盆休み中に「ある目的」のためにムックしたもののほんの一部です。「ある目的」に十分な情報は得たのですが、今日のはその背景事情の一部ぐらいです。それと文中の敬称は基本的に略させて頂きますので宜しくお願いします。
wikipediaからお手軽に行きますが、1954年にノーベル化学賞、1962年にノーベル平和賞を二つ受賞された大化学者です。化学分野における成果は畑違いなのでwikipediaを参照してください。平和賞に関してだけ少し書いときますが第二次大戦の惨禍に影響を受けて始まったとなっています。ごく簡単には、
- 1946年、アルベルト・アインシュタインが議長を務める「原子力科学者の危機管理委員会」に参加した。
- 1955年、アインシュタインやバートランド・ラッセルら第一級の科学者や知識人が参加する中、ポーリングはラッセル=アインシュタイン宣言に署名した。
- 1958年、ポーリング夫妻は国際連合に核兵器実験の根絶を訴え11,000人以上の科学者が署名した請願書を提出した
マッカーシズムに曝されたりして大変だったようですが、この功績からノーベル平和賞が授与されています。素直に偉大な業績と存じます。そんなポーリングですが偉大な科学者に特有の迷走も行っています。医学分野にも研究の手を広げたようですが、
1966年にポーリングは生化学者のアーウィン・ストーンから高用量ビタミンCの概念を知り、風邪の予防のために毎日数グラムのビタミンを摂り始めた。その効果に興奮したポーリングは臨床文献を調査し、1970年に「ビタミンCと感冒」を発表した。1970年、ポーリングはイギリスの癌外科医ユアン・キャメロンと長期間の臨床協力を開始し、末期癌患者の治療にビタミンCを点滴及び経口投与した[19]。キャメロンとポーリングは多くの論文のほか、彼らの研究成果を扱った一般書「癌とビタミンC」を執筆した。Moertelらがメイヨー・クリニックでプロスペクティブ試験、無作為化試験、プラセボ対照試験を3回に渡り行ったが全て失敗し、超高用量のビタミンCの投与が癌の患者に効果があるという証明は得られなかった
今に続くビタミンC大量療法の草分け的な仕事もされたようです。これの関連で良いと思われますが、
ポーリングの造語である分子矯正(orthomolecular)とは、病気の抑制や治療の際に体内物質の濃度を操作する手法を意味する。この概念が中核を担っている分子矯正医学は、今日でも一部を除き効果的な治療法として未だ科学的な立証は進んでおらず、強い批判を浴びることもある。
ポーリングは分子生物学の草分けとされる化学者ですから、手を出してもおかしくはないと言うところでしょうか。もちろん完全なトンデモではなく、ポーリングが切り開いた医学分野には後に新たな医学の手法論として発展した分野もありました。しかし一方でノーベル化学賞研究者が提唱したと言う権威を借りて変形の発展を遂げた部分もあるぐらいの評価にさせて頂きます。
以上がポーリングの今日必要な部分の抜粋です。ポーリングは1901年生れなのですが、1989年つまり88歳の時に小牧久時と共に創立者となり地球環境大学院を創設したとなっています。最晩年事業のようですが、趣旨はポーリングのノーベル平和賞サイドの功績のためのようです。ここで残念なのはwikipediaにも一言の記載もないことです。
誤解はしてほしくないのですが国際地球大学の創立者である事に疑問があるわけではありませんし、wikipediaとてすべての業績を完全に網羅している訳ではあないからです。悔しいのはポーリング在世中にどんな活動をしていたのかは具体的に確認できないぐらいです。それと、もう一つ判り難いのがポーリングと共に創立者となっている小牧久時です。正直なところ「誰だ?」の世界です。今日はタイトル通りに小牧久時のムックを中心に据えています。
小牧は1926年生まれですからポーリングと共に地球環境大学院を創立したのは63歳の時になります。小牧の経歴を紹介したいのですが、主にここから組み立ててみます。非常に弱った事にwikiopediaにも記載がないからです。
年 | 経歴 |
1926 | 滋賀県大津にて出生 |
1959 | 京都大学大学院博士課程修了し、農学博士 |
1960 | 国立奈良女子大学講師 |
1962 | 武庫川女子大学大学院教授 |
1968 | 松下電工(株)本社顧問(役員待遇) |
