8/26付河北新報より、
罰則対象から報道目的除外を検討 秘密保護法案で政府
政府が、国の機密情報を漏らした国家公務員らへの罰則強化を盛り込む「特定秘密保護法案」に関し、罰則対象から「報道目的」の除外を検討していることが分かった。罰則の最高刑は懲役10年とし、民間人が施設に侵入し機密情報を得たケースなども対象となる。秘密保護担当相は森雅子少子化担当相が兼任する。政府関係者が25日明らかにした。
法案をめぐっては、国民の「知る権利」や報道機関による取材の自由が制約されるとの懸念があり、報道規制にならないよう留意すべきだとの判断が働いたとみられる。拡大解釈による基本的人権の不当な侵害を禁じる規定も盛り込む方針だ。
この法律のある時点の概要と考えられものが
これだと思います。ここには、第6 国民の知る権利等との関係
本法制は、国民の知る権利や取材の自由との関係で一定の緊張関係に立ち得ることから、本法制と両者との関係について慎重な検討が求められる。
第一に、本法制と国民の知る権利との関係について検討すると、本法制の特別秘密は 国の安全 外交等の分野の秘密情報の中で特に秘匿性が高いものであることから情報公開法の不開示情報に含まれるものと解され、同法により具体化されている国民の知る権利を害するものではないと考えられる。
また、国の存立に関わる重要な情報である特別秘密を厳格な保全措置の下に置くことについては、国民の知る権利の重要性を前提としても合理性が認められる。こうした観点からも、本法制を整備することが国民の知る権利との関係で問題になるものではないと考えられる。
第二に、漏えいの教唆と取材の自由の関係について、最高裁が、取材の手段・方法が刑罰法令に触れる場合や社会観念上是認できない態様のものである場合には刑罰の対象となる旨判示しており、このような手段・方法による取材行為が取材の自由を前提としても保護されない反面、正当な取材活動は処罰対象とならないことが判例上確立している。
また、本法制における特定取得罪は、現行法上の犯罪や社会通念上是認できない行為に限って処罰対象とするものであるから、上記の最高裁の立場に照らすと、取材の自由の下で保護されるべき取材活動を刑罰の対象とするものではないと考えられる。したがって、漏えいの教唆や特定取得行為を処罰することとしても、取材の自由を不当に制限することにはならないと考えられる。
以上から、本法制は、国民の知る権利等との関係で問題を生ずるものではないと考えられる。しかしながら、一たび本法制の運用を誤れば、国民の重要な権利利益を侵害するおそれがないとは言えないことから、政府においてはその趣旨に従った運用を徹底することが求められ、また、国民においてはその運用を注視していくことが求められる制度であることは、特に強調しておきたい。
ここの議論を発展させたものと考えますが、興味深かったのは、
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漏えいの教唆と取材の自由の関係について、最高裁が、取材の手段・方法が刑罰法令に触れる場合や社会観念上是認できない態様のものである場合には刑罰の対象となる旨判示しており
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罰則対象から「報道目的」の除外を検討
この場合は報道とは報道機関が行ったものに定義されます。さらに言えば、罰則対象から除外される必要性から報道機関の認定が必要となります。なぜなら
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報道機関と言ってもトドの詰りは自称
言い換えると、国家認定報道機関のフィルターが免責除外の条件になる事になります。そうなると国家認定報道機関の認定条件はどんなものかを考える必要があります。そこまでするんだろうかの疑問です。明確な懲役刑付きの法ですから、その点は必要な気がします。もう少し言えば、国家認定報道機関が報道してくれれば良いですが、報道されなかった場合はどうなるかも出てきます。そっちの面を考えると、取材を行えるのは国家認定報道機関所属の国家認定登録報道員である事も前提になってくる気もしてきます。
これは個人情報保護法時に出された質問主意書とその回答からのピックアップです。
質問主意書 | 回答 |
だれが、報道か否かを判断するのか | 報道か否かの判断は、まずは、当事者、すなわち、個人情報取扱事業者と本人の間で判断され、争いがあれば、最終的には裁判所で判断される |
