服部孝章・立教大教授の提言

8/24付タブロイド紙(魚拓)では、新聞業界が500億円の政府支援を要求する原寿雄氏のものがメインと考えますが、紙面構成としては他に2氏の提言も挙げられています。これもまた良く読むと興味深い内容ですので、そのうち服部孝章・立教大教授の「個人情報保護法、改正を」を取り上げてみたいと思います。

 自公政権の10年、報道機関については、個人情報保護法(03年成立)などメディア規制色の濃い法律が相次いで成立したことの影響が大きい。総務省が放送事業者に対し、法的根拠を欠いた行政指導を通じた番組内容への関与を繰り返したことも特筆される。一方、市民にとっては、「表現の自由」が軽視された。日の丸を国旗、君が代を国歌と定めた国旗・国歌法(99年成立)を受け、東京都が卒業式で起立しなかった教員を大量処分したのが一例だ。また、イラクへの自衛隊派遣に反対するビラを官舎に配布した市民が住居不法侵入の疑いで逮捕、長期拘置されたことも記憶に新しい。私有地であっても、ビラを投函(とうかん)するだけで逮捕するような公権力行使は慎重であるべきだ。

とりあえず個人情報保護法

    メディア規制色の濃い法律
こうだそうです。個人情報保護法については当初過剰反応じゃないかみたいな部分がありましたが、ようやく運用がそれなりの範囲で日常生活に溶け込んでいる様に感じます。確かに「ここまで・・・」てな個人情報保護もないとは言えませんが、そういうデメリットと引き換えに守られる個人情報のメリットの方が大きい様に感じています。

ネットの発達による個人情報拡散の猛烈さを考えると、これぐらいの法律があってバランスが取れるとも受け取っているのですが、服部教授の見解は異なるようです。それとマスコミには個人情報保護法は適用外とされたはずなんですが、それでも影響が濃いとの主張のようです。これについては続きもあるのでこれぐらいにしておきます。

    総務省が放送事業者に対し、法的根拠を欠いた行政指導を通じた番組内容への関与を繰り返したことも特筆される
字数が限られているのかもしれませんが、こういう表現は好ましくない様な気がします。こういう時こそ具体例を挙げないと、総務省が行なった行政指導のすべてが「トンデモ」であったと受け取られかねません。時間があれば調べられるのですが、私の記憶の中でボやっと幾つか該当しそうなケースが思い浮かびます。ただ「繰り返し」起こり「特筆」するほど物凄いのはそんなにありましたっけ。覚えてられる方がおられれば情報下さい。これも人を驚かすような表現です。何か物凄い抑圧政策が加えられた印象を抱かせますが、服部教授はこちらの方は具体例を挙げられています。
  1. 日の丸を国旗、君が代を国歌と定めた国旗・国歌法(99年成立)を受け、東京都が卒業式で起立しなかった教員を大量処分した
  2. イラクへの自衛隊派遣に反対するビラを官舎に配布した市民が住居不法侵入の疑いで逮捕、長期拘置
今でも市民は「日の丸なんか国旗と認めない」「君が代は国家として許されない」と表現する自由は保証されているかと思います。ただ公式に国旗・国歌として制定されているものですから、個人の信条を表現するのにTPOは必要と考えます。国旗及び国歌に関する法律には国旗・国歌に対する不敬罪みたいなものは制定されていませんが、日本国民であれば国旗・国歌に敬意を表すのはマナーと考えます。国旗・国歌に敬意を表すマナーは自分の国に対してだけでなく、他国の国旗・国歌に対しても行なうべきものと考えています。

日の丸・君が代に対して複雑な思いを抱く人間がおられるのは知っていますし、これを他のものに置き換えたいと考え主張するのも自由ですし、それに対する「表現の自由」は許されています。しかし公式の場に於ては正式に制定された国旗・国歌に敬意を表すのはやはりマナーじゃないかと思います。卒業式もやはり重要な儀式であり、その場に国旗・国歌があるのは不思議なものではありません。

教師は言うまでもなく卒業式の正式参加者であり、さらに公務員です。教師が処分されたのは、国旗・国歌への欠礼もあるでしょうが、欠礼を行う事により卒業式を混乱させた責任も問われたと私は考えます。個人の信条としての国旗・国歌への反対行動を、卒業式に持ち込んで混乱させるのは褒められた行為とは思えません。そこまでの「表現の自由」は如何なものかと感じざるを得ません。


