ツバル戦記:リッチモンド

「リー将軍、休暇中ところお邪魔して申し訳ありません」

 私はロジャー・リー、休暇でリッチモンドの自宅にいる。そこに昔の部下が訪ねてきた。

「将軍も良くご存じでしょうが、ツバルで中国が暴挙を行っています」

 ツバル紛争は複雑な展開になってしまっている。中国軍の奇襲作戦は戦術的には秀逸であったとして良いだろう。戦略目標であるフナフティをわずかな戦力で無血占領しておるからな。

 しかし戦略的には大失敗として良い。中国が抑えたかったツバル政府の要人を根こそぎ取り逃がしている。総督や首相、国会議員は愚か高級官僚まですべてだ。しかもだ、フナフティを脱出したツバル政府要人たちはヴァイツプ島に臨時政府を素早く樹立してしまっている。

 イギリスは英連邦加盟国への侵略に怒りの声明を発表し、ヴァイツプ島政府の支持を明らかにしている。合衆国もこれに共同歩調を取りフランスもまたそうだ。中国への経済制裁はもちろんのこと、米、英、仏、日を中心とした有志連合を結成し艦隊を派遣している。

「かなりの規模ですね」

 ああ、あれは私も驚いた。相手は中国であるから必然と言えなくもないが、あれほどの艦隊が出現したのは第二次大戦以来ではないかと言われるほどだ。有志連合艦隊は南シナ海、東シナ海から太平洋に出てくる中国船舶に厳しい臨検を行っている。

「この膠着状態をどうお考えですか」

 中国はヴァイツプ島政府を叩き潰したいのだろうが動いていない。これは兵力不足と見て良いだろう。監視衛星からの分析ではツバル紛争に中国が派遣した潜水艦は一隻のみ。丁型なら乗組員は六十人程度だ。

 いかにツバルが小国とはいえフナフティだけでも五千人の人口がいる。これを占領しながらヴァイツプ島に進むには兵力が少なすぎるとして良いだろう。やむなく中国は傀儡政府をフナフティに建てたが、

「侵略軍は駆逐するべです」
「そうです。南太平洋、それもハワイの東側で中国の暴挙を看過するのは良くありません」

 たしかに駆逐するのは容易だ。上陸した中国軍は通常型潜水艦一隻分の兵力に過ぎない。潜水艦こそいるものの、それこそ強襲揚陸艦を派遣すれば鎧袖一触だろう。

「そこまでわかっていて、なぜ看過されるのですか」

 軍事的にツバルで勝利を得るのは容易だ。しかし相手は中国なのだ。これは政治的な話になり、軍人には不向きな面があるが、中国は面子にこだわる国だ。ツバル一つを占領できないとなると、面子が潰れ張主席の失脚にさえつながる。

 張主席が失脚するのはどうでも良い話だが、中国では失脚すれば政治的な死のみではなく、生命の死さえ意味しかねない。それも一族すべてに及ぶ可能性すらある。張主席もそれを良く知っているはずだから、次なる暴挙を誘発する危険性が懸念されている。

 そうなのだ、張主席は自らの保身のためだけに、全面核戦争のスイッチを押しかねないのだ。そういう点では実に危険な男とCIAも分析している。

「武器の供与は行っていますよね。軍事顧問団はいつ派遣されるのですか」

 これは極秘事項になるが、実はどちらも行われておらず、行う予定すらない。軍事顧問団については実質的な派兵とみなされるのでともかく、民間団体による人道支援に便乗しての武器供与もきっぱりと断られた。

 とにかくツバル支援を行っている民間団体の主体はタダの民間団体ではないのだ。あれは実質的にエレギオン財団が運用しているとして良く、バックにはエレギオン・グループが付いており、アメリカでさえ手を出せないとして良い。まあ、ヴァイツプ島政府にも断られておるけどな。

「このまま手を拱いていると中国は必ず増援軍を送り込んで来ます」
「それを防ぐための中国船舶の臨検だが」
「中国には強襲揚陸用潜水艦があります」

 あれも出来た時には世紀の珍兵器と揶揄していたが、このツバル紛争においては極めて有用な戦術兵器として良い。丸腰同然のヴァイツプ島政府では一たまりもないとしか言いようがない。

 しかしだ。絶海の孤島に過ぎないツバルに戦略的価値は低いのだ。中国がツバルを抑えたところで、北のキリバス、西のソロモン、南のフィジー、トンガ、西のサモア、さらにクック諸島まで反中国で結束しており、その結束の強化に国務省は奔走している。下手に正規軍を動かして張主席を暴走させるデメリットの方が高いのだ。

「とはいえツバルに中国に軍事拠点を設けられるとハワイはもとより西海岸も脅威にさらされます」

 それをどうするかはアメリカ政府も苦慮しているところだが、ここで元部下たちの態度が明らかに変わり、

「では将軍にお聞きします。将軍は元帥閣下をお見捨てになられるのですか」

 あれは驚いた。ツバルにエレギオンの月夜野社長がおられ、さらにヴァイツプ島に同行しておったのだ。エレギオン財団が長年に渡りツバル援助を続けているのは有名だが、こんな時に巻き込まれるとはな。

