ツーリング日和20(第29話)乃井野陣屋

 武田尾温泉の話も出てるけど今日は乃井野陣屋へのツーリングだ。これは今まででも最長のツーリングになるはず。だって波賀城のさらに西まで走るんだもの。そう考えると兵庫県も広いと思った。そこまで行ってもまだ県内だものね。

 コースは山崎までは波賀城の時と同じ。波賀城の時は山崎から国道二十九号を揖保川に沿って北上したけど、今回は県道五十三号でさらに西だ。山崎まではまだ市街地って感じがあるけど、山崎を過ぎると田舎の道って感じよね。

「次のとこを左に曲がります」

 三日月、県道一五四号って出てるけど、ありゃまぁ、信号も無いのか。それに県道ってなってるけど、センターラインも無い一車線半の道だ。それでも快適、快適。とにかく空いてるものね。バイクなら余裕で楽勝だ。

 道は志文川って川に沿って走ってるみたいだけど、山の中でいかにも秘境を走ってますって感じだ。こういう感じは嫌いじゃない。むしろ好きかな。まあ、ちゃんと通じてるって安心感があるのもある。

 道が二車線になったし、田んぼも広がってるから山から里に下りて来たみたいだ。家もチラチラ見えてるもの。なんか人里って感じがするな。昔の旅人もそう感じてホッとしたんじゃないかな。

 あちゃ、またセンターラインがなくなったけど、これは町だね。昔なら宿場町に入ったぐらいの感覚かも。へぇ、木造の三階建ての家なんかあるじゃないの。木造の三階建てぐらいなら神戸にもいくらでもあるけど、あんな薄っぺらいもんじゃない。本格木造建築の三階建てだよ。

「右折します」

 曲がったら橋になってるのか。突き当りに来たけど、

「右に行きます」

 そしたらすぐに、

「ここを左です」

 なんにも案内がないけど大丈夫なのかな。でも向こうに見えて来てるのは、

「ここに停めますね」

 なになに、これってお城の表門だったのか。今は門だけだけど、かつては門の両側に塀が続いてたんだろうな。門の前には門番がいて不審者が勝手に入ってこないように睨んでたぐらい。それにしても良く残ってたな。整備だってちゃんとしてある。

 そこから進んで行ったけど、ここはもう城内のはず。今は田んぼが広がってるけど、当時は武家屋敷が並んでたんだろ。また突き当りになったな。

「左に行きます」

 うん、あれはなんだ。あれは、もしかして、いや、あんな立派なものがこんなところにあるって言うの。すぐに近づいたけど、これはお城だ。誰がなんて言おうがお城だよ。こういうのって、えっと、えっと、

「長屋門ですね」

 そうそうそれ。橋が二つかかってるけど、真ん中あたりにある橋の上は二課建ての櫓みたいになってるぞ。そのさらに左側にもなんか櫓みたいなものもある。近くで見るととにかく立派だ。

 そりゃ、姫路城と比べたらって話になると困るけど、これも言ったら悪いけど、こんな山の中の、こんな田舎だよ。回りだって田んぼばっかりのなのに、こんなすごい建物があれば誰でもビックリするよ。

「門の裏側にバイクを停めましょう」

 後ろに回るとこんな感じなのか。えっ、中にも入れるの。なるほど資料館になってるのか。なになに、この長屋門は復元なのか。だとしても気合が入りまくりだよ。こっちがかつてのお城の様子みたいだけど、あれっ、これって、

「この配置からすると長屋門の後ろが藩主屋敷で良さそうですね」

 そうとしか見えないけど、そこじゃなくて、

「あの表門の前にも武家屋敷が広がっていたみたいです」

 うん、あの橋から向こう全体がお城って感じだ。いやいや、そこじゃなくて、どう言えば良いのかな、このお城の主要構造物ってお殿様がいた時代からこの長屋門だけじゃないの。

「だから復元したのでしょう」

 なんか話が噛み合わないな。そこからもう一つ入れるところに行ったのだけど、こっちは復元のはずなのになんか年季が入りまくってるな。

「この長屋門ですが、この月見櫓だけが昔のものが残っています」

 二階に上がってみると畳が敷いてあって襖もあるから二間になってるのか。

「次の間で良いと思います」

 そうなると襖の向こうがメインのはずだけど、床の間付の座敷そのものじゃない。それに櫓のはずなのに窓も大きいよ。これって本当に、

「お月見をやってたで良さそうです」

 それも単なる月見じゃなくて月見の宴だ。さすがはお殿様で優雅なものだな。

「数少ない楽しみだったのじゃないでしょうか」

 数少ない? 月見はやっぱり満月だろうから年に十二回ぐらいしかないけど、

「これは司馬遼太郎の小説ですから、かなり脚色はあるはずですが・・・」

 ある旗本の次男坊か三男坊が小さな藩の養子に迎え入れられたんだって。跡継ぎがいなかったんだろうな。その男も貧乏旗本だったから、小さくても大名だからせめて今よりマシな生活になるはずだと期待していたそうなんだ、

