GBMの時代

3/1付読売新聞より、

事故負傷男性死亡、病院に1100万円賠償命令

 交通事故で負傷した京都市の男性(当時57歳)が搬送先の京都医療センター京都市伏見区)で死亡したのはセンターが適切な処置を怠ったためとして、妻ら遺族3人が、センターを運営する国立病院機構(東京都)に約7600万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が29日、京都地裁であった。井戸謙一裁判長は「手術が遅れていなければ、生存できる可能性があった」として同機構に1100万円の支払いを命じた。

 判決によると、男性は2005年2月21日、上り坂でトラックと別の車に挟まれ、同センターに搬送された。翌日朝、外傷による心臓の異常が見つかり、手術を受けたが、10日後に死亡した。

 井戸裁判長は判決で、異常が判明した約1時間後に男性がショック状態になったのに、人工呼吸などに手間取って手術開始まで約30分かかったと指摘し、「ショック状態になった際、何よりも優先して手術するべきだった」と述べた。

 同センターの村田庄司事務部長は「判決内容を確認し、今後の対応を決めたい」としている。

記事情報だけで云々するのは問題があるのですが、判決文が公開されるかどうかは運次第ですから、この記事から情報を拾います。事件の発端は交通事故です。

上り坂でトラックと別の車に挟まれ

どうやら多重衝突で間に挟まれたようです。被害者の京都市の男性(当時57歳)はお気の毒としか言い様がありません。当然のように病院に搬送されていますが、

翌日朝、外傷による心臓の異常が見つかり

どうも搬送直後には致命的な傷害が見つからず経過観察になっていたようです。それが事故翌日になって「心臓に異常」が見つかったとなっています。見つかったのは翌日検査らしく

異常が判明した約1時間後に男性がショック状態

少なくともなんらかの画像検査で心臓に異常が見つかってからショック状態に陥るまで「約1時間」あった事がわかります。ここからの判決文が果たして原文をどれだけ正確に反映したのか疑問を持たれている個所ですが、記事では、

ショック状態になった際、何よりも優先して手術するべきだった

ショック状態になってから手術までの時間も記事に書かれており、

人工呼吸などに手間取って手術開始まで約30分かかったと指摘

仮に記事を信用するなら症状の経過は、

  1. 検査で心臓に異常を発見
  2. 発見1時間後にショック状態となる
  3. ショック治療に30分
  4. 手術
あくまでも記事内容からですが、心臓に異常を発見してからショック状態になる約1時間については問題は書かれていません。あくまでもショックが起こってから手術までの時間が30分必要であった事を問題にしているようです。本当に事実認定がそうであったかどうかですが、2/29付京都新聞も引用して見ます。

搬送後死亡、1100万支払い命令 京都地裁

 交通事故で救急搬送され、国立病院機構京都医療センター京都市伏見区)で治療を受けた男性=当時(57)=が死亡したのは、医師が適切な治療を怠ったためとして、同市の遺族が同機構に約7600万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が29日、京都地裁であった。井戸謙一裁判長は医師の処置が遅れた過失を認定し、「死亡との因果関係はないが、死亡時になお生存していた可能性を奪った」として約1100万円の支払いを命じた。

 判決によると、男性は2005年2月に交通事故で京都医療センターに搬送され、外傷による心臓の循環異常のため、10日後に死亡した。

 遺族は、搬送後の早い段階で心臓にたまった血液を取り除く義務があったと主張したが、判決は「ショック状態になった時点」で義務が生じたとし、約30分措置が遅れた過失を認めた。井戸裁判長は「過失がなくても救命の可能性が高いとは言えないが、延命で日常生活に復帰できた可能性もある」とした。

 京都医療センターの村田庄司事務部長は「判決内容を確認し、対応を決めたい」としている。

ここでは読売記事よりもう少し具体的に注意責任義務が書かれており、

判決は「ショック状態になった時点」で義務が生じたとし

さらに

遺族は、搬送後の早い段階で心臓にたまった血液を取り除く義務があったと主張したが

やはり遺族側は早期発見の遅れやショックの1時間前からの手術を主張したと推測されますが、それを退けてショック発生時からの手術の遅れを注意責任義務として認定したと考えて良さそうです。

ここで遅れと言っても「30分」です。記事にある「心臓に血がたまる」は心タンポナーゼかと考えますが、救命救急センターと言えども「30分」で手術できたら遅くないと思いますし、これ以上の短縮となると20分とか15分と言う単位で手術が必要となります。まさか5分でせよと命じているのでしょうか、しかもショック状態の患者をです。

ここまで来るとJBMはもう時代遅れと感じざるを得ません。JBMレベルなら患者に不利益があろうと手出しをしない、あるいは逆に過剰な検査で訴訟から身を守ろうという基準でしたが、今回のようなケースになるとそんな生温い対応では対処できません。時代は超JBMに突入したと考えて良さそうです。すなわち、

JBM時代でも司法の要求は「神の領域」だの批判がありましたが、GBM時代になると神そのものである事が要求されます。その神も人間臭い八百万の神々がいる世界ではなく、一神教絶対神のような完全無欠、無謬の存在です。神の御手の業ならば人間からは奇跡と見える事も日常茶飯事であり、そもそもミスなるものが前提として存在しなくなります。

問題はそんな医師がどれだけいるのか、いやそもそも世界に存在するかの問題になります。もし一人でも存在していても、すべての傷害や病に対して対応できるのかは疑問です。私の知る限り神そのものの医師は一人も知り合いにいません。