セレネリアン・ミステリー:エラン語の謎

 ダンリッチ博士の身体班もフォート・デドリックにあり、自然に交友が深くなっています。今日は二人でアイルランド風のパブに、

 「やはりエレギオンの女神の態度はおかしいですよ」

 ダンリッチ教授もリー将軍も女神と呼ぶものでボクもそうしています。

 「おかしいと言えば誰もが見落としていることがある」
 「なんですか」
 「あまりにも当たり前すぎて、今や誰も疑問としていないが、どうして女神はエラン語が話せるのだ。それもだよ、読み書きまで出来るというじゃないか」

 もう四十一年も前の話になり、ボクの生れる前になりますが、最初のエラン船が着陸した時に交渉の席になぜかいたのが小山前社長になります。

 「あれも未だに日本政府から明確な説明はない。そこは置いておくとして、小山前社長にしても生まれて初めてエラン語を聞いたはずだ」
 「他に考えようがないですよね」
 「それがその場でエラン語を覚えてしまい、あまつさえだぞ、地球全権代表になり複雑な外交交渉をまとめ上げてしまったのだぞ」

 そうだったらしいのは聞いたことがあります。

 「それとこちらの方は忘れ去られつつあるが、小山前社長以外にも二人の女神も列席していた。立花前副社長と香坂前常務だ。この二人もまたエラン語がわかったとなっている」
 「まだ生きてるのですか?」
 「いや二人とも亡くなっている」

 これは知らなかった。

 「もっと驚くべきことがある。十四年前のエラン船事件の時に小山前社長が地球全権代表になったのは有名だ。あの時は地球人の血液の提供が求められ、ECOが協力機関となったが、小山前社長だけでなく月夜野社長も霜鳥常務もエラン語が駆使できている」

 というか、この三人だけがエラン語の会話が可能であるため、外交交渉はもちろんですが、エラン人たちのお世話や、技術協力までやってのけたのは誰もが知っている事実です。

 「その後もエラン語の研究は進められているが、未だに誰もわからないとされている。エラン船研究を行っている日本政府でさえだ」

 アンドリュー博士もまるで自明の事のように話していたし、ボクだって今までそれを疑問に感じたことはありませんでしたが、こんな不思議なことが起る方が余程奇怪です。

 「まさかエレギオンの女神はエラン人」
 「それはさすがにない。もう時効だからとリー将軍が教えてくれたが、それを疑ってCIAも身辺調査を行ったそうだ。だが地球人の両親から生まれ、ちゃんと小学校から大学、さらに社会人になるまでの経歴はきちんと整っている」
 「そうですよね。エラン人も地球のいかなる国の言語も解さなかったのは間違いなさそうですし」

 これまたミステリーじゃないか。誰も読み書きどころか、話すことも出来ないエラン語をエレギオンの女神は自在に操れるなんて。しかしここまでダンリッチ教授がエレギオンの女神とエランの事を調べているとなると、

 「教授もセレネリアンとエラン人の関係を考えておられるのですね」
 「我々の既知の情報で地球まで確実に来ている異星人の宇宙船はエランのみだ。さらにエラン人は地球の大気で問題なく呼吸ができ、外見も地球人そのものだ。第二の異星人の存在を考えるよりよほど現実的だ」

 エラン人だと考えれば宇宙服のデザインも、生命維持装置の現在わかっている範囲の能力も説明は可能です。問題は五万年の歳月の壁。

 「エランの歴史についてわかっている事はないのですか」
 「それがまったくに近いほどない。八年前の保護されたエラン人、十四年前の長期滞在、さらに四十一年前の逮捕されたエラン人。これだけ聞き取れる相手がいるにも関わらず、一行たりとも記録に残されていない」

 これまた不自然過ぎます。あれだけ期間があったのですから、雑談もするでしょうし、星の歴史に話題が向かわないのは考えられないし不自然過ぎます。女神達の会話レベルはそれを可能にしているはずです。

「エレギオンの女神ならエランの歴史を知っているはず」
「そのはずだ。そうでなくてはおかしいだろう。それだけじゃない、それ以上の事を知っているはずだ」

 すべての謎がエレギオン、いや女神にあるかもしれません。少なくとも今のままではセレネリアンの謎も永久に解けそうにありません。

 「月夜野社長はエレギオンHDの社長ですよね」
 「そうだ」
 「あれだけのHDですからアメリカにも視察に来られますよね」
 「おそらくな。年に一度以上は来ていると見て良いはずだ」
 「そのときに会えないでしょうか」

 ダンリッチ教授も考え込んでましたが、

 「会うべきだ。会って話を聞きだしたい。問題はどうやって会うかになる。月夜野社長は民間会社の社長ではあるが、同時に世界のVIPでもある。ひょいと座興で会ってくれるとは思えないところがある」

 この点はあれこれと聞かされていますが、

 「ここは日本に行くべきです。呼び出す手はずを考えるより、こちらから出かけて話を聞こうとする方がチャンスもある気がします。それと日本、いや神戸に行けば女神の新しい情報だって手に入るかもしれません」

