ツーリング日和20(第30話)心遣い

 この世になんにでもマウントを取りたがる人種はいる。たとえば結婚時代のクソ姑だ。嫁にマウントを取って支配するのが生きがいみたいだったもの。あんなことして、後がどうなるかぐらい・・・わかってないだろうな。クソ姑の事はもう完全に赤の他人だからどうでも良いけど。

 学歴はあったな、というか今の職場でもあったというかある。サヤカが世話してくれたのだけど、サヤカの会社の子会社の一つ。子会社って言ったらショボイものを想像するかもしれないけど、初めて行った時にビックリしたもの。

 マナミが結婚前に勤めていたところなんて、薄汚れた雑居ビルのフロアの一角みたいなとこだったのだけど、自社ビルがデ~ンだもの。言うまでもないけどサヤカの本社ビルになるとランドマークだけどね。

 会社って学歴で入社ランクは確実にある。絶対じゃないけど、ランク分けされるのはわかるもの。さらに入社後も出身大学によるグループは存在する。いつまで経っても大学時代の先輩後輩みたいな関係かな。

 その結束が固いのは出世にも連動してるからだと思ってる。出世って会社によって違うところがあるとは思うけど、原則は仕事の実績の評価だ。だから実力主義と言いたいところだけ、そんな単純なものじゃない。学校の成績とちがうからね。

 もっとも学校の成績に近いとも言えなくもない。とくに中学までね。う~ん、小学校により近い感じがする。評価には相対評価と絶対評価があるけど、会社の場合は絶対評価だろあれ。学校ならそれを先生がするけど、会社なら上司だ。

 最終決定権は大きな会社なら人事部だろうけど、小さな会社なら上司だ。大きな会社だって上司の部下に対する評価を大きな参考資料にしてるはず。だから出身大学による結束は強いってこと。そりゃ、上司が先輩だったら自分の後輩に甘いもの。

 ほんでもって、今の会社に三明大の卒業生はマナミだけ。こんなところにまともに就職試験を受けたって採用なんかしてくれるはずもないからね。だから入社しても向けられる目は冷たかったな。

 これもなんか特殊な資格を持ってるとか、前職までにバリバリの経歴を積み上げてヘッドハンティングされたとから違うだろうけど、名も知らないような小さな会社の平凡な事務職で、出産退職してブランクだって五年もあるのよね。逆の立場だったら、

「なんであんなやつが入って来てるんだ」

 そう思うぐらいは余裕で理解できる。実際に働きだしても実力とか目に見える成果で見直させるなんて逆立ちしても出来るものじゃない。どっちかと言われなくても足を引っ張ってた。だけどね、会社には別のマウント原理があるんだよ。

 あれもサヤカも知ってやったんだろ。さすがに場違い感と居心地悪さをどうしようかと思ってたらサヤカが会社に来たんだよ。親会社の社長だから子会社に来たって構わないけど、あははは、あれこそ皇帝陛下のお出迎えだ。だって、社長以下の幹部が玄関にずらりだものね。

 マナミは下っ端だからお出迎えに呼ばれるはずもなかったんだけど、たまたま用事があって居合わせたんだ。だから歓迎のための列にいたんじゃくて、通りすがりの人みたいな感じ。そこにマナミが入って来たんだ。

 社長以下はシャチホコばって出迎えの挨拶をしてたけど、マナミはそれを睥睨するように聞き流し、マナミの方にツカツカって感じで歩いてきた。そしてね、いきなり笑顔で肩に手を回してきて、

「楽しくやってる? 嫌なことがあったら何でも言ってね。気に入らなかったら他にいくらでも勤めるところはあるからね」

 社長以下が、まるで信じられないものを見たかのようになってた。そりゃなるだろう。これも後からわかったようなことだけど、あの皇帝陛下は仕事ではそれこそニコリともしないそうなんだ。あの社長以下だってサヤカの笑顔なんて初めて見たんじゃないかと思う。

