ツーリング日和21(第32話)指輪の思い出

 同棲中の恋人からプロポーズを受けて晴れて婚約者になった夜は格別だった。まさに阿蘇山大爆発になっちゃったもの。なんにも気にすることなく、思う存分感じて、瞬を受け止め、高天原に飛んで行った。

 朝になって露天風呂に一緒に入ったのだけど、なんか昨日と違うんだ。そうだね、あえて例えればロストバージンした翌朝とか。いや、だいぶどころか全然違う。瞬は人生をマナミに託してくれた、マナミはそれを受け入れた。

 瞬はマナミのものになったけど、マナミだって瞬のもの。マナミに差し出せるものがあったら大喜びですべて瞬に捧げ尽くす。後ろだって求められたら・・・今のところ瞬にそういう変態趣味はなさそうだけど、これは後日の検討課題にしておこう。

 婚約指輪も今朝になって改めて見たけど、ヴァン クリーフ&アーペルじゃないの。よくこんなブランド知ってたものだ。

「気に入ってくれたかな」

 こんなもの気に入るなんてものじゃない。一生の宝物だ。貸金庫に入れてしまっておく。それにしても、いくら瞬がリッチでも、こういう時ってティファニーとかにしそうだけどな。男ってそういうブランドに疎いのが多いもの。

「それは・・・」

 はぁ、前妻との婚約指輪がティファニーで、結婚指輪がブルガリだったのか。ふうぅ、セレブのお嬢様と結婚するのは大変だ。

「ティファニーとブルガリにはトラウマがあるから避けさせてもらった」

 マナミはセレブのお嬢様じゃないから、指輪であればなんでも良かったのに。

「そんなこと出来るか! 結婚指輪はハリー・ウィンストンにするから」

 そこまでいらないって。指輪の値段が愛の値段じゃないのだから。その時が来たら一緒に選ぼうよ。

「カルチェだな」

 勝手に決めつけるな! 瞬も過剰だと思うけど元クソ夫は最低だった。

「その辺は経緯が経緯だからある程度は仕方がないのじゃないのかな」

 それぐらいわかってるって。マナミも元クソ夫も安月給だったから婚約指輪をもらえるだけでも十分だよ。だけどね、物事には限度と言うものがある。

「まさかのシルバー」

 マナミを舐めてもらったら困る。シルバーだって十分だったのよ。それなのに、それなのにあの元クソ夫は鉄だったんだ。それもだぞ、

『同じ状況だから嬉しいだろ』

 そりゃ、似てると言えば似てるかもしれない。マナミが追いかけまわして、やっとこさ元クソ夫にウンと言わせたようなものだからな。でもな、根本的に違うだろうが。

「まさかと思うけど、あんな昔のドラマに因んでとか」

 そのまさかのまさかだよ。そりゃ、あのドラマは最後の最後に追いかけまわされていた女が男を追いかける逆転劇みたいなものだけど、

「あれはたしか・・・」

 貯金も仕事もすべて失った男は道路工事のバイトをやってたはずだ。いや、水道工事かな。とにかく夜の路上の土方仕事だ。そこにウェディング姿の女が突然やってきて、プロポーズするのだけど、

「男がもう指輪も買えませんとかなんとか言うのだよな」

 そうだ。そしたら女は道端に落ちていたナットを拾い上げて、これで十分だとしたはずだ。けどな。これはあくまでもドラマでの話だ。そんなもの現実にやらかした男は世界中探したって元クソ夫だけだ。

「それでも結婚指輪はナットじゃなかっただろ」

 さすがにね。ちゃんとしったシルバーだったよ。それでもマナミは嬉しかったんだよ。あの時には世界一の指輪と思ったもの。その指輪を手に入れるための苦労の日々を思い出して涙が止まらなかったもの。

 マナミはね、そんな女なんだよ。そんなもので天まで舞い上がれる安っぽい女ってこと。だからヴァン クリーフ&アーペルなんてもったいなくて目が潰れそうだもの。瞬はマナミの目を見ながら、

