ツーリング日和18(第23話)正当防衛

 マナさんが東京に出てきてくれて健一も安心したみたい。だってだよ医者の診立ては全治三か月なんだよ。ここで養生しないでいつするの。強がってる健一だって腹の傷口をあんなに痛そうにしてるじゃないの。

 一通り挨拶みたいなお見舞いは済んだのだけど、次にあったのは警察の事情聴取だった。そんなもの済んでるって思ったけど、あの時は健一も負傷直後だったし、処置とかもあって聞き足りないところがあったぐらいかな。

 どうも問題になっているのはドスの兆次の状態らしい。いまだにICUで生死の境をさまよってるとか。アリスに言わせれば健一の渾身の一撃を喰らって生きてる方が不思議なぐらいだけど、これが過剰防衛になるかどうかの話らしい。

 ここの刑法の大原則として、いかなる理由であれ他人を傷つけたら罪に問われるってのがあるみたいなんだ。そうなれば喧嘩に巻き込まれてもやられっぱなしなるしかないのが正しいになってしまう。

 だから身を護るための反撃は正当防衛だとして免責されるぐらいの関係の理解で良さそうだ。だけどね、正当防衛の適用はアリスが思っているのよりかなり狭そうなのよ。今回で言えばドスの兆次のあれだけの重傷が正当防衛の範囲に収まるかどうかの問題になってるぐらいみたいだ。刑法では、

『急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない』

 こうなってるんだけど実運用上は、

 ・不正の侵害であるかどうか
 ・急迫性があるかどうか
 ・防衛行為の必要性があるかどうか
 ・防衛行為の相当性があるかどうか
 ・防衛の意思があったかどうか

 この五つの条件を満たすかどうかなんだって。砂を噛むような法律の文章だけど、不正の侵害とは生命、身体、財産などに対する加害行為になるそうだけど、健一の場合はドスの兆次に問答無用で斬りかかれるから問題などあり得るはずがない。

 急迫性は不正の侵害が現在進行形で進んでいることになるのだけど、あれだけドスで切り捲られ、最後は腹まで刺されてるのだから、これ以上の現在進行形なんてあるものか。どれだけの傷を負わされたかなんて見ればわかるだろう。

 ここからがややこしいのだけど、残りの三つが正当防衛の成立ではいつも問題になるで良さそうだ、ここで難解なのが防衛の意思だ。ドスを持った狂人に襲われたら誰だって防衛するのは当たり前だと思うけど、ここでの防衛の意味が少し違うみたい。

 正当防衛での防衛って、そうだな自衛隊みたいな感じの気がする。相手が攻撃してきても必要最小限の反撃しか認められないの意味合いで間違っていないと思う。たとえば、争っているうちに形勢が有利になってかさにかかって反撃したりすれば、それはもう防衛じゃなくって攻撃とされるぐらい。

 じゃあ、そういう場合はどうすれば良いかだけど、態勢が有利になってるのだから逃げるのが正解なんだって。そんなこと言われたって、こういう時は頭に血が昇ってるはずだから、そんな冷静な判断なんて出来るはずがないと思うけど、それが法律みたいだ。

 健一でとくに問題になっているのは防衛行為の相当性で良さそうだ。ここの解釈の原則として、受けた攻撃を上回る防衛、つまり反撃を行えば過剰防衛に相当するらしいんだよ。結果だけ言えばドスの兆次は半死半生状態で、健一は傷を負ったとは言えあれぐらいだ。

 アリスも説明されてなんとか理解した程度だけど、ごく単純にはドスの兆次に負わされた傷より、健一の一撃の方が大きすぎるから過剰防衛の疑いが残るぐらいで良さそうだ。でもさぁ、でもさぁだよ、

 そんなもの究極の結果論みたいなものじゃない。兆次は健一を切り裂いただけでなく、腹を刺してるんだよ。あれがあの程度で済んだのは健一の鋼鉄の筋肉のお陰じゃない、あんなもの常人どころか、筋肉お化けとか、筋肉達磨と言われる人でも出来るものじゃない。普通ならあれで健一は死んでたんだ。

 それでも法律は結果論が重いみたいだ。刺されてもあれぐらいで終わってるから、反撃するにしてももっと手加減を考えるべきとかみたいになるみたい。そこだって、相手はドスをもって殺しに来てるんじゃない。それに健一は素手だ。ここまでハンデがあるのにそこまであの状態で配慮しろって言うのかよ。

