意図は?

札幌の産科救急を巡る動きは、

  1. 去年に札幌市産婦人科医会が「一次救急分離」を含む産科救急改善の最後通告を行う
  2. 札幌市救急医療体制検証委員会でこの最後通告を拒否
  3. 最後通告期限ギリギリに札幌市産婦人科救急医療対策協議会をバタバタと創設し6ヶ月の猶予期間を設定
  4. 札幌市産婦人科救急医療対策協議会でも「一次救急分離」案を札幌市側が拒否して交渉決裂
  5. 10月限りで医会は二次輪番から撤退
実際に11月から札幌産婦人科医会は二次輪番救急から撤退し、札幌市は「新体制」を敷く展開になっています。この展開に対しrijin様は

 >それとも市長が医会を弾劾して道新がこれを煽り、議会が支持するみたいな展開になるのでしょうか。

市民としての自分の目からするとだいたいその通りの展開を辿るだろうと思います。市庁職員は不運な産婦の死を待っているのです。

こういう見方を出されました。もう少し具体的な展開を書いてみれば、

  1. 財政難を理由に医会の要求を拒否
  2. 姑息策を発表
  3. 「不運な産婦」の発生
  4. 道新がネガティブキャンペインで煽る
  5. 市長が医会への弾劾声明を発表
  6. 議会が同調
  7. 市民・議会の支持をバックに医会に無理難題を押し付ける
誰もそんな不幸を望まないのですが、悔しいほど説得力のある意見で不気味な思いをしたのが夏の話です。そういうところに12/2付北海道新聞の記事が出ました。

早産男児、7病院拒否 10日後死亡 札幌で昨年11月

 札幌市内の三十歳代の女性が自宅で早産した未熟児が昨年十一月、七病院に「満床」などを理由に受け入れを断られ、一時間半後に新生児集中治療室(NICU)のない市内の病院に搬送され十日後に死亡していたことが一日、分かった。道内で医療体制が最も整備されているはずの札幌で、生まれてくる未熟児の生命が危機にさらされている現実が明らかになった。

 専門医はNICU不足を指摘する一方「未熟児はすぐに低体温、低酸素状態となる。もっと早くNICUで治療できていれば助かったはずだ」としている。

 未熟児は搬送当初は呼吸をしていたものの病院に着いたときには心肺停止に陥っていた。リスクの高い新生児を引き受ける道央圏で唯一の「総合周産期母子医療センター」である市立札幌病院も受け入れを断っていた。

 市などによると、女性は昨年十一月十五日午後十時半ごろ、北区の自宅で腹痛を覚え、妊娠二十七週で一三〇〇グラムの男児を出産。119番通報で男児は救急車で運ばれた。

 市立札幌病院救命救急センターの医師がドクターカーで駆けつけて二十八分後にこの救急車に同乗し、車内で応急処置にあたった。

 女性のかかりつけの医院は重篤な患者を受け入れる施設が整っていなかったため、救急隊が未熟児の状態を確認した直後から消防局指令情報センター(中央区)が電話で受け入れ先病院を探した。

 情報センターは市立札幌病院、北大や札幌医大、道立子ども総合医療・療育センター、民間の総合病院三病院に「NICUが満床」などと次々と断られた。この中にはNICUがない病院もあったが「治療は無理」と断られたという。

 三番目に依頼を受けた市立札幌病院によると、同院のNICUも満床だった上、当直医が「別の患者の治療中で手が離せない」と断ったという。最終的にNICUのない手稲区内の病院が受け入れたが、病院着は翌日午前零時八分。通報から一時間半が経過し、未熟児は心肺停止となっていた。女性は別の救急車で産科のある病院に搬送され、無事だった。

 市立札幌病院は翌日、未熟児の受け入れを申し出たが、この病院から「動かせる状態ではない」と言われたという。市立札幌病院の服部司新生児科部長は「あってはならないケースと認識している。無理をしてでも当日に受け入れるべきだった」と対応の不備を認めている。

不幸にも亡くなられた新生児の死を悼みます。

私の新生児の知識は相当古いのでそこを差し引いてもらいたいのですが、1300gはともかく27週は甘くない週数です。私が新生児に関っていた頃はサーファクタントがようやく普及し、27週ぐらいの早産児への救命率が向上しかけた頃でした。当時のサーファクタントは溶解しにくく往生したものですが、新生児治療に大きな進歩をもたらした薬剤です。

27週と言えば皮膚は出来ていますが、肺胞の形成と言うか肺胞内のサーファクタント物質の生成が不十分な事が多い時期です。サーファクタント誕生前はそれが生死を分けていましたが、そこが救命出来るようになったのは大きな進歩です。未熟児・早産児治療は様々な合併症が伴いますが、大きな合併症がなければ27週でも救命率だけでなく、予後としても大きな後遺症が少なく生存できるようになったかと思っています。私の診療所でも27週ぐらいで生まれたお子様が元気になって普通の風邪で受診しています。

