奈良産科医時間外訴訟の余談

高裁判決文の事件番号は「平成21年(行コ)第81号 時間外手当等請求控訴事件」となっています。余談としてちょっとした検証だけ今日はやっておきます。奈良県知事が控訴審判決後に語った「条例 > 法律」の主張です。そんな主張を本当にしていたかどうかだけ見てみます。


奈良県の主張

判決文にある「争点及び争点に対する当事者の主張」の奈良県側の主張です。本文の引用は諸般の事情で今日は控えさせて頂きます。理由は武士の情けで聞かないで下さい。奈良県は産科医の宿日直業務が通常勤務に当たらない理由として、

ここに置いています。宿日直許可については、この許可が存在するから労基法41条3号が正しく運用されている証と主張されています。もしそうでなければ取り消されているはずだの根拠としても良いかもしれません。この宿日直許可は1977年10月に受けたものであり、当時の許可の実態、また許可後の労基署の監視の実態については今日はもう良いでしょう。まあ、建前論を押し出して来たぐらいのところです。

もう一方の勤務時間規則ですが、これのさらなる根拠が地方公務員法24条6項および25条1項としています。

地方公務員法24条6項

 職員の給与、勤務時間その他の勤務条件は、条例で定める。

地方公務員法25条1項

 職員の給与は、前条第六項の規定による給与に関する条例に基づいて支給されなければならず、又、これに基づかずには、いかなる金銭又は有価物も職員に支給してはならない。

いわゆる条例主義でその条例が勤務時間規則と言うわけです。まず9条1項です。

任命権者は、勤務時間条例第九条第二項の規定に基づき正規の勤務時間以外の時間において職員に勤務することを命ずる場合には、職員の健康及び福祉を害しないように考慮しなければならない。

要は宿日直勤務をさせることが出来る事を定めた条項です。次に7条1項です。

勤務時間条例第九条第一項の人事委員会規則で定める断続的な勤務は、次に掲げる勤務とする

人事委員会が「断続的な勤務」つまり次の勤務であるなら、宿日直勤務と見なして宜しいと定めた条項です。医師については7条1項3号6にあるのですが、

県立病院における入院患者の病状の急変等に対処するための医師又は歯科医師の当直勤務

入院患者の「病状の急変等」に対するものであるのなら宿日直業務に含まれ「断続的な勤務」であるとしています。「入院患者の急変等」とはえらい広い範囲ですが、とにもかくにも奈良県の条例ではそうなっているから「文句あっか」ぐらいの主張です。宿日直許可と勤務時間規則の条例を前置きにしておいて、平成14年3月19日付け基発第0319007号「医療機関における 休日及び夜間勤務の適正化について」とのすり合せをされます。この通達の勤務の態様ですが、

常態としてほとんど労働する必要がない勤務のみを認めるものであり、病室の定時巡回、少数の要注意患者の検脈、検温等の特殊な措置を要しない軽度の、又は短時間の業務を行うことを目的とするものに限ること。したがって、原則として、通常の労働の継続は認められないが、救急医療等を行うことが稀にあっても、一般的にみて睡眠が充分とりうるものであれば差し支えないこと。

この通達の宿日直勤務の条件とは、

  1. 特殊な措置を要しない軽度の、又は短時間の業務を行うことを目的とするものに限ること
  2. 原則として、通常の労働の継続は認められないが、救急医療等を行うことが稀にあっても、一般的にみて睡眠が充分とりうるものであれば差し支えないこと

病院と言う特殊性を考慮して、「稀」の突発事態への通常勤務が含まれる事を許容しています。ただし稀であっても、通常勤務と見なされる場合は時間外手当が発生すると明記してあります。また稀の頻度も目安の通達が出されております。平成14年11月28日付基監発第1128001号「医療機関における休日及び夜間勤務の適正化の当面の対応について」より要点だけの表を示しておきますが、

1ヶ月の救急対応日数 1日の対応時間の上限
7日以内 規定なし
8〜10日 3時間以内
11〜15日 2時間以内
16日以上 1時間以内
これが県立奈良病院で守れそうかと言うと、訴訟対象の2004年と2005年のデータとして、

年度 分娩数 うち宿日直時間帯 救急外来患者数
2004 633 397 1445
2005 573 359 1194


まあ無理です。無理なはずですが、勤務時間規則にすらない救急外来も含めて、すべて条例で「断続的勤務」と決めてあるとし、そうである事は宿日直許可証が裏付けていると奈良県は主張しているわけです。

ここまでは一審も似たような主張ですが、控訴審は少し戦術が入っています。基本主張は宿日直で行われる業務はすべて宿日直と業務と見なした上で、その業務量自体も「たいした事がない」つまりは軽微であるとしています。ところが、よくよく考えると「思料」すべきところも無いわけでなく、昨日紹介したCB記事にもあった「22.3%」は通常勤務として認め、時間外手当を払っても良いの主張を行っています。


