奈良産科医時間外訴訟の大きな余波

奈良産科医時間外訴訟の判決文は前編後編に分けて解説させて頂いています。この訴訟で何が産科医側と奈良県側で最終的に争われたかを簡潔に説明するのは非常に難しいのですが、基本は産科医側が時間外労働が労基法41条3号に基く宿日直勤務に該当しないと主張しています。

そうなれば通常考えられる奈良県側の反論パターンとして、「産科医の勤務状況は労基法41条3号の枠内である」となりそうなものですが、この訴訟ではそうなっていません。どうも訴訟の展開上、そんな主張は通用しないと判断したんじゃないかと推測されます。勤務実態が労基法41条3号に違反しているのであれば、それ以上何を争うのか疑問なんですが、物凄い主張を持ち出して来ています。

平成18(行ウ)第16号 時間外手当等請求事件が判決文なのですが、奈良県側の主張を引用します。

 原告らは地方公務員であるから,給与を含む勤務条件につき勤務条件法定(条例)主義が適用される。本件では,中立的かつ専門的な機関である奈良県人事委員会が,勤務時間規則において,県立病院における入院患者の病状の急変等に対処するための医師の当直勤務を「断続的な勤務」と捉えることを許可しているのである。そして,原告らが宿日直勤務において行っている業務内容は,全て勤務時間規則7条1項3号 に該当する。

 原告らの宿日直勤務における救急外来受診患者数及び異常分娩件数は多くなく,正常分娩において医師が実際に診療を行う時間も多くないから,宿日直勤務は断続的勤務といえる。

読みにくいとは思いますが、勤務条件は公務員であるから条例主義で定められ、奈良県の人事委員会が条例で医師の宿日直勤務を労基法41条3号に合致するとしているから「合法である」の主張です。つまり労働実態の実際がどうであれ、条例が断続的勤務と定めているから合法であるとの主張です。判決では明快に否定されましたが、奈良県知事はこの判決が余程意外であったらしく、判決直後のコメントで、

    条例で決められたことをいかんと司法が判断できるのか
奈良県では「条例 > 国法(労基法)」であると主張され失笑を買っています。控訴審も行なわれているようで、この判決が奈良県側の主張通り「条例 > 国法(労基法)」になる可能性は極めて低いとは思っています。ただこれで産科医側が勝っても、原告産科医個人の民事であり、奈良県がこういう姿勢である限り、三審まで争って勝利しても他の医師の労働環境の改善はあるかどうかに疑問符が付けられている状態とも言えます。凄い鼻息の知事ですからね。


さて労基法違反は民事でも金銭による賠償で争えますが、違反自体を刑事でも争えます。労基法違反は刑事告発の対象でもあり、告発は誰でも可能です。とは言え労基法違反が刑事で争うことは労基署も非常に「謙抑的」であるとされ、告発状自体を受理してもらうのも非常に高いハードルがあるとされます。逆に言えば受理されると言う事は労基署も本気と受け取ってよいかもしれません。

それほどマメな告発者はなかなかいないのですが、奈良県に関しては現れました。告発者は「かつて奈良県で働いていた産科医でない先生」とぐらいにさせて頂きます。告発を受理されたのは奈良産科医時間外訴訟の舞台となった奈良県奈良病院と、これも妙に有名な奈良県立五条病院です。現時点では5/13付で奈良県奈良病院の送検が為されたとの事です。

どちらの告発状も手許にあるのですが、証拠として奈良病院の告発状だけを参考までにネットに上げておきます。引用しておくと、

告発状

平成21年7月1日から平成21年7月31日までの間における、産婦人科所属医師、および当該期間において最も時間外労働が多い放射線技師1名に対する、次の事実について、厳重な処罰を求め、告発します。

  1. 36協定がないのに時間外労働をさせていること
  2. 宿日直勤務の実態が、労働基準法41条3号に定める基準に達しておらず、宿日直勤務の全ての時間が違法な時間外労働となること
  3. 宿日直勤務の全ての時間が違法な時間外労働であり、その時間外労働に対する時間外手当が、労働基準法37条に定める基準で、支払われていないこと。
平成21年9月28日

民事一審で判決が下っている事案ですし、証拠は確実にありますから刑事訴訟がどうなるかは楽しみです。民事と刑事は微妙に連動もし、また別の結果も出る事はありますが、事実は複雑な解釈論争(奈良県側は複雑と思っているようですが・・・)になる余地が少ないとも考えられ、これを不起訴にはしにくいのではないか、と個人的には思っています。


