愛と哀しみの体外受精

話題になっているようなので便乗します。8/31付河北新報より、

培養器事故で受精卵5個成育不能 弘前大を提訴 青森の夫婦

 担当医の過失による培養器の事故で受精卵5個が育たなかったとして、青森県弘前大病院(弘前市)で不妊治療を受けた青森市の夫婦が30日までに、弘前大に対し、受精卵から生まれる可能性があった子ども5人分の逸失利益や慰謝料など計1830万円の損害賠償を求める訴えを青森地裁弘前支部に起こした。

 訴状によると、同病院の担当医は2008年10月、原告夫婦の体外受精を実施。受精卵5個を培養器に入れたが、数日後に培養器の電源が切れる事故があり、受精卵の成育が不可能になったという。

 原告側は「担当医の過失で事故が起きた」と主張。受精卵の着床や出産のリスクを考慮した上で、受精卵から生まれる可能性があった子ども5人分の逸失利益を計400万円と算定した。損害賠償のほか、学長名での謝罪文と東北地区の産婦人科学会への事故報告を求めた。

 原告側は訴状で「5人の子どもを医療事故で亡くしたと感じ、大きな精神的ダメージを受けた。病院側の不誠実な対応でさらに傷つけられた」としている。

 病院側は「培養器の電源が切れたのは事実だが、弁護士と相談中で詳しくコメントできない」としている。

事件の概略は

  1. 体外受精のために卵子を採取し、受精卵を5つ作成した
  2. 受精卵を培養していたが培養器の電源が切れる事故があった
  3. 受精卵が使用できなくなり損害賠償を求めた
電源が切れた理由はアングラ情報ですが中間管理職様のところのコメントにあります。

設備工事で 電源を落としたため
って 小耳に挟んだですけど・・・
あくまでも 「小耳」でござんす。

あくまでもアングラ情報ですから、その程度でお取扱い願います。訴訟を起す自由は誰にでも認められていますので、原告が訴訟が起された事自体は問題ありません。どれほどの損害賠償を請求されたかですが、

  1. 受精卵から生まれる可能性があった子ども5人分の逸失利益や慰謝料など計1830万円
  2. 受精卵から生まれる可能性があった子ども5人分の逸失利益を計400万円と算定
慰謝料と逸失利益に大別されるようですが、どうやら
    400万円・・・・・逸失利益
    1430万円・・・・慰謝料その他
慰謝料の方が多いのですがその理由として、
    5人の子どもを医療事故で亡くしたと感じ、大きな精神的ダメージを受けた。病院側の不誠実な対応でさらに傷つけられた
なるほどの理由です。ここについて少しだけ触れようと思うのですが、その前に情報提供で弘前大のヒト体外受精胚移植法料は公表されています。

イ.卵採取 1回につき 30,100円
ロ.卵培養(体外授精) 1回につき 56,300円
ハ.卵培養(顕微授精) 1回につき 83,400円
ニ.卵培養(精巣精子顕微授精) 1回につき 112,000円
ホ.胚移植 1回につき 19,200円
ヘ.胚凍結 1回につき 29,700円
ト.凍結胚融解 1回につき 16,100円
チ.精子凍結 1回につき 17,200円


軽くググる限り民間医療機関の価格と較べるとお安いようです。そんな事はどうでも良いのですが、話は慰謝料です。慰謝料が必要な理由は「」付の訴状からの引用で記事になっており、
  1. 5人の子どもを医療事故で亡くしたと感じ、大きな精神的ダメージを受けた
  2. 病院側の不誠実な対応でさらに傷つけられた
あくまでも読む限りですが、どちらの方が主たる理由かと考えると、
    a. > b.
こう感じます。先に述べられている言うのもありますし、文章量が多いというのもあります。またb.の理由はあくまでも「さらに」となっており、a.の「大きな精神的ダメージ」があったところにb.の「不誠実な対応」が輪をかけたと解釈できます。つまりa.が主たる理由で、b.は従たる理由と考えます。

大きな精神的ダメージの大きさは「子どもが亡くなった」に匹敵するほどの衝撃であるとしています。それぐらい受精卵に深い愛情を寄せていたと考えて良さそうです。もちろんそういう愛情を寄せていても全く問題はありません。考え方としてまだ受精卵ですが、これが着床し順調に発育すれば、待ち望んでいた我が子になるからです。


