元記事のURLは、
これなんですが、既に消去されており「お探しの記事はみつかりませんでした。」しか読むことができません。また魚拓を探して見ても4/14付記事で、2日付の連載「医師不足の現場から 下」の記事には事実誤認があるなど、取材、紙面化の過程に問題があったことが分かりました。研修医の河津英里さんに関する記述については削除します。河津さんや宮崎大学などの関係者の方々にご迷惑をおかけしたことをおわびします。宮崎総局は、報道にかかわる人権侵害を救済するための朝日新聞社の第三者機関「報道と人権委員会」(PRC)にこの問題の解決を求めて、申し立てを行うことにしました。結果については、後日、紙面でご報告します。
これだけしかなく、現在はこれも削除されています。朝日新聞社の第三者機関「報道と人権委員会」(PRC)とやらに解決を求めたそうで、現在はそれについての見解記事が掲載されています。7/11付朝日新聞より、
研修医めぐる記事に「報道と人権委」見解
朝日新聞社の「報道と人権委員会」(PRC)は10日、宮崎版の連載記事「医師不足の現場から(下)」(4月2日付)について、記事に登場する研修医の名誉や信用を著しく棄損している、とする見解を決定した。見解は、記者の思い込みから事実に反する記事の掲載になった、と指摘している。
審理の対象になったのは、宮崎大学医学部を卒業し、済生会熊本病院で研修している河津英里さんに関する記述部分。河津さんは、発言していない言葉を自分の言葉として書かれるなど、発言の趣旨が著しくゆがめられて報じられたと主張していた。朝日新聞社宮崎総局は、河津さんの主張を大筋で認めて「おわび」(4月14日付)を掲載した。だが、朝日新聞社側の対応をめぐって意見の対立が解けず、双方が委員会に申し立てていた。
見解は「宮大は医師免許取得の合宿所といったところ」など、河津さんが発言していないことを本人の言葉として書いたことを、記者の職業倫理に反するなどと批判。その他の記述でも、記者が思い込みから、河津さんの発言を都合よく解釈したり、拡大して受け取ったりした結果、誤報になったと判断した。また、掲載される記事内容を事前に河津さんに確認するという約束を、記者が守らなかったことも、職業倫理に反している、としている。
さらに、こうした誤報が掲載された原因について、記者を指導する立場の総局長らの責任も大きく、「合宿所」などを河津さんの発言した言葉として掲載すれば、河津さんの社会的信用が傷つくことへの感性が欠如していた、と述べている。
最後に、掲載された「おわび」の内容では、読者への説明や名誉・信用の回復が不十分であるとして、朝日新聞社に対して、記事が河津さんと宮崎大医学部の名誉と信用を傷つけたことを認めるよう求めている。
PRCの委員は、本林徹・元日弁連会長、長谷部恭男・東大大学院教授、藤田博司・元共同通信論説副委員長の3氏。
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見解の全文は、朝日新聞社のサイト(http://www.asahi.com/shimbun/prc/20090711.pdf)に掲載しています。
素直かどうかはこれから見解を紹介しますから、それから判断しますが、対応を行なった点は朝日新聞を評価しておきます。もっともどれほどスムーズに対応が進んだかは記事情報ではわかりませんが、とにもかくにも謝罪した点は素直に認めておかなければいけません。ただし
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見解の全文は、朝日新聞社のサイト(http://www.asahi.com/shimbun/prc/20090711.pdf)に掲載しています。
全体がどんな内容か確認したいのですが、中間管理職様が保存していた問題個所(4/2付asahi.com)の全文を引用します。
昨春、宮崎大学医学部を卒業したKさん(26)は熊本市の済生会熊本病院で研修中だ。
社会に貢献したい、との思いから医師を志した。出身地の熊本大学医学部を志望したが、「(入試が)ちょっと難しかった」。
宮大側からは、宮崎に残るよう暗に促されたという。それでも、卒業後の研修先は「医療設備などが充実している環境で働きたかった」と、宮崎を離れた。
医学部卒業後の研修先を自由に選べるようになったのは、新しい臨床研修制度が始まった04年。以前は、卒業した大学の医局で研修を積むのがセオリーだった。
大学卒業後も同じ都道府県にとどまる医師は、全国平均49・1%(08年度の文部科学省調べ)に対し、宮崎は20〜25%。全国で最も低い。出身地の大学病院に行ったり、都市部の施設を選んだりした結果だ。
