帰りに北条鉄道の法華口駅に寄ったんだけど、なんかエライ風格と歴史のある駅舎だな。今は第三セクターになってるけど、元々は国鉄の駅だからかな。
「それは覚え間違いや。ここは播州鉄道が大正時代に作ったんや」
話は明治まで遡るみたいだけど、現在のJR加古川線は加古川水運を代替するために作られたんだって。この加古川線を中心に北条線だけでなく三木線、鍛冶屋線、高砂線が支線として伸びてたぐらい。
北条線も当時は期待を担って開業したんだろうな。その意気込みがこの駅舎のかもしれない、大正時代の建物だけど、ボロいんじゃなくて歳月を耐えた風格まで感じるもの。それにさ、駅前広場だってこんなに広いじゃない。
「想像やけど、法華山一乗寺の最寄りの駅やから観光開発の狙いもあったんかもしれへん」
バスターミナルを構想してたと言うか、実際にあったのかもしれないよ。それぐらいの広さはあるものね。もしかしたら駅に続く道にも、
「あったかもしれへん。売店とか、食べ物屋とか、お土産屋さんとかや」
バイクを停めて駅舎に入って見たけど、ハンバーガー屋さんが入ってるのか。厨房がかつての駅員室のはずだし、この辺が切符売り場になってたんだろうな。待合室からさらにホームに出たけど、
「映画のポッポ屋の雰囲気あるな」
あれも良く覚えてる映画だ。蒸気機関車の時代には、鉄道員は自分の事をポッポ屋って呼んでたらしいのよね。汽笛の音にちなんでたと思う。そんな鉄道員の娘さんが病気になるのだけど、
「ポッポ屋の仕事を優先してまうねんよな」
病気になった子どもを病院に連れて行くのが手遅れになってしまったぐらい。この悲しい体験がストーリーのベースになって行く。
「当時の医療やさかい、ちゃんと病院に行ってもアカンかったかも知れへんねんけど」
それは今でさえだ。この辺はどんな病気だったかはボカしてある。物語的にはちゃんと治療していたら助かっていたぐらいで十分ぐらいだし、病気が何か、治療がどうかを追求する医療ドラマじゃないものね。
さらに奥さんにも先立たれてしまう、男はローカル線の駅長になってるんだ。とは言え駅員は一人だし、それも住み込みって設定だったな。当時はそんなのが多かったのかな、でね、その駅も含む路線は廃線になるのだけど、廃線になると同時に男も定年になるんだよ。
「あれ思うてんけど、エライ年寄りの話に思うたけど、あの話の時代やったら五十五歳やったんちゃうやろか」
前に聞いたんだけど、定年が五十五歳から六十歳に努力義務として引き上げられるようになったのが一九八〇年代だって。当時の国鉄がどうだったかなんて確認しようがないけど、せいぜい定年は六十歳のはずだものね。
今の感覚ならまだまだ若いだけど、この辺は人によって差は大きいし、物語の設定として人生の逃げられない重荷を背負ってる設定だから、歳より若く見えて活き活きしてるには出来ないよね。
そんなローカル駅の住み込み駅長だから、街の人とも親しいのだけど、ある時に駅に遊びに来た少女と知り合うんだ。男は街に出た人が子どもを連れて里帰りでもしてるのだろうぐらいと思い込むのだけど。
「あそこからファンタジーになるな」
ファンタジーでもあるしミステリーでもあると思う。その女の子が来るたびに大きくなるんだよ。最初はお姉さんかと思っていたけど、ある時に気づくんだよ。最初に子どもが来たのは自分の娘が死んだ歳だって、
「娘は生きていたら、こう成長してるんだを見せたんや」
混乱しながらも男はその娘の存在を認めるのだけど、自分が定年になり、路線が廃止になる日の朝に駅長姿でホームに倒れて死ぬんだよ。
「たしか奥さんが死んだ時も、仕事を優先して死に目に会えんかったんちゃうかな」
