ツーリング日和14(第12話)金ヶ崎城

 ソースカツ丼屋からまず向かったのが金ヶ崎城。この辺には旧敦賀港駅舎だとか、敦賀赤レンガ倉庫だとかもあって、綺麗に整備されてる感じもするのだけど、コトリさんたちが入って行ったのは住宅街の道、

「コトリ、どこかで間違えたのじゃない」
「さっき確認したから合うてるはずや」

 段々道が細くなってきて、これって行き止まりパターンだったら嫌だと思っていたら、

「ほら見いちゃんと駐車場があるやないか」
「さあ行こうよ」

 トイレもある広々した駐車場なのが嬉しいな。亜美さんに来たことがあるかと聞いたら、

「お花見に」

 へぇ、桜の名所として有名なんだ。まず向かったのは金崎宮。

「亜美さんここから変やと思わへんかった」

 駐車場から石段を乗ったところに神社があるのだけど、こじんまりはしてるけど立派な神社じゃない。なになに難関突破と恋の宮がキャッチフレーになってるようだ。難関を突破して恋をゲットできるぐらいの意味かな。

「難関突破は信長の故事や。恋の宮は明治の終り頃から盛り上がったもんや。それよりやが尻啖え孫市の作品中で、司馬遼太郎は実際にここを訪れたとなっとる」

 該当箇所は亜美さんが覚えていて、

『そこに、壊前寸前の建物が二つ三つ、苔に青ざめてうずくまっている。
人影はない。
この廃屋同然のぶきみな建物は金ヶ崎城址の古さを物語っている』

 なんか今とイメージが全然違うな。

「尻啖え孫市は金崎宮から問題やな」
「連載が昭和三十八年だから今とは違うだろうけど」

 金崎宮はあれこれ変遷があるそうだけど、今の建物は明治三十九年のものだそう。そんなに古いって物じゃないのか。尻啖え孫市は昭和三十八年から昭和三十九年に週刊読売に連載されたそうだから、その前に来てるはず。そうなると建てられてから五十年後ぐらいにはなるけど、

「昭和五十七年に大改修したとなってるから、司馬遼太郎が見た時も傷んではいたのだろうけど」
「倒壊寸前は言い過ぎやろ」

 ユリもそう思う。壊前寸前とか廃屋寸前だったら、司馬遼太郎が見た二十年後の昭和五十七年なら崩壊していてもおかしくないはず。崩壊はしていなくとも大改修じゃなく建て直しになるのじゃないのかな。

「ユリの言う通りやけど、もう一つ問題がある。司馬遼太郎はそこまで荒廃してしもた原因として、

『軍人、右翼、教育家、官吏が大いに参拝したものだが、時代が変わると、そういう連中からほうり出された』

こうしてるんよ。つまりやな、司馬遼太郎が訪れた頃は、誰からも見捨てられてしまった荒れ果てた神社だとしてるんや」
「そういうこと。それが二十年後に大改修して今見てるものになってるのよ。そうなると廃屋同然まで荒れ果てていたのに、そこから人気を取り戻したことになっちゃうじゃない」

 そうなるよな。神社を大改修するにしても、建て直しをするにしてもおカネが必要になる。そのおカネをどうやって集めるかになるけど、神社が自分で稼ぐか、寄付を集めるしかないはず。

 自分で稼ぐにしても、寄付を集めるにしても、必要不可欠なのはその神社に人気があること。廃屋同然になるほど人気のない神社なら、そもそも自分で稼ぐ方法はないし、そんな神社に寄付をしようとする物好きもいないはずだもの。

 司馬遼太郎の描写が正しいのであれば、そこから突然この神社の人気が急上昇したことになってしまうけど、

「少なくとも尻啖え孫市効果やない」
「他もブームになるようなのは聞いたこともない」

 そもそもって話になるけど、一度人気を失い、廃屋同然まで進むような神社が再び人気を取り戻すのはレアケースも良いとこだって。これは神社だけでなく他の事でもそうだと思うな。

