ウーリング日和14(第13話)鯖街道

「宿行こか」

 金ヶ崎から気比の松原に方に向かってるみたいだけど、

「これもついでやし」
「時間もあるものね」

 これが有名な気比の松原なのか。須磨の松原よりずっとずっと立派だ。

「日本三大松原の一つやからな」

 松原まで三大なんたらがあるのか、

「三保の松原と虹の松原や」

 三保の松原は静岡にあって羽衣伝説が有名だけど、虹の松原は佐賀県の唐津にあるんだって。今日は一つ目の三大松原を制覇したぞ。気比の松原は今でも大きいけどかつてはもっと広くて、

「学校作ったり、戦時中の木材提供に使われたりして小さなった。それでも今でもこれぐらい残ってるねん」

 そこから酒屋に寄り、

「ビールやビールや」

 どうせ食事の後に部屋で飲むビールだと思うけど、部屋の冷蔵庫なり自販機で買えば良いのに。まあああいうところは高いから少しでも節約かな。

「それもあるけんど自販機がないらしいんや」

 どんな宿なんだよ。不安を抱えながら酒屋から敦賀湾に沿って北上。金ヶ崎城の対岸のぐらいのところで、

「ここや」

 へぇ、民宿だけど小綺麗そうじゃない。こじんまりはしてるけど、中もちゃんとしてるし、部屋だってなんかシックでオシャレ。さすがに温泉じゃないけど海の間近なのが良い感じ。夕食は海鮮だったけど、

「いけるな」

 これは美味しい。釣り宿もやっているみたいで、御主人が獲ってきたものかも。そこから、どこで鯖寿司ツアーになったのかの話に、

「鯖寿司というより鯖街道の話になったのよ」

 鯖街道って若狭から京都に塩鯖を運んだ街道のはず。あれはえっと、えっと、

「鯖街道言うても一本やあらへん」

 有名なのは小浜から京都に運んだルートみたいだけど、

「小浜から九里半街道で今津に出るルートと、朽木の方に行って京都の出町まで行く若狭街道があってん。一番有名なんは若狭街道やな」

 他にも針畑越ってのもかつてはあったのか。

「今でもあるで。おにゅう峠言うて雲海と紅葉の名所や。バイクでも行けるけど、かなりの険道らしいわ」

 そんな道は廃れそうな。

「いや江戸時代でも針畑越の鯖は珍重されたらしいわ。高いところ通るさかい、エエぐらいに冷えて塩加減が良くなるとか言われとったらしい」

 コトリさんによると昔の道は地形的な要素より、地理的に近いことがしばしば優先されたそう。

「歩きやったら距離が近い方が喜ばれたんよ」

 昔の人の足は強そうだものな。じゃあ、この三本が鯖街道。

「いや西の鯖街道もある」
「高浜の鯖も送られていたのよ」

 そっか鯖は若狭の鯖であって小浜の鯖限定じゃないものな。西の鯖街道としては高浜からまず納田終、現在の名田庄に進み、そこから、

 ・堀越峠を越えて周山街道を通るルート
 ・納田終から久坂に向かい、五波峠、深見峠と越えて周山街道を目指すルート
 ・納田終から久坂に向かい、五波峠、佐々里峠と越えて鞍馬街道を通るルート

 こりゃ多いわ。でも多いと言うことは、

「そんだけ塩鯖の需要が高かったんやろ」

 言うまでもないとしてたけど塩鯖だけを運んでいた訳じゃなく、他の海産物も運んでいて、

「有名な物やったら若狭のグジとか、若狭カレイがあるわ」
「カニは無理だったみたいよ」

 この若狭の鯖だけど、大昔からの定番商品じゃなかったのは意外だった。

「江戸の初期のころは能登の鯖がもてはやされとったみたいやねん」
「だけど獲れなくなって取って代わったとなってるけど・・・」

 鯖に限らず海産物は腐りやすい。昔は新鮮な魚介類を食べられたのは海辺だけであったのはわかるけど、能登からどうやって塩鯖を運んでたのだろう。

「能登の鯖を塩鯖で京都まで運べるかい」

 そうなると、

「干物だったはずよ。干物なら若狭でも作れるけど、当時の京都の人にとって能登の鯖はブランドだった気がする」

 鯵の開きならぬ鯖の開きか。それが塩鯖に代わったのは、

「小浜の人が知恵を絞ってんやろ」
「能登から輸入した干物を売っても儲からないじゃない。鯖なんて若狭で普通に獲れるもの」

 なるほど。干物は干物で美味しいとは思うけど、日本人なら生に近い方を珍重するはず。干物なら炙って食べるぐらいしか思いつかないけど、

「塩鯖やったら焼いてもエエし、酢で〆鯖にしてもエエし」
「鯖寿司にだって出来るじゃない」

 干物需要もあったはずだけど、塩鯖が流れ込んだら塩鯖を選ぶと思う。結果として能登の鯖を締め出してしまったのは納得できそう。これだけ鯖の話で盛り上がったら、

「鯖街道で鯖寿司食べたくなるじゃない」

 あははは、気持ちはわかる気がする。鯖寿司ぐらいなら神戸のスーパーでも買えそうなものだけど、ツーリングに出かけて食べたら、

「五倍ぐらいは美味しいはず」

 そこまではどうかだけど、気分だけでも美味しくなるはずだ。ユリも鯖寿司が食べたくなってきた。ところでバッテラと鯖寿司は同じものよね。

「あれはね、似てるけど違うのよ」
「今は間違い探し見たいな差になってもてるけど、松と杉ぐらいちゃうもんや」

 まず大きな違いはバッテラは押し寿司で、鯖寿司は巻き寿司だって。他にもバッテラには昆布が乗ってるところかな。

「後はバッテラに乗ってる鯖はそぎ切りした薄いもんや」

 だよね。あれがなんか寂しいと言うか貧乏くさい気がするのだけど、

「鯖寿司は半身を巻き寿司にしてるから肉厚だものね」
「そやけどバッテラの身が薄いのが根本的な違いになるねん」

 明治の初め頃に大阪湾でコノシロがわんさか獲れた時期があったそう。このわんさか獲れたコノシロを箱寿司にしたのがバッテラの始まりなんだって、

「鯖に較べたらコノシロは小さいから身も薄いやんか。それを並べたのが始まりやさかいバッテラの身は薄いんや」

 それでも安くて美味しいと評判になって定着したのだけど、元祖のコノシロを鯖にアレンジしたのが今のバッテラだったのか。

「そういうこっちゃ。もともとバッテラはコノシロの押し寿司で、鯖寿司は鯖の巻き寿司やねん」

 なるほどまったく別物の寿司だ。

「使う魚がコノシロやったんも覚えてる人は減ったやろな」

 コノシロと言われてもユリにはピンと来ないところがあるのだけど、

「関西ではな」
「江戸前寿司なら今でも珍重されてるよ」

 コノシロの小さいのをコハダって呼ぶって。ああコハダなら聞いたことがある。東京の寿司通がよく話題にしてたはず。へぇ、江戸前では光りものの代名詞みたいな握り寿司になり、大阪では箱寿司のバッテラになったのか。