そうだった気がする。仕事人間だってことだけど、単なるワークホリックじゃなくて、鉄道輸送にプライドを懸けるって生き方にしてたはず。だけどそのプライドのせいで、愛する家族を不幸にした後悔を背負ってるぐらいのはずだけど、
「そんな父を娘もちゃんと認めてるって綺麗にまとめたけんど、なんか綺麗すぎてオレは複雑や」
そ、それは・・・そうかもね。時代設定が違うから常識も変わるけど、
「いや、あれはフィクションや。時代背景を舞台に借りてはおるけど、心情は現代やろ」
そ、そうなるはずよね。だったら、あれをどうまとめていたら、
「それが出来るんやったら、オレが直木賞作家になっとるわ」
たしかに。けどさぁ、だからと言って恨んで祟られたらホラーになるし、ラストだって呪い殺された無残な死に様にするしかなくなるよ。
「作者の意図は知らんけど、成長する娘さんって男にだけに見える幻影やんか」
他にも見えたらやっぱりホラーだ。
「あの娘の出現を娘の意志と見るか、男の願望と見るかで少しだけ変わるで」
えっ、たしかに男には亡くなった娘の成長を見てるけど、あれは男がそうなって欲しいの願望の産物で、娘が父を認めたのもそうあって欲しいの願望の投影に過ぎないって言うのかよ。もしそうだったら、ラストは自己満足に浸った死ってことになるじゃない。
それじゃあ、あまりにも救いが無いよ。だって男は鉄道員であることにプライドを懸け、そのプライドがもたらした家族の悲劇さえ、家族に認めてもらった事にして死んでるだけじゃない。
「そやけど、そういう生き方を男は自分で選んでるやん」
う~ん、う~ん、そんな生き方を悔い改めたのを家族も認めたって言うのはどうだ。
「それやったら、見捨てられた家族は死ぬときは恨んでることになるで」
ひねくれてるな。もっと素直に取るべきじゃないかな。
「実はそんな男の生き様を家族も認めとったやろ。それが素直なんはわかるけど、なんかなぁ」
なるほど、コーヘーが引っかかってるのは家族を犠牲にした男のありようか。そういう男に惚れこんだ女ってキャラ付けが甘かったのしれないかも。映画だからどこまで描くか、あえて省略して見る者の想像力を掻き立てるかの判断が出て来ると思うけど、
「家族の理解があったと見る人は多いのはかまへんねんけど」
コーヘーの違和感はそこか。男にばっかり都合が良い家族すぎるってことみたいだ。でもさぁ、そういう家族って今でも多いんじゃないのかな。
「ああいうのもアリって話にしてもエエとは思うけど、オレはあんまり好きやない」
コーヘーは結婚に失敗してるから、あれこれ思うところがあるんだろうな。ところでさ、
「ああ、オレもちょっとビックリした」
この駅にはハンバーガー屋さんがあるけど、前は米粉のパン屋さんがあったんだ。それも大人気なんてものじゃなかったはず。
「それ知ってるねん。開店前に来てんやけど、駅の駐車場がテンコモリになっとって、整理員までおってんよ」
じゃあ、あの店長さんも見たことあるの、
「あるで。あれはまだブレーク前やったけど、それこそ高倉健の鉄道員を彷彿とさせるぐらいやった」
移転したのか潰れたのかはわかんないけど寂しいね。ハンバーガーが悪いわけじゃないけど、あのパンをもう一度食べたかったな。
「人って失われるまで気づかへんし、失われたのがわかった瞬間に後悔する生き物やと思うわ」
御意だ。学生時代なんてそうだったもの。毎日のように登校すれば、同じ顔触れにあたり前のように会えてたじゃない。あれってさ、
「そうやねんよな。あれって人生でたった一年限りの奇跡みたいなもんや。あの時のメンバーが全員顔を会わせることは二度とあらへん」
同級生の断片とこうやって会う事さえ、
「誰が断片やねん。勝手にシュレッダーにかけるな」
だったらミンチだ。まあ渚だって悪夢だと思ってないから安心してね。