奈良産科医時間外訴訟判決文・後編

やっとこさ前編の続きです。ちょっとだけおさらいしておきますが、この訴訟は正式には平成18(行ウ)第16号 時間外手当等請求事件と言い、平成21年04月22日 奈良地方裁判所で判決が下され、現在二審で係争中になっています。争点は絞れば2つで、

  1. 宿日直勤務が時間外勤務にあたるか
  2. 宅直勤務が時間外勤務に当たるか
前編は1.についての解説でしたが、後編は2.についての解説になります。


原告医師の主張

 奈良病院は一次救急(入院を必要としない程度)から三次救急(高度医療を必要とする程度)までの救急患者を受け入れているため時間外の救急外来患者数は少なくなく,宿日直医(1名)の負担が重いこと,急変した入院患者への対応と救急患者の診療が重なれば対応が不可能であること,異常分娩等の場合には一名の宿日直医のみでは対応できないことから,被告の命じた勤務を可能ならしめるために,原告らは自主的に応援医師を確保するための宅直当番を決めているのであって,宿日直と宅直は一体の制度である。奈良病院も宅直の存在を認識した上で,それを前提とした産科医療を運営していた。宅直当番は自宅で待機し,呼び出されれば病院に急行するが,呼び出されて行う職務は患者に対する診療行為であって原告らの職務そのものといえるし,宅直当番のときに呼び出される頻度も稀ではないから,宅直勤務でも労働からの解放が保障されていないというべきであるし,実質的に役務提供が義務付けられていないと認められる特段の事情はなく,奈良病院の指揮命令下に置かれていたといえる。したがって,宅直当番の時間も全て割増賃金の対象となる労働時間と考えるべきである。

判決文特有の句点が少ない文章で非常に読み難いのですが、ポイントをまとめてみます。

  1. 一次〜三次までの多数の救急患者を受け入れる病院である。
  2. 宿日直医1名では救急診療と病棟業務の両立が不可能になることがあること。
  3. 不可能なときの対応のために自主的に宅直制度を敷いた
ここまでは奈良病院産科の宅直制度の出来た理由と考えます。自主的に作られた制度ですが、原告の主張ではその自主的な制度がある事を前提にして病院は産科医療を運営していたとしています。宅直業務の実態として呼び出し頻度も稀とは言えず、呼び出されたら病院に急行します。また呼び出しが稀でないから常に拘束された状態であるとしています。

自主的には作られた呼び出し制度ですが、

  1. 宅直無しでは産科医療が維持できない
  2. 病院も宅直を前提として産科運営がなされている
  3. 呼び出し頻度は稀でない
  4. 呼び出されたら急行するため拘束状態である
実態として奈良病院の命令指揮下で行なわれており、宅直制と宿日直が産科医療の運営のために必要なのは明白だから、時間外勤務であるとの主張です。


被告奈良県の主張

 宅直は,原告ら奈良病院産婦人科医師らが自主的に行っているものであり,被告が命じているわけではないから,宅直時間は給与の支給の対象となる労働時間ではない。

簡潔に「勝手にやっているものに給与を払う理由は無い」です。


裁判所の判断

ここは長いので分割しながら引用して読んでいきます。

 宅直勤務は,奈良病院産婦人科医師の間で自主的に定められている制度である。奈良病院は一次救急から三次救急までの救急患者を受け入れているため救急外来患者数も多い(証人I)。本件請求に係る期間には奈良病院産婦人科医師は5名しかおらず,宿日直医師として1名しか置けないため,同時に対応しなければならない患者が複数いる場合や,医師1名では対応できない分娩(帝王切開術を行う分娩)等の場合には,宿日直医師の求めに応じてそれに協力する医師を確保する必要があるとして,宅直勤務制度ができたものである(甲11,25,証人I)。本件請求に係る期間においては,原告Aが奈良病院産婦人科医師の宅直当番を決め,カレンダーに記入して産婦人科医師に知らせていた(原告A本人)。奈良病院の内規では宅直制度について触れられておらず(甲1,2,証人I),宅直当番について,産婦人科医師が奈良病院に届け出る等はしていなかった(証人I)。上記のように1名の宿日直医師で対応できない場合が生じれば,宿日直医師から宅直医師へ連絡がとられ,宅直医師は奈良病院に来て宿日直医師に協力し診療を行っていた(甲25,証人I)。宅直医師は自宅にいることが多いが,待機場所が指定されているわけではなかった(証人I)。