 こっちだって氷室社長が派遣してくれた弁護士が頑張ってくれたけど、あそこまでされても、ここまで揉めるのには驚いた。もっとも警察だって健一に罪を被せたいわけじゃなさそうな気はする。

 そりゃ、相手は裏社会、つまりは反社の人間であり、警察でも常にマークしていた要注意人物だ。そんな人間が会社員である健一をドスで突然襲いかかっているものね。それでも筋は通しておくのが警察の仕事だって弁護士の先生も言ってた。

 それでどうなるかだけど、送検はされるって聞かされてアリスはビックリした。それってゴリゴリの容疑者扱いじゃない。このままなら、裁判されて、刑務所に健一は放り込まれてしまうじゃないの。

 この時のアリスの剣幕は凄かったみたいだけど、弁護士さんは順を追って説明してくれた。まず説明されたのが警察が捜査に従事する意味だった。そんなもの悪いことをした人がいるから警察が捜査するだけじゃないのかって言ったんだけど、

『警察が公式に捜査すれば、それはすべて検察に送られます』

 ここを理解するのが大変だったのだけど、警察は捜査をするけど、罪の有無の判断はしないそう。それをするのが検察で分業制になってるで良いみたい。ここも警察が正式の捜査に当たるのは犯罪の可能性が高いからだけど、

『ですが本当に犯罪があったのか、容疑者が犯人であるかの判断は警察ではなく検察の担当になります』

 健一のケースならまず傷害罪は成立してるのか。そりゃ、そうだよ全治三か月の重傷だぞ。

『加害者がドスの兆次であり、被害者が徳永様であるのも疑いの余地はないでしょう』

 当たり前だ。平和で善良な一般人がドスを持った狂人に突然襲われたんだぞ。でもそうなるとドスの兆次は生きて退院できたとしても、

『おそらく余罪も多いでしょうから収監は免れ得ないかと』

 やったぁ、これこそ因果応報だ。死ぬまで臭い飯を食ってやがれ。問題は健一の反撃も傷害罪に該当するのが法律なんだよね。だから送検になるのはなんとか理解したけど、

『徳永様の傷害罪を免責に出来るのが正当防衛になり、そうであるかどうかの判断は検察に委ねられます』

 ここも本当は検察だって罪の可能性の有無を判断できるだけで、罪の有無を決めるのは裁判所になる。だけど日本の検察は有罪になるものだけを厳選して起訴するみたいで、実質的に裁判でひっくり返すのは難しいそうだ。問題は健一がどうなるかだけど、

『検察もこの条件での起訴の可能性はまずないと見ております。どう見ても公判の維持は容易ではありません』

 そうなれ健一は無罪放免だ。

『嫌疑不十分が落としどころじゃないでしょうか』

 検察が不起訴にする理由は三つだそうで、

 ・嫌疑なし
 ・嫌疑不十分
 ・起訴猶予

 どれであっても裁判にならず前科にもならないのだけど、最後の起訴猶予なんてお情けとしか思えないよ。字面を見ただけで本当は犯人だの臭いがぷんぷんするじゃないか。嫌疑不十分だって字面だけでもすっきりしないな。

『正当防衛の判断はかなり難しいもので明確なシロクロを付けにくい事案でございます。ですから徳永様でも嫌疑なしにするのは躊躇われると予想しております』

 わかったようなわからないような説明だったけど、健一が逮捕されて刑務所に叩き込まれる可能性は無いと見て良さそうだ。それにしてもこんな簡単そうな話でもこれだけ手間がかけられるのに驚いた。

『それが法治国家です』

 そうだと昔学校で習った気がするけど、こうやって実際に関わると鬱陶しい存在だな。こんなもの素人が少々頑張ってもどうにもならないよ。

『だからこそ、それを手助けさせて頂く我々が存在します』

 実はって程じゃないけど、健一の事件についてかなり弁護士の先生に食い下がって聞いたんだ。健一のことがとにかく心配だったのが一番の理由だけど、法廷物とか、弁護士物のドラマって周期的に作られるじゃない。

 だからチャンスと思って聞いたんだ。なかなかの収穫だった。ついでじゃないけど、医療物もそうだから主治医の先生とか、その下にいた若そうな、なんて言ってたっけ、そうだ、そうだ研修医にもあれこれ聞きまくったよ。まずまずの収穫に満足してる。