愛媛の病院での労基法問題

労基法問題は非常に緊張するのですが、10/30付読売新聞より、

県立2病院に是正勧告 06年と今年基準超え時間外労働 労基署

 県立中央病院(松山市春日町)と県立新居浜病院(新居浜市本郷)が、定められた範囲を超えた時間外労働を医師らにさせていたとして、労働基準監督署からそれぞれ2006年11月と今年3月に是正勧告を受けていたことがわかった。県は医師不足が大きな原因とし、「搬送される患者を断るわけにもいかず、抜本的に改善するのは難しい。作業の効率化など可能な範囲で医師らの負担軽減に取り組む」としている。

 県公営企業管理局総務課によると、両病院とも重篤な救急患者を受け入れる三次救急指定病院新居浜病院では2009年7〜12月、医師37人のうち7人に、労働基準法に基づいて労使協定で定めた時間外労働の上限(月90時間)を超える月平均105〜191時間の時間外労働をさせていた。最も長時間勤務だった男性外科医は、多い月で280時間を超えていた。

 中央病院(勧告時、協定では45時間以内と規定)では、電子カルテの導入に伴う事務作業も原因だったとし、同病院では医療司書の導入などで医師の負担軽減を、新居浜病院では協定に定める超過時間を増やすことも検討に入れるとして、労基署に報告したという。

 しかし、同病院では毎晩、救急担当2人と入院担当1人で当直をこなし、2008年12月から産科を始めるなど、医師に負担がかかりがちだという。現在の医師数は39人で、県県立病院課は「もう少し人数を増やしたいが、医師の確保は厳しいのが現状」としている。

どこから手をつけようかな、とりあえず36協定からにしましょうか。労基署の是正勧告を受けていた病院は2ヶ所のようで、それぞれの1ヶ月の時間外労働時間の上限は、

病院 1ヶ月の上限
県立中央病院 45時間
(90時間かも)
県立新居浜病院 90時間


どうやらこうのようです。ただ少々微妙で、
    中央病院(勧告時、協定では45時間以内と規定)
この是正勧告がいつ出されたかと言えば、
    2006年11月と今年3月
記事にある「勧告時」は今年の3月と考えるのが妥当かと思われます。36協定は年度毎に更新されるはずですから、中央病院の1ヶ月の上限時間は変わっている可能性は十分あります。つうか変わっていると考えた方が良さそうです。これが何時間になっているかは記事に記載されていませんが、新居浜病院と同様の90時間になっている可能性が高いと考えられます。こういうものは先例と横並びが強く作用しますから。

36協定の上限時間は労働省告示第154号で告示され、さらに

第3条

 労使当事者は、時間外労働協定において一定期間についての延長時間を定めるに当たっては、当該一定期間についての延長時間は、別表第1の上欄に掲げる期間の区分に応じ、それぞれ同表の下欄に掲げる限度時間を超えないものとしなければならない。

こうなっており、この第3条にある「別表第1」は、

期間 限度時間
1週間 15時間
2週間 27時間
4週間 43時間
1箇月 45時間
2箇月 81時間
3箇月 120時間
1年間 360時間


こうともなっています。さらに平成20年厚生労働省告示第108号「労働時間等見直しガイドライン」(労働時間等設定改善指針)も出されており、

 なお、労働時間を延長する場合であっても、労働基準法第三十六条第一項の協定で定める労働時間の延長の限度等に関する基準(平成10年労働省告示第154号)を遵守すること。また、同基準第3条ただし書に規定する特別条項付き協定を結ぶ場合は、同基準の例外が認められる特別の事情とは臨時的なものに限ることを、その協定において明確にするとともに、限度時間を超える時間外労働をできる限り短くし、その時間の労働に係る割増賃金率について、法定割増賃金率を超える率とするよう努めること。

別表第1を超える36協定を結ぶには特別協定が必要ともなっています。これだけ読めば36協定が労働省告示第154号を超えて結ばれる事は「ありえない」と感じそうなものですが、実はありえます。これは法務業の末席様から頂いたコメントですが、

三六協定での労働省告示の年間上限時間(360時間)ですが、あくまでもこれは「目安」であって、この時間を超えたら「違法の協定」とか「無効の協定」となる訳じゃなく、協定としては合法ですし有効です。

使用者と労働者代表が「合意」する限りにおいて、上限目安を超過する三六協定も労基法上は有効な労使協定ですので、労使双方とも合意締結した協定内容に縛られます。労基署としても「減らすように指導」は出来ますが、上限目安を超える三六協定だからという理由「だけ」では、是正勧告などの行政措置や送検などの刑事立件は出来ません。