 なお,奈良病院の他の診療科には宅直制度はない。

ここの事実認定は、

  1. 産科医療のために宅直制度は自主的に出来た
  2. 病院には宅直制度の内規はない
  3. 産科医師は病院に宅直当番を届けていない
  4. 宅直医の待機場所の指定は無い
  5. 他の診療科にも宅直制度は無い
こんなところです。この事実認定の上で、

 上記宅直勤務が,割増賃金の請求できる労働基準法上の労働時間といえるか否かは,宅直勤務時間が「労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間」に当たるか否かによる。

 本件の宅直勤務制度は,救急外来患者も多い奈良病院における産婦人科医師の需要の高さに比べて,5名しか産婦人科医師がいないという現実の医師不足を補うために,産婦人科医師の間で構築されたものである。しかしながら,原告らも認めるように宅直勤務は奈良病院産婦人科医師の間の自主的な取り決めにすぎず,奈良病院の内規にも定めはなく,宅直当番も産婦人科医師が決め,奈良病院には届け出ておらず,宿日直医師が宅直医師に連絡をとり応援要請しているものであって,奈良病院がこれを命じていたことを示す証拠はない。また,宅直当番の医師は自宅にいることが多いが,これも事実上のものであり,待機場所が定められているわけではない。

 このような本件の事実関係の下では,本件の宅直勤務時間において,労働者が使用者の指揮命令下に置かれていた,つまり,奈良病院の指揮命令下にあったとは認められない。

 したがって,宅直勤務の時間は,割増賃金を請求できる労働時間とはい
えない。

裁判所の判断の基準は、

    宅直勤務時間が「労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間」に当たるか否かによる
これによって判断するとしています。それでもって、
  1. 病院が命じた証拠が無い
  2. 待機場所が定められていない
この2つの理由により指揮命令下にあるとは言えないとしています。

 この点,原告らは,宅直制度は宿日直制度と一体の制度であって,奈良病院は宅直制度を認識した上で,それを前提とした産科医療を運営しており,宅直勤務について実質的に役務提供が義務付けられていないと認められる特段の事情はなく,奈良病院の指揮命令下に置かれていたと主張する。

 前記認定のとおり,宅直制度は宿日直医師の負担を軽減しこれを補うためにできたものである。しかし,奈良病院において産婦人科のみが救急外来患者が多いことを示す証拠はなく,他の診療科目においても,宿日直の医師1名では対応できない場合があると考えられるが,産婦人科だけでなく他の診療科目においても宿日直医は1名である(乙33〜56の2)。確かに,産婦人科という診療科目の特質上,夜間に分娩等に対処しなければならないことが多いとしても,それが常に2名以上の医師を必要としており,宅直制度がなければ宿日直制度が成り立たないと断定することは困難である。

 また,奈良病院産婦人科部長Iは,平成15年11月と平成17年2月の2回にわたり,奈良病院や被告に対して産婦人科医の増員や労働環境の改善を求め,その中でその時点での産婦人科医の労働の現状を説明するに当たって宅直勤務についても言及しており,奈良病院は,宅直勤務の存在を認識していたといえる(甲19,20,証人I)。しかしながら,これに対して奈良病院が宅直勤務に関する指揮命令を行った事実は,本件全証拠によっても認められない。そして,前述のように他の診療科目でも医師1名では対応できない場合が考えられるのに宿日直医が1名であることからすれば,奈良病院が,産婦人科のみにある宅直制度を利用することを前提として,産婦人科医師に過大な負担を負わせる運営を行っていたとまで認定することはできない。