もう一つのビラ撒き事件は少し複雑で、たしかに「逮捕」「長期拘置」まで必要だったのかは議論の残るところです。しかし服部教授が非難した、

    私有地であっても、ビラを投函(とうかん)するだけで逮捕するような公権力行使は慎重であるべきだ。
ここは受け取り方の相違ですが、ビラを投函する目的さえあれば私有地への侵入は認めるべきだとなれば、やや首を傾げます。おそらく政治的主張だから正当な行為であるとの考えでしょうが、政治的主張も様々で極右から極左イスラム原理主義者までいます。ごく普通に考えて、私有地に入ってビラを撒きたいと思うのなら、所有者の許可を取るべきだと思います。

この事件も別にビラ撒き自体を禁止されたのではなく、勝手に私有地に侵入してビラを投函した事を問題にされたと理解しています。ビラを投函するのは果たして権利かと思っています。受け取りたくないビラを拒否する自由もあるんじゃないかと言う事です。街中ではビラを受け取るのも、受け取らないのも自由ですが、投函されれば嫌でも開くぐらいはしなくてはなりませんし、捨てる手間も生じます。「表現の自由」の軽視の例に挙げるのは如何と感じてしまいます。

服部教授にとっては重大問題であろう事は推測できますし、見方によっては軽視してはいけない問題かもしれませんが、私としては違和感が残る具体例の提示に感じます。

 個人情報保護法は、政治家や官僚が不祥事などを「保護」を口実に情報隠しすることに根拠を与えた。社会が共有すべき公共性のある情報の提供が控えられるなど、社会問題化しながら昨春の見直しでは法改正が見送られた。まず、何が守られるべき個人情報なのかの定義に立ち戻り抜本的な法改正論議を始めるべきだ。同法制定の背景にあった住民基本台帳ネットワークシステムも、必要性を含めて見直すべきだろう。

ここは傾聴すべき部分もあるように感じますが、

    個人情報保護法は、政治家や官僚が不祥事などを「保護」を口実に情報隠しすることに根拠を与えた
やはり具体例を挙げて欲しいところです。こういう書き方では政治家や官僚の情報隠しが横行して社会問題になっているようにも感じますが、私の狭い知見ではよくわかりません。同じく知見が狭いので個人情報保護法に抜本改正の気運があるとも存じません。抜本改正の気運を起したいのであれば、具体例をあげて指摘する必要があると思うのですが、どんなものでしょうか。

 情報公開法の見直しも欠かせない。同法の対象外となっている裁判所や国会・政党の保有する情報の公開にも法整備が必要だ。

 「有事」の際にNHKや民放など放送事業者は政府の求めに応じ警報や避難の指示を放送する必要がある。現行法ではそれが報道なのか政府の広報なのか区別があいまいだ。明確に区分する仕組みに改めるべきだ。

情報公開法については異論はありませんが、後半の「有事」はどうなんでしょう。ここで指す「有事」とは戦争を意味していると思うのですが、言っては悪いですが戦時となれば「報道」「政府の広報」もまた戦略戦術の中に含まれる気がします。つまり「明確に区別する」のではなく、あえてしない選択枝のフリーハンドが政府には必要と考えます。どうも出してくる話のポイントがずれている気がしてなりません。

 今年に入り、週刊誌の報道に対し高額賠償判決が相次いだが、公人は反論の機会がある。一律に保護する必要があるのか疑問だ。公人側に対し、週刊誌の悪意の証明を求めるなど名誉棄損を認める基準を見直したらどうか。

これを読むと週刊誌編集長のシンポジウムを思い出します。この件についての同情は基本的にありません。結局のところ高額賠償を食らうような報道は、公表できない取材源におんぶに抱っこのものが多いと見ています。その情報を基に取材を進めるのは良いとしても、それだけで誹謗中傷を行えば誰だって怒ります。

    公人は反論の機会がある
どの程度の範囲を公人としているかわかりませんが、週刊誌への高額賠償の例として、6/1付けタブロイド紙記事(魚拓)がまとめたものがあります。

判決 原告 被告 賠償額 裁判所
2001.3 清原和博選手 小学館 1000万円 東京地裁
2003.10 熊本市の医療法人など 新潮社など 1980万円 東京地裁
2007.6 杉田かおるさんの元夫 小学館 800万円 東京地裁
2008.2 日本音楽著作権協会 ダイヤモンド社 550万円 東京地裁
2009.1 三木谷浩史楽天社長ら 新潮社など 990万円 東京地裁
2009.3 横綱北の湖氏ら 講談社など 1540万円 東京地裁
2009.3 朝青龍関ら力士30人など 講談社 4290万円 東京地裁


