ツーリング日和18(第22話)社長

 なんとか入院中の健一に会えたけど、さすがに泊まり込みをするほど重症じゃないからビジホに行った。病院から程近いところだったけど、ここまで手配がされているのに驚くしかなかった。

 健一の入院は夕方だったし、傷の処置もかなり時間がかかったみたい。そりゃ、あれだけ切られてるし、腹はドスで刺されてるんだよ。生きてるのが不思議なぐらいだし、本来ならICUで懸命の救命作業が行われていたって不思議無いはずだ。

 翌日も面会に行ったのだけど、健一の負傷を聞きつけてお見舞いが続々と押し寄せてきた。クライアントだとか、仕事でつながりがある人とかだ。その中でも現場代表で来た人が見てられないぐらいだった。病室に入るや否や土下座したんだもの。

『オレたちが不甲斐ないばっかりに専務が・・・』

 そこまで言ったら後はひたすら男泣きだったもの。健一はずっと現場担当だけど、職人育成に心血を注いでいたのは知ってる。技術だけでなく、礼儀作法、生活態度まで一人前の社会人としてどこに出しても恥ずかしないように手取り足取りで育て上げていたんだ。

 職人たちだって色々いるから、やんちゃしたり、さぼったりするのもいたらしいけど、健一は誰も見捨てず粘り強く育成してたんだよね。そこまでしてもらって育てられた職人たちがどれだけ健一を慕っていることか。

 若い子なんて自分の親より尊敬するって当たり前のように口にするぐらいなんだ。そんな健一が大怪我を負わされて入院になってしまったから、まるでその責任がすべて自分たちにあるとしているみたいな勢いだったんだよ。

 健一が職人たちに慕われてるのは知ってたけど、ここまでとはちょっとビックリした。そんな現場代表の人が帰った後ぐらいだったけど、

「徳永、遅くなってすまない。元気そうでなによりだ」
「な~にかすり傷だよ。入院なんて大げさだ」

 どこがだ。でもこのタメ口を叩く人物は誰だと思ったら神戸アート工房の社長さんだった。初めて会うかも。神戸アート工房は健一の仲間たちが立ち上げた会社だけど、その中で社長になり事務部分を統括しているのが、

「社長をやらせてもらっている氷室淳司です」

 健一とは親友だそうで、会社を設立した時に健一が半ば強引に引きずり込んだとか。それまで氷室社長は普通の会社員だったそうだけど、健一の懇願に負けて参加したぐらい。だからその時から社長で今も社長だ。

 もちろん無能じゃない。大学だって港都大卒業だ。それより何より現場バカのところがある健一を裏方としてしっかり支え、今の神戸アート工房の発展を築き上げた人物らしい。あれかな、本田宗一郎と藤沢武夫のコンビみたいなものかもしれない。

 氷室社長が面会に来たのは健一の負傷を心配したのはもちろんだけど、現場の大黒柱であり、トラブルに対する守護神みたいな健一が抜けた穴をどうするかの相談もありそうだ。

「明日にも退院して現場に戻るよ」

 出来るか! 健一の負傷は致命傷ではないけど、健一が思うほどの軽傷でもない。とくに腹を刺されたのは要注意だって先生も言っていた。先生はこの手の外傷の専門家で有名な人みたいだけど、

『こんなのを初めて見ました』

 先生が言うにはドスが刺された角度は完璧だったそうで、

『ましてや相手はドスの兆次でしょう』

 さすがは専門家で相手のことも知っていた。

『こんな事が人の体であり得るなんて・・・』

 先生が言うには、これで腹の中まで突き刺さらないのはあり得ないとしてた。兆次は腰だめで刺していたらしいけど、

『通常は腹の奥まで突き刺され、そこから切り上げて致命傷にします』

 そういう手腕が卓越してるから裏社会でドスの兆次と怖れられ、伝説とまでされてるはずだよね。だけど兆次のドスは健一の腹筋に止められてしまっただけでなく、ガッチリ捕まえられ抜けなくなってしまったのは本当みたいだ。

『よく鍛え上げられた筋肉を鋼鉄に例えたりしますが、まさに鋼鉄の鎧のようなものです』

 他の切り傷もそうで、そりゃ、切られてるけど健一の筋肉に阻まれて深い傷口になっていないとか。どんだけ化け物じみてるのか呆れたよ。それでもしばらくは入院治療が必要としてた。そんなもの当たり前じゃない。