 そうだよ、フォート・デメリックで待っていたって何も手に入らないよ。ここは当たって砕けろで動くべきです。

 「面会についてはリー将軍に頼んでみます。でもそれほどの難物となると、なにかお土産があった方が良いですね。手帳のコピーとかならどうでしょうか。解読依頼もしたいですし」

 ダンリッチ教授は苦笑いして、

 「それぐらいなら持ってるよ。あそこの調査部は噂ではCIA以上と言われてるぐらいだ。防諜もそうだからCIAも手を出せないぐらいだ」

 そこから、あれこれ教授は考えた末に、

 「これは怖すぎて、今まで伏せていたものだが、ハンティング博士。もし日本に行くのなら切り札として持って行きたまえ」
 「えっ、これは、まさかそんなことが・・・」
 「だからセレネリアンはエラン人でもなく、他の異星人でもないと考える他はないことになってしまう」
 「でも、もしかして」
 「そうだ、異星人である決定的証拠になる可能性だってある。これまで伏せていたのは、そちらに話が広がると人類の創生自体が書き換えられてしまうのを怖れたからだ。だから今は君の胸にしまっておいて欲しい」

 ダンリッチ教授と別れ家のベッドであれこれ考えましたが、

 「地球人類、エラン人、セレネリアン、さらに第二の異星人。これの類似、いや全く同じであれば、教授の懸念はわかる。でもそんな事が本当に起ったのだろうか。でも起り得る可能性はゼロとは言えない、むしろ別々の惑星で同じ種が誕生すると考える方がよほど不自然だ」

 眠れない夜を過ごすことになりました。翌朝になってリー将軍に面会を求めたもののワシントンに行って留守。リー将軍はエドワーズ空軍基地時代こそ常駐していましたが、フォート・デトリックに移ってからは留守にしている方が多くなっています。

 考えてみればリー将軍はアメリカ陸軍の最高位である大将であり、バリバリの現役。先々は統合参謀本部議長になるのも確実視されています。セレネリアン・プロジェクトの責任者としての仕事は事実上終わり、次の任務に取りかかっていると見ても良さそうです。

 というか、フォート・デトリックに移転したら転任していてもおかしくないはずです。これは最近になって見えてきましたが、このプロジェクトの目玉は装備班です。そこでの研究成果をあげる目的があったからこそ、あれだけの予算を投じてまでトライマグニスコープを買い入れたと見るのが妥当です。

 ボクが目的と聞かされた手帳の解読はあくまでもついで、さらに言えばセレネリアンの謎解きもオマケみたいなものです。悪く言えば装備班の目的のカモフラージュです。これは所期の目的を果たしているとして良いでしょう。これもダンリッチ教授と話したこともありますが、

 「あははは、君もそう思うかね。だがね、現実にこれだけの施設で研究できて、予算もしっかりあるじゃないか。科学者はこういうチャンスを活かすものだよ」

 さすがは古狸です。

 「だがね、政府も気にはしてると見てるよ。こうやって研究が続けられてるのも一つだが、リー将軍がなんだかんだと責任者のままなのもそうだ」
 「その目的は?」
 「セレネリアン・ミステリーが解けただけでもビッグ・ニュースになるし、カモグラージュが強化されるのが一つ」
 「他にもあるのですか」
 「野次馬さ。大統領だって知りたいのだろう」

 そう言っているダンリッチ教授もセレネリアン・ミステリーが解ければ大きな業績になるのは確実です。こりゃ、狐と狸の化かし合い見たいなもので良さそうです。

 「君もまだ若いから、一つアドバイスしておくが、マージンは常に取るのも研究者の生き方の一つだ。いや、勘違いしないで欲しい。君にそうしろと言っておるのではない。ただ研究はパトロンがいないと出来ないからね」

 そうなのです。今の気持ち的にはドレッド社に帰りたくありません。とは言うものの大学の研究室に頭を下げても戻るのも嫌です。いくつかの大学から教授の話もありますが、学生に教える柄じゃありません。

 でも次のチャレンジを探さないと研究どころかオマンマの食い上げになりかねません。セレネリアン・ミステリーは面白いですが、ダンリッチ教授ならともかく、ボクの仕事としては畑違いも良いところです。


 日本か・・・なんとなく呼ばれている気がする。そこで新たなチャレンジが待っている気がする。どんな国だろうか、とにもかくにも行ってみよう。そうだよ、待っていても何も起こらない、動いてこそ次の道が見えて来るのがボクのモットーみたいなものです。

 そこで遅まきながらエレギオン・グループやエレギオンHDを調べていますが、とにかくミステリアスな会社です。東洋の神秘として良いのじゃないのかなぁ。とにかくトップ人事が意味不明なのです。

 エレギオンHDが出来たのは四十八年前ですが、その時にトップ・フォーと呼ばれる四人の重役が就任していますが、これがすべて女性です。当時もエレギオンの四女神と呼ばれていたで良さそうです。

 最初の四女神で真っ先に亡くなったのは立花前副社長。これが二十六年前の話ですが、ここからが奇々怪々。副社長の椅子はそのまま延々と十年も空席のままにされ、十七年前にまだ大学院生のままで月夜野うさぎは、小山前社長の社長秘書として採用され、翌年には副社長にいきなり大抜擢です。そんな事が起ること自体が一つのミステリーみたいなものじゃありませんか。