ただし、三六協定に基づいた時間外労働の割増賃金が正しく計算されて支払われない場合は、使用者は労基法32条&37条)違反を問われて、民事の賠償責任はもちろん、刑事責任を問われることもあります。また長時間の時間外労働が原因で健康を害した場合は、雇用契約上の安全配慮義務違反で、民事上の賠償責任が生じます。

非常にわかりやすい解説なんですが、あえてまとめれば、

  1. 労使さえ納得すれば労働省告示第154号の上限時間を超えた36協定の締結は可能
  2. ただし労働省告示第154号を超えた協定で労働者に健康被害が起こった時は安全配慮義務違反を問われ、民事上の責任が生じる
これらは平成11年3月31日基発第169号に基くそうです。ほいじゃ、特別協定による延長はどうなんるんだですが、たぶんですがこういう解釈になるんだと思われます。

36協定で労働省告示を超える協定 労働者に健康被害発生
特別協定で超える 安全配慮義務違反に問われない
特別協定でなく超える 安全配慮義務違反に問われる


一般的に企業も、また社労士が相談を受けても、わざわざ安全配慮義務違反に問われる協定を結ぶのは避け、労働省告示の枠内に収めるように協定を結ぼうとし、またどうしても枠が狭いときには特別協定による延長枠内にしようと自然に努力するのだと考えます。ただ労基法安全配慮義務違反のリスクを抱えての36協定を結ぶ事を容認しています。ですからやろうと思えば合法的に可能と言う事です。

もう少しだけ補足しておけば、36協定は届出制だそうで、書類上の「よほど」の不備が無い限り労基署は受け取るだけだそうです。これの傍証として小田原市立病院の平成21年5月1日付の36協定では、

事業の種類 金属製品製造業
事業の名称 小田原市立病院


これぐらいの不備は問題なく労基署は受け取っています。ちなみに翌年は空欄でした。

ですからこの2病院が1ヶ月の上限を90時間とする協定を結んでも差し支えないわけです。ひょっとすると特別協定が絡んでいるのかもしれませんが、記事を読む限りそういう気配は乏しいですし、別に90時間でも上記したように36協定として成立します。

ここでなんですが、両病院の問題は36協定が90時間であることで無く、90時間でも足りない事です。足りないから是正勧告を受けているのですが、その対策として、

    新居浜病院では協定に定める超過時間を増やすことも検討
新居浜病院の現在の協定時間が90時間ですから、増やすとなれば確実に100時間を超えると考えられます。別に100時間であろうが、200時間であろうが36協定は成立しますが、ごく素直に過労死ラインを超える協定を現実に結ぶのは労働行政として如何なものかだけは感じます。法務業の末席様の御指摘で、健康被害が出れば雇用者の安全配慮義務責任は問われるとなっていましたが、ここまでの36協定を届出制とは言え承認した労基署の責任はどうであろうと言うところです。

ただ病院側は必ずしもブラックではないようです。

    月平均105〜191時間の時間外労働をさせていた。最も長時間勤務だった男性外科医は、多い月で280時間を超えていた。
これがどれだけ実態を反映しているかは不明ですが、時間的にはかなり正確に医師の時間外労働時間を把握している可能性はあります。労基署の調査ですから、そういう記録が残されていたと好意的に解釈は可能です。問題は記録に残された時間外労働に対する時間外手当が支払われていたかどうかになります。記事にある男性外科医の時間外労働なんて280時間です。

1ヶ月の通常の時間内勤務はおおよそ160時間〜170時間ぐらいと考えられますから、280時間といえば1.8倍ぐらいにあたります。この後に解説しますが、もし当直が労基法41条3号に基くものであり、これが仮に宿直4回、日直1回であったとするならば、この男性外科医の実質の時間外勤務は概算で350時間程度になります。

実質は置いといても記事にあるだけで280時間で、これに割増賃金が絡みますから、おそらく時間外手当は基本給の2倍は楽にクリアしていると考えられます。果たして満額の支払いは行なわれているのでしょうか、いちおう記事に書かれるぐらいですから280時間分は払っているはずだと考えますが、実態についてはこれ以上確認しようがありません。




さて36協定のお話はこれぐらいにして、もう一つのポイントに取り掛かります。

    同病院では毎晩、救急担当2人と入院担当1人で当直をこなし
とりあえず3人の当直を置いているようです。問題はこの当直が労基法41条3号に基く当直なのか、医療法上の当直なのかです。労基法上の当直と、医療法上の当直はまったく違います。医療法上の当直は、とにかく医師免許を持った人間が休日・時間外に当直として存在するだけが求められます。翻って言えば、その当直医が仕事をしようが、寝ていようが構いません。