「物の価値は人によって変わる。ある人にとってはゴミみたいなものでも、その人にとっては世界一の宝石より貴重なものになる」

 瞬のヨタハチみたいなもんだな。

「マナミはそれを誰よりも良く知っている。わかっていなかったのはボクの方だ」

 だからと言って結婚指輪がナットは堪忍してくれ。

「ますます惚れた、惚れ直した。マナミこそが世界一の女だ」

 だからそれはおかしいって、マナミなんてどこにでも転がってる女に過ぎないよ。強いて言えば瞬の歪み過ぎた美的感覚に奇跡的に適合した点は珍しいけどね。

「とにかく頭が良い」

 殴ったろか。お世辞のつもりだろうがモロの嫌味だ。瞬だって知ってるだろうが、田舎の県立三番手校になんとか入学できて、四流すれすれの三流大学になんとか潜り込めたオツムだぞ。

「マナミがあまり勉強を好きでなく、そのために知識の習得がやや手薄なのは認める。だけどね、知識量があってもそれを活かせなければ頭が悪いってことだ」

 言いたいことはわからなくもないけど、

「マナミは明菱社長の友だちだろ」

 サヤカは親友だ。

「一緒にご飯を食べて話が弾んでるだろ」

 そりゃ、サヤカと会えばマシンガントークだ。そしたら瞬は大きなため息を吐いて、

「それが信じられないんだよ。そんな事が起こるなんて信じろ言う方がおかしいんだよ」

 それはサヤカと幼馴染だからだって。

「明菱社長の頭の回転の速さは人智を越えてるんだ。それはボクも話をしたことがあるから良く知っている」

 瞬もカマイタチだろうが、

「ボクだって頭から煙が出るぐらいフル回転させてやっとだった。これだけでマナミの頭の良さは世界中に証明できる」

 それは誤解だって。まあ瞬みたいなタイプ同士がぶつかればそうなるみたいだ。だってビジネスの皇帝陛下のサヤカだって、瞬と話す時は髪の毛ほどの油断で殺される・・・訳ないけど、それこそフルパワーで対決するって言ってたような。だから瞬なんかに天地がひっくり返っても恋愛感情の『れ』の字も起こりようがないとしてたはず。ホンマに相性悪いな。

 瞬なんだけどトンデモないところで誤解と言うか、妙な思い込みをするんだよな。それもマナミの時に限っての気もする。悪く思われるより、良く思われる方がマシだけど、それにしても度が過ぎるだろ。

 それでも婚約指輪を見ていると昨夜のプロポーズが夢でも幻でも無いのが確認できる。本当に贈ってもらって、受け取ってるんだもの。ずっと付けときたいけど、

「やめた方が良いな」

 だよね。バイクはグローブするから無理だもの。婚約指輪って婚約してから結婚するまで付けるものとはされてはいる。元クソ夫のナットは付けなかったけどね。あんなもの付けてたら奇人か変人にしか思われないじゃないの。

 だけど現実的にはそうしていない人の方が多いはずなんだ。理由は失くしたら大変なのもあるだろうけど、派手過ぎるんだよね。あんなもの付けて仕事も行きにくいし、昼休みに牛丼食べるのも気が引けるもの。

 マナー講師なんかは結婚後も付けてもOKとかしてるけど、あのな、どこに嵌めるって言うんだよ。左手の薬指には結婚指輪が鎮座してるんだぞ。右手の薬指にでも嵌めろって言うのかよ。

 あれはね、もらった事が重要というかすべてだとマナミは考えてる。あれをプロポーズの言葉と受け取った瞬間に二人の心はリングで結ばれたってこと。だから婚約指輪は一つなんだ。

 指に嵌めるものじゃなく、心にしっかりと嵌められたってこと。そう大事な大事な一生の宝物、瞬をマナミのものに、マナミが瞬のもの、瞬がマナミのものである心のリングだよ。