「徳永、この際だからゆっくり養生しろ。お前は働きすぎだ」
「そう言うが現場は待ってくれないぞ」

 ここのところ東京の現場では半グレとかの妨害工作が多かったから心配する気持ちはわかるけど、ここにアリスがいる限り勝手に退院なんかさせるものか。

「だから万全の対策を取る」
「そうは言うが氷室は動けないぞ」

 社長だものね。というかさ、健一の代わりなんて誰が出来るって言うのだよ、だからと言って現場復帰なんてさせないけど。

「東京はマナに頑張ってもらう」
「それは悪いよ。そりゃ、マナさんが来てくれれば申し分はないけど」

 誰だそいつ。名前からして女だけど、女が健一の代役なんて出来るはずがないだろ。

「これはマナも了承済みだ。ボクだって後悔してるんだ。もっと早くマナに東京に出てもらうべきだった。マナがいれば徳永もこんな傷を負わずに済んだじゃないか」
「それはそうだが、マナさんじゃ相手が可哀想だ。とにかく容赦ないからな」
「そこのところは良く言ってあるから安心してくれ」

 なんだ、なんだこの二人の会話は。どう聞いたって女であるマナさんとやらが健一より強いって言うのかよ。女でそこまで頼りにされるってどんな奴だ。それこそヒグマどころか灰色熊みたいな女だろうな。そんな事を思っていたら、

「遅れてごめん。ジュンたらお見舞いに行くというのに手土産一つ用意してないのに呆れた。いくら親しき仲でも礼儀ありや」

 大きな果物籠を置いたのだけど

「あんたが徳永君のフィアンセか。そりゃ、死ぬほど心配したやろ。ほいでも東京にウチが来たからには大船に乗ったつもりでエエで」

 えっと。えっと、この女性がさっきから話題に上がってる、

「氷室の妻の真夏です。マナって呼んでな」

 ウソでしょ、冗談でしょ。こんな可愛い女性が超人ハルクの健一の代わりなんて出来る訳ないじゃないの。

「徳永君の武術嫌いも困ったもんや。そやから、たかがドス振り回すだけのヤクザごときに怪我するんよ」
「面目ない」

 信じられない話だけど、マナさんならドスの兆次でも、

「あんなドスしか能の無い男に指一本触れさすかいな」

 話を聞くと実戦空手を習ったことがあるみたいだけど・・波濤館流って、あの波濤館流だって言うの。実戦空手といえば極真空手が有名だけど、波濤館流となるとまさにゴチゴチの実戦空手なんだよね。

 ゴチゴチ過ぎて他流派との交流試合すら存在せず、試合となれば他流試合の果し合いになるのは有名すぎる話だ。果し合いも半端なものじゃなく、それこそなんでもありの殺し合いになるとか。

「当たり前や、実戦には卑怯も禁じ手もヘッタクレもあらへん。あるのは生き残るか死ぬかだけや」

 波濤館流にも腕に自慢の猛者が何人も挑戦してる。ユーチューブでもプロの格闘家との試合は有名だけど、凄惨すぎて番組にならなかったぐらいなんだ。実はそれでも一部が流出したのを見たけど、あれこそ嬲り殺しそのものだ。

 格闘家は最初から最後まで殴られっぱなしで、顔なんか変形してしまってた。歯も全部へし折られ、顎だって粉砕されたって話だもの。だれが挑戦してもそんな感じで、ことごとく病院送りにされるそう。あれでよく生きてるな。

「そこのとこだけ手加減しとる。死んでもたら警察がウルサイからな」

 そんな挑戦者たちを次々に血祭りにあげた伝説の鬼の師範代がマナさんだって!

「そんなもんウチよりジュンの方が強いで。ジュンだけは絶対に怒らせたらあかんねん。喧嘩したら瞬殺でボコボコにされるだけやからな」
「マナ、それは言い過ぎだ。ボクなんて師範代補佐なんだから」

 ちょっと待った、ちょっと待った。女にも格闘技好きは多いし、アリスも好きなんだ。もちろん見たり、聞いたりだけだけど。だから波濤館流空手の話も知ってるんだけど、それって伝説どころか神話レベルの話だ。

 波濤館流で最強とされるのは師範代でしかも女だ。それがマナさんであるのはわかった。でもね、最強の師範代のハートを射止めたのは師範代補佐なんだ。肩書こそ師範代補佐だけど、その強さは鬼の師範代さえ凌駕すると言われてる。だから鬼とまでされた師範代が惚れて結婚したって話じゃないの。

「そこんとこちょっとちゃうけど、結果はそうや」
「ボクがマナに惚れたんだよ」

 聞くと高校時代から付き合っていた同級生結婚みたいだ。

「同級生やないな」
「学校は違うからな」

 それにしてもだ、なんだよこの三人。まるで世界最強戦のメンバーみたいじゃないの。まさに化け物ワールドそのもの。それでも、それだけ強いマナさんが東京に出てきてくれたのなら安心だ。健一はね、じっくり養生させないといけないのよ。