ただし労基法41条3号の適用を受けていなければ、当直時間はすべて時間外労働にあたります。時間外の割増賃金が必要なだけではなく、時間外労働にカウントされていきます(休日労働の話も含めると長くなるので、これは軽く置いておきます)。そこで労基法41条3号による宿日直許可の下で運用される事が通常は多くなっています。宿日直許可を受ければ、

  1. 時間当たりの賃金は1/3程度の抑えられる
  2. 時間外労働にカウントされない
雇用者側に取って良い事尽くめのようですが、そうは問屋が卸しません。ここも説明を簡略にしておきたいので、小田原市立病院の宿日直許可から引用します。

通常の労働に従事させる等許可した勤務の態様と異なる勤務に従事させないこと。

この辺の医師の当直業務についての具体的な解釈も通達されており、平成14年3月19日付け基発第0319007号「医療機関における 休日及び夜間勤務の適正化について」に、

常態としてほとんど労働する必要がない勤務のみを認めるものであり、病室の定時巡回、少数の要注意患者の検脈、検温等の特殊な措置を要しない軽度の、又は短時間の業務を行うことを目的とするものに限ること。したがって、原則として、通常の労働の継続は認められないが、救急医療等を行うことが稀にあっても、一般的にみて睡眠が充分とりうるものであれば差し支えないこと。

誰がどう読もうと「救急担当2人」なんて勤務態様は考えられませんし、こういう勤務態様の当直が3人もいて、

    医師に負担がかかりがちだという
こういう事もありえないわけです。もちろん当直医でも必要に応じて通常の診療に従事しなければならないことはあり、その時には、

なお、救急医療等の通常の労働を行った場合、下記3.のとおり、法第37条に基づく割増賃金を支払う必要があること。

ほいじゃ、割増賃金を払えば青天井かと言えば

宿日直勤務中に通常の労働が頻繁に行われる場合労働実態が労働法に抵触することから、宿日直勤務で対応することはできません。 宿日直勤務の許可を取り消されることになりますので、交代制を導入するなど業務執行体制を見直す必要があります。

当然の事で、労基法41条3号の宿日直許可は低賃金と時間外労働のカウントを免除する代わりに、課せられる労働量を大幅に制限しているからです。 さらに「通常の労働が頻繁」も目安はあり、平成14年11月28日付基監発第1128001号「医療機関における休日及び夜間勤務の適正化の当面の対応について」に、

1か月における宿日直勤務中に救急患者に医療行為を行った日数が8日以上のもの。ただし、次のものは除外すること。

  1. 1か月における宿日直勤務中に救急患者に医療行為を行った日数が8日ないし10日である場合において、自主点検表4(6)の救急患者の対応に要した時間が最も多い日について勤務医及び看護師ともに3時間以内のもの
  2. 1か月における宿日直勤務中に救急患者に医療行為を行った日数が11日ないし15日である場合において、自主点検表4(6)の救急患者の対応に要した時間が最も多い日について勤務医及び看護師ともに2時間以内のもの
  3. 1か月における宿日直勤務中に救急患者に医療行為を行った日数が16日以上である場合において、自主点検表4(6)の救急患者の対応に要した時間が最も多い日について勤務医及び看護師ともに1時間以内のもの

ちいと煩雑なんで表にまとめ直してみると、

1ヶ月の救急対応日数 1日の対応時間の上限
7日以内 規定なし
8〜10日 3時間以内
11〜15日 2時間以内
16日以上 1時間以内


もっともこれはあくまでも目安であり、これに違反したといって直ちに宿日直許可を取り消されるわけではありませんが、たぶん是正勧告の目安ぐらいにはなるかとは推察します。

それと非常に細かい話なんですが、当直料には次の規定があります。

宿直料又は日直料は給与等(法第28条第1項に規定する給与等をいう。以下同じ。)に該当する。ただし、次のいずれかに該当する宿直料又は日直料を除き、その支給の基因となった勤務1回につき支給される金額(宿直又は日直の勤務をすることにより支給される食事の価額を除く。)のうち4,000円(宿直又は日直の勤務をすることにより支給される食事がある場合には、4,000円からその食事の価額を控除した残額)までの部分については、課税しないものとする。

法28条に関る通達にこんなものがあるそうです。かなり前に話題になった話ですが、当直が当直業務でなく通常勤務と見なされると課税されます。これは労基法41条3号の宿日直許可とまったく別の視点で国税庁が判断されます。つまり本当の意味での当直業務として寝当直を行えば当直料はこの通達により課税されませんが、そこそこ頑張って働けば課税対象になると言う事です。

さてさてこの2病院の当直はどうなっているのでしょうか。当直と言う名の交代勤務制なのか、それとも「医師に負担がかかりがちだという」当直と言う名の違法労働なのかは誠に興味深いところです。