奈良産科医時間外訴訟をもう少し考える

重要な訴訟なので、判決要旨のところだけもう一度読み返してみます。それと予めお断りしておきますが、今日も判決要旨の情報のみからの推測ですから、後日判決文が公開されたら「違っていた」はありえる事は御了承お願いします。

◎宿日直(夜間休日)勤務

 原告らは、産婦人科という特質上、宿日直時間内に分娩への対応という本来業務も行っているが、分娩の性質上宿日直時間内に行われることは当然予想され、その回数は少なくない。中には帝王切開術なども含まれ、治療も行っている。また救急医療を行うこともまれとはいえない。これらの業務はすべて1人の宿日直医師が行わなければならない。その結果、宿日直時間中の約4分の1の時間は外来救急患者への処置全般および、入院患者にかかる手術室を利用しての緊急手術などの通常業務に従事していたと推認される。

 原告らは、奈良病院から宿日直勤務を命じられ、勤務の開始から終了までの間、場所的拘束を受けるとともに、呼び出しに速やかに応じて業務を遂行することを義務付けられている。したがって、原告らは実際に患者に対応して診療を行っている時間だけでなく、診療の合間の待機時間においても労働から離れることが保障されていない。宿日直勤務の開始から終了までの間、医師としてその役務の提供が義務づけられ、同病院の指揮命令下にある。

まず前段ですが、宿日直が時間外勤務であるか、それとも労基法41条3項に基づく当直であるかの判断です。前段は産科当直医が労基法41条3項の宿直業務だけではなく、通常勤務にあたる業務を頻繁に行っていた事の事実認定です。裁判所の判断は推認される業務内容から労基法41条3項の条件を満たしていない可能性を示唆していると考えます。

続いて後段ですが、ここは裁判所判断の通常業務が「約4分の1の時間」とした上で、残り3/4の時間の解釈が書かれていると思われます。おそらく病院側が「残り3/4はコテンと熟睡している休憩時間である」みたいな主張に対応していると考えています。ここは非常に興味深いところで、医療法16条の当直時間の勤務の態様を定義と言うか判断している部分と読み取れます。まず勤務の態様として、

    場所的拘束を受ける
病院当直ですから、当然のように場所的拘束を受けています。もう一つ条件として、
    呼び出しに速やかに応じて業務を遂行することを義務付けられている
これは労基法41条3項に基づく当直業務状態であれば、通常業務に「速やかに応じる」必要はないとの判断と考えられ、そういう状態を当直時間中に常に強いている事が労基法で言う「手待ち時間」状態であるとの事実認定ではないかと考えます。さらに、
    医師としてその役務の提供が義務づけられ、同病院の指揮命令下にある
病院当直は業務命令で行なわれており、病院の指揮命令として「役務の提供が義務づけられている」と事実認定され、この条件であるから労基法41条3項による当直状態であることは通常業務従事時間も否定され、すべて時間外労働としての割増賃金の支払い時間であるとの判断です。


もうひとつの宅直の方をこれと関連付けて考えるとますます興味深いものになります。

◎宅直勤務

 奈良病院では、救急外来患者が多く、産婦人科医師の需要も高いが、5人しか医師はいない。現実の医師不足を補うために、産婦人科医師の間で(宅直勤務制度が)構築されたものである。

 しかしながら、宅直勤務は奈良病院の内規にも定めはなく、宅直当番も産婦人科医師が決め、同病院には届け出ておらず、宿日直医師が宅直医師に連絡をとり応援要請しているものであって、同病院がこれを命じていたことを示す証拠はない。このような事実関係の下では、同病院の指揮命令下にあったとは認められない。したがって宅直勤務の時間は、割増貸金を請求できる労働時間とはいえない。

ここは読みようですし、本来は判決文を確認しないと断言できないのですが、私は宅直勤務自体はどうも勤務の態様として時間外労働と認定している気がします。先ほどの当直業務の判断を踏まえると、業務上の「手待ち時間」に該当する条件として、

  1. 場所的拘束
  2. 時間的拘束
  3. 指揮命令下
この3つを上げています。場所的拘束の定義は当直では言うまでもなく病院内ですが、宅直であっても、病院にすぐ来れるところに待機しなければならないの拘束であるとも考えられます。時間的拘束も「呼び出しに速やかに応じて業務を遂行」が条件ですから、宅直であってもこれに該当すると考えてもそれほど無理はありません。

あくまでも「どうも」なんですが、時間外勤務ないし労働時間としても良いのですが、裁判所の判断として宅直の待機時間は「場所的拘束」と「時間的拘束」の二条件はクリアしていると考えられます。そうでなければ、「場所的拘束」ないし「時間的拘束」の時点での指摘があって然るべしなのですが、とりあえず判決要旨にはありません。これを当然の前提として要旨に書かなかった可能性を考えます。

だから宅直勤務に割増賃金を認めない理由は、ひたすら「指揮命令下」の手続き論に終始しているかと考えます。手続き論として裁判所が指摘したのは3点で、

  1. 内規
  2. 届出
  3. 業務命令
この3つのいずれもなかったから、当直業務中の産科医師が必要な応援を呼び出したのは「指揮命令下」ではないとの判断です。どういう事かと言えば、就業時間以外は労働者はどう過ごそうと自由なので、あくまでも自発的意思で「場所的拘束」を受け、「時間的拘束」を行なったとの解釈です。自由時間に自らの意志で「場所的拘束」や「時間的拘束」を設けるのもこれまた個人の自由と言えばよいのでしょうか。「拘束」、「拘束」と書き連ねるとサドマゾみたいですが、そういう「拘束」を好んで受けていただけの判断とも受け取れます。

