言うまでもなく私は開業医であって、いわゆるA会員です。A会員って何かになりますが正会員ぐらいのイメージでよろしいかと思います。医療問題で日医の果たす役割がしばしば論議にあがりますが、医師会員でもよく分からない医師会の事を少し触れてみます。お世辞にも熱心な会員と言えませんので、はっきり言って分からない事だらけなんですが、その辺は知識のある方にfollow頂ければと思います。
まずまず「医師会=日医」と思われている方が多いと思いますが、半分正解で半分まちがいです。これは医師会の組織構成がちょっと複雑なためです。一般に医師会のピラミッド構造は、
日本医師会がピラミッドの頂点にいて、その下に都道府県医師会、市町村医師会があると思われていますし、実質もそんな感じです。ところが都道府県医師会は日本医師会の都道府県支部ではありません。また市町村医師会も都道府県医師会の支部でもありません。それぞれの医師会は独立した法人になっています。つまりは別の団体です。ではバラバラの団体かと言えばそうでもありません。実質はピラミッド構造が厳然としてあります。これだけの説明で分かれば大したものですが、実は医師会員が日本医師会、都道府県医師会、市町村医師会に同時加入(例外はあり)する事で組織の一体化を行なっていると言えばわかりやすいかと思います。ですから私は日本医師会にも、都道府県医師会にも、市町村医師会にも別々に会費を払っています。つまり医師会員と言っても3つの医師会に所属している形になります。なぜこんな不思議な形態になったのかはよくわかりません。
殆んどの医師会員が実質的に関係があるのは市町村医師会です。市町村医師会レベルでは結構地道な活動を行なっています。検診事業に従事したり、健康講座を定期的に開催したり、救急診療所を維持したりも実質市町村医師会レベルのお仕事です。もちろん会員同士の親睦会を開いたり、医療情報の伝達や、医師のための勉強会なんかも手広く行なっています。
実は私もここまでしか実際は知りません。市町村医師会の上の都道府県医師会にどういう人間が出席し、どういう活動をしているかなんて実感レベルでは何も知りません。私が不熱心なせいもありますが、県医師会館にさえ2回しか行った事はありません。ですからあくまでもどこかで聞いたレベルのお話と思ってください。
医師会員でも医師会活動に積極的な方と、そうでない方がおられます。積極的な方の中で役職に執着とは言い過ぎになりますが、医政に強い関心を持たれる方がおられます。そういう医師会活動に積極的な方が、まず市町村医師会で実績を積み(役員を務めると言うこと)、どうも推薦されて都道府県医師会に参加するようになる「らしい」です。どういう基準で都道府県医師会に列席できるようになるかはよく知りません。
後は同じで都道府県医師会で実績を積み上げて日医に列席する寸法のようです。日医となると本当にトンと分からないのですが、ここでも実績を重ねれば中枢たる執行部に名を連ねるみたいな感じでしょうか。このステップを登りつめるには長い年月が必要で、経歴を調べやすい日医会長で見てみると、まず唐澤祥人氏、
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1969年1月 東京都墨田区立川に唐澤医院開設
1974年4月 墨田区医師会理事
1986年4月 墨田区医師会副会長
1992年4月 墨田区医師会会長
1994年4月 日本医師会予備代議員
1994年6月 東京都医師会監事
1995年4月 東京都医師会理事
1998年6月 東京都医師会副会長
2000年3月 日本医師会代議員
2000年4月 日本医師会監事
2003年4月 東京都医師会会長
2004年4月 日本医師会理事
2006年4月 日本医師会会長
では唐澤会長の先代の植松治雄氏の場合は、
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1965年 大阪市南区に診療所を開設
1970年 堺市北区中百舌鳥に植松医院を開設
1984年 堺市医師会会長になる
1990年 この年から2004年3月まで大阪府医師会会長を務める
1992年 日本医師会医療政策会議副議長に就く
2004年 日本医師会会長
その前の坪井栄孝氏は情報がないので、その前の村瀬敏郎氏を見ると、
日医執行部までが34年、会長までが42年です。羽田春兔氏も情報がないので花岡堅而氏を見ると、市町村医師会長まで15年、都道府県医師会長まで21年、日医会長まで27年です。日医の中枢入りはあくまでも経歴からの推定ですが、まとめると名前 | 市町村医師会長 | 都道府県医師会長 | 日医執行部(推定) | 日医会長 |
唐澤祥人 | 23年 | 34年 | 31年 | 37年 |
植松治雄 | 19年 | 25年 | 27年 | 39年 |
村瀬敏郎 | 不明 | 不明 | 34年 | 42年 |
花岡堅而 | 15年 | 21年 | 不明 | 27年 |
半端な道のりでない事がお分かり頂けたでしょうか。ここまで医師会活動に汗を流し実績を積み上げないと日医中枢に名を連ね、ましてや会長になる事は出来無いという事です。ちなみに医師会入会から日医執行部(推定)まで平均で30.7年、会長就任までが36.3年です。私が日医改革を志しても、それなりの地位に就くまでに、生命寿命との競争に勝たなければならなくなります。とりあえずと言うか、最初のステップである市町村医師会長になるだけで相当な年月が必要な事がよく分かります。
それと日医でよく分からないものに日医代議員なるものがあります。日医代議員の投票で日医会長が選出されるのですが、日医代議員の選出選挙は個人的に聞いた事がありません。もちろん学会などの推薦議員が含まれていても構わないのですが、探し回ってやっとあった情報が、
会員は923の郡市医師会のいづれかに属しており,これらにより47の都道府県医師会が組織されている。日本医師会はこれら会員500名当たりに対し 1名の割合で選出される代議員よりなる代議員会で意志決定が行われる。
どうやら日医代議員は都道府県医師会選出「??」のようです。あくまでも推測ですが、会員500名といえば市町村医師会なら30万人ぐらいの都市でないと市町村医師会単独では無理になります。30万人規模の市町村医師会なら代議員枠を持っているかもしれませんが、それ以外は都道府県医師会が選出していると考える方が妥当な気がします。さらに言えば長年の慣習で半世襲的に引き継いでいる可能性もありますし、実際そうであるところも聞いています。
結局のところ医師会員であっても、どういう選出過程で選ばれているのかサッパリわかりません。サッパリ選出過程がわからない代議員が委任され、これが日医会長を選出するようです。すご〜く民主的なシステムで感嘆しています。日医会長の直接選挙論が出るのも良く分かりますし、一方でそれに反対する勢力も強固であろう事は容易に推測されます。どう見ても日医代議員になるのも重要な昇進ステップの一つですからね。
せめてアメリカ大統領選のように都道府県別の投票によって、所属する代議員を投票者数により割り振るとか、総取りするとかのシステムに変らないかと思うのですが、でもそんな事は、当分と言うか、私の生きている間には変るとは思えないところがあります。見ての通りガッチリと年功序列システムが築き上げられ、「改革派」みたいなものが飛び出ないようになっていると感じられますし、要所要所で「推薦」というチェック機構があり「変な奴」は淘汰されていくとも考えられます。
そうそう医師会が公益法人になって組織改革が行われるのではないかとの観測も一部にあるようですが、内部から見るとほとんど何の変化と言うか、動きもありません。間違っても組織内が公益法人になる事によって動揺している様子はありません。あくまでも個人的な観測ですが、囁かれている懸念点については内部的にはクリアしていると考えられます。