芸能人やプロスポーツ選手も含まれるようです。では彼らに本当に反論の場があるかどうかです。反論と言ってもそれを広めるのはマスコミですし、マスコミが悪意で反論を取り上げれば、すぐに「醜悪は足掻き」に仕立て上げられます。そういう存在であることは、マスコミ自らが実証してきた事ですから、「信用できない」としてもマスコミが自分で蒔いたタネです。
    公人側に対し、週刊誌の悪意の証明を求めるなど名誉棄損を認める基準を見直したらどうか
問題は二つで、
  1. 公人への法の下の平等の観点
  2. 「悪意の証明」は悪魔の証明になる可能性
週刊誌が誹謗中傷報道を行なって、その根拠が「取材源の秘匿」と突っぱねた時に、本当に取材源があるかどうかの証拠はどこにもありません。あったとしても、それを個人の資格で調べる事ができるかの問題です。

こんなものは、誹謗中傷記事を書くときに、その根拠を秘匿しなければならない取材減にのみに頼るからだと考えます。人を誹謗中傷するのであれば、秘匿しなければならない取材源だけに頼らず、公開できる取材源を見つければよいことです。出来なければ報道を控えるか、記事の表現に工夫を凝らすというのが正道かと思います。

 新銀行東京は、不正を報道機関に内部告発した元行員を守秘義務違反だとして損害賠償訴訟を起こした。公益通報者保護法がこうした恫喝(どうかつ)的な訴訟により保護に不十分なことがわかった。

 民主党鳩山由紀夫代表は民主党政権では首相会見をオープンにする意向を示しているという。政府が取材資格を一方的に決めたり、会見を運営するようなことがあってはならない。

新銀行東京の件は良く知らないので置いとくとして、後半部分です。

    政府が取材資格を一方的に決めたり、会見を運営するようなことがあってはならない。
最初に読んだ時にはこれで記者クラブ制度解体かと思いましたが、良く読み直すと首相会見への取材制限は政府が行なってはならないだけで、記者が行うのについては触れていません。つまり記者クラブの一員であれば、政府が取材制限をするなの主張とも解釈できます。記者クラブの功罪は様々に語られていますが、記者クラブが取材資格を一方的に決めたり、会見を運営するのは従来通りにやらせてもらうの主張なんでしょうか。


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パーツ、パーツは趣のある主張でしたが、どうにも話が総花式で論旨が分かり難い提言でした。編集があるのかもしれませんが、感想として、具体例を挙げた方が良い事例は既成事実として断言し、具体例を挙げた事例は、もうちょっと他に適切な事例があるんじゃないと感じさせるようなお話です。テーマはタイトルにあるように「個人情報保護法」の問題で、なおかつこの法律には大きな欠点があり、抜本改正が必要であるとのお話のはずです。

個人情報保護法に関しては現在さしたる関心を寄せていないので知見が薄いのですが、服部教授の指摘した問題点は、

  1. メディア規制色の濃い法律
  2. 政治家や官僚が不祥事などを「保護」を口実に情報隠しすることに根拠を与えた
そう考えられて提言されるのは問題ないのですが、問題点に関する具体的な事例の提示はなく、「そうである」と言い切っている感じです。こういう事は社会問題化していれば説明は不要の事もあるのですが、個人情報保護法の抜本改正については服部教授は関心が強くとも、誰もが関心を寄せている問題とは私には思えません。だからこそ具体例を挙げて、個人情報保護法に具体的にどんな欠点があり、どういう改正が望ましいかを書くべきと考えます。

ところが個人情報保護のお話は提言の中ではマクラ程度に終わっています。その後、話はひたすら拡散して

  1. 情報公開法
  2. 有事の際の放送の問題
  3. 週刊誌の報道に対しての高額賠償判決
  4. 公益通報者保護法
  5. 首相記者会見への注文
途中から個人情報保護法問題は置いてけぼりになっています。そうなるとタイトルは新聞社側が適当につけたとするのが良いかと思います。そうなると服部教授が主張したかったことと言うか、タブロイド紙が主張させたかったことは何かを考える必要があります。昨日紹介した原寿雄氏は
  1. 500億円の政府支援
  2. 税制優遇
  3. 再販制度や特殊指定制度の堅持
これを主張され、もう紹介しませんが音好宏・上智大教授は、三人の提言を非常に簡単にまとめると、

名前 提言内容 利害対象
原寿雄 クレクレの正当化 新聞
服部孝章 取材に邪魔な法律や制度のの改変 週刊誌及びマスコミ取材全般
音好宏氏 放送監視制度の骨抜き テレビ


3人の本来の担当はこんな感じじゃなかったかと思われます。原氏と音氏はかなりストレートに意見をまとめていますが、服部氏は中途半端に話を広げすぎたか、受け持ち範囲が広すぎて総花式の展開になりまとまりを欠いたと見ることが出来ます。これも、ひょっとすると服部氏の本当の役割は、週刊誌の名誉毀損訴訟の話だったのかもしれません。もしそうならマスコミ全体からの要求として綺麗にそろいます。

マスコミと政治の関係は魑魅魍魎の世界ですから、総選挙後の動向に注目する事にしましょう。