報道、著述でない仕事を持つ者が趣味として無報酬で、「不特定かつ多数の者に対して客観的事実を事実として知らせること」をした場合、これは報道となるか | 報道とは、「不特定かつ多数の者に対して客観的事実を事実として知らせること(これに基づいて意見又は見解を述べることを含む。)」をいい、御指摘の行為は、いずれも報道に該当する |
報道、著述を業としていない者が市民運動の一環として、無報酬で、「不特定かつ多数の者に対して客観的事実を事実として知らせること」をした場合、これは報道となるか | |
報道または著述を業とする者が「不特定かつ多数の者に対して、事実と異なることをあらかじめ分かっていながら、客観的事実を装って、ウソの情報を知らせること」は、報道に当たるのか | 個別の報道が事実であることを求めるものではない |
報道または著述を業としない者が「不特定かつ多数の者に対して、事実と異なることをあらかじめ分かっていながら、客観的事実を装って、ウソの情報を知らせること」は、報道に当たるのか | |
報道に似ているが報道ではない具体的事例を何例か明示願いたい | 特定の者のみを対象とする会報・機関紙の発行は、報道には該当しない |
これらはあくまでも個人情報保護法時の解釈であって、秘密保護法と同じかどうかはわかりません。ただ法によって報道の定義があんまりコロコロ変わるのもどうかと思う部分はありますから、ある程度は踏まえる可能性はあります。今日はある程度踏まえる物として考えてみます。読みながら思ったのは、報道機関も自称ですが、
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ジャーナリストも自称
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報道とは、「不特定かつ多数の者に対して客観的事実を事実として知らせること(これに基づいて意見又は見解を述べることを含む。)」をいい、御指摘の行為は、いずれも報道に該当する
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報道、著述を業としていない者が市民運動の一環
秘密保護法の記事のように何らかの理由で「報道」に除外規定を設けようとした時に報道の範囲を限定する必要が生じます。どこまでが法に謳う報道であるかです。個人情報保護法は2003年の制定なのですが、どうもネットについてはそれほど重く考えていなかったように漠然と感じています。そういう中で定められた報道の定義は、
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不特定かつ多数の者に対して客観的事実を事実として知らせること
2003年当時もネットは盛んでしたが、あれから10年してさらに爆発的に普及し日常生活の隅々に定着しています。でもってネットは従来の新聞やテレビさえ軽く上回る巨大な媒体になっていると考えます。大げさに言えば、ネットのどんな片隅に書き込みをしようが、それは日本だけではなく世界中に公開して不特定多数の人間が読む可能性が生じるほど物凄い媒体と言う事です。
媒体としての特性も新聞やテレビとは全く異なります。新聞やテレビは情報の発信量に上限があります。新聞なら紙面が上限になり、テレビなら放送時間がそうなります。上限があるが故に利用できる人数も自然に限られましたが、ネットは利用人数も、情報発信量も実質的に無限大です。さらにもう一つの特性として、その気になれば誰でも手軽に利用できます。個人情報保護法時の質問主意書とその回答は、そういうネット特性をある程度踏まえている気もします。
報道の定義を媒体利用者とするのは新聞やテレビが媒体の時には有効でしたが、ネットが媒体としてこれだけ普及すると事実上、報道とか報道関係者の範囲の定義はネット利用者ほぼ全員に広がるんじゃないかと感じています。「そりゃ、言いすぎだろう」の異論は当然あると思いますが、ほいじゃどこで境界線を引くかはかなり難しい気がします。
自称であっても報道機関、ジャーナリストを名乗られると、それを違法なものとかにするのは非常に困難です。ではでは国家認定資格路線にするかと言うと憲法の報道の自由との兼ね合いがモロに出ます。職業として食っていけるかどうかを基準にする意見も有るかもしれませんが、兼業もありますし、無報酬で報道を行なう者を排除するのも違和感が残るところです。ましてやネット媒体を利用したものは報道でないとするのも無理はアリアリです。
なにか新たな発想で定義による報道の範囲の制限が必要かと思いますが・・・あんな短い記事では、どういう構想なのか不明です。