ツーリング日和20(第33話)武田尾ツーリング

 地図も見てたけど、武田尾なんてどうやってバイクに行くのだろうって思ってた。だって宝塚あたりから行けそうな道なんてないんだもの。昔は武庫川の河原を歩いたのかもしれないけど、そんなところをバイクで走れるはずないじゃないの。

 そう思ってたら、なんと六甲山トンネルを抜けて六甲北有料道路を走るんだ。そのままウッディタウンを通り抜けて、さらに国道一七六号を横切ってしまった。この道は北摂里山街道ってなってるな。

 この街道は有馬富士公園を通り過ぎ、やがて香下ってところに出てきた。そこでなぜか瞬さんはバイクを停めたのだけど、この街道って昔からあった道なの?

「明治の地図では・・・」

 その頃に福知山線はあったみたいだけどウッディタウンも新三田駅もないそうなんだ。当たり前か。明治の地図では杣道は置いとくとして、道路としてはっきり記されてるのは三田駅あたりから香下に向かう道だけらしい。どうもあそこの道みたいだけど、どうしてそんな道があったんだ。

「向こうのあの辺に羽束山があるのですが、この山は丹波の修験道のメッカみたいなところで、今でもかつての寺院の名残みたいなものが残されています」

 おそらく羽束山にあった寺院への参詣ルートとして出来たのじゃないかとしてた。なるほど、道に歴史ありだねぇ。この先は、

「今は猪名川の道の駅に通じますが、明治期の地図では途中で杣道になります。ですがそれでもある種の街道として使われていた可能性はあると考えています」

 この辺は推測も入るとしてたけど、猪名川まで出れば南に下ればダイレクトじゃないけど能勢の妙見さんの方にも行けるし、そのまま下れば猪買いで有名な池田にも行けるらしい。だったら三田からのルートとしてあってもおかしくないか。歩けりゃ良いんだものね。

 でも今日は猪名川まで行かない。千刈の水源地の北側を通り抜け、なんかごしゃごしゃしたところから、県道三十三号に入った。この辺は昔のままなの。

「だいぶ変わっています。明治の地図ではもう少し手前で曲がり南下する道になっています。今でもあるみたいですが、良くわかりませんでした。いずれ合流するのですけどね」

 そうなのか。だいぶ変わっているんだろうね。県道三十三号も田んぼの中の田舎道だけど、段々と山の中に入って行くな。この道を進めば武田尾に着くそうだけど、やっぱり明治の頃は途中で杣道に変わってたの。

「いえ最後まで道路になっています。これは江戸時代からそうだった可能性もありますが、もしかしたら福知山線の工事のために整備されたのかもしれません」

 それはありそうだ。人や資材を送り込むルートぐらい整備してもおかしくないはず。食料だっているものね。ちょうど温泉もあるから工事基地みたいになってのかも。やがて道は突き当り右に曲がって高架の下を潜ったけど、宝塚北ICの案内があるけど、

「あれは新名神高速道路です。クルマなら京都や大阪からでも近くなっています」

 へぇ、そうなんだ。神戸からならこんなに不便なのにね。

「そうでもないですよ。六甲北有料道路からでも阪神高速の北神戸線からでも新名神に連絡しています。もっともモンキーでは走れませんけど」

 それは小型バイクの宿命だ。それでもこうやって下道で来れるし、こういう道を走ることこそがツーリングだし、楽しいのじゃない。

「そうですよね」

 道は完全に山道なって狭くなったけど、峠みたいなところを下ると急に開けて来たぞ。なんか想像してた感じと違い、きちんと整備されてるし、新しい家ばかりの気がする。

「この辺に停めさせてもらいましょう」

 そっちは廃線敷のハイキングコースだけで、まあいっか。ここまで来たら気分だけでも味わいたいよね。しばらく歩くとトンネルを潜って広場みたいなところに出た。これはなかなかの景色だ。人気があるのがわかる気がする。そこから引き返したのだけど、

「かつてはこちらの道が線路だったはずです」

 そうなるのはわかる。さっきの続きだからそれ以外にないだろ。広い道になってるけど、線路を撤去した跡なんだろう。

「昔の地図でも道路は川沿いになってます」

 そっちにも道はあるな。やがて橋が見えて来たけど、武田尾温泉の歓迎のアーチがあるじゃないの。ちょうどトイレもあったから生理現象を解消させといて、あれっ、瞬さんは何を見てるの。古ぼけた案内看板だけど、

「この案内看板ですけど相当古いものだと思います。この看板の案内からすると」

 案内看板には真っすぐ進めばJR武田尾駅、左に曲がると武田尾温泉ってなってるけど。そのままじゃない。

「そうなんですが、廃線前の武田尾駅はおそらくそこの駐車場辺りにあったはずです。それも駅から先は人が通れなかったので、ここに橋を作り、武田尾温泉に案内しようとしたはずです」