1970 | 平和財団(生物農業研究所)理事長 |
1972 | 生物農業研究所を株式会社に改組、代表取締役 |
1975 | ノーベル医学・生理学賞候補として正式にノミネートされる。(生体内元素変換の立証の功績による。)フランス国際大学名誉教授を兼務 |
1981 | 紺綬褒賞受賞 |
1982 | 正垣一義、乳酸菌分泌物と共に菌体物質の抽出に成功、商品名「智通」と命名 |
1984 | 正垣一義、株式会社「物心科学生活研究会」設立。「智通」の製造販売を開始 |
1985 | 正垣一義(84才)没。 その後、乳酸菌培養エキスは大谷氏、正垣氏の研究を引き解いで、いろいろの形の乳酸菌培養エキスが研究開発された |
1988 | 「腸内細菌叢を改善する健康食品製造法で」特許(第1439935号)乳酸菌16種・酵母24種の培養エキス「小牧原液」完成 |
1989 | 世界発明博覧会(米国)にて、サチヴァミン複合体及び乳酸菌酵母分泌物により銀メダル(分子生物学領域では世界最高貰)を受賞 |
1992 | ラィナス・カール・ボーリング博士(ノーベル化学貰受賞・ノーベル平和賞受賞)と共同で創立。名誉総長となる |
1993 | 中華人民共和国・国立・山東省医学科学院(医科大学)名誉教授を兼務 |
1994 | 乳酸菌16種・酵母24種の培養エキスを粉末化して「潤性蘇菌」として発売。現在に至る |
紺綬褒章しか書きませんでしたが他にも日本赤十字社金色有効章受賞、英国文化功労賞受賞、アルベルト・アインシュタイン最高褒賞受賞が記載されています。出身の大津市から功労賞を贈られた話もどこかにありました。ここであくまでも因みにですが紺綬褒章は、
「公益のため私財を寄附し功績顕著なる者」に授与される。
こうなっており紺綬褒章等の授与基準についてに、
紺綬褒状でなく紺綬褒章ですから500万円以上1000万円未満の寄付を行った事が確認できます。実に立派なものです。ここで1994年以降の経歴を追うのが難しいのですが、ポーリングの死後空席となった地球環境大学総長を巡るエピソードはあります。国際地球環境大学の基本理念―「絶対平和への四段階」構想の全目標の実現をめざして;ライナス・ポーリング博士(ノーベル化学賞受賞、ノーベル平和賞受賞)の精神の継承 ―にはこうあります。
1994年8月19日、ライナス・カール・ポーリング総長は93才の御高齢にて天寿を完うされた。半年余の紆余曲折ののち、在来の名称「米国地球環境大学大学院」を「国際地球環境大学」と改め、池田和義博士(大阪大学名誉教授・理博)を全世界の総長として御推戴申し上げる新体制が発足した。
共同創立者であり、No.2である名誉総長の小牧がいるにも関らず「半年余の紆余曲折」があり、なおかつ小牧ではなく池田和義が総長となっています。年齢の問題かとも思いましたが、池田も1928年生れですから当時66歳です。小牧も当時68歳ですから年齢とは別の要因で創立者の小牧ではなく池田が総長に就任したようです。なおかつなんですが、池田総長就任と同時に
- 大学院を大学に改組
- どうやら国際環境大学を日本に移転
だいたい「米国法人」でニューヨークに本校があるはずなのに、教授が日本人ばかりで、事務局が名古屋にあるってどういうこと? アメリカのYahoo!で「Komaki Hisatoki」「International Earth Environment University 」で検索しても、サイトがヒットしないし……。
実は同様のサーチをあれこれかけたのですが、私もまったくヒットしませんでした。池田総長就任と同時なのか、その後なのかは確認しようがありませんが、日本に移転したのは間違いないと考えられます。ひょっとすると米国法人だけ登録し、もともと日本にしか存在しなかった可能性もないとは言えませんが、その辺を説明する記載は遺憾ながら見つかっておりません。とにもかくにも小牧は名誉総長には留まったようです。
でもって既に故人になられているのだけは判ります。米国法人国際地球環境大学 (International Earth Environment University) 公式WEBサイトに、
名誉総長 小牧久時(農学博士、故人)
こうなっているからです。ではいつかになりますが、地球連邦財団(GFF) 公式サイトに、