27週の救命率が向上したのは確かですが、あくまでもそれは速やかにNICU治療に移行した場合です。サーファクタントだけではなく、周産期センターの整備により「分娩 → NICU」が迅速に行なわれるようになったからです。私が新生児に関与した頃の某NICUは、当時周産期センターがなく、新生児科医が産科に出張してお持ち帰りをやっていましたから、搬送時間が大きなネックになり救命率の向上に悪戦苦闘だったように記憶しています。

悪戦苦闘の原因は肺胞内サーファクタント物質が不足している未熟児は、いくらバッグで呼吸補助をしてもガス交換を十分できないからです。つまり搬送時間中は呼吸が不十分な状態が続き、その間に各種の障害が発生してしまうのです。今から考えれば出張先の産科でサーファクタントの投与を行なえば良かったようなものですが、当時のサーファクタント投与の選定は非常に慎重に行なわれており、必ずNICU内で行なうとしていました。今では周産期センターが充実していますから、この辺はどうなっているのでしょう。

27週は救命できる週数に新生児医療は確かに進歩していますが、それはあくまでも条件が十分に整っているという前提があってのものです。札幌のケースはその前提条件が非常に悪いことがわかります。

  1. 自宅での出産となった
  2. 当然のように分娩後の呼吸管理は愚か、体温管理も不十分である
  3. 出産後に搬送先を探さなければならない
27週の救命率の向上の必須条件は「分娩 → NICU」が分単位でスムーズに移行することです。札幌のケースの場合ではどれだけスムーズに進んでも、NICU治療を20分以内に開始することは非常に難しいかと考えます。ましてや10分以内なんてまず不可能です。さらに20分以内に搬送できてもその間の呼吸管理、体温管理は救急隊では十分な事は非常に困難です。つまり自宅で突然の分娩になってしまった時点で生死の分岐点は大きく死に傾かざるを得ない状況と言えます。


27週の未熟児医療については不十分ですが、この程度で良いと思います。次の問題として、

札幌市内の三十歳代の女性が自宅で早産した未熟児

この記述から妊婦検診を受けていなかった可能性をどうしても頭に思い浮かべるのですが、そんな事はなく、

女性のかかりつけの医院

きちんと妊婦検診は受けていた事がわかります。昨日のコメ欄の意見で、産婦がかかりつけ医院ではなく他の医療機関に入院した事を疑問視する意見もありましたが、これも分娩を行なわず外来で妊婦検診だけを行なっていたのなら説明可能ですし、そういう産科は増えています。「三十歳代の女性」が初産婦か経産婦かの情報はありませんが、経産婦なら急に産気づいて墜落産に近い状態になったとしてもこれも説明可能です。


後は下らぬ話ですが、「誰か」はわかりませんが「専門医」と称する医師のコメントが笑えます。

「未熟児はすぐに低体温、低酸素状態となる。もっと早くNICUで治療できていれば助かったはずだ」

「もっと早く」の言葉に嘘はありませんが、「もっと早く」はこの件のNICU到着までの時間がどの程度ならこの「専門医」は助かると言っているのでしょうか。記事では時間が90分となっていますが、もっとスムーズに事が運んでも

  1. 自宅で出産
  2. 救急車を呼ぶ
  3. 救急車が現場に駆けつける
  4. 救急隊が新生児の搬送の必要を確認する
  5. 受け入れ病院を探し入院交渉を行なう
  6. 受け入れ先病院に搬送する
これだけの作業を行なう必要があります。目の前に受け入れ病院があるぐらいの好条件がないと、NICUに到着し、治療が開始される時間が10分以内になる事はありえないとしておきます。どう上手くいっても20分を切るのは容易ではありません。30分になっても遅すぎると非難できないかと思います。それだけの時間は未熟児の生死を分ける時間に既になります。安易に「助かったはずだ」のコメントはいただけません。


ただしなんですが、「専門医」のコメントを額面通りに取るのは危険かと考えます。専門医の名前が出ていないのも妙なんですが、専門医への取材はもっと長かったはずです。私は専門医の本当の回答はこんな酷いものではなく、

    未熟児はすぐに低体温、低酸素状態となる。周産期センターで分娩管理を行い)もっと早くNICUで治療できていれば助かったはずだ。
これなら専門医のコメントとしてそれほど問題ありません。


もう一つ、市立札幌病院の服部司新生児科部長にも手回しよくコメントを得ています。

「あってはならないケースと認識している。無理をしてでも当日に受け入れるべきだった」と対応の不備を認めている。

これも額面通りに取れば部下の逃散しか招かない代物です。ただ聞いた話では服部司新生児科部長はそういう発言をするような人物ではないそうです。そうなると「専門医」のコメントと対応するように加工された可能性が出てきます。こんな短いコメントだけの取材ではなかったはずで、

    (札幌の周産期救急体制として)あってはならないケースと認識している。無理をしてでも当日に受け入れる(様な体制の構築に努力す)べきだった」と(札幌市としての周産期救急の)対応の不備を認めている。
こういう趣旨のコメントでなかったかと考えています。


最後に

道内で医療体制が最も整備されているはずの札幌で、生まれてくる未熟児の生命が危機にさらされている現実が明らかになった。

外野から見て去年の11月より現在の方が状況は悪化しているのですが、その点は如何なものなのでしょうか。