あんまりホメパチ協会の事を書くと「ネタ切れか!」みたいな批評が出るみたいです。これは間違っていない指摘で、ネタ切れかと言われれば、年中ネタに困っていますから、その批評は必ずしも的外れではありません。書くネタに溢れて選択に困るみたいな状況は年に何回もありませんからね。あえて弁明しておけば、ホメパチ問題を取り上げているのは「ネタ切れだけが理由でない」とぐらいはさせて頂きます。
それはともかくホメパチ批判が強くなればホメパチ支持者から反論はあるわけで、うちのようなブログにも支持者からのコメントが入ります。
ホメオパシーの現実について、日本を離れた情報も考慮したのでしょうか? イギリス、フランス、インドなどでは、とても普及しています。 日本学術会議で何と言おうと、私自身、娘、周囲の多くの人が、長年に亘って、それぞれ異なる病が、ホメオパシーでの治療で完治に至った事実は、事実ですから、否定できません。 また、数年前に、ホメオパシーの有効性を、科学的に証明したひとに、BBCが100万ドルの賞金を出す、というプログラムがあり、証明の内容、検証のプロセスが放映されたのを、インドで見ました。 結論は、どれも、科学的な証明になっていない、というものでした。 しかし、科学的な証明がなされていないからといって、病が治った事実は残ります。この説明もまた、フラシーボという言葉では説明できないことが、その番組で明らかにされていました。 私の知る限り、緊急を要する治療には、不向きのようです。
いずれにしても、ホメオパシーとは何かに関して、日本国内だけでなく、世界ではどうなっているかも客観的に検証した上で、論理的結論にいたるべきではないでしょうか? 日本学術会議の声明は、ホメオパシーが長年に亘り、広く普及している国に人からみれば、科学的態度とは思えないといっても、過言ではないでしょう。 「荒唐無稽」というためには、その科学的証明も必要なのではありませんか?
このコメントについて直接論評する必要はないでしょう。注目して欲しいのはその論法です。あまり気持ちの良い作業ではありませんでしたが、狭い範囲ですがホメパチ支持者の反論を読んでみました。私が確認する限りどれもほぼ同じで、そういう反論の集大成みたいなものがホメパチ協会の反論です。つまりホメパチ支持者の主張はどれも同工異曲であると言う事です。
これにはホメパチ批判だって同工異曲ではないかの指摘は出てくると思います。確かにそういう面はありますが、ホメパチ論争のおもしろさは議論が積みあがらないところです。批判に対し反論があって然るべしですが、反論に対して再反論が成立しない関係です。ホメパチ論争の基本構造は、
-
ホメパチ批判 → ホメパチ反論 → 同じ内容のホメパチ批判 → 同じ内容のホメパチ反論(以下ループ)
ホメパチ支持者の数はホメパチ協会によると数十万人となっていますが、数十万人もいればホメパチ協会と違うスタンスの反論がもっと出てきても良いとは思うのですが、これが殆んど出てきません。探し回ればゼロではないと思いますが、容易には探し出せない状態です。今日は推理遊戯ですから推論を大胆に進めますが、ホメパチ支持者は同じ思考様式を持っていると考えられます。
思考様式が同じですから同じ批判に対して同じ反論がどこでも行なわれ、同じ反論への再反論も元の批判を繰り返せば話が事足りる現象が起こっていると分析します。それでもって反論の質ですが、ホメパチに好意を持っていない者(はっきり批判者としてもよいでしょう)であっても、
-
こんな内容なら黙っておく方が100万倍マシ
この問題を考えている時に思いついたのが、以前に取り上げた権威主義の末期症状です。権威主義の末期的徴候は全部で14項目あるのですが、私が見るところ9項目は確実に該当しそうです。残りの5項目は該当しないのではなく、内部事情が判らないになります。ですから私はホメパチ協会が権威主義の末期症状に陥っていると考えます。