2008年7月15日 小牧久時博士より、北川訓司博士に、IEEU最高責任者(CEO)が委嘱され、北川訓司博士を、ポーリング博士と小牧博士の後継者として「遺言」が発表される。(『絶対平和への道・内面の軌跡−増補改訂版・新絶対平和論』参照)
「遺言」と書いてあるぐらいですから2008年に故人になられたのかもしれません。これも遺憾ながらハッキリしない事は付け加えておきます。
経歴を追うだけで大変でしたが、小牧の業績のうち地球環境大学が最も重視されているのは国際地球環境大学サイトにある
ノーベル生理学・医学賞の最終選考候補者の小牧久時博士である。
小牧がノーベル賞候補とされたのは略歴から1975年です。候補になった業績は、
-
生体内元素変換の立証の功績
関連を少し書いておけば、これもwikipediaによると、
桜沢は、ルイ・ケルヴランによる生体内で原子転換が起こるという説を支援し『生体による原子転換』や『自然の中の原子転換』を日本とフランスで同時に発売した
「桜沢」とはマクロビの元祖的な位置にいる桜沢如一です。小牧の生体内元素転換研究がルイ・ケルヴラン直系のものか、桜沢如一を経由したものか、それとも独自に同じ結論に達したものかは不明です。
研究そのものはあえて置いておいて、ノーベル賞候補であった事が何故に判ったかはこれも不明です。あれは原則として非公開情報で、かなり年数が経たないと公開されなかったはずです。たしか近年になり漸く野口英世や北里柴三郎らが候補であった事実が判明したはずなんですが、よく判らないところです。誰かノーベル賞選考委員にでも伝手があったのでしょうか。
それと経歴を見ると1970年頃から乳酸菌系を中心とした健康食品の研究開発に取り組まれ、事業としても成功を収めれているようです。やや古い記録ですが、
- 生物農業研究所
- 資本金1000万円
- 従業員数 7人
- 事業所数 3ヶ所(国内 2 海外 1)
- 関連会社リプラ
こんな感じです。ここでの研究のかたわらで「生体内元素変換」も研究されたかと推測します。それとポーリングとの接点ですが、実は地球環境大学院の設立時期も微妙で大学サイトには1989年とあるのですが小牧の略歴には1992年となっています。ここの経歴部分をより正確に引用すると、
平成4年(1992)小牧久時、米国地球環境大学大学院名誉総長。ラィナス・カール・ボーリング博士(ノーベル化学貰受賞・ノーベル平和賞受賞)と共同で創立。
では大学サイトにある1989年は世界発明博覧会に出品している年にあたります。この時にポーリングと接触し大学院設立に意気投合した可能性ぐらいは残りますが、引用した経歴に誤りがあるのかもしれません。ただもう少し以前からの交流の可能性を示唆するものもあります。これは小牧が開発した小牧原液から開発されたサプリメントの広告からです。
小牧先生とライナス・ポーリング博士(ノーベル化学賞・ノーベル平和賞受賞)が一緒に研究をし、数多くの菌の中から時間をかけて選び出したのがこの16種類の乳酸菌と24種類の酵母菌です。
小牧原液は1988年の完成で特許(この特許は確認したらまちがいなくあるそうです)を取得しています。経歴的にはサプリメントの開発は正垣一義がメインであったフシが窺えます。この正垣が1985年に亡くなり次に登場したのが1988年の小牧原液です。そうなると正垣の死後ぐらいからポーリングと共同研究を行うぐらいの交友関係があったかもしれません。ただポーリングも既に80歳代の後半にさしかかっています。まあ偉大な科学者は年齢を超越する事がありますからなんとも言えません。あえて不思議と感じるのは、ポーリングとの共同研究の開始時期を略歴に記載されていない事です。と言うのも略歴には小牧原液の研究に対し、
この研究は山中太木(大阪医科大学元学長。医学博士、日本の最高権威といわれた。)と綾結厳(社団法人京都微生物研究所)の指導を受ける。
こう書くのであればポーリングが並列される方が自然と思うのですが、小牧にとってはポーリングとの仲は「周知の事」として記載する必要も認めなかったのかもしれません。それともポーリングから名前を出さない事を条件にされたのかもしれません。何らかの事情はあると思いますが、これ以上は不明です。