 したがって,原告らの主張は採用できない。

ここはなかなか興味深い判断なんですが、まず産科だけが多忙である証拠はないとしています。その上で他の診療科は宿日直1名で業務が出来ているから、産科の特異性を考慮に入れても、

    宅直制度がなければ宿日直制度が成り立たないと断定することは困難である
いっぱい意見が出てきそうな個所ですが次に進みます。もう一度指揮命令下の事実確認の判断をしているのですが、産婦人科部長は「平成15年11月と平成17年2月の2回」にわたり労働環境の改善を訴え、そのときに宅直制度の存在を病院側に話し、病院側は宅直の存在を知っていたと事実認定しています。

しかしその程度のことでは指揮命令には該当せず、

    奈良病院が,産婦人科のみにある宅直制度を利用することを前提として,産婦人科医師に過大な負担を負わせる運営を行っていたとまで認定することはできない
奈良県側の「産科医が勝手にやっているもの」の主張を認めたと判断しても良いと考えます。


宅直の部分については奈良県側の主張が通った部分ですが、原告医師は宿日直と宅直は一体となった制度であり、宅直制度無しでは産科医療が成り立たず、病院側もそれを実質として利用していたとの主張を行っています。これに対し裁判所は2つの判断を行なっています。

  1. 宅直制度は必須のものとは言えない
  2. 宅直制度の運用に病院側は関与していない(指揮命令を下していない)
この2つの判断ですが、判決文を読む限り2つの条件がともに成立する必要があるのではなく、どちらかが成立すれば認められると考えられそうです。だからこそ被告の奈良県の主張にも無い宅直制度の必要性の判断をしているかと考えます。判断の理由はともかく、2つとも条件を満たしていないから原告の主張は認められないとしているかとも思われます。

指揮命令の方を考えると幾つも不備な条件を判断としてあげていますが、やはり病院の指示が具体的にあったか無かったかに重点が置かれている様に思います。この場合の指示とは文書化された指示である必要は必ずしも無く、口頭指示でも十分とはされています。最終的に焦点となったのは産婦人科部長が病院側に行った2回にわたる労働環境の改善の訴えかと感じます。

この時に病院側が「今後も宅直で支えてくれ」みたいな発言をしていたら、それだけで指揮命令下の判断は変わったかもしれません。もっとも裁判所判断で挙げられた幾つかの条件が、どれほど満たせば認定されるかは私の知識ではなんとも言えません。



最後に江原朗様から情報提供頂いた東北大学への平成20年3月28日付指導票の一部を引用させて頂きます。

3 オンコール待機時間について

 宿直の許可条件を順守できないという理由で、オンコール体制としていた医局があるが、労使合意の上、明確な規程に基づいて実施されたい。なお、制限の内容の程度呼び出しの頻度等から拘束性が強い場合には、労働時間と判断される場合があるので実態を把握し、必要な対応を図ること。

この指導内容ですが、東北大学でもオンコール制度(宅直制度)が敷かれているところがあることがまず確認できます。その宅直制度の存在は、

    労使合意の上、明確な規程に基づいて実施されたい
ここから分かる事は、
  1. 内規に基づくものでない事
  2. おそらく病院の指揮命令によるものでないこと
この2つが確認されます。そして労働時間として判断するかどうかの基準は、
    拘束性が強い場合
どうも労働実態によって判断すると解釈できそうです。奈良の場合は、裁判所が指揮命令の手続き論と宅直の必要性の判断を行ないましたが、労働実態についての事実認定は行なわれていないように考えられます。一方で労基署の判断はあくまでも労働実態によって判断するとの指導を行なっています。奈良地裁は「(手続き論+そもそも必要論)> 労働実態」としましたが、労基署は優先順位が逆にも感じます。

もちろん奈良県庁以外の人間の常識は「司法 > 労基署」ですが、労働行政の監督官庁の意見はそれほど軽くはありません。少なくとも奈良県知事より労働行政においては重いと考えます。二審が楽しみになってきました。