「元帥閣下におかれましては、あくまでもヴァイツプ島政府を支持されています」
「そうですよ。空路がつながってからも帰国をされる様子がありません」

 新明和の巨鯨による輸送は物資だけでなく人もフィジーとの往還を可能としている。実際にもツバルの外務大臣は世界中を飛び回ってヴァイツプ島政府への支持と支援を訴えている。

 それだけではない。ヴァイツプ島の学校の生徒だけでなく、小さな子どもたちもフィジーに続々と送られておる。それでも月夜野社長、いや元帥閣下はヴァイツプ島を出ようとされないのだ。

「元帥閣下は我々の助けを待っておられるはずです」
「そうです。世界中の誰もが見捨てても我々は助けに向かうべきです」

 その点は軍人としてではなく、私個人の意見としてはそうだ。名誉元帥の称号は合衆国が贈ったものではあるが、あれは世界のどの国にも属さないものだ。あれこそ地球を代表する元帥号であり、地球軍司令官の証と考えておる。

「我々は合衆国軍人だ。我々が命令を受けて動くのは合衆国のみであり、合衆国のために戦うのが使命だ」
「将軍、そうだとは思いません。私も合衆国軍人ではありますが、それ以前に地球軍人でもあると自負しております。地球軍人として、地球軍司令官である月夜野元帥閣下を助けるのになんの躊躇があると言うのでしょうか」

 まさに怪鳥派遣軍がそうであった。あれこそが怪鳥退治のために元帥閣下が作り上げた地球軍であった。あの戦いに参加できたのは私にとって終生忘れられない名誉である。

「あの戦いで小山前社長は戦死され、月夜野社長は重傷を負われています。しかも怪鳥派遣軍の損害はこのお二人のみであります。これをお忘れになられたのですか」

 誰が忘れるものか。小山前社長の戦死は傷ましいものであった。今でもあの怪鳥の前に平然と歩を進められた小山前社長の姿が目に浮かぶ。

「将軍、あれだけ危険な任務に小山前社長も元帥閣下も、誰の命も受けずに自ら志願して参加しております。あれは何のためだったとお考えですか」

 聞かれるまでもない。地球文明の崩壊を防ぎ、人類の危機を救うためだ。

「元帥閣下は地球のためだと判断し、自らの意思と力で地球軍を作り上げ、自らの意思で死地に飛び込んでおられます。私は元帥閣下を助けるために自らの意思で動くつもりです」
「それは命令違反になる」
「軍を辞めれば問題はありません」

 こういう相談をたとえプライベートであっても行うのは合衆国軍人として好ましいとは言えない。取りようによっては軍規違反どころか国家への反逆にもなりかねない。だが心情はわかる。

「君らの意思は良く分かった。私とて元帥閣下への敬慕は君たちに負けるとは思っていない。しかし我々は軍人だ。命令なしでは動いてはならぬ」
「リー将軍、それでも」
「元帥閣下が今でも地球軍司令官であり、合衆国軍でさえ地球軍の一部であると私は見ている。だがそうであっても、軍人である限り命令無しで動くものではない。それが軍人である」

 元帥閣下は紛れもなく古今無双の名将である。その元帥閣下がヴァイツプ島で指揮を執らておる。あの元帥閣下がなんの成算も無しにおられるはずがない。武器供与を断られたのも元帥閣下の作戦の一環のはずなのだ。

「しかしどうやって戦うと言うのですか?」

 元帥閣下も張主席のリスクを計算しておられるはずだ。ツバル局所で言えば勝利を得るのは容易だ。中国軍からすれば地の利が悪すぎるからだ。もちろん勝たないとツバルは取り戻せない。問題はどうやって勝つかのはずなのだ。

「君たちに問う。仮にツバルに行くとなれば誰の命に従う」
「言うまでもありません。元帥閣下です」
「元帥閣下は我々にまだ命は下されてはおらぬ。命なき前に動くのは許されない」

 他の誰よりツバルに駆けつけたいのだ。元帥閣下の指揮の下で再び戦う日が来るのが私の夢なのだ。元帥閣下が呼ばれないのはなんらかの意図があり、我々が駆け付けるのが閣下の作戦に取ってむしろ邪魔になると判断されているはずだ。

「元帥閣下は本当に助けが必要なら自らお呼びになられる。そうなれば今の地位など何の未練もない。直ちにツバルに向かう」

 しかし実際のところはどうであろう。人の心は移ろいやすい。軍を離れツバルに行けば失う物が多すぎるのだ。千人も集まれば上々かもしれん。

「将軍、我々は誇りある怪鳥派遣軍であり、唯一の地球軍従軍者であります。元帥閣下の命あらば、それに従わぬ者などいようはずもないではありませんか」

 彼らもそうか。あの時の元帥閣下への熱狂と陶酔は未だに醒めておらぬ。いや死ぬまで変わりそうにない。あれこそエレギオンの女神の力そのものであろう。実に恐るべきものだ。こうやって元帥閣下の話をするだけであの時の陶酔感がさらに強くなっていく。

「もし元帥閣下の招集があれば、どれほど集まるか」

 かつての部下たちは、いきなり立ち上がり直立不動の姿勢で、

「怪鳥派遣軍十万、生あれば一人も欠けることなく」