麻吹アングルへの挑戦:女神たちの夜話

 天羽涼か。あれもある種の天才、いや鬼才だろう。あそこまで写真のすべてに迫った奴は初めてかもしれん。一緒にいたのは彼氏だろう。仕事に恋に充実していると侮れんな。

「イイ子じゃない」
「ああ、ああいうタイプは嫌いでない」

 嫌いなのはアホみたいなナチュラルのアカネだ。これをボヤキだすと長くなるから、

「コトリちゃんはまだ帰らんのか」
「もうちょっとな。後始末はちゃんとやっとかなアカンし」

 コトリちゃんはツバル戦争の煽りでツバル在住中。実質としてはツバルの女王みたいなものらしい。あっちでは女神が降臨して王となって君臨しているぐらいの扱いだそうだからな。

「ほいでもシオリちゃん、おもろい事になってるみたいやんか」
「他人事と思って気楽に言うな」
「本気で心配してるんか」
「していないがな」

 天羽の研究に危機感を募らせている写真家は多いが、それほど心配する必要はないと見ている。たとえ写真館の仕事であっても演出が必要だ。なんの変哲もなさそうな集合写真でさえノウハウの塊なのだ。

 たとえば並び。被写体として考えれば、身長体格で最適なものをAIなら割り出せるだろうが、そうは行かないのが人間だ。社会的な上下関係、、普段の付き合い、目立ちたいのか、そうでないかの思惑が交差する世界なのだ。それを事前情報なしで、被写体の反応を探りながらベターな配置に持ち込む芸当はAIの苦手とするところだ。

 さらに被写体である人の表情を得るテクニックも必要だ。誰もがむっつりした顔では失格だし、ましてや余所見をされたら論外になる。そのために撮影前に場を和ませ、必要な表情を得るのも立派なテクニックであるし、これもまたAIがもっとも苦手な分野であろう。

 AIはその場の最適解を瞬時に算出できる点では人は到底及ばないが、写真はその場の被写体のベストを得れば済むものではない。被写体がベストになる状態に持っていくのが重要なポイントなのだ。商業写真ではそれが基本中の基本で、それが出来ない者は単なるアマチュアに過ぎん。人相手がとくにそうだが、AIが最も苦手なコミュニケーション能力を必要とするのがプロの写真だ。

 天羽たちが見落としているものに写真に求められる創造力がある。被写体をどう撮るのかの創造力だ。そこに答えが一つと思うのが既に間違っている。まあ、答えは一つの三大メソドのマニュアルの分析から入るとああなってしまうはやむを得ないがな。

 創造力に関連してだが、天羽たちは被写体は変わらないのを前提としている。それも間違いだ、被写体はプロであるなら変えるのだ。服や化粧、髪形あたりは当たり前だが、それでも気に入らなければモデルごと変更する。たとえ足が出ても求める理想のためには一切の妥協が無いのがプロだ。

 天羽たちの研究では、被写体が最適の状態で待っている時のみしか効果が得られない。だからプリクラ程度に過ぎんと見ている。プリクラの写真では写真館程度のプロにも負けるのはあたり前だ。

 だが無駄とは言わぬ。天羽の研究が完成すればカメラは間違いなく進化する。その日に生まれて初めてカメラを手にしたものでも、現在のプロぐらいの質の写真は撮れてしまうからだ。オートフォーカスが実用化されたときぐらいのインパクトはあると思う。それを知っている自分が怖いが、とりあえず置いておく。

 写真、とくにプロの写真はデジタルの塊に見えて、実は人の感情が左右する部分が非常に多いものだ。感情はAIのもっとも苦手とするところだ。その点からすると、曲がりなりにも感性や感情を実用のAIにした篠田の研究の方がよほど怖いかもしれん。まだ手始めだが、この研究が進めば確実に世の中は変わる。

「そうかもな。人の感性をAIで判定させる研究は前からやってたけど、ここまで完成度の高いのは初めての気がするで」
「狙いを絞ったのが良かったのかもね」

 それだけではないはずだ。あれは余程のアイデアと工夫を盛り込んだはずだ。世間や学会レベルでも、

『また感性AIか』

 こんな反応で天羽関数に注目が集まってしまっているが、あれこそ天才の汗と涙の結晶にわたしには見れる。

「ユッキー買うんか?」
「交渉中よ!」

 さすがにわかっているな。あの才能は科技研なら欲しいだろう。今だけでも写真コンクールの審査員は廃業させられるからな。

「やっぱり麻吹アングルは天羽関数に入れるのは無理か」
「いや可能なはずだ。天羽なら入れても不思議はない。そうだろユッキー」
「あの子なら出来そうね」

 ユッキーが言うからには出来るのだろう。いや、ユッキーの事だから見えているのかもしれない。だがあの才能を写真に向けさせるのは惜しい気がする。もっとほかの分野に使うべきだと思う。

