小児の在宅みたいな感想

某所で小児在宅の話が妙に盛り上がったので、ちょっと感想を書いてみます。


背景

この話が出てくる小さからぬ理由の一つがはNICUの逼迫です。NICUは新生児の重症児を扱う施設ですが、ここでは新生児科医が日々命の最前線をやっています。重症児の救命技術はドンドン上っているのですが、治療成果は大きく分けて2つになります。

  1. 救命できたレベル
  2. 治癒するレベル
治癒は表現に語弊が残るのですが、将来的に健常児にソコソコ伍して暮らしていけるレベルになる事ぐらいで御理解下さい。もちろん医療の進歩はかつては「どうしようもない」レベルを「救命できた」レベルに押し上げ、「救命できた」レベルを「治癒する」レベルにしていますが、一方で新たな「救命できた」レベルも作り出している側面もあります。

残念ながら救命できたレベルの患者は生命の維持のために膨大な人手がかかります。平たく言えば病院から家に帰る事ができなくなってしまうです。結果として長期入院を余儀なくされ、NICUの利用可能病床が減ってしまうです。このためにNICUの長期入院児をなんとか出来ないかの動きがあるわけです。


長期入院児の特徴

もちろん様々な病態があるわけですが、おそらく多数を占めるのは呼吸障害が重篤な患児ではないかと思います。未熟児治療の最大の難関は呼吸です。未熟児と言うか早産児であればあるほど肺がまだ出来ていないです。肺胞形成まで達していない患児はたぶん今でも手の施しようがないと思っています。助かる助からないかは生命を維持できる肺機能が既に形成されているか否かが一つのポイントです。新生児医療の進歩の一つが、いかに少ない肺機能で生命を保てるかの技術とも思っています。

もう一つはこれに連動する部分が少なくありませんが、低酸素性脳症の問題です。これも残念ながら現在の医療技術では手の施しようがありません。こういう患児は救命できても多くは喉頭軟化症も伴い、やがては気管切開による呼吸管理に移行せざるを得なくなります。当然のようにそういう患児の生命を維持するには24時間体制の治療体制が必要になります。こういう患児を少しでも減らすように周産期医療は日々努力を重ねていますが、現状の技術では確率的にどうしても発生します。


行き先の乏しさ

私は周産期の前線を離れて軽く10年以上離れていますから、変わった部分もあるかもしれませんが、たぶん基本的な状況は変わらないと考えてのお話と思ってください。私の頃もNICUの長期入院患者の問題はありました。そのため当時の新生児科部長はあれこれと努力を重ねていました。ただ難問であったのは間違いありません。

NICUから動かすとなれば誰でも思いつくのは一般小児科病棟への転院・転棟です。せめてNICUの病床を「空けよう」の発想です。ただ一般小児科病棟サイドからは非常に嫌がられました。理由は、それだけの重症児を受け入れると小児科病棟の医療資源が大きく食い潰されてしまうです。NICUに較べて人手の薄い一般病床で、そういう患児の治療管理を行うと、他の患者の受け入れが大きく制約されてしまうです。それぐらい手間ひまがかかるのが実情です。

ではでは、そういう障害児のための施設はどうかと言うと質も量も不十分です。成人も手薄ですが、小児は輪をかけて乏しいと言うところです。そういう施設はあり余る需要があり、そういう状況ではその施設なりに条件の良い患者しか引き受けてくれません。これもある意味小児病棟での理由に類似していまして、条件の悪い患児を引き受けると、その施設の医療資源が圧迫されてしまうが確実にあります。成人もその辺は似ていると思います。


在宅

在宅が可能になるのも患児の条件次第の面が大きいのですが、成人同様、いやそれ以上にシビアなものでした。とりあえず家族の誰かが介護専従者にならざるを得ません。多くと言うか殆んどの場合は母親になっていました。ここで成人より条件が厳しいのは、子供を作る世代の家庭ですから若年者家庭になる点です。現在の家計は共働きが当たり前の大前提です。夫婦のどちらかが介護専従者として退職すれば家計収入の半分ぐらいがたちまち吹っ飛びます。一遍に生活が苦しくなります。若年家庭ですから蓄えと言ってもさほどあるわけでもないからです。

それとまだ若いので、そういう生活が嫌になってしまう面も残念ながら確実にあります。最初は重大な決意で在宅治療を始めても、やがて家庭争議が起こり、離婚に至るケースもまた稀とはとても言えません。そうなると益々生活が苦しくなっていきます。もう時効ですから一端だけ話しておきますと、ある時にそういう患児が肺炎なりで入院し受け持った事があります。肺炎治療自体はうまく行ったのですが、退院後しばらくして死亡したとの話を聞きました。当時の新生児部長がポロッと、

    「もうあのお母さんも疲れ果てたんだと思うよ。そういう事だ」
非常に複雑そうな表情で語っていました。もちろん推測であって真相は不明です。ただ「それ以上は察せよ」みたいな顔を覚えています。もっと条件の良い患者ならどうかです。これは話が今日のテーマとはずれますが、小児と成人の差を一つ表していると思うので書いておきます。子が生き残ると親は当然老いていきます。しかし子の独立・自立は無理です。親の方が先に死ぬ、または親に介護が必要な状態にいずれなります。