全然手際よくまとまらないのを遺憾としますが、ポーリングと小牧を結びつけたものはなんだろうです。ポーリングの本職は化学ですが、それ以外にかなり広範囲の分野に研究を広げています。医学については上述しましたが、電気自動車まで作っています。その一環で小牧の乳酸菌系にも医学の一部として協力していた可能性はあります。では、それ以外のエッセンスはないだろうかです。ポーリングはキリスト教徒なのですがユニテリアンだったとwikipediaにあります。ユニテリアンとはこれもwikipediaより、
ユニテリアン主義(ユニタリアン主義 、ユニタリアニズム、英語:Unitarianism)とは、キリスト教で伝統的に用いられてきた三位一体(父と子と聖霊)の教理を否定し、神の唯一性を強調する主義の総称をいう。歴史的には、ユニテリアンはイエス・キリストを宗教指導者としては認めつつも、その神としての超越性は否定する。
キリスト教も詳しいとは言えませんが三位一体の否定はキリスト教解釈でもかなり変わった方だと思います。ポーリングはユニテリアンでも合理的ユニテリアン派(Rational Unitarianism)の代表の1人ともされるようで、
この説を唱えた人々は、宗教に対しても極めて合理的なアプローチを行い、聖書に記される奇跡の多く(処女降誕も含めて)に関し否定的ないし懐疑的立場をとった。彼らは社会の段階的変革を奉じ、性善説を唱え、ローマ・カトリック教会によって定められたキリスト教の教義の多くを捨てた。
小牧も熱心なキリスト教徒であったとされますが、ひょっとしてユニテリアンの可能性はあります。読めば判ると思いますが、キリスト教世界では誰がどう見たって異端扱いされますから、逆に言えば同志愛も強かろうです。そういう宗教的な同志愛が接点の少なそうなポーリングと小牧を実は結び付けていたのでは無いかです。しかし小牧がユニテリアンであったとの記録は遺憾ながら残されていません。
小牧の宗教との関りの記録で明らかなものは、1992年の統一教会の合同結婚式です。これは当時のアイドルスターの一角であった桜田淳子が参加したことで覚えておられる方もおられると思います。そこに小牧はおそらく来賓として祝辞を贈っています。ここも誤解してはいけないのですが、「祝辞 = 信者」とは限りません。だって中曽根康弘も祝辞を述べているからです。ただ中曽根と小牧の祝辞を並べると興味深いところがあります。
中曽根康弘 | 小牧久時 |
道徳的勇気が必要 | 血統転換による聖家庭建設 |
共産主義が崩壊した今日、自由民主主義もさまざまな問題を抱えているのでございます。真の良識に歴史的に裏付けられなければ、衆愚政治に陥っていくのであります。このような時、宗教的精神に基づいて世界文化体育大典が盛大に開催される意義はきわめて大と考えるのであります。開催国大韓民国は、私が日本国首相として、戦後はじめて公式訪問した地でございます。今、私たちに必要なものは広大なる心と道徳的勇気ではないでしょうか。皆様、民族問題や宗教の対立を超えて、人類の理想に向かって邁進してまいりましょう。一言、祝辞に代えさせていただきます。 | 国際合同結婚式は神様の全人類に対する最大の最高の祝福です。サタンの血統を神の血統に転換するには再臨のメシヤ様、全人類の真の父母様であられる文鮮明先生ご夫妻によって選抜せられた純潔なる男女が、神のみ意のままに国際合同結婚式において正しい最高の祝福をお受けして、聖なる祝福家庭を建設することをおいて他には絶対にありえないと小生は確信しています。 大天使ルシファーと人間始祖の間で犯された罪、すなわち原罪の影響は全宇宙に波及して、今や全宇宙の存在がうめき苦しんでいます(ロマ書8章)。それゆえ、全宇宙の全存在を迅速に円滑に永久に救済する道はただ一つです。サタンの血統を神の血統に転換することだけが唯一の道であります。再臨主への限りない感謝をこめて。 |
中曽根の祝辞は非常に無難な政治家的な物として宜しいでしょう。これに対し小牧の祝辞はかなり踏み込んだものに見えます。少なくとも合理的ユニテリアン派の教義に基づいた・・・ものなのでしょうか。こことて統一教会にわざわざ祝辞を求められたので、リップサービスの意味で教義をある程度踏まえた祝辞にした可能性はもちろん残ります。ただ統一教会の知識は豊富にあるらしいぐらいは言えるかと思います。
ここでなんですが小牧は思想家でもあります。小牧が公表されている代表的な思想である「絶対平和への四段階」を紹介しておきます。基本部分だけの引用ですが、
