新生児医療の影の部分

まずは2/1付朝日新聞です。

退院後の受け皿不足、家族への支援……NICU重い課題

 本来は生まれたばかりの赤ちゃんを処置するNICU(新生児集中治療室)に、1歳を超えた子どもが多数、入院している。NICUのベッド数や専門医が不足する中、円滑な母体搬送のためにも解消が急がれるが、退院後の受け皿不足や家族のフォローなど、重い課題も浮かぶ。

 大阪府内で新生児医療に携わる28病院は07年、長期入院児の実態を調査。入院1年以上の子が13病院に計28人いることがわかった。入院期間の最長は14年3カ月だった。

 高槻病院(高槻市)のNICU。21床の小さな保育器が並ぶ薄暗い部屋の奥にベッドがあり、人工呼吸器をつけた女児が横たわっている。千グラム未満の乳児が多い中、ひときわ大きく見える。南宏尚小児科部長は「この子はもう2年、ここにいます」。

 女児は866グラムで生まれ、重篤な慢性肺疾患と肺高血圧症を患っている。容体が安定せず、退院は難しい。「こうした子は呼吸障害が出やすく、入院が長期化する」

 府立母子保健総合医療センター(和泉市)では、親の病気や経済的理由など、家族の事情で在宅に移れない例もあった。出産直後から母子が離ればなれになる影響も大きい。同センターのメディカルソーシャルワーカー(MSW)は「病院スタッフがフォローしないと、親子の関係を保っていくのは難しい」。

 在宅療養が困難な場合の受け皿となる重度障害児向けの施設は圧倒的に不足している。重度の知的・身体障害がある児童は08年時点で約3万8千人。重症児施設や国立病院重症児(者)病棟のベッドは計約1万9千で、入所待機者は5千人以上とみられる。

 滋賀県の男性会社員(36)の長女(3)は、昨年5月までNICUと小児病棟に計3年余入院し、在宅療養に移った。仮死状態で生まれ、今も意識はない。人工呼吸器が離せず、主治医からは「この子を自宅でみるのはつらいですよ」と言われた。近隣の障害者施設はどこも入所待ち。24時間態勢の見守りが必要な子を家に連れて帰る結論に至るまでに、それなりの時間と在宅介護の情報が必要だった。

 岡山県倉敷市の倉敷中央病院は07年、長期入院の解消に向けて在宅療養支援を強化した。35ある新生児病床の満床が続き、一般病棟に子どもの患者があふれたためだ。

 同病院では原則、乳児は生後1〜2カ月で小児科に移る。NICUや小児科の医師らでつくる在宅チームが外泊テストを重ね、退院が可能かを検討。退院後は、訪問看護師やヘルパーが患者の変化をチームに伝えて情報を共有する。こうした環境を整えるため、地元自治体との協議で、2〜3歳まで認められなかった障害認定を生後半年以内で可能とし、小児看護ができる訪問看護ステーションも1カ所から4カ所に増やした。(重政紀元、稲垣大志郎)

私が新生児科に関与した時代と今では医療レベルがかなり違います。しかしレベルは違っても起こる問題は変わらないと言えばよいのでしょうか。むしろ進歩すればするほど問題は拡大しているとも言えます。

新生児科医の腕の揮いどころは、どれだけ週数の早い児を救命するか、どれだけ条件の悪い児を救命するかになります。レベルは異なれどこれは昔から同じです。私が新生児科をやっていた頃に指導医に聞かされたのは、かつてはせめて極小未熟児を救命したい時代もあったと聞いています。ここで問題になるのは、医療の進歩によって救命できる範囲は確実に広がっています。救命できる範囲が広がるほど、従来は救命だけ出来た程度の未熟児が順調に育成されるケースも増えています。

ただ先端レベルで救命できた未熟児は救命できただけで、後の発育に大きな問題が残ります。つまり医療の力を注ぎ込んで生きていますが、それ以上はどうしようもない状態といえばよいのでしょうか。もちろん進歩により、かつては先端レベルの救命であったものが、質の良い救命に代わり福音をもたらしているのですが、同時に先端レベルは突き進むので予後が大変な子供は減らない関係です。