それぐらい深い愛情を受精卵に傾けているのは理解できましたが、今回の受精卵は5個となっています。この受精卵がこの後どうなるかです。確か産婦人科学会のガイドラインだったと思いますが、体内に移植する受精卵は3個までだったはずです。・・・と思っていたらさらに厳しくなっているようで体外受精の後、移植できる受精卵(胚)の数は、

  • 35歳未満であれば1個のみ
  • 「女性が35歳以上」、もしくは「35歳未満でも、これまで2回の胚移植でも妊娠が成立しなかった場合、3回目より2個を許容する」
この決定は2008年4月12日となっていますから、事件の起こった2008年10月には周知されていると考えられます。

では残った受精卵はどうなるかと言えば、通常は凍結保存されます。受精卵を移植しても必ずしも着床しないため、その時に2度目以降の移植機会を残すためです。今回は5個ですが、これが10個以上である事もあるそうです。事件の舞台は弘前大ですから、ガイドラインは遵守すると思います。そうなると5個とも一度に移植するとは考えられず、残った3個ないし4個の受精卵は凍結保存される事になります。


それとあくまでも仮にですが、5個のうち最初に移植した受精卵が着床し、そのまま無事出産に至れば、凍結保存された受精卵は破棄される可能性が高いと考えます。ここは不妊治療に詳しく無いので言いきれないのですが、ごく常識的に考えて、次に凍結受精卵を使う機会は早くて出産後です。1年ぐらいはラクに経過することになりますから、長期保存の問題も出てきそうな気はします。

ひょっとして何年も凍結保存した受精卵を使う事もあるのかもしれませんが、年単位で保存期間が必要なら、新たに卵子を採取して、新たな受精卵で次の子どもを目指す様な気がします。ここは詳しくないのですが、3年とか4年の単位で凍結保存し、2度目以降の体外受精に臨まれるケースはよくあるんでしょうか。長期保存が可能で廃棄されなくとも、次の子どもを望まない限りは延々と凍結保存される事にはなります。


つまり移植に使われなかった受精卵の行方は、

  1. 凍結保存される
  2. 廃棄される
この2つの可能性があると言う事です。ここで原告が受精卵に傾ける愛情の問題が出てきます。電源トラブルで使えなくなった受精卵は「5人の子どもを医療事故で亡くした」と感じる訳ですから、同様に凍結保存されたり、廃棄されたものにも同様の感情を抱くに違いありません。どちらも我が子に等しい受精卵に向けられる行為ですから、心の痛みに差などあろうはずはありません。

我が子同様の愛情を注いでいる受精卵が凍結保存されると言う事は、

    生きたまま子どもが凍結されたと感じ、大きな精神的ダメージを受ける
こう感じるに違いないはずです。また廃棄された受精卵には、
    自分で子どもを殺したも同様と感じ、大きな精神的ダメージを受ける
どちらも「5人の子どもを医療事故で亡くした」に匹敵するほどの大きな精神的ダメージになります。なんでも金銭に換算するのは良くありませんが、5個で1430万円の心の痛みを感じている事になります。1430万円の中には「病院の不誠実な対応」で輪をかけた部分と「その他」が含まれていますので、1000万円ぐらいの心の痛みを感じているとした方がより近いとも考えられます。


ここまで考えるとちょっと不思議なんですが、受精卵の死が「子どもの死」に匹敵すると感じられる原告が、よく受精卵の凍結とか、ましてや廃棄する可能性のある体外受精に進まれたと思います。自分の子供を生きながら凍らせる虐待行為や、殺してしまう虐殺行為になるからです。そういう哀しみを凌駕するだけの価値があるとぐらいにしか言えないところです。

ただ価値では凌駕するだけで、哀しみを打ち消せません。自らが行なった受精卵への仕打ちへの罪悪感は、たとえ子どもが授かっても死ぬまで負わされる業として残るのでしょう。これまで体外受精については、その費用や母体への肉体的負担の辛さがよく話題になりましたが、受精卵の死が我が子の死に匹敵する大きな精神的ダメージとして蓄積されている事実は不勉強でした。

まさに愛と哀しみの体外受精である事がよくわかります。え〜と、なんの話でしたっけ。民事訴訟は誰でも起せますから、訴訟自体については判決が出てからまた考えましょう。