Kさんは今、整形外科を担当。1日2〜3回は交通事故や労働災害による外傷や骨折治療の手術に立ち会い、最先端の技術を学ぶ。「ここを選んで良かった。宮大は医師免許取得の合宿所といったところ」と話した。
宮大は、医師不足が深刻な県立延岡病院にも医師を派遣している。しかし、その宮大からも医師の卵たちは流出。結局、医局そのものの医師が足りず、派遣先から引き揚げざるを得なくなる。
中間管理職様は実名を伏せて掲載していますが、そのままにしています。
さてと基礎情報をとりあえず示したので、7/10付宮崎版「医師不足の現場から?」についての申し立てに対する見解(魚拓)を読んでみます。まず「報道と人権委員会」(PRC)にもつれこむまでの経緯ですが、
本事案は、2009年4月2日付宮崎版に掲載された連載「医師不足の現場から?」について、記事に登場する済生会熊本病院の研修医の河津英里氏が、取材の際に発言していないことを自分が発言した言葉として書かれるなど、発言の趣旨が著しくゆがめられて報じられ、名誉や信用を棄損されたとして、朝日新聞社宮崎総局に抗議したことに始まる。
朝日新聞社(宮崎総局)側は、抗議の内容を大筋で認めたものの、河津医師との話し合いの決着を見ないまま、4月14日付宮崎版に「おわび」を掲載したうえで4月22日、神谷裕司宮崎総局長名で紛争解決を求めて当委員会に申し立てた。河津医師も4月28日、名誉や信用の回復を求めて、当委員会に救済を申し立てたものである。双方とも、本件記事の取材や報道のどこに問題があったかを明らかにするよう、当委員会に求めている。
ここまでが委員会に申し立てられる経緯で、
当委員会は、宮崎総局と河津医師の双方から、それぞれの申し立てに対する意見書や資料の提出を求めたうえ、委員会事務局が5月14、15の両日、筆者の牧野友也記者や神谷総局長ら朝日新聞社の関係者と、河津医師と済生会熊本病院の関係者から聞き取り調査をした。さらに5月25日に、三国治西部編集局長補佐(3月31日までは宮崎総局長)からも聞き取り調査をした。
それらの結果をもとに、5月29日に第5期第2回報道と人権委員会を開き、争点を整理して審議したうえ、6月14日に第3回報道と人権委員会を開いて、牧野記者と河津医師や済生会熊本病院の関係者からヒアリングを行った後、各争点について審議した。
これが委員会の経緯です。
取材は3月16日午前に同病院で行われ、同病院の企画広報室員が立ち会った。取材時間は1時間ほどであった。原稿の作成は、牧野記者と先輩記者の間のやりとりで行われた。連載の掲載は予定より10日ほど遅れて始まり、本件記事は4月2日付宮崎版に掲載された。
この引用の前に企画が建てられた経緯とか、研修医が取材対象に選ばれた経緯があるのですが引用は略します。ここまでの経緯をまとめると、
Date | 事柄 |
2009.3.16 | 研修医を取材 |
2009.4.2 | 元記事報道 |
報道後 | 朝日新聞社宮崎総局に抗議、話し合い始まる |
2009.4.14 | 「おわび」記事掲載 |
2009.4.22 | 宮崎総局は「報道と人権委員会」に申し立て |
2009.4.28 | 研修医は「報道と人権委員会」に申し立て |
2009.5.14 2009.5.15 |
朝日関係者及び研修医関係者の聞き取り調査 |
2009.5.25 | 前宮崎総局長の聞き取り調査 |
2009.5.29 | 争点整理を審議 |
2009.6.14 | 朝日関係者と研修医関係者からヒアリング |
2009.7.10 | 報告書(見解)作成 |
2009.7.11 | 改めての「おわび」記事掲載 |
記述上の問題点は4点に整理されたようで、
- 「ここを選んで良かった。宮大は医師免許取得の合宿所といったところ」と話した。
- 出身地の熊本大学医学部を志望したが、「(入試が)ちょっと難しかった」。
- 宮大側からは、宮崎に残るよう暗に促されたという。
- 卒業後の研修先は「医療設備などが充実している環境で働きたかった」と、宮崎を離れた。
■研修医の主張
牧野記者が「宮大は医師免許取得の合宿所という風に言う人もいますよね」と発言したので、「そういう風に言う人もいます」と答えた。その後は、宮崎大学の教育が充実していることを話した。宮崎大に「ネガティブな思いはありますか」との質問には「ありません」とはっきり答えた。
ポイントは研修医が「私はそう言っていないが、そう言う人もいる」としている点と考えています。つまり研修医は合宿所発言を行っていないと言う事です。また本人の主張としては宮崎大学は良かったとしています。
■朝日の主張
取材のとき、「言ってみれば宮崎大学は医師免許取得の合宿所みたいな感覚なんですかね」という質問に、河津医師は「そうですね」と答え、それを「同意」と受け取った。河津医師は「そういう風に言う人もいます」という言い方はしていない。河津医師が「合宿所」という言葉を使っていないのは事実だ。