その14項目の権威主義の末期的徴候のうちとくに注目したいのは、
集団ナルシズム
ナルシズムとは、実情と乖離するほど肯定的な信念を、自分自身に対して抱いている状態を指す。組織というものは通常いくらかのナルシズムを持っているものだが、権威主義が強くなると、それが大きく実情と乖離した状態になる。
ナルシズムは組織であれば大なり小なりあります。良いほうに出れば連帯感とか、団結力と評されるのですが、どうしても実情と信念の乖離を起します。卑近な例を出すと低迷期の阪神を応援したファンは、冷静な戦力分析では絶対に優勝できないのはわかっているのに、「なんで巨人に勝てないんや」と嘆く心情みたいなものです。もっとも当時の阪神ファンはこれも突き抜けて自虐ギャグの世界に突っ走りましたけどね。
阪神ファンの事はさておき、権威主義の末期症状にある組織の集団ナルシズムの特徴は、実情と遥かに乖離した自分の信念を「絶対に正しい」と信じ込む事です。権威主義の末期症状の組織では、集団ナルシズムに「教条吟味の禁忌化」が加わっていますから、自己批判能力は消滅し、組織の権威者の言葉に何の疑いもなく熱狂する状態になります。
ホメパチ協会の反論の質は上述しましたが、その内容の余りの酷さに、
-
あれは外部からの批判をねじ伏せようとしているのではなく、外部からの批判で動揺する内部組織へのアピールである
権威主義の末期症状のホメパチ協会内部には相互批判も内部批判も存在しません。あるのは権威者に対する盲従だけです。さらに言えば盲従している意識さえ消滅します。そういう状態でも権威者だけでも醒めていればまだ救いはあるのですが、権威者が先頭になって集団ナルシズムの中に埋もれている状態です。そういう状態で出てくるコメントは、教条主義のゴチゴチで、なおかつ批判には耳を傾ける余地がないものにしかなりません。
つまり一連のホメパチ協会の反論は上から下まで、
-
我々の主張が最終真理である
理解が出来たところで問題は一向に解消しないのですが、権威主義の末期状態に陥った組織はある意味強固です。過度の集団ナルシズムによって強い求心心と団結力があり、外部からの批判はそもそも受け付けず、内部からの批判も起こり様がありません。今回のようなホメパチ批判も仏教用語で言う「法難」ぐらいの捉え方になり、さらなる集団ナルシズムの強化に進みます。
ちなみに権威主義の末期症状に陥った組織がどうなるかの解説もあるのですが、
■権威主義的風土と人格の相互選択権威主義が強くなると風土と人格の相互選択が起こり、やがて構造化する。権威主義的風土のもとでは、権威主義の強い人が力をふるい、そうでない人が失脚したり、自らよそへ異動したりすることになる。そうすると、組織の中で権威主義的な人の比率が高くなり、かつ意思決定的地位に多く就くようになるので、ものごとの進め方や風土がますます権威主義的になる。このように悪循環が生じるようになり、この風土が根づいた権威主義社会は自己修正機能を失う ので、外部からの力によって破局が訪れない限り止まらなくなってしまう。
内部の結束は非常に強固ですから、
-
外部からの力によって破局が訪れない限り止まらなくなってしまう
外部からの圧力により潰すのは言うほど容易ではありませんから、当面は封じ込め(隔離)がベターな選択になると考えるのが妥当です。少々の外部の力では潰せないのはオウムの例を見ればよくわかります。オウムには相当な外部の力が作用しましたが、それでも未だに生き残っています。小さくはなりましたが、今でも活動は続いています。
現在はホメパチ協会が批判の矢面に立っていますが、ホメパチ協会以外のホメパチ団体も本質は同じです。もちろん医師が参加しているホメパチ団体も同じです。今回ばかりは日本学術会議とそれに速やかに同調した有力団体の行動を good job とすべきでしょう。