 言われてみればそう見えるかな。たぶん川側にホームがあって、改札はこの辺だったのかも。駅から来た人は橋を渡って向こう岸から温泉に向かったぐらいかな、だからこの橋に歓迎アーチがあるのはそういう意味か。

「まずまっすぐ進んでみましょう」

 すぐに現在の武田尾駅があったけど、そこを通り過ぎるといきなり道が狭くなった。そっか、ここは線路の跡なんだ。だからこれだけしか幅がないし、こんなところだからこれ以上広げようがなかったはずだよ。たしかに線路があった頃にここは人が通れそうな気がしない。

 やがてトンネルがあるけど、暗いし、これまた狭いトンネルだ。さらにだよ、突き当りになってるじゃないの。そこを曲がってトンネルを出たけど、

「あれは鉄道のためのトンネルで、かつてはそのまま通り抜けていたのでしょう」

 そう思う。クルマのためなら直角に曲がるトンネルなんて誰が作るものか。トンネルを抜けるとここにも橋がある。トイレのところの歓迎アーチがあったのが温泉橋で、こっちが武田尾橋か。

「渡ります」

 どっちの橋もクルマのすれ違いにも苦労しそうな道幅だけど、対岸の道もそんなもんだ。橋を渡ると、なになに、この先は道がさらに狭くなってクルマのすれ違いが出来なくなるから、クルマはこの辺に駐車して下さいってか。バイクなら行けるだろうけど、あんまり行きたくないな。

「行きましょう」

 行くよね。だってこの先に武田尾温泉があるってなってるもの。どうなるのかって走って行くと、行き止まりみたいなとこで左に入った。こりゃ、山じゃなくて谷だ。それもかなり狭苦しい。それでも走って行くと旅館のような建物が見えてきた。

 見えてきたと言っても閉まってるな。既に廃業した旅館だろうけど、結構な大きさじゃない。さらに奥にもそれらしい建物が見えて来たけど、やがて行き止まり。全部廃墟かと思ったら、一番奥の旅館は営業してるみたい。だって湯元って書かかれたTシャツを着た人が宿の前を掃除してるもの。

 ここかと思ったけど瞬さんは引き返したんだ。あれって思ったけど、なんか助かった気がした。だって谷間で薄暗くて、ジメジメしてるんだもの。それにしてもだけど、

「ここで武田尾直蔵が薪拾いに来た時に温泉を見つけたはずです」

 そうなるはずだけど、とにかく谷間で狭いところなんだ。この手のところは往時とか、かつてみたいな話があるのが定番だけど、全盛時って言われる時にも五軒もあったのだろうか。どう見たって十軒は無理そうな気がした。

 もう一つ気なったのがありそうなものが無かったこと、少なくともあそこには最近まで三軒の温泉宿があったはずで、それも軒を並べる感じだよ。それだけあればお土産屋さんとか、飲食店がありそうなものじゃないの。

 あれだけ寂れたら今は無いのはしょうがないけど、かつてはそうだったみたいな廃墟は目につかなかったな。

「それを言えば駅前商店街的なものがあったかどうかもわかりません」

 たしかに。歓迎アーチのあったあたりに一軒ぐらい店があっても良さそうだもの。もっとも線路の付け替えの時に根こそぎみたいな再整備をされてるみたいだから、

「想像と言うか推理ですが、廃線敷のハイキングコースの入り口のところに一軒ありますよね。あれが生き残りかもしれません」

 再整備の時に移転したってことか。その線はあるかもしれない。でもさぁ、あのハイキングコースは廃線になってすぐに出来たものじゃなかったはず、それまでは、

「だから推理とか想像です」

 たしかに今は一軒しか残ってないけど、最盛期だってどれぐらいかと言われてもたいしたことなさそうな気がしないでもない。武田尾橋まで戻ってきて瞬さんはバイクを停めたのだけど、温泉橋の方を眺めながら、

「それしかないよな・・・少しお付き合い下さい」

 どうするのかと思ってたら武田尾橋から温泉橋に走り出した。これも狭い道だな。まあ、これだけ山が迫ってると広げたくとも広げられないのはわかるけどね。温泉橋をまた渡るのかと思ったら、

「引き返しましょう」

 ターンして武田尾橋に戻ったんだ。武田尾橋を再び渡って今度は左に。道が二つに分かれていて、一つは山の方に登り、もう一つは川の方に下ってるけど、案内があって山の方に宿があるみたいだ。登っていくと

「今日の宿になります」

 えっ、ここなの!