新生児科医療の進歩は、まずは命だけでもとりあえず助けられる医療技術が生まれ、それからそのレベルの救命の質が向上する関係にあると思っていただければそんなに間違いはないと思います。進歩の必然でもあり、この構図は新生児医療が始まってから変わっていないと言えます。

そうなると昔も今も変わらないのですが、先端レベルで救命だけ出来た児のその後はどうするかになります。医療の進歩はそういう患者の延命技術もまた進んでいます。かつては出生直後は救命できたものの、残念ながら長期の延命が困難であったのが、5年、6年、7年と延命が可能になっています。ただ延命は出来ても状態の悪さから、元気になって退院するなどは夢物語で、かなり濃厚な医療がなければ死んでしまいます。

順調に回復する児は、

    NICU → GCU → 退院
こういうルートをたどれますし、もうちょっと治療が必要な児なら、
    NICU → GCU → 一般病床 → 退院
こういうケースもありうると思います。しかし救命だけができた児は、何が起こるかといえば、NICUから退院できない児が蓄積されてしまうという事です。こういう場合の行き先が本当に困ります。NICUレベルの治療がないと生命が維持できないのでどこにも転院しようがなくなってしまうのです。またNICUレベルの治療が必要でなくとも、一般病床の治療レベルが欠かせない児もいます。そういう児の一般病床転棟も実は非常な困難を伴います。一般病床が受け入れるにしてはかなりの重症で、受け入れると人手が取られ、さらに長期化するのは間違いありませんから、一般病床の機能が低下してしまうジレンマがあるからです。

こういう児は一定の確率で出現します。出現すると長期に病床を占めますから、NICU病床で新たな患者を受け入れる余力が低下します。そういう現実が、

大阪府内で新生児医療に携わる28病院は07年、長期入院児の実態を調査。入院1年以上の子が13病院に計28人いることがわかった。入院期間の最長は14年3カ月だった。

正直なところこの記事にある数字はかなりの努力の末のものと思われます。大阪ですから、条件の悪い児でもまだ引き受けるところもあるかもしれませんが、地方に行けば本当に出口のない状態になる事は容易に想像がつきます。ちょうど記事にありますが、

岡山県倉敷市の倉敷中央病院は07年、長期入院の解消に向けて在宅療養支援を強化した。35ある新生児病床の満床が続き、一般病棟に子どもの患者があふれたためだ。

取り組みとしては在宅医療しか行き場が無いのでそうなるのですが、これも記事にある

滋賀県の男性会社員(36)の長女(3)は、昨年5月までNICUと小児病棟に計3年余入院し、在宅療養に移った。仮死状態で生まれ、今も意識はない。人工呼吸器が離せず、主治医からは「この子を自宅でみるのはつらいですよ」と言われた。

こういうケースも少しは知っていますが、壮大な負担が家族に圧し掛かります。病院では三交代で看護師がケアするものを、夫婦二人でやれば地獄のような作業になります。子供を産むぐらいですから一般的に夫婦はまだ若く、母親が子供にかかり切りになると悲しいですが、夫婦間の関係がおかしくなるケースも決して少なくありません。

母親には自分の腹を痛めた子供の意識が強いですが、男親は残念ながらそこまで必ずしも強くありません。家に帰っても髪を振り乱して子供にかかり切りになる妻の姿しか見れないとなると、家庭が崩壊してしまう結果になってしまうのです。もちろん全員ではありませんが、そういう率が決して低いとは言えないということです。

解決策としては重度障害児のための施設の充実という事になるのですが、これも昔から必要性が訴えられていましたが、整備は遅々として進んでいません。どう考えても莫大な予算が必要な施設ですから、そう簡単には整備が積極的に行なわれない現状があります。小児科医師としてはこういう事は絶対に民間では不可能な事ですから、行政が動いて欲しいところですし、動かなければならないところでしょうが未だ道は遥かなりです。

限られた福祉予算の分配合戦になるのが政治ですが、障害のある児をもつ親の声は弱いものです。一方でたとえば高齢者に対する要求の声ははるかに強い事があります。強い声であるはずの高齢者対策でも今の現状ですから、声の弱い側にはもっと恵まれない状態しか出現しないのが現実と言えば良いのでしょうか。

どうも出口のないお話で申し訳ないのですが、新生児医療の影の部分として読んでいただければ幸いです。