奈良県の思料の理由

実は最後の奈良県側が「思料」した部分が興味深くて、2007年6月、つまりこの訴訟が始まって約1年後に出たものです。その内容はそれまで全部宿日直業務であったのが、一部通常業務になり時間外手当が出るようになったと言うものです。具体的には、

入院・外来 業務内容 業務 2007年5月以前
外来 正常分娩 通常 すべて宿日直業務
異常分娩
その他の処置
入院 正常分娩 宿日直
異常分娩 通常
その他の処置 宿日直


2007年6月以前、産科側が訴訟の対象にしている期間は、外来からの緊急入院の異常分娩であろうが、手術であろうが、なんであろうがすべて宿日直業務としていた訳です。奈良県側に譲って勤務時間規則の「入院患者の病状の急変等に対処」にしてもどうなんだと思いますが、おそらく改正前は「入院してからの対応」として宿日直業務に含ませていたと考えられます。とにかく入院後の対応となれば宿日直業務と言うわけです。

それを気が変わったのか、救急外来及び救急外来からの緊急入院は通常業務と見直したようです。しっかし、そうなると普通の日勤での業務もすべて宿日直業務並みになってしまいそうになるのですが、まあ置いておきます。ただこの改正でも、

  1. 入院患者の正常分娩
  2. 入院患者のその他処置
これは宿日直業務に位置付けています。正常であっても分娩が産科医の宿日直業務と言うのは凄い違和感があります。さらにですが、異常分娩でも通常業務と見なしたのは手術室にいる間だけで、その前後の患者及び家族への説明、また術前・術後の処置についてはすべて宿日直業務として扱っています。それでも改正以前よりは進歩ですが、どうもこの改正処置を遡上適用してやっても「良いぞ♪」ぐらいの趣旨のように感じます。


この戦術ですがもちろん実を結んでいません。裁判官のロジックが面白かったのですが、

  1. 2007年6月の改正は待遇改善であると認められる
  2. その待遇改善があったにも関らず、2010年5月に時間外労働に関連して奈良労基署より書類送検されている
  3. そうであれば、2007年6月以前の状況はさらに悪かったとするのが当然
年月関係を表にしておくと、

年月 経緯
1977年10月 県立奈良病院に宿日直許可証交付
2006年12月 産科医が訴訟を起す
2007年6月 宿日直勤務のうち通常勤務分については超過勤務手当を支給
2008年4月 超過勤務手当に加え、分娩にかかわる業務や勤務時間外に呼び出しを受けて救急業務を行った場合には、特殊勤務手当を支給
2009年4月 奈良地裁判決
2010年5月 奈良労基署、奈良病院書類送検
2010年7月 36協定締結
2010年11月 阪高裁判決


2007年6月、2008年4月と2度に渡り待遇改善が行われたにも関らず、2010年5月に書類送検を喰らっています。そもそも労基署が告発を受けて、受理するだけでも高い高いハードルがあります。その辺の事情を裁判官はよく存じておられたと言う事かと思われます。返す刀で宿日直許可証を取り消していないのは労基署の怠慢であるとまで指摘されています。

条例主義については、その根拠は地方公務員法に由来していますが、あくまでもそれは地方公務員への待遇が条例主義に基づきなさいと言う根拠に過ぎず、条例で定めたから労基法に違反して良い事には当然ならないとしています。訴訟ですから何を主張しても良いのですが、法曹の専門家である弁護士や東大法学部卒の知事相手に、これを指摘するのは少々アホらしかったんじゃないかと感じました。


もう一つ、私が読んだ限りでは36協定(あの1440時間+360〜460時間)の締結は控訴審結審後ではないかと思われます。もし審理中なら産科医側は指摘したでしょうし、判決に反映されるのが自然です。昨日も書きましたが、

  1. 通常の上限は年間360時間
  2. 最大年間法定労働時間2085.6時間
  3. 過労死ラインとされるのが、発症前1カ月間に約100時間、または発症前2〜6カ月間に1カ月あたり約80時間を超える時間外労働
36協定が労基署の書類送検を受けての対応であるのは明らかですから事実認定として、
    労働実態として従来からそれだけの時間外労働が発生していた
こう取られる可能性が非常に高いと推測されます。これが判決に出ていないようです。まあ、結審後であれば何をやっても判決に反映されませんし、たとえ最高裁で審理になっても新たな証拠として提出できる機会は非常に乏しいぐらいの判断でしょうか。まあ、結果としてなくとも上告不受理の判断がなされ高裁判決が確定したのは既報の通りです。