ツーリング日和20(第34話)ノスタルジー

 宿の名前は紅葉館別庭あざれってなってるけど、さっきの元湯にくらべたら腰が抜けそうな高級旅館だ。なんていうかな、上に積みあげたような大旅館じゃなくて離れを繋ぎあわせたような平べったい細長い作りの気がする。

 中もシックで上品だ。部屋に案内されて一服したらとにもかくにも温泉だ。透明なお湯だけど気持ち良いな。窓から見える武庫川渓谷もなかなかだ。まだ新しそうなのもあるだろうけど清潔感も嬉しい。

 この温泉に入るために、江戸時代から多くの旅人が山を越えて訪れたのだと思うと余計に気持ちが良くなる感じ。今夜がどうなるかわからないけど、しっかり洗っておこう、いや磨き上げておこう。

 部屋に戻ったら夕食だ。てっきり懐石コースみたいなものと思ってたけど、なんとすき焼きだ。これはこれで嬉しいな。まずは、

「カンパ~イ」

 今回のツーリングは瞬さんの子どもの時の旅行の思い出をたどるのが目的だけど何かわかったのかな。

「元湯には行っていないで良いと思います」

 小学校の頃の思い出だし、記憶だって断片的も良いところみたいだけど、

「元湯まで行って見たのは、ここまで来てるから見ておきたいのもありましたが、見れば何か思い出すかと考えてました」

 でもなんにも思い出さなかったみたい。そりゃ、たぶん行ってないよ。マナミが見るところ、瞬さんの子ども時代より寂れてはいるけど、その頃の建物はそれなりに残っているはずなんだ。それを見ても何も記憶がないのは初めて見たからで良いと思う。泊った宿の記憶はなにか残ってるの?

「とにかく橋を渡って宿に行ったのだけは覚えます。だから歓迎アーチのあった温泉橋の向かい側ぐらいにあるぐらいだと思ってましたけど・・・」

 だから武田尾橋から温泉橋まで走ったんだ。でもあそこに温泉宿があったとは思えないよ。そんな痕跡も見当たらなかったし、それどころか温泉宿が建てられるようなスペースさえ無かったもの。

「ボクもそう思います。そうなると子どもの頃に渡った橋は武田尾橋しかありません。でもあの橋を渡ろうと思えばまず温泉橋を渡って対岸に行き、それから渡り直す必要があります」

 今は廃線跡に道路が出来て武田尾橋を渡らなくてもこの宿に来れるけど、線路があった頃にあんなところをクルマなんて通れるはずがないものね。そっか、だから今日は紅葉館に泊まったのか、

「こっちにしたのは元湯があまりにも風情があり過ぎたからですよ」

 秘境感とか、いかにも秘湯なのは認めるけど、泊るには少々ディープなところがあるのは同意だ。元湯には申し訳ないけど、泊るなら紅葉館が良いよ。元湯のような宿は好きな人は好きだと思うけど、万人受けは良くないもの。元湯の話はそれぐらいにて、瞬さんの親父さんが宿にたどり着いたルートは、

「武田尾にクルマで来るには今だって県道三十三号しかありません。これはバイクでも同じです。廃線前ですから岸に近い道からまず温泉橋に向かったはずです

 あの辺はすっかり変わってるはずなんだ。見てこれはなんだと思ったけど、とにかく駐車場がビッシリある。あれって、

「武田尾駅から大阪に通勤するためで良いかと思います」

 パークアンドライドってやつか。武田尾は秘境みたいなところだけど、電車で考えたら宝塚まで駅三つだものね、通勤は可能だよ。お蔭でかつての面影は、

「歓迎アーチぐらいしか残ってないで良いでしょう」

 旧の武田尾駅から温泉橋を渡り、さらに武田尾橋が渡って紅葉館に来たのはそれしかルートがないのはわかるけど、電車で来たら遠すぎない?

「それは思いました。だから電車の人は宿から送迎のワゴン車とかマイクロバスが出てたのじゃないでしょうか」

 それしかないよね。あんなところまで荷物を抱えて歩かされたら行く気が失せるもの。でもさぁ、でもさぁ、そもそもだよ、神戸からどうやって、

「あれもどうやって来たかはわかりません。あの道しかないのは走ってみてわかりましたけど、あの当時にあんな道を知っていた、もしくは探して行ったのは驚くしかありません」

 当時はネットなんてSF小説にも出て来ない時代ものね。だからドライブするにも頼りに出来るのは紙のロードマップのみ。だけどさ、今のナビでもそうなんだけど、

「ああそうです。国道ぐらいはまだしも、県道以下となるとそれこそ行って見ないとわからない世界だったはずです」

 国道だって酷道なんて揶揄されるところがあるものね。ちなみに県道は険道で市道は死道だ。これも当時ならなおさらのはず。

「おそらくですが、六甲山トンネルはありましたから、それを越えて有馬街道に入り、そこから三田に向かったはずです」

 さすがに六甲山トンネルはあったのか。有馬街道から三田へ当時でも行けたはずだけど三田からは、

「まだニュータウンの建設前か建設中ぐらいのはずですから、国道一七六号も三田の市街地を走っていたはずです。そこから現在の県道三十三号を目指したはずですが・・・」

 北摂里山街道は当時も無しか。そうなると三田市内から県道なり市道を縫って走って行ったはずだけど、香下で見た三田市内から続く道も一車線ちょっとぐらいの道だったじゃない。

