にサトル似だろう。そりゃ、加納志織の血は一滴も入ってないが、麻吹つばさだって明文館から西宮学院だぞ。まあ、体が丈夫そうだからそれで良いようなものだが、すぐに満足してしまうのもサトル似だ。

「下のお子様は西宮学院附属中ですよね」
「頑張ったかならな」

 こっちは間違いなく麻吹つばさ似だ。それでも良く合格したものだ。だが考えようによっては、こっちの方が心配だ。本当の麻吹つばさはガチガチの緊張症。ホントに要らんものだけは似るって当たってると思うよ。

「写真部に入られたとか」
「やめときゃ、イイのに」

 親と比べられるから絶対に止めておけとあれだけ言ったのに。それでも聞くと、ほんわかムードも良いところみたいで、あの程度の腕で通用すると言うから笑っちゃうよ。まあ、高校写真部は写真甲子園の初戦審査会を通ったことが無いと言うからお似合いかもな。

「ツバサ先生がコーチに就かれたら」
「他人の事を言えるか!」

 マドカなんか小笠原流の礼儀作法、薮内流の茶道に嵯峨御流の華道、青蓮院流の書道から桂園派の和歌が詠めて、藤間流の日本舞踊も名取だ。楽器も鳳聲流の横笛と生田流の琴、さらにフルートまで吹けてピアノも弾ける。それだけじゃない。合気道四段であるだけでなく、

「礼法の一つでございます」

 そうは言うが礼儀作法に加えて馬術までやるか、

「弓術も小笠原流に含まれます」

 だから冗談じゃなく流鏑馬も出来る。それも出来るってレベルじゃなく、学生の時には浅草流鏑馬、オフィスに入ってからも京都の下鴨神社の流鏑馬に頼まれて出場して見事に的を射抜いていた。ついでに言うと高校教諭一種免許も取っていて歴史も地理も教えられる。

 マドカの呼び名は白鳥の貴婦人だが、本物の貴婦人でもこれだけの技芸・教養を身に着けている奴がいるとは思えんぐらいだ。それも全部が達人クラスだぞ。だから写真どころか、子どもに教えられるものはワンサカあるはずなのに何一つ教えてないじゃないか。

「いえ、アイドル青春映画を一緒に楽しませて頂いてます」

 あのなぁ。それは教えてるんじゃないだろ。アイドルの追っかけまでやって、ファンクラブの集いに夫婦で連れ回してるって、どういう神経だよ。マドカも親だろうが。

「人生は楽しみを見つけてこそです。今は新田まどかで円城寺まどかではございません。主人も好きこそ物の上手なれと申しております」

 マドカの生い立ちは複雑すぎるが、お嬢様稼業も本当に大変だと思ったものな。今どきだぞ、この時代に娘は政略結婚の道具で、嫁ぎ先で恥をかかないような教養を身に着けさせられるって、どこの少女漫画の世界だと思ったよ。

 もっともマドカの子の方が出来が良い。これは遺伝だろう。マドカだってお茶の水だし、旦那は港都大の古典文化の中村准教授だ。次の宿主代わりの時はその辺も考えた方が良いかもしれん。子どもは可愛いが、やはり出来が良いに越した事はない。

「マドカ、子どもを育てるって楽しいな」
「ええ、本当に」

 しっかしマドカは家ではどんな調子なのだろうか。どうにもギャップが大きすぎる。今でもアイドル映画や青春映画に血道を挙げているのが信じられんのだ。それを言えばフォトグラファーやっていること自体が信じられんがな。

「ツバサ先生、そろそろ」

 おっと、午後の仕事が始まるか。アカネがおらんと仕事が溜まってかなわん。