奈良県奈良病院の場合は、被告である病院側に幸いな事に、具体的な指揮命令を事実認定する証拠がなかったようです。ただしあれば時間外勤務として認められた可能性は高くなると考えられます。これも学習した事柄ですが、指揮命令は口頭指示でも十分成立します。訴訟の場になれば口頭指示を立証するのも大変でしょうが、証人ぐらいは立てられますし、一般的に労働訴訟では事実認定のハードルはさして高くないとも聞いています。

口頭指示はこの程度の会話でも成立するとも聞いています。

    医師:「オンコールはしません」
    院長:「それでは困るので頼む」
宅直が時間外勤務としての条件をここまでそろえているとの裁判所の判断は、病院側にとって気色の悪い判断であると考えます。考えようによっては、奈良県奈良病院のケースはラッキーであったとも考えられます。つまり類似の訴訟を起された場合には、今度は時間外の割増賃金が求められる可能性も十分あると言う事です。

それと地裁では指揮命令を事実認定されていませんが、一般的な病院当直の決め方、ここは「こんた様」のコメントから引用しますが、

部長が決めたオンコール予定を事務が各科分とりまとめて、一覧表にして、各部署に配布する

もちろん奈良県奈良病院がどういう形式であったかは不明ですが、一般的な形式ならば事実認定は極めて微妙です。オンコールに参加している医師がすべて自発的意思で自らの自由時間を病院の拘束時間として差し出している理屈となり、「そうである」としてしまうのは容易ではない様な気がします。部長からの命令はどういう根源で成立しているかも問われるでしょうし、部長命令に病院が一切タッチしていない証拠も必要になる可能性があります。

また自発的意思でないと訴訟を起しているのに、部長命令で作られたオンコール表に実態として拘束されている状態をどう評価するかです。医師本人が自発的意思でないことはある程度明らかであり、そうなると部長が個人の自由な意志を奪っているとの解釈も出てきそうな気がします。部長は直接の上司であり、上司の命令でオンコール業務に従事している実態の事実認定はさして困難ではないと考えられ、その部長が病院からの業務命令に基づかずに指令を発している状態をどう考えるかです。

えらい杓子定規な解釈ですが、これは訴訟の場ですから、日常の場とは少々状況が異なります。部長が病院の業務命令を受けず、個人の独断でオンコール業務に従事させている状態も、考えようによっては労基法の重大な違反につながる懸念もあるような気もします。この辺の解釈も労基法的にはどうかの判例、通達に疎いのであくまでも感想と思ってください。



医療に限らずなんですが、労基法に違反している業界慣行は数え切れないぐらいあります。労基法の番人ともいえる労基署も労使が紛争を起さない限り、これを黙認するとされています。また監査に入っても、労基法遵守により事業所を倒産させてしまうような法運用は下策と認識されているようです。つまり労働者の勤務環境の不満に対して、

    第一段階:職場に必要な慣行だから納得してもらう
    第二段階:労基署による弾力運用で納得してもらう
    第三段階:民事訴訟で争う
こういう三段階の対応があると考えます。これも労基法を学習して分かった事柄ですが、経営者は民事訴訟に至るのを極力避けるというのがあるそうです。訴訟が面倒と言うのも当然ありますが、訴訟の場に於ては労基法の解釈はかなり愚直に適用されるからだと考えます。これまでの職場慣行であるとの言い訳がまず通用しない世界になるからだとされています。そりゃそうで、法の番人である裁判所が法律違反の弾力運用を認めるわけには行かないからです。

そのために訴訟に至りそうになれば、かなりの妥協案を提示して阻止しようとするとされています。また訴訟になっても和解にもって行くように極力努力するとされます。さらに判決に至っても、控訴は極力控えるとされています。和解にするのは和解条件が公表されないためであり、控訴しないのは判例として上級審、ましてや最高裁判例として残さないためとされています。


そう考えると、奈良県及び奈良県奈良病院の判断は大きなミスであったと考えられます。数えてみると、

  1. 民事訴訟になってしまった事
  2. 和解に持ち込めなかった事
  3. 当直時間が勤務時間であるとの認定を受けた事
  4. 宅直時間が、指揮命令を除いて勤務時間の判定を受けた事
とくにこれまで曖昧な位置付けであった宅直時間が、勤務形態として基本的に通常勤務であるとの判決を出させてしまったのは、大きな失策であると言えます。医師ですら宅直は勤務なのか、どんな種類の労働に当たるのか判別に苦しんでいたのに、地裁とは言え実質的に「勤務時間」に非常に近いものであるとの判決が出たのは大失策と言えます。触れずにおけばグレーゾーンであったのが、訴訟と言う白日の下に曝されたためにシロクロを付けられたとも言えます。

さらにまずい状態の展開も予想されます。原告医師は宅直時間が勤務時間と認められなかったことを不満として、二審、三審に進む可能性は多分にあります。たとえ判決が一審通りであったとしても、宅直時間の火種は確実に残り、最高裁まで進めばいわゆる判例になります。これは法の素人ですから自信がありませんが、法の新たな解釈の前例になることですから、最高裁でも審理されて強固な判例になる可能性も否定できません。

それとこれも「どうやら」なんですが、宅直勤務が「指揮命令下にない」の判断もかなり微妙であるとの見方もあるようです。二審、三審と進めばこの部分が覆される可能性は否定できないとの観測です。原告医師が控訴、上告と進むかどうかの情報に乏しいですが、進んでも当直時間の勤務としての事実認定を覆すのは被告病院に取って困難であるだけでなく、一審での辛うじての勝利である「宅直は指揮命令下でなかったから割増賃金は不要」の維持は微妙との考え方です。


これもまたパンドラの箱であったかもしれません。どうにも病院経営者としては開けてはならない箱を開けてしまったような気のする判決です。