絶対平和への四段階 | |
第1段階 | 人間と人間の間の平和(世界各国の軍備全廃;ノーベル物理学賞受賞に輝く湯川秀樹博士御夫妻の御提唱の「世界連邦」の実現)(2010年迄に) |
第2段階 | 人間と動物の間の平和(肉食と動物実験と殺虫剤の科学的段階的全廃)(2050年迄に) |
第3段階 | 動物と動物の間の平和(野生動物、魚類、昆虫類の個体数の制御により、その相互殺戮を根絶)(2090年迄に) |
第4段階 | 全次元の全宇宙の全ての知的霊的存在の円滑・急速なる完全救済(全次元の全宇宙の全ての知的霊的存在の個々の個性ある霊格の「無限の生長」の円滑化を一挙に永久に実現すること) |
できればリンク先を読めれる事をお勧めしますが、なかなかの思想です。この辺はひょっとしたら出発はユニテリアンであっても独自に思想を発達させた部分もありそうな気がします。
この人物は上述した通りポーリング死後に半年の紆余曲折の後に地球環境大学の2代目総長になられた方です。阪大の名誉教授だそうですが、この方もまた存じない方です。小牧より2歳下なのも上述した通りですが、現在の地球環境大学の沿革にも不思議なぐらい記述が少なくなっています。再掲しておきますが大学サイトには、
創立者は、ノーベル化学賞、ノーベル平和賞受賞者の、ライナス・C・ポーリング博士と、ノーベル生理学・医学賞の最終選考候補者の小牧久時博士である。
現在は、北川訓司博士が、総長兼最高責任者CEOを継承している。
また北川総長が総裁を務める地球連邦財団にも
2008年7月15日 小牧久時博士より、北川訓司博士に、IEEU最高責任者(CEO)が委嘱され、北川訓司博士を、ポーリング博士と小牧博士の後継者として「遺言」が発表される。(『絶対平和への道・内面の軌跡−増補改訂版・新絶対平和論』参照)
ここに前総長であるはずの池田の名前が出てきません。そこで池田前総長が「総長」としていつまで存在が確認されるかです。2008年末でも大学HP上は池田が総長らしいぐらいです。HPの更新は時として遅れますが、総長交代時はさすがに早そうに思います。ここで現在の大学の沿革によくよく見ると池田前総長の名前がありました。
V:環境学研究科長 谷口博
これは池田前総長その人以外に考えられないのですが、谷口博環境研究科長の下の教授ぐらいの理解で良いのでしょうか。池田前総長も今年は85歳になられるはずですから勇退されても不思議は無いのですが、勇退であればそれなりの花道なり、肩書き上の扱いがあるのが普通です。一番ありえそうな肩書きは「名誉総長」です。ただ名誉総長は地球環境大学においては小牧久時のための別格の肩書きの様なので、「最高顧問」とか「相談役」もありそうなところです。もっとシンプルに「前総長」もありかもしれません。でもってやっと池田の人柄ですが、殆んどわかりません。見つけたのは著書だけで、
こんだけじゃ思想関係の本らしいぐらいしか分からないのですが、ちゃんと読まれて内容を紹介されている書評13「神と万有と詩の世界」(池田和義著) からです。統一教会との出会いについて池田博士は、光言社発行「21世紀の希望と統一運動」の中で「私と統一教会との接触は、そして統一原理は、私がそれまで一人で積み上げてきたものを、物の見事に体系的に跡づけてくれた」
あとはリンク先をどうぞ。書評を書かれたのは読めばお判りの通り統一教会信者ですから、池田氏は統一教会の熱心な信者である事が確認できます。
これは大学サイトに公開されています。
でもって現在の本部住所ですが調べると北川現総長が経営されている北川治療院と同じです。
国際地球環境大学の所在地は北川総長の経営される北川治療院と同じです。便利な時代なものでどれほどの建造物かはお手軽に確認できる時代になっています。お暇なかたはどうぞぐらいです。それと現在は本部住所は明示されていますが、かつては総事務局も存在していました。古いところでは2002年ぐらいに山本弘は事務局が名古屋にあるのを確認しています。私が確認できたもっとも古い記録は2004.2.26、もっとも最近のもので2005.3.20ですが住所は同じで、
米国法人 国際地球環境大学 日本校 総事務局
名古屋市中区千代田1丁目10-28-1F
