えっと前回が2009.3.6です。こうやって見るとうちのブログも本当に長くやっていると思います。前回記事を読み直していて「懐かしい♪」としみじみと読み入ってしまいました。
簡単に3年半前のエントリーの内容を紹介しておくと。
- 医師会立の産科診療所が2009年2月にスタートした
- スタート時は76歳の院長と50〜70歳代の2人の産科医3人体制であった
- 始まって2週間で76歳の院長が電撃辞職された
医師会によると、雨森所長以外に常勤医が2人おり、診療に問題はないという。
さらにその後はどうなったかですが、2009.5.29付タブ紙に
タブ紙にはもう一つ情報があり、
今後は、常勤医師1人と非常勤医師3人で担当、大きな影響はないという。
2009年の2月にスタートして、半年どころか4ヶ月も経たないうちに3人いた常勤医が1人になってしまったわけで、先行きに懸念をもたれたる話題が飛び交っていました。でもって、この時以来「どうやら」常勤医1人体制で今に至るの様です。
第2章/計画事業の推進状況(PDF:810KB) - 鎌倉市は鎌倉市の事業計画だと思うのですが、市民健康課からの資料として、
年度 | 分娩数 | 外来・妊婦検診等 |
2009 | 235 | 5684 |
2010 | 322 | 7010 |
2011 | 314 | 6122 |
これは頑張っているんのではないでしょうか。ティアラかまくらは現在の高山所長も昭和46年医籍登録ですから60歳代半ば以降と推測されます。お姿は鎌倉市役所秘書広報課のFBの写真の左側の方と推測します。なかなか恰幅の良い先生ですが若いとは言えません。
ティアラ鎌倉も60歳代半ばの産科医1人による有床診療所です。1人でやっている個人医院の産科と同じぐらいとも言えます。そういう診療所では非常勤医師の応援をどこも入れています。そりゃそうで、そうでもしないと1人では、それこそ24時間365日縛り付けになるからです。そういう形態で、その昔有名になったのが尾鷲ですが、それでは長く続けるのは無理です。
こういうクラスの診療所が分娩数がどれぐらいで採算が取れるのかの経営感覚が分かり難いのですが、300分娩あれば取れそうな気がします。つうか300分娩でも採算が合わないとなると、400とか500分娩が採算ラインになってしまいます。それは幾らなんでもと思わないでもありません。当初はc/sもしない方針だったと思うのですが、
その他手術時には必要に応じて麻酔科医が立ち会います。
それでもそんなに高いリスクの分娩は扱っていないと思いますから、外野から見ると分娩数としては成功と感じます。
では経営を見てみます。これが大変なんですが参考にしたのは、
ここに出てくるのは平成22年度の決算状況になります。つまり3年間で最高の322分娩あった年度になります。会議録から数字を拾うのが面倒なのですが、おおよそは、平成22年度正味財産増減計算書等から | |||
事業活動収入 | |||
項目 | 金額 | 増減 | 備考 |
診療収入 | 244242364 | 61823952 | 保険収入、自費収入 |
補助金収入 | 44249000 | -33906000 | 市からの産科診療所運営補助金等 |
受託料 | 1072440 | 新規 | 新生児訪問事業等 |
諸収入 | 3688069 | 不明 | 受取利息等 |
繰入金 | 3929772 | 新規 | 市の一般会計より |
計 | 293862185 | 32623136 | * |
事業活動支出 | |||
管理費 | 104931077 | 不明 | * |
人件費 | 188931108 | 不明 | * |
計 | 293862185 | 31827369 | * |
解説を加えると産科診療所運営補助金と言うのが4424万9000円あるのですが、これは借地代1100万円、機器のリース代が4300万円あり、それに対する補助金だそうです。概算ですが8割ちょっとぐらい補助している事になります。それにしても借地代と機器リース代が前年度よりいきなり3400万円も減るのがチト謎ですが、これの解説は書いてありませんでした。
でもって繰入金が329万9722円あるのですが、これは赤字補填になるそうで、どうやらこの年度が初めてハッキリ赤字が出たようです。赤字の原因は当初計画の年間分娩数が360分娩だったようで、これが322分娩しかなかったのが最大の原因とまずなっています。どうもティアラかまくらの損益分岐点は360分娩であるようです。
もう少し見ると人件費も気になります。これが1億8893万1108円です。医療収入が2億4000万円ぐらいですから、バランス的にこれもチト高い気がしないでもありません。人件費が赤字要因に絡んだ可能性として、この年度の医師数が議事録にあがっています。微妙な表現なのですが、診療所長の言葉として、
今のところ常勤医師1人、非常勤医師4人で何とか体制が整っていますけれど、その非常勤医師が増えた分だけ赤字になっているわけで、それをどう考えるかですね。
どうも2010年度に非常勤医師が増えた気配があります。2010年度の終わり時点では非常勤医が4人ですが、年度の初めは3人ないしそれ以下であったあったようです。赤字額が330万円ぐらいですから、非常勤医師が1人増えたぐらいは考えられます。診療所長は赤字と非常勤医師数の関連を懸念していますが、個人的には人件費で気になる点があります。
助産師17人
助産師以外のスタッフ数がよくわからなかったのですが、年間300分娩クラスの診療所にしては豊富な助産師数と思います。別にたくさんいても構わないのですが、助産師数が増える事は何の問題にもしていないようなので、非常勤医師数と赤字の関連を心配しているのとのコントラストを若干感じた次第です。
2009年2月のスタート時点で初代所長の雨森医師とその他2人の常勤医がおられたのですが、雨森初代所長は2週間で電撃辞職されています。その後はどうなったかですが、2009.3.7タブ紙に