 お殿様にはなったんだけど、江戸時代のお殿様の暮らしなんて制約だらけだし、ましてや養子だ。養子って今でも軽く見られたり、扱われたり、侮辱されたりもあるけど、江戸時代はなおさらだったらしい。

 家来からしたら完全に余所者だし、家来からしたら運良くお殿様になった成り上がり者ぐらいにしか見られなかったそうなんだ。食事だってどこの大名でも財政が逼迫なんてレベルじゃなかったそうだからひたすら質素倹約で、これだったら貧乏旗本の部屋住みの方がマシだったと嘆くぐらいだったらしい。

「その辺は養子ですからなおさらと言うか、容赦なしぐらいでしょうか」

 そんなお殿様暮らしの数少ない楽しみの一つが、とある日のスペシャルメニューだったそう。その日は先祖が武勲を立てた日かなにかで、縁起物として鯛が出たそうなんだ。つうかさ、その日を指折り数えて待ってたって言うけど、まさかだけど、

「その日だけしか鯛は食べられなかったとなっています」

 マナミだってもうちょっと鯛ぐらいなら食べるぞ。この辺は時代が違うからさておき、待望の鯛が出てきたのだけど、その男が見る限り例年より小さかったそうなんだ。これも縁起物の決まりとして目の下一尺って言うから、

「全長で三十センチ以上、三十五センチぐらいで良いかと思います」

 とにかく待ちに待っていて鯛だったものだから、食事係に今年の鯛は小さいって文句を付けたそう。食事係は気のせいぐらいで誤魔化そうとしたらしいのだけど、待ちに待った鯛だものだから、物差しまで持ち出して計りだしたそう。

 慌てたのは食事係で、決まりのサイズが無いと失態になるじゃない。だから鯛を懸命になって引っ張ったんだ。だけどさぁ、焼き鯛を引っ張っても伸びるようなものじゃない。それを決まりに合わせたい一心で強引に引っ張ったものだから。

「千切れてしまいました」

 怒ったのはその男だ。これまでの養子への冷遇も積み重なっていたから、怒りのあまり手打ちにしようとしたらしい。食い物の恨みは怖いって言うものね。食事係は大慌てで逃げたのだけど、そこから藩内は大騒動になったらしい。

 藩って言うけどどこも世襲で、それも十代以上は余裕でやってるじゃない。当時の婚姻なんて釣り合いの権化のようなもので、相手と言っても多くもない家来の子どもばっかりになってしまう。

 つまりだけど誰もがなんだかんだと縁続きになってるぐらいだったそう。食事係はたいした役職じゃなかったそうだけど、縁続きに助けを求めて回った結果、

「家老連中が総出でその男に宣言したらしい」

 食事係の助命は当然として、鯛のサイズ如きで大事な家来を手打ちにしようとしたのを責め立て、さらにトドメのように、

「そんな騒ぎになるぐらいなら記念日の鯛も今後は無しにするってね」

 あわれその男は数少ない楽しみの鯛も取り上げられてしまったそうなんだ。もちろん小説だし、司馬遼太郎がおもしろおかしく脚色をしてるだろうけど、江戸時代のお殿様の暮らしってそんなものだったぐらいらしいのよね。

 言われてみればそうだけど、お殿様って言ってもここならこのお城の中、江戸に行っても江戸屋敷の中にほとんどいるようなものだもの。暴れん坊将軍のように気楽に街の中に遊びに行けるはずないじゃないの。

 それにこんな小さな藩の殿様だって参勤交代はしないといけないから、どうだろ、ここからなら江戸まで一か月ぐらいかな。

「あの参勤交代だけど、ひょっとしたらあれもお殿様商売の楽しみの一つだった気もしています」

 なるほど! ずっと籠に乗って旅するのも大変そうな気がするけど、お屋敷で暮らしてるより見える風景は毎日変わるし、宿泊先では土地の名物だって食べられたかもしれないよね。

 そっかそっか、江戸時代のお殿様って、ずっとお屋敷の中に籠ってるイメージもあったけど、参勤交代があるから毎年旅行してるとも言えそうだ。江戸までの距離で長い短いはあるだろうけど結構な長期旅行だよ。

 宿泊するのだって本陣とか言って、よくは知らないけどその土地で一番の高級旅館みたいなところだろ。お殿様商売だから堅苦しいところはあるだろうけど、それでも旅先だからお屋敷の中より気楽に出来るところはあったはず。

「だったらお姫様にでもなられますか」

 やだ。だってお姫様が参勤交代旅行に参加できないぐらいは知ってるんだから。そうじゃなくても江戸時代の女の旅はどう考えても大変過ぎる。今だってそうだけど女と言うだけで襲ってくるのはいるし、生理現象一つだけでも公衆便所すらないんだぞ。マナミは今の時代に生まれて良かったよ。