「それどころか舗装がされていたかも疑問です」

 瞬さんに教えてもらったのだけど、お父さんの頃のドライブの心得として、迷ったら広い道と言うか、舗装してある道を走れってのがあったぐらいだって。それぐらい主要道とその他の道の格差はあったで良さそうだ。

 三田から武田尾は今だってすんなり行けるとは言いにくいところはあるけど、当時ならなおさらどころでなかったはず。最後の県道三十三号だって舗装されていないところがあっても不思議ないかもしれないよね。

「それを言えば武田尾温泉に続く道だってどうだったかわかりません」

 良くそんなところを走って行けたものだと思うよ。国道一七六号も今と同じじゃないはずだし、有馬街道だってそうだ。まさに野を越え、山越えだ。

「でも来てみて感じましたが、親父は楽しかったんじゃないかと思っています。これこそ旅の醍醐味ではないでしょうか」

 なんかマナミもそんな気がした。でもそれってクルマじゃなくてツーリングの楽しみ方じゃ、

「というか、クルマの旅で失った部分かもしれません」

 瞬さんがお父さんと来た時代から世の中は進歩してる。道路だって整備されたし、ネット時代になり誰でも豊富な情報をお手軽に手に入れられる時代になってるもの。それで便利になったのは否定しないどころか、昔になんて戻りたくないぐらい。

 だけど失われたものはある。旅は便利になり過ぎたのかもしれない。この辺は時代が進むほど余裕がなくなってる・・・

「余裕は変わらないと思いますよ。昔だからって遊んで暮らしてわけじゃありませんから」

 そ、それはそうか。となると失われたものは、

「旅の不便を楽しむ心構えでしょうか」

 上手いこと言うな。不便より便利が良いに決まってるし、なんでも便利になろうしたのが今だ。これからだってそうなるはず。でも便利になり過ぎると、今度はちょっとした不便が苦痛になり耐えられなくなってしまうぐらいかな。

「そんな感じです。クルマだってかつてはナビどころかエアコンも、カーステも無かった時代がありました。窓だって手動です」

 それ旧車のユーチューブで見たことがある。

「それに比べたらバイクなんか原始的な乗り物です」

 そうだよね。あんなシンプルな構造にクルマみたいな快適さを備えようとしたらバイクじゃなくなってクルマになっちゃうよ。

「マナミさんもバイクに乗るから当時のクルマの旅の楽しさがわかったと思いますよ」

 ここも誤解しないで欲しいけど、今のクルマの旅の楽しさを否定する気なんてないからね。ましてやだから旅をするならバイクが上とかもだ。そうだな、時代の進歩とともに性格の違いが大きくなってしまったぐらいで良いと思う。

「どちらが上なんて議論は不毛です。あえて言うなら、バイク乗りは昔の旅の楽しみ方が好きな人種ぐらいには出来るかもしれません」

 かもね。だからバイク乗りはいつまでたっても少数派なんだよ。でもね、そういう旅の楽しみ方って、どこか昔どころか大昔の旅の楽しみ方の血を引いてる気さえするかな。それぐらいは自負したって罰は当たらないだろ。


 ところでだけど、この紅葉館は瞬さんが子どもの時に泊まった宿だよね。元湯があった方は否定されてるから消去法でここしかないはず。

「うっすらですが紅葉館の名前を覚えている気がします」

 でも当時の宿と同じじゃないよね。どう見たって新しいもの。

「場所だって同じかどうかは自信がありません」

 とにかく子どもの頃の記憶だからアテにはならないとしてたけど、橋を渡ってすぐにあったらしい。

「それも橋の右側だったはずなのですが、実際に来てみると、そんなところに旅館が建つスペースもなさそうです」

 でも可能性だけは残るとしてるのよね。それは武庫川ってこの辺でもしばしば水害を引き起こすそう。現在の紅葉館だって二〇〇四年に台風に被災して建て直したものだけど、それ以前にも水害で、

「怪しい記憶ですが、営業が出来なくなった記事を読んだことがある気がします」

 その時の水害で、旅館が建てられるスペースが失われたか、

「武田尾橋の位置も変わってしまったのかもしれません」

 そっちの可能性を考え出すと現在の紅葉館の下と言うか川岸に近い方に無料の足湯があるんだよ。そこに駐車場もあるのだけど、ひょっとしたらかつてはそのあたりに宿も橋もあったのかもしれないって。

 それが水害を受けたから一段高いところの再建した可能性があるぐらいかな。この辺は現在の旅館名が別庭ってなってるけど、これは元のところじゃないって意味もあるかもしれないよね。

 瞬さんは子どもの頃の記憶と今の武田尾をあれこれ繋ぎ合わせてノスタルジーに浸ってるみたい。余程楽しかった記憶なのだろうね。

「あははは、楽しくなかった記憶こそありませんが、楽しかったかと言われるとわかりません。子どもの頃の温泉と言うか旅行の興味は違いましたからね」

 瞬さんでもそうなのか。そりゃそうよね、温泉と言ってもただの大きなお風呂だし、夕食と言っても子ども向きとは言えなかったはず。

「おそらくですが、武田尾温泉へのドライブが記憶のどこかに楽しいを植え付けている気がしています」

 そこから瞬さんが姿勢を直して・・・