どうもなんですが取材時に録音を併用していなかったか、録音は既に消去されていると考えて良さそうです。そのため当事者同士の記憶の応酬になっていますが、朝日の主張はやり取りの断片がそう解釈できるものであったとの主張と考えます。それと研修医が「合宿所」の言葉を使っていない事も事実として認めています。
■委員会の判断
牧野記者は聞き取り調査で、「同意」と受け取った理由について、やりとりした時の雰囲気が宮崎大に否定的だったためと述べている。しかしながら、牧野記者は委員会のヒアリングで、河津医師が宮崎大について批判的な発言をしなかったことを認めている。このことは、取材メモや初稿には、河津医師が語った宮崎大の医学部教育の充実ぶりが多く記述されていることからも裏付けられる。
取材では、河津医師は宮崎大の医学部教育の充実ぶりを強調したと認められ、河津医師が「そうですね」と答えたという牧野記者の主張には疑問を覚える。しかし、たとえ河津医師の答えが「そうですね」であり、それを「同意」と受け取ったとしても、さらに質問を重ねて、同意と受け取ってよいかどうか、また「宮大が合宿所」を河津医師の言葉として使っていいかどうかを確かめて、明示的に同意を取り付けるべきだった。
本人が発言していないことを、本人の言葉として使うことは、記者の職業倫理に反し、牧野記者の行為は許されない。
朝日の主張は断片のやり取りから「そうだ」の主張が基本ですが、研修医が宮崎大の教育の充実を発言しているところから、そういう断片のやり取りについての朝日の主張は疑問だとしています。もっとも重要な事は、「」付きで引用した本人の発言部分を創作している事です。元の朝日記事と朝日が主張した断片のやり取り部分は、
朝日記事
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「ここを選んで良かった。宮大は医師免許取得の合宿所といったところ」と話した。
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取材のとき、「言ってみれば宮崎大学は医師免許取得の合宿所みたいな感覚なんですかね」という質問に、河津医師は「そうですね」と答え、それを「同意」と受け取った。
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本人が発言していないことを、本人の言葉として使うことは、記者の職業倫理に反し、牧野記者の行為は許されない。
牧野記者の取材メモ、初稿の内容、聞き取り調査やヒアリング結果からみても、取材時に河津医師が宮崎大医学部について否定的発言をした形跡は見られず、むしろ、河津医師が宮崎大の医学部教育の充実ぶりを強調したと認められることは、前述した通りである。記述内容は、河津医師の話した趣旨に著しく反しており、「捏造記事」と河津医師が批判するのも理解できる。
しかしながら、記事掲載日に河津医師に連絡していること、河津医師から抗議を受けて即座に記事の誤りを認めていること、初稿には宮崎大の医学部教育の充実ぶりが書き込まれていること、聞き取り調査やヒアリングでの牧野記者の態度などからみて、「捏造」とまでは認められない。自分の強い思い込みから、河津医師の発言を都合よく解釈したり、拡大して受け取ったりした結果、誤報になったものと判断される。
まずまず
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記述内容は、河津医師の話した趣旨に著しく反しており、「捏造記事」と河津医師が批判するのも理解できる
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「捏造」とまでは認められない
- 記事掲載日に河津医師に連絡していること
- 河津医師から抗議を受けて即座に記事の誤りを認めていること
- 初稿には宮崎大の医学部教育の充実ぶりが書き込まれていること
- 聞き取り調査やヒアリングでの牧野記者の態度
- もし記事掲載日に連絡していなかったら「捏造?」
- 16日間も練りに練ったはずの記事の誤りが即座に分かるほどの「誤報?」
- 初稿段階の事実関係に正しいところがあれば、捏造は「否定?」
- 態度が捏造と誤報の「判断基準?」
おそらく委員会見解としては、記者に悪意がなかったことを根拠として捏造でなく誤報としていると思われるのですが、そうなると悪意さえなければこの世に捏造記事は存在しない事になります。この辺は捏造記事と誤報記事の定義と言うか、見方、考え方になるのですが、朝日の委員会はそうであるとしているのは確認できます。まあ、捏造記事と誤報記事では重さと言うか後の処分が変わりますから、非常に慎重に判断された結果だとは思っています。