理事会では▽前田光士医師を所長代行とする
これは素直に代行から2代目所長になられたと見ます。2009年5月にさらにもう1人が辞職した後ですが、2011.3.18付タウンニュースより、
鎌倉市医師会はこのほど、市医師会立産科診療所ティアラかまくらの所長を、現前田光士医師から、鶴岡三知男医師(54)に交代することを発表した。
前田所長は2011年3月末にて顧問となり、2011年4月より鶴岡3代目所長になっている事が確認できます。前田所長は2011年末で68歳になっていたと推測されるため、勇退ではないかと私は見ます。この鶴岡所長ですが就任時54歳です。前田医師から鶴岡医師への交代はマスコミでも報じられているのですが、鶴岡医師は現在は所長ではありません。
現在の所長は4代目の高山医師です。年齢は60歳代半ば以上であるのは上記しましたが、鶴岡医師から高山医師への所長交代についての時期を報じた記事がありません。調べれる範囲なら、2012.5.31時点で「高山所長」の文字がみられます。確証はありませんが、素直に2012年4月で交代したのではないかと考えられます。
2代目所長の前田医師から3代目の鶴岡医師への交代は、年齢からすると不自然ではありません。定年はないにしろ「勇退」と見れます。しかし50代半ばの鶴岡医師が1年で辞められるのは理由があるはずです。理由について報じられているものは交代時期も含めてありません。鶴岡医師の年齢からして、経営者サイドとしては10年程度は活躍を期待されたと思うのですが、残念なところかと思います。
鶴岡医師から高山医師への所長交代ですが、去年の9月時点では非常勤医師4人体制です。この人数についてはとりあえず鶴岡所長はとくに不満を漏らされている形跡は議事録にはありません。むしろ非常勤医が3人から4人になった事が経営赤字の原因になった事を懸念されているぐらいです。ところが現在ですが、
医師は常勤産科医1名、非常勤産科医7名で診療を行っています。
この非常勤医7人体制がいつ出来たかですが、これがまた良くわかりません。言えるのは2011年9月以降であると言う事だけです。あくまでも憶測ですが、鶴岡2代目所長は2012年3月よりかなり早い時期に退職されたのではないかです。54歳の常勤医師の抜けた戦力の穴埋めのために非常勤医師を4人から7人に増やしたです。ここは後任の4代目所長である高山所長の年齢上・健康上の問題で増やす必要があったのかもしれません。
それと2011年9月時点の助産師は17人となっていますが、以前はどうであったかです。、2010.1.29付タウンニュースに、
スタッフは、所長の前田医師をはじめ、非常勤の矢内原敦・大塚純子・栗城亜具里の3医師、助産師10人と看護師3人、非常勤の助産師が3人、事務職員3人(他に非常勤2人)となっている。
2010年1月と言えば開院1周年ぐらいの時期ですが、この時期は常勤助産師が10人、非常勤助産師が3人となっています。そこから2年のうちに助産師が17人に増えたようです。まとめて表にして見ます。
Date | 常勤医数 | 経緯 |
2009.2 | 3人 | 開業、初代は雨森所長 |
2009.3 | 2人 | 所長が電撃辞職。前田氏代行から2代目所長に。 |
2009.5 | 1人 | スタッフ辞職 |
2011.3 | 1人 | 鶴岡3代目所長(就任時54歳)に。前田氏顧問に。 |
2012.5 | 1人 | 高山4代目所長(就任は2012年4月からと推測) |
かなりの入れ替わりで、これがたった3年半の間で起こっているのに驚かされます。
鎌倉市医師会と言っても人口17万人程度の都市の医師会です。開業医の医師会員ならどの程度の規模か容易に推測はつくと思います。少し説明を加えておくと、医師会は、
-
郡市医師会 → 都道府県医師会 → 日医
都道府県医師会ぐらいなら、手弁当でも「やりたい人」が主流になりますが、郡市医師会なら「回り持ち組」がかなりの割合を占めます。つまり時間もお手当も乏しい状況と言う事です。そういう状況で3年間で5人の常勤産科医を探し出す苦労と言うのは、並大抵のものではないと考えられます。実際のところティアラかまくらが出来て2週間で初代所長が電撃辞職して以来、診療所担当の医師会役員は常に産科医を探している状況に置かれていたとしても良いでしょう。
今だってそうで、4代目所長も「これから10年ぐらいは安泰」とはとても言えそうにありません。言い方は悪いですが、いつ辞職されても不思議でない状況です。ごく自然に後任問題は2〜3年程度で切実な問題になるのは確実です。できれば50歳代の前半、もう少し言えば40歳代の半ば程度の、10年は安泰の常勤医師が欲しいところです。そういう意味で3代目所長の早期辞職は痛かったと思っています。
医師会の相当の苦労で維持はされていますが、内実は悲鳴が上っていたとしてもなんら不思議とも思えません。医師会だからといって、そんなにポンポンとフルタイムで働ける産科医を掘り出し続けられる訳ではないからです。ティアラかまくらが医師会立になったのはかなり複雑な事情があったようですが、改めて「今後」についての問題が議題として燻っていそうな気がします。
正直なところ産科医を集めるのは苦労が多い割りには評価が低く、もしティアラかまくらの診療が中断しようものなら非難を浴びるのは確実です。いわゆる「出来て当然、あって当然」案件ですから、結構なお荷物のはずです。発足時に3人集めた時点では、ここまでの苦労になるとは予期していなかったかもしれませんが、今は非常に重いと思います。
まあ、産科医を集めるのに較べると助産師を集めるのは遥かに順調のようですから、ひょっとしたらそう遠くない将来に産科診療所から助産所に衣替えする選択が出てくるのかもしれません。医師会の診療所担当の役員の胃に穴が空きませんように。