もう一方の五条病院の方です。こちらが長いのでリンクで逃げたかったのですが、引用します。

告発状

 私、○○は、奈良県が運営する奈良県立五条病院の労務管理に疑念を抱き、奈良県に対して、

  1. 奈良県立五条病院の平成15年度から平成21年度労働基準法36条に基づく協定書(特別協定を含む)
  2. 奈良県立五条病院の労働基準法41条3項に基づく宿直許可証および申請書(医師に関するもの)
を、情報公開請求いたしましたが、「l.当該文書の作成又は取得をしていないため、2.当該文書の保有をしていないため」として、公文書非開示決定通知書(五病第53号平成21年7月7日)を得ました。

 奈良県は、労働基準法に反する勤務時間条例9条にて、違法に勤務命令を出しており、当直時間を通常の時間外労働に算入せず、時間外割増賃金の支払いを免れていたのであり、そもそも36協定もないため、「一日8時間、週40時間」と定めた労働基準法32条にも反した労働を強いていることは明らかである。

 労働基準法32条違反、労働基準法37条違反については、奈良県奈良病院においての「時間外手当等謂求事件平成21年4月22日奈良地裁判決(平成18年(行ウ)第16号)」で、その違法性を指弾されているところであり、奈良県および同知事の管理責任は当然のことである。

 以下の違反事実について、厳重な処罰を求め、告発します。<違反事実>

1)労働基準法32条1項および2項違反

奈良県立五条病院において、被告発人は、平成21年7月1日から平成21年7月31日までの間、時間外休日労働における協定書(36協定)を所轄の行政官庁に届けることなく、奈良県立五条病院の外科医5名、当該期間において最も時間外労働が多い放射線技師1名に対して、1日8時間、週40時間を超えて時間外労働をさせたこと。

2)労働基準法37条1項違反

被告発人は、平成21年7月1日から平成21年7月31日までの間、奈良県立五条病院の外科医5名及び当該期間において最も時間外労働が多い放射線技師1名に対し、時間外労働させたにも関らず、2割5分以上の割増し率で計算した賃金を払っていないこと。

3)労働基準法37条3項違反

被告発人は、平成21年7月1日から平成21年7月31日までの間、奈良県立五条病院の外科医5名及び当該期間において最も時間外労働が多い放射線技師1名に対し、午後10時から午前5時までの時間外労働させたにも関らず、2割5分以上の割増し率で計算した賃金を払っていないこと。

奈良病院の方は解説は不要だと思いますから、五条病院の方に少し解説を入れておきます。まず告発人が行なったことは、36協定の存在と労基法41条3号に基く宿日直許可書の有無を確認しています。これに対する回答は「存在しない」です。つまり五条病院は36協定が無いので時間外労働を行なわせることが出来ず、また宿日直許可が無いので、当直業務を行なわせれば自動的に、

  1. 時間外労働の禁止に違反
  2. 当直がどんな状態であっても、これはすべて勤務になり、所定の時間外手当及び休日手当を支払う義務が発生
奈良病院にも36協定はありませんでしたが、まだ宿日直許可があり、時間外労働を「あれはすべて当直業務」と強弁する余地がありましたが、五条病院は宿日直許可さえ存在しないので、奈良県知事お得意の「条例 > 国法(労基法)」論も持ち出せないかと考えられます。


現時点で得ている情報は奈良病院が送検されたと言うだけです。五条病院も告発状が受理されていますから送検は時間の問題で行なわれるかと思います。どちらも起訴になるかどうかは検察官の判断次第ですが、民事があれだけ大きな話題になっている奈良病院を不起訴処分にするのはどうかと思われますし、奈良病院が起訴されれば、告発内容からより状態の酷い五条病院だけが不起訴と言うのも違和感が残ります。

あくまでも仮にですが、奈良県側が刑事起訴された時に事実経過から略式起訴による罰金刑でひっそり終らせるケースは考えられます。しかしほぼ同内容の事案を民事で争っている真っ最中に刑事責任を認めるのは、独立しているとは言え民事訴訟に影響を与える事は十分に考えられます。もし起訴されれば刑事でも奈良県は争わざるを得ないんじゃないかの観測も成立はしそうです。


まだ送検段階ですから、起訴は行なわれていませんし、たとえ起訴されても判決が確定するまで奈良県側は単なる「容疑者」以上のものではありませんから、どこかのマスコミの様に送検段階でテンプレで決め付けてしまう事だけは注意しておきましょう。