当時のHPには事務局住所と連絡先はあっても本部住所は書かれていません。一方で現在は事務局はなくなり本部住所しかないようです。かつての本部がどんな様子であったのかは遺憾ながら不明ですが、小牧は2004年に国際地球環境大学の基本理念として、
1994年8月19日、ライナス・カール・ポーリング総長は93才の御高齢にて天寿を完うされた。半年余の紆余曲折ののち、在来の名称「米国地球環境大学大学院」を「国際地球環境大学」と改め、池田和義博士(大阪大学名誉教授・理博)を全世界の総長として御推戴申し上げる新体制が発足した。
313名の客員教授団、(日米欧のノーベル賞受賞者、大学総長・前総長・名誉教授・教授)のお力添えの下で、故ポーリング博士の「絶対平和への四段階」の理想の実現のため国連環境計画局(UNEP)国連教育科学文化機構(UNESCO)とも連掲しつつ、全力を傾注の所存である。
また2002年から2005年3月20日まで確認できる国際地球環境大学日本校の大学案内にも、
健全な文化生活のための知識を
習得する高度な教育機関地球環境全体をキャンパスとし、
美しい自然環境に富む山野を校庭とするユニークな発想の大学です。
世界平和を守る心と地球環境を愛護する精神を養い
健全な文化生活のための知識を習得する高度な教育機関として
広く社会に開かれた大学です。学歴、国籍、職業、性別を問わず
18歳以上の方なら誰でも入学できます。
教授陣には学界各分野の最高権威者、学識経験者、文化人
企業家など三百余名を擁し、
一流の四年制大学に比肩すべき教育水準を誇っています。
つまりかつては学生を募集し、これを大学並の水準で教育を行うと謳っていた事が確認できます。それなりの学生が存在していたのならそれなりの規模のキャンパスが必要と思いますが、当時は会議室を転々と借りながら教育を行っていたのかもしれません。当時のキャンバス・ライフを物語る資料にも遺憾ながら発掘できませんでした。
それでも教育活動を行っていた傍証はあります。公開講座として環境未来思考学講座の募集記録が残っています。
「環境未来思考学講座」10回講座スケジュール
平成15年10月25日、〜平成16年7月10日まで(第2土曜日開催)
時間は全て午後1時〜5時
◆次回講演会のご案内◆日 程 : 平成16年3月13日(第2土曜日開催)
会 場 : 今池ガスビル 会議室 名古屋市千種区今池1丁目8番8号・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆聴講生募集のお知らせ◆ただ今“環境未来思考学講座”の『聴講生』を募集いたしております。
聴講生・お申し込み先は、下記総事務局までお問合せ下さい。
(スケジュール及び受講料等について、詳しくご案内いたします。)米国法人 国際地球環境大学・日本校 総事務局
こんな感じで、当時の池田総長を始めとする10人の講師の名前が紹介されています。
これも少しだけ不可解なのはこの環境未来思考学講座ですが、2003.10.26から2004.7.10までと明記されています。このページは記録として2004.2.26が最初でこの時には次回が「平成16年3月13日(第2土曜日開催)」となっています。おそらくそれ以前も講座が一つ終る毎に次の講座の案内に更新されていたはずです。ところがこの後の記録は延々と残っており最終記録は2005.12.9になっています。最終講座が終了して1年以上経過している事が確認できます。ここから判る事は、
- 講演会案内が講座終了後も1年以上更新されていない
- 環境未来思考学講座終了後、新たな講演会は1年以上行われていない
IEEUは、レギュラーの学生組織を持たない、研究活動のみのシンクタンク大学であり、現在は、統合医学研究科、国際経済学・経営学研究科、政治学・法学研究科、平和学研究科、環境学研究科、哲学・宗教学研究科、総合学術研究科の、7研究科を持ち、小規模ながらそれぞれの研究教育活動を続けている。
う〜ん、ネット上のバーチャル・システムなんでしょうか。これも時代に合わせた変遷のようです。そうそう小牧名誉総長も絶対平和への四段階と言う立派な思想体系をお持ちであったのは紹介しましたが、北川訓司現総長はそれを受け継がれただけではなく「さらに」の思想向上があられるようです。北川総長は本年1/23に新たに地球連邦財団を設立され総裁に就任されています。これまでもリンクしていますがまだ読まれていない方は是非