 ついでに言えば、サヤカは依怙贔屓も一切しないそう。一切は言い過ぎかもしれないけど、なんて言ったら良いのかな、腰巾着みたいなのもいないそうだし、お気に入りぐらいはいても、それはあくまでも仕事の評価だけで、個人的に云々はなくて、プライベートの付き合いなんて無いとかなんとか。

 そんなサヤカが笑顔まで見せてマナミと親しそうな様子を見せたものだから、社内はもう騒然って感じになったかな。あれはそうだね、

「あの新入社員は何者なんだ?」

 どう見たって親しそうだし、マナミのことを気にかける発言だってしてるから、なぜ入社してきたかわからない無能な途中入社の新入社員から、正体こそ不明だけど、サヤカが大事にしている人だって感じかな、

 というかいきなりVIP待遇になったとした方が良いかもしれない。そりゃ、下手に冷遇してサヤカに告げ口なんかされたらブルキナファソぐらいだろう。お蔭で居心地は良くなったけど、それはそれでやりにくかった。だってさ、仕事を回す時だって、まるで社長か何かに頼むように、

「お手数をかけて申し訳ありません。これこれこういう仕事でございます。やり方としてはこうして頂きたいのですが、宜しいでしょうか。もちろんわからないところがありましたら、すぐにお申し出ください。とりあえずは何々をサポートに付けさせて頂きます。他の者も自由にお使いください」

 それやりすぎだろ。でも有難いのはありがたかった。だってさ、それまでは仕事を覚えようとしても、

「やっとけ」

 だったし、わからないところを聞いても、それこそ顔中に渋顔をされて、

「こんな事も出来ないとは、前の会社でなにをしてたんだよ」

 文字通りの投げやりだったし、懇切丁寧なんて火星語じゃないかと思うほどなかったもの。無能社員のマナミに時間を取られてしまうのがっもったいないと言うか、無駄と言うか、嫌で嫌で仕方がないのが丸わかり。

 だけどさぁ、仕事のやり方って会社ごとの流儀があるのよ。そりゃ、大筋は一緒でも全部が同じじゃないもの。その違いはマニュアル化してるところなんて少ないと言うか、妙に細かいものも多くて、あれは口伝の世界の気がする。

 そういう違いがあるのはわかるし、それを覚えるのも仕事の第一歩だけど、それまで苦労してたもの。それを手取り足取りどころか、乳母日傘状態になって助かったのは助かった。このサヤカのパフォーマンスだけどもう一回あったんだ。


 あれは親会社へのメッセンジャー業務だった。つまりは書類を届けるってやつ。業務自体はシンプルで、受付で要件を伝えて入館許可証をもらい、届け先の部署の場所を教えてもらって届けに行くだけだ。

 そしたらロビーで待てって言われたんだよ。ここまでわざわざ取りに来てくれるって親切だと思っていたら、エレベーターから出てきたのはサヤカ。それもなんか後ろに見るからにお偉いさんみたいな人を引き連れてだ。

 これから外回りにでも出るのかと思っていたら、やって来やがった。マナミから書類を受け取るとお偉いさんにそれを渡し、

「確かに受け取ったからね。お仕事ご苦労さん。お茶でも飲んで帰って」

 やられた。笑顔で肩を組まれて社長室にご案内だ。わかるよね、これでマナミの会社だけでなくサヤカの本社、いや、サヤカのグループ全体にマナミがサヤカ皇帝陛下の特別のお気に入りだと周知されてしまったことになる。


 後日にサヤカと夕食を食べた時に言ってやったんだ。サヤカの心遣いなのはわかるけど、あれはやり過ぎだって。何事も過ぎたるはなんとやらだ。そしたらサヤカは目に涙を見る見る溢れさせながら、

「やり過ぎたのは知ってる。でもね、マナミにはもう辛いことも、悲しいことも遭わせたくないの。わたしの目の届く範囲で絶対に起こさせるものか」

 もうなにも言えなくってしまったよ。持つべきものは友だって昔から言うけど、ここまでしてくれる友なんているものか。親兄弟だってここまでしてくれる人はいないと思うもの。