 これだけでも不思議過ぎますが、月夜野社長だけではないのです。当初の四女神のうち結崎専務、香坂常務が十四年前に亡くなっています。その年にエラン船事件が起こるのですが、夢前遥、霜鳥梢は大学一年でエレギオンに採用され、いきなり専務と常務に就任しています。霜鳥常務なんてECOの副代表まで就任しているのです。

 さらに、さらに翌年には専務と常務のままで休職して復学。これって冗談としか思えません。大学一年と言えば、まだ高校を卒業したてのヒヨッコですよ。専務と常務に大抜擢されたのもミステリーですが、どうして復学するのですか。

 こんなムチャクチャな人事がこの世にあるはずないでしょう。今だってそうです。小山前社長が亡くなって月夜野社長が就任したのは誰が見ても順当ですが、副社長は空席のまま。どうして夢前専務が繰り上がらないのです。

 ここまで来ればボクにもわかります。何年か後に誰かが、それも間違いなく女性がいきなり副社長に抜擢されるはずです。それはわかるとして、なぜそうなるのか理由は完全に謎です。エレギオンHDはその辺の町工場じゃありません。世界一とも呼ばれるHDです。いや、そこら辺の町工場でもこんな人事は絶対にやりません。

 そして最後のミステリーは、人が変わってもエレギオンの四女神であること。いきなり副社長や専務、常務になっても前任者とまったく変わらない手腕を示しているのです。だからこそあれだけ繁栄していると言えばそれまでですが、外部から見れば東洋の神秘としか言いようがありません。


 ようやくリー将軍が帰って来て要望を告げると明らかに表情が変わりました。とにかくエレギオンHDがらみの要請にリー将軍は良い顔をしたことがありません。

 「将軍。セレネリアンの謎を解くために我々は努力を重ねています。しかし、このままでは永遠の謎になってしまいます。最後の手がかりは手帳の内容しかありません」
 「それについては言語班が頑張っておる」
 「彼らの努力は良く知っていますが、解読までとなると目途も立たない状態であるのは良く御存じでしょう」

 リー将軍はじっと考え込み、やがてポツリと、

 「エレギオンか・・・」

 こう呟くと時刻を確認し、いきなり直立不動になって電話をかけ始めたのには驚かされました。

 「私はアメリカ陸軍大将のロジャー・リーであります」
 「・・・」
 「はい、このたび私が手がけさせて頂いているプロジェクトのために、レイモンド・ハンティング博士を日本に派遣します」
 「・・・」
 「はっ、その件であります。閣下のお手数を煩わせることになりますが、宜しくお願いします」
 「・・・」
 「はい。ありがとうございます」

 おいおい電話に向かって最敬礼って。それに閣下はおかしいだろう。するとリー将軍は、

 「月夜野名誉元帥閣下はお時間を取って頂けることになった」
 「名誉元帥?」
 「そうだ。これは正式のものどころか、非公式のものでさえない。しかし元帥を知る者に取っては命ある限り元帥である」

 これをボクに話すリー将軍は、まるで二等兵が将軍に話すようにシャチホコ張り、緊張をみなぎらし、顔を上気させていました。おそらくですがアメリカ大統領相手でもここまでの緊張と敬意を払わないのじゃないかと思います。

 リー将軍の目は敬意もありますが、あれは憧憬じゃないかと思います。夢見るほど憧れているアイドルやスターと話していたようにも見えてしかたがありません。少し落ち着いてから、

 「いつか博士もそこにたどりつくと思っていた。あれこれ調べたのだろうが、実際に会えば十倍は軽く驚くだろう。会った時には伝言を頼む。ロジャー・リーは永遠の忠実なる部下であると。そして閣下の命あらば、いつでもこの命を捧げる準備はしていますとな」

 どうなってるんだ。月夜野社長が名誉元帥で、あのリー将軍があれほど傾倒しきっているとは。

 「リー将軍の忠誠は合衆国にあるはず」
 「当然だ。私は合衆国陸軍大将である」
 「月夜野社長は日本人ですが」
 「違う。元帥閣下は地球人だ。月夜野元帥閣下は地球軍を率いて怪鳥と戦われ、合衆国陸軍も地球軍として共に戦った部下である」

 あの怪鳥事件の時はリー将軍が司令官のはず。

 「公式にはそうなっているが実態はまったく違う。月夜野元帥閣下は単身で乗り込まれ、あっと言う間にアメリカ軍を地球軍に変えられた」
 「どういうことですか!」

 リー将軍は再び直立不動になり、

 「月夜野元帥閣下におかれてはアメリカとか日本は関係ない。ただ地球のためだけに立ち上がられ、掛け値なく身命を賭して事にあたられた。私の忠誠は合衆国にもちろんあるが、それ以前に地球人として地球にある。これが怪鳥派遣軍十万の意志であり誇りである」

 月夜野社長とは何者。これは日本に、いや神戸に必ずなにかある。