これを熟読される事をお勧めします。それと読まれる時にはコーヒーを飲みながらのような不謹慎な態度は厳に謹んで下さい。そんな事を行えば必ずバチがあたります。既に不謹慎な姿勢で北川現総長のお言葉を読まれバチが当たられた方は、アドバイスが遅れた事を陳謝させて頂きます。どうもなんですが地球環境大学に内紛らしいものがあったようです。
話は2010年頃みたいですが、エナジックと言う会社が連鎖販売取引業者と認定され、消費者庁から業務停止処分を受けると言う事件があります。このエナジックのマルチ商法のモトダネが一種の浄水器みたいなものらしいです。問題まとめサイトがあり、そこで国際地球大学(IEEU)が関連したとの指摘と直接の質問が大学宛に行なわれ北川現総長からの返答も行われています。
大学が行ったのはエナジックに「IEEU大賞」なるものを授与した事のようです。北川現総長はその事実を認めた上で様々な見解を述べてられますが、授与に至った経緯の中でHP問題に触れています。
北川訓司氏に寄れば、下記のサイトは飯島氏が勝手に作ったサイトであり、国際地球環境大学とは関係ないということ。
この「飯島氏」とは飯島謙一ですが、どうもこの人物が国際環境大学内で暴走したとの見解も取っておられます。飯島についても書き出すと非常に長くなるので今日は略しますが、私が関心を引かれたのはURLです。北川現総長はこの事件を受けて新たな大学ホームページを立てているのですが経緯を表にしておきます。
URL | 旧 | 新 | 現 |
国際地球環境大学 | http://www.ieeu-j.com/ | http://www.ieeu.tv/ | http://ameblo.jp/ieeu/ |
北川治療院 | http://www.spiritual.tv/ | http://ameblo.jp/kitagawa-hc/ | |
地球連邦財団 | * | http://ameblo.jp/gff-peace/ |
URLを良く見て欲しいのですが、国際地球環境大学は新旧ともに独自ドメインになっています。とくに新ドメインは「.tv」で北川総長が経営する治療院と共通しています。しかしながら新旧とした国際地球大学も北川治療院のURLも現在は消滅しています。
業種と資金にもよるでしょうが、サイトを開く時に独自ドメイン取得は十分に考慮されます。だから取得してもおかしくはないのですが、問題対応のために取得した新たな独自ドメインを放棄したのはチト不思議です。旧から新は明確な理由がありそうですが、現在のアメーバブログにすべての公式サイトを移した理由はなんだろうと言うところです。ちなみに確認できる範囲の池田前総長時代の教員陣と北川現総長時代の教員陣を並べてみます。池田前総長時代のものは2008.12.23付のものです。
池田前総長時代 | 北川現総長時代 | ||
氏名 | 肩書き | 氏名 | 肩書き |
小牧久時 | 名誉総長 | 山本雅司 | 統合医学研究科教授・名誉統合医学博士 |
湯川スミ | 湯川秀樹博士夫人(2006年死去) | 上領英之 | 上領経済政策研究所代表取締役、環境経済総合研究所所長、至聖会理事。広島修道大学名誉教授 |
内藤康弘 | 医療法人聖眞会・住友記念病院理事長 | H. Kameda | 平和学研究科教授・名誉平和学博士 |
関英男 | 東京工業大学名誉教授 | 谷口博 | 北大名誉教授・日本統合医療学会代表理事 |
松尾至晃 | 機能水研究振興財団・常任理事 | 池田和義 | 阪大名誉教授 |
光岡知足 | 東京大学名誉教授 | 三木京一 | 天道国際日本総連合 |
松永政司 | 遺伝子栄養学研究所長 | * | * |
宇住晃治 | ライフサイエンス研究所長 | * | * |
共通しているのは池田前総長ぐらいですっかり入れ替わっているのが確認できます。トップが代われば方針が変わるのはよくある話ですが、あえて考えればエナジック事件の影響で体制一新を図られたぐらいでしょうか。同時に活動規模も縮小された様子も窺えます。もっとも池田前総長時代の活動実態も寡聞にして存じ上げないので、現在も実質としては変わりない活動を続けられているのかもしれません。
長大なムックになってしまいしたが、何を調べたかったかです。様々な人物が関った国際地球環境大学ですが、二代目総長の池田和義の上司が
-
環境学研究科長 谷口博