「それにやな、奇跡のV字回復なんかあったら絶対に社伝とかに書いてあるはずや」

 それもそうだ。なんたらをキッカケにみたいなエピソードだ。

「それと恋の宮ってなってるやろ。これは花換まつりにちなんだものやけど・・・」

 花換まつりとはお花見の時に桜の小枝を交換して、お互いの想いを伝えるものだそうだけど、

「艶な祭りやねんけど、これが定着したんは明治四十年頃やねんよ」

 そう書いてあるものね。だから恋の宮だって。

「神社にも盛衰はあっても良いけど、司馬遼太郎の描写はどうかと思うのよね」

 実際の金崎宮を見てるとおかし過ぎる気はする。どうして司馬遼太郎はあんなことを、

「まあ、それはおいおいやろ」
「金ヶ崎城にレッツゴー」

 金崎宮から左に入ると金ヶ崎城への道になってるのか、

「この城は歴史的な落城を三回しとるかな」
「信長に開城した時と、信長が逃げた時と」
「金崎宮に祀らてる尊良親王と恒良親王を担いで新田義貞が立て籠もった時や」

 金崎宮からの道は山腹の海側を回るように付けられてるんだけど、攻めるとなるとこの細い道を攻め登るしかないのかな。

「昔は崖の下は海やったからな」

 やがて着いたのは月見御殿の跡ってなってるけど、これは旧本丸だって。ここで亜美さんが、

「司馬遼太郎は、『登りつめると、子供が三分ほどで駆け回れるほどの平地がある』としてるとこですよね」

 よくそんなとこまで覚えてるものだ。でもその描写は合ってそう。どう見たってそんなに広くなさそうだもの。

「そこは月見御殿の描写やないねん」
「そこから司馬遼太郎は金崎宮の描写に続くのよ」

 どういうこと。司馬遼太郎が描写した平地とは金崎宮の境内のことになるのか。

「だってやで、月見御殿跡まで来てるんやったら、金崎宮の描写に続いてあるはずやろ」
「と言うかさぁ、金ヶ崎城を見に来てるのだから、月見御殿跡なりの描写がないのは不自然だよ」

 それもそうだ。城跡を見に来てるはずなのに、麓の金崎宮だけ描写してるのも不自然と言えば不自然だ、

「コトリかってその頃の金崎宮とか、金ヶ崎城は知らんけど、ひょっとして司馬遼太郎は来てへんかもしれへんで」

 小説家は作品を書くにあたって参考資料を集めるはずだけど、まさかその写真だけ見て想像で書いたとか。

「それも写真が間違うとったんかもしれへん」

 写真であってもあの描写はおかしいもの。もちろん当時の関係者なんて誰も生きてないから確かめようがない世界よね。駐車場まで下りてきたらコトリさんが、

「あの辺が手筒山城や」

 金ヶ崎城から尾根続きのあの山のようだけど、あんなに近いと言うか、手筒山城の方が高いんだ。

「たぶんやけど金ヶ崎城の弱点を補うために作られた出城みたいなもんやったんやろ」
「あそこが落ちると尾根伝いに攻められそうね」

 信長はここに攻め寄せた時に、まず手筒山城を攻め落したとか。どっちも森になってるから、当時の規模はわかんないけど、金ヶ崎城より手筒山城の方が攻めやすかったのかな。手筒山城が落ちたから、金ヶ崎城は無血開城したらしいけど、その後に信長がいたのは、

「金崎宮のあたりやったでエエと思うで」
「あれぐらいの平地があればそれなりの御殿が建てられそうじゃない」

 御殿? そっか、義昭もここに住んでたいた時期があったから、あの辺に住んでいたとしてもおかしくないか。なら月見御殿は、

「そりゃ、義昭がイライラしとったとこや」
「違うでしょ、無聊を慰めるためにやけ酒していたところよ」

 あははは、そうかもしれない。義昭は金ヶ崎で朝倉義景をせっついて上洛戦をせがんだけど、義景がどうしてもウンと言ってくれないから岐阜の信長のところに行ったものね。

「そや、それが歴史を大きく動かした。さらには金ヶ崎の退き口にもつながって行くんよ」