わかりますか? 高齢者も多くは子どもが介護する事が多いと思っていますが、親の方が原則として先に死亡します。言ったら悪いですが、親である高齢者の死亡はある種のゴールです。しかし子どもの場合は介護者である親が先に死にかねません。小さくない差です。


ステップ

在宅移行ステップでも高齢者と小児では大きな差があります。小児も高齢者も障害の程度には段階がありますが、高齢者は不十分とは言え障害の程度に応じた施設治療が存在します。老健、特養、ケア付施設など詳しくはありませんが、制度上は様々な施設が存在します。建前として在宅は施設介護以下の条件のものになります。実態については長くなる上に詳しくないので今日は省略します。これに対して小児は段階ごとのステップが殆んど存在しないと言っても良いかと思っています。えらく単純化しますが、

この路線以外のなんらかの施設治療・介護にありつけたら非常にラッキーの面さえ確実にあります。むしろNICU以外の施設治療・介護は悪い中でも条件の良い患児に恵まれる面さえあり、在宅になるのは本当に程度の軽い患児か、他に行き先がないのでえらい重症児になってしまう現実です。開業以来、そういう患者が受診する事もたまにありますが、その努力に頭が下がる思いしかありません。


対策

こういう問題提起にはそれなりの対策とか解決策がセットとして必要なんですが、私にはありきたりのものしか出てきません。

    施設の充実
これだけでは次に「どれほど必要か」の質問が出ます。個人で調べるには無理があるのですが参考データはあります。救急救命後の長期入院患者における呼吸管理と退院見込み-地域差の検討- 日本小児科学会雑誌からです。

小児科専門医研修施設578施設中360施設から回答を得,うち116施設において合計244人の長期入院患者がいることを明らかにした

調査対象は

急性期の医療により病態は安定したが,その後長期にわたって退院ができない,という状況に陥っている小児患者

こうなっていますからNICUだけではなく他の疾患の治療後も含む広い調査であった事が確認できます。実数として確認できたのが244人ですが、回答が行なわれなかった施設にも同じように長期入院患者がいるとして391人。さらにかなり無理して在宅治療を行っているものを勘案してもどうでしょうか、全国で1000人程度のキャパシティを充実させればかなり解消する気がします。このレポートはさらに現在の重症心身障害者施設の現状も調査されています。

現在でも19478床あるようですから、もう2割ぐらい増やして2000床分ぐらいの施設充実を行えば状況はかなり変わりそうに思います。また2万床弱あると言っても、

重症心身障害児施設における在所者数の88.3%が18歳以上であり,小児に限らない

たとえばNICUをターゲットにすれば患者の実数自体はそんなに多くないのですから、施設設計としてはそういう患者に対応出来るものを作ればかなり問題は解消する気がします。ただなんですが、こちら方面への対応の議論は残念ながら低調と言うか反応が悪い感触をもちました。たとえばレポートの考察には、

もちろん,急性期病棟における長期入院患者が退院後にケアを受ける場所は慢性期病棟に限らない.在宅治療も存在する.しかし,2010 年現在,小児の在宅診療支援経験のある診療所は367 か所,10人以上の小児を診療経験のある診療所は31か所にすぎないと報告されている7).したがって,在宅支援の充実も今後の課題となろう.

この考察は執筆者が考えたものとは限りません。論文には査読があり、査読には雑誌を発行している学会の意向が反映されます。読み様によっては小児科学会は在宅推進の意向があるとも読めます。つうのも小児科学会に長期入院時対策のWGがあるそうで、そこに所属されている委員の話の空気が

    施設拡充の方向性は議論としてタブー
どうにもこう臭ってしかたがないのです。そんな学会中枢に関与するような位置に私はいるわけでないので、あくまでも推測・憶測ですが、高齢者が在宅推進に舵を切った現状で、小児のためだけに施設充実の方針を打ち出すのは「宜しくない」の方針と言うか意向がありそうな気がしました。まあこの辺は様々な思惑があるのかもしれませんがPICUの整備の要求と較べて違和感を感じた次第です。PICUだってやりゃNICUと同様の長期入院患者の発生源になると思うからです。


昔からそうですが医療は前線整備、急性期整備には比較的熱心です。最近ではヘリ整備が象徴的かもしれません。それを不要とまで言う気は私にはありませんが、急性期患者がすべて工場のベルトコンベヤーに乗るように時間が経てばピンピンして元気になるわけではありません。命は助かっても重篤な後遺症に悩まされるケースが発生するのは小児でさえ日常的です。

こういう急性期から慢性期に移行した患者への治療についてはかなり冷淡な印象を持っています。冷淡なだけではなく、むしろ積極的に抑制したいの意向が厚労省の医療政策に滲み出ている感触さえ抱いています。そういう中で高齢者同様に小児も一律で在宅に押し込もうとする医療政策が果たして是か非かです。私は是の感触を持っていませんが、皆様はどうなんでしょうか。高齢者も同様ですが、施設と在宅の選択枝を家庭状況によって選べる状態が望ましいと思っています。