ああ見えてるのかも

 映画のあらすじ紹介のYoutubeにはまってたのですが、2015年のスウェーデン映画です。

 映画自体は感動のストーリーで出来も秀逸のようです。その辺はあらすじ紹介だけではわかりにくいのですが、ハリウッド版のリメイクも予定されてるとかなので、かなりの出来栄えであるのは想像されます。

 この映画で気になったのは主人公。あらすじ紹介でも、

    頑固ジジイ
 こうしてますし、見ただけでそんな感じがストレートに伝わります。ここから先はわからないところも多いのですが、主人公の年齢や風貌の設定はある程度ステレオ・タイプの気がしています。どういうことかと言えば、特別若く見えるとか、老けて見えるではなく、スウェーデン人ならあんな感じぐらいの設定です。

 ところがですが、年齢設定に衝撃を受けました。なんとなんと59歳。ほとんど変わらないのです。気になってスウェーデン男性の平均寿命を調べたら2016年データで80.6歳、日本が81.1歳ですからほぼ同じとして良いでしょう。

 なのに、なのに59歳で頑固ジジイがステレオ・タイプとはです。当然個人差はありますが、作中の主人公は俳優が老けて見えるタイプだったと言うより、キャスティングがそうだったと見る方が良いとしか思えません。

 ストーリー展開にしても、別に59歳である必然性はなく、69歳でも、70歳代でもさして問題はなかったはずです。おそらく59歳にしたのは、冒頭部分の長年勤めた会社をクビになるシーンに必要であったぐらいとしか思えないのです。

 人種と書くとセンシティブなので怖いのですが、あくまでも私の個人的なイメージとして白人は老けやすいところはあると思っています。理由は二つぐらいで、一つは肌が衰えやすいのと、太りやすい点です。主人公は禿げていますが、これが白人に多い傾向があるかどうかは知見がありませんが、ジジイの強調のためにそういうキャスティングが行われたぐらいはあるかもしれません。

 それでも59歳です。日本でだって余裕でジジイだの声も聞こえそうな気がしますが、個人的にはかなりショッキングでした。というか、そこから導き出される次の話がイヤだったのです。

 老いはいやでも感じていますが、実際に老いてみると、自分が想定しているイメージと、他人から見られる部分にかなりギャップがあるのがわかります。いわゆる、まだまだ若いの勘違いです。あの映画の主人公ほどジジイになっていないはずと思っている自分が既に間違っているのじゃなかろうかです。

 そう。実はあれぐらいのジジイに既に見られてるのじゃないかです。それに気が付いていないだけではないかと。いくら抵抗したって老けるのですが、そうなっていたら悲しいなって自嘲ぐらいです。


 こんなものはボヤキなのですが、旧友と歳の話になった時に、子ども頃の五十代、とくに後半なんて完全に爺さん、婆さんで、学校なら校長先生クラスだったと妙に話が弾みました。その歳になったのですが、あまりの実感の無さに笑ってました。

 当時と今では感覚が違うのでしょうか。それとも当時であっても当人の感覚は今の私が感じているのと同じだったのでしょうか。もちろん個人差でしょうが、旧友が言うには同級生でも話が合わないのが出ているとしていました。

 話が合わないとは、仲が良い悪いと言うより、話している感覚が合わないぐらいです。それが気が若い証拠なのか、まだ幼いのか、こっちの頭が固くなっているのかは・・・とりあえず気は若いはずだとあの場はしましたけどね。

 年年歳歳花相似たり
 歳歳年年人同じからず
 言を寄す全盛の紅顔の子
 応に憐れむべし 半死の白頭翁

 青春は二度と戻らず、ただ晩秋の時を歩くのみのようです。