 AIは脅威だが、それは人が厭う仕事に力を入れるべきだ。写真家から写真を奪っても潰しの利かない失業者を生み出すだけなのだ。

「それは言えてるね。たとえばAIで生け花やらせたら出来そうな気もするけど、それに何の意味があるかだよね」
「なんとかしてやらないのか」
「だから交渉中だって!」

 当然そうか。篠田も欲しいが天羽も欲しいだろう。あれこそ世紀の才能クラスかもしれない。そのうえあの美貌だぞ。どうして世間がもっと騒がないのか不思議だ。

「ああそれ。シノブちゃんが調べてくれたけど、ほら」
「誰だこれ」
「さすがのシオリちゃんでもわからないよね。これが研究中の天羽涼」

 こりゃ驚いた。安達ケ原の山姥も顔負けだな。

「それとさっき一緒にいた彼氏がいたでしょ。あれが篠田真」
「あいつが篠田か。良いコンビだな」
「わたしも山姥と今夜の天羽涼、さらにどう見ても彼氏の篠田真の関係が頭の中でグルグル回っちゃって、ちょっと話がしたくなったの」

 そういうことか! 研究室でコンビを組んでいて恋愛に発展するのはよくある事だ。いわゆる職場結婚で、わたしもそうだし、アカネもそうだ。だがお互いの関係が恋愛にまで発展したのかは野次馬として興味はある。

「篠田が天羽の今日の姿を前から知っていたとするのが一番ありそうだが」
「少なくとも山姥に恋愛感情を抱くのは難しいのはそうだけど・・・」

 おいおいそこまで調べてるのか。

「人を採用するのに必要よ」

 天羽の山姥状態は仕事の熱中度に左右されるらしいが、今度の研究中は殆ど山姥状態であったとして良さそうだ。少なくとも研究室ではそうで良さそうだ。ではプライベートに戻ればどうかだが、研究者のサガだろうが、寝ても覚めても状態で良さそうだ。それはわかる。

「ちょっと待て。いつ篠田はあの天羽を見たのだ」
「今日じゃないと思うけど、最近みたいなの」
「まさか篠田は山姥の天羽に惚れたとか」
「そこまではシノブちゃんでも無理。そもそも二人が出来てたのも調べられなかったもの」

 シノブちゃんでも調べられなかったとすると、余程上手く隠していたのか、

「ごく最近じゃないかなぁ。科技研に来てくれた時のお楽しみになりそう」

 コトリちゃんは明後日にはツバルに帰るらしくて、

「ユッキー頼むで」
「早くしてね。大学院もいつまでも休学に出来ないし」

 今日はカズ君の命日だ。カズ君にとってユッキーは先妻、わたしは後妻みたいなものだから一緒に参ったが、コトリちゃんは婚約者に過ぎないから別にするとしてた。

「一枚落ちるから、肩は並べられへん」

 それでも義理堅い。わざわざ時差ボケ押してツバルから帰って来ている。ここで気になったのだが、

「古代エレギオン時代はどうしてた。多すぎて大変だったろ」
「あの頃は毎日みたいになっちゃったけど、朝夕の祭祀の時に一緒に祈ってたよ」

 そうだった。それだけでなく、繰り返される戦争の慰霊塔も数多く建てられ、その前を通る時は必ず跪いて祈りを捧げていた。これは慰霊塔が跡形もなくなった今でもその場所を正確に覚えていて、発掘調査の時にもそうだったと聞いている。

「それと春秋はフェスティバルやったけど、夏冬は慰霊祭の趣旨も濃かったしな」

 夏至祭、冬至祭はそれこそオールナイトだったそうだ。

「前にリセット感覚と聞いたが、これからまた増えるのか」
「シオリもこれからわかるよ。女神は新しい恋にも燃えるけど、女神の男もまた忘れない。今だって古代エレギオン時代の男を忘れた訳じゃないからね」

 ひょっとして今でも・・・古代エレギオン時代のように長くはないだろうが、女神の男の命日には人知れず祈りを捧げているかもしれん。


 加納志織も、木村由紀恵も、小島知江もこの世にいない。あるのはその記憶のみ。ここの先代マスターも亡くなって久しいからな。変わらないのはこの店だけか。いやこの店さえいずれ跡形もなくなるのも見てしまうのか。女神稼業も悲しいものだ。

「暗いで、シオリちゃん。まあ、今日はしんみりする日やけどな」
「コトリちゃんは、これをどうやって耐えてるのだ」
「嫌でも慣らされる」

 それしかないか。するとユッキーが、

「楽しいこと、悲しいこと、すべてが流れていく感覚は辛いと思うよ。今だってそうだもの。だからこそ女神は今の時間を大切にするのよ。この時間は二度と過ごせない時間だからね」

 三人は無言でチェリー・ブロッサムでカズ君を偲んでいた。