純情ラプソディ:第67話 純情ラプソディ

 早瀬の鬼嫁を考えてたのだけど、普通の鬼嫁とはまず意味が違う。一般的なものなら夫に鬼の様に恐れられる嫁の事だし、セットで恐妻家があるぐらい。夫だけでなく家族にも怖がられる意味も含むかな。

 しかし早瀬の鬼嫁は夫にも家族にも怖がられないで良いと思う。怖がられるのは、昔なら親族とか家臣で、今なら早瀬グループの社員に怖がられる存在で良いはず。いわば鬼上司とか鬼社長の意味。たとえればエレギオンHDの氷の女帝のようなもの。

 それに鬼嫁にならざるを得ない事情も間違いなくある。まずだけど嫁なんだよね。そうヒロコは嫁になると同時に早瀬海洋開発に入社したけど、そうじゃなかったら次期後継者の達也夫人に過ぎないってこと。達也が社長になっても社長夫人なのよ。もちろん要注意人物で、達也夫人の機嫌を損ねたりしたら告げ口されたりがあるぐらいかな。

それでも社員にとっては組織のライン外の人。だから鬼嫁として経営に乗り込む時は、よそ者が土足で乗り込んでくる感覚になる。当然だけどそんな人物に親しみも忠誠心も持ちようがなく、白眼視するだけじゃなくサポタージュぐらいは平気でする。ヒロコも経験したイジメの構図だよ。

 さらに鬼嫁が乗り出す時にはある種の非常事態。時間をかけて信用や信頼を得る時間は無い。そうなれば揮うのは強権しかなくなるぐらいかな。恐怖統制で実績を作り上げ平伏させる手段しかないと思うもの。だからヒロコもそうした。

 非常事態に鬼嫁が登場する経緯は早瀬の家のトップシークレットみたいなものだと思うけど、お父様は達也と婚約してから、あの重い口から信じられないほど教えてくれたことがある。これは達也さえ知っていない話だと思うぐらい。お父様は、

『早瀬の嫁として知る必要がある。達也では真意を理解するのは無理だ』

 ひいお婆様はレアアース事業に単独で乗り出したことで知られているけど、あの事業は達也の理解なら、

『あれは爺さんの大博打さ』

 これはそうじゃなくてひいお爺様の大博打だったで良いと思う。当時の早瀬電機は先行きの不透明さこそあるものの、ひい爺さんが実権をもって社長をしてた。このひいお爺様だけど海が好きだったで良さそう。

 海が好きと言えば釣りとかヨット、クルーズ船の旅行なんかを思い浮かべそうだけど、ひい爺さんが好きな海は海中探検だったのよね。深海探査船にも同乗したこともあるし、自家用の潜水艦まで持ってたいうからさすがは社長の趣味だ。

 そんな趣味があったものだから南鳥島のレアアース事業の将来性については、財界人の誰より詳しかったとして良いと思う。だからこそ早瀬単独による事業継続の方針を打ち出したのだけど、それこその猛反対を喰らったのも事実。

 早瀬の男にしたら出来はマシかもしれないけど、やはり共通している甘さはある。たかが早瀬電機で出来る事業じゃないものね。ところがひい爺様の提案が退けられそうになった時に乗り出したのがひいお婆様。ゴリゴリの強権を揮いまくって単独事業継続を決めちゃったんだ。

 レアアース事業は難航を極めたから早瀬電機の経営は時代のお爺様の代に速やかに傾いている。穴の開いたバケツに水を注ぎこむようなものだったもの。経営が行き詰まりそうになって登場したのがお婆様。とにかく事業資金が必要と八面六臂の大活躍をし、女傑を越えて猛女とまでされたのは有名。その活躍ぶりはカスミンも良く知っていて、

『人でもあそこまで成れるのかと感心した』

 お婆様が最後に渡り合ったのが氷の女帝と稀代の策士。その交渉ぶりは、

『最低でも株の五十一%は欲しかったのだけど、四十%で手を打たざるを得なかったぐらいかな。コトリもそれで十分って賛成してくれたし』

 でもさぁ、ここに謎があるのよ。レアアース事業は結果として成功したけど、客観的な事業判断としては早瀬じゃ到底無理だったのよ。つまりは暴挙暴走だよ。それなのにひいお婆様もお婆様もどうしてあそこまで頑張ったかなの。

 あれは冷静な事業判断の結果とは思えない。他のモチベーションが鬼嫁にして暴走させたしか思えない。その原動力になったのはひいお婆様なら夫の夢を叶えるため、お婆様なら早瀬電機を潰して夫を悲しませないためとしか考えられないの。

 そうなのよ、すべては夫への愛のため、夫婦愛の賜物。それもほんじょそこらの夫婦愛じゃない、純情の結晶みたいな愛そのもの。純情って、

『素直で邪心の無い心。利益・策略を離れて、一途に寄せる人情・愛情』

 似た言葉に純粋がある。違いは邪心がないのは同じだけど、純情の場合は情が密接に絡む点かな。邪な心なく、一途に夫に寄せる愛情でヒロコは良いと思ってる。夫を死ぬほど愛しているが故に、夫を守るためには何でも出来る純情のはず。

 それもあまりにも純なんだよ。かつて馬上で槍を揮ってまで戦い、夫の地位を脅かす親族があればなで斬りにしてしまうぐらい。この話をカスミンに聞いた時に、なんちゅう鬼女だと思ったけど、視点を夫への一途の愛と見れば全部わかった気がした。

 その証拠にあれほど鬼御前と恐れられていたにも関わらず、戦ったのは防衛戦争ばかりで、侵略戦争は行っていないのよ。家が亡ばされ、夫が危ないと思ったから剣を握っただけ。そこに邪心は無いとしか思えない。

 守りたかったのは夫だけ。夫を悲しませない、夫を喜ばす事しか頭に無かったとしか思えない。結果として早瀬の家を守っているけど、本当に守りたかったのは夫で、ついでに早瀬の家を守ったぐらいにしか見えないのよの。

 その傍証になると思うのだけど、早瀬の鬼嫁は早瀬の親族に冷淡だけど、自分の実家にも冷淡なんだ。これは戦国時代も同じ。鬼御前と呼ばれるぐらい恐れられても、自分の実家が攻められた時には無視してるんだもの。早瀬の鬼嫁にとって自分の血を引く親族すら興味がなかったとしか言いようがないもの。


 そうなるとどうしてそうなったかになる。その秘密である早瀬の男の能力をヒロコは知ったと思う。達也とは札幌の夜に結ばれたのだけど、最初は達也との相性が悪くなくて良かったぐらいだったんだよ。それだけで十分なぐらい満足してた。

 ヒロコだって女同士のあけすけの猥談をするけど、強烈な話はあれこれ聞かされていた。でもああいう話は盛ってるのよね。だって自慢したいのもあるし。だから話半分ぐらいで聞いてたぐらいかな。

 でもねヒロコもそうなっちゃんだよ。その時は、それでもあの猥談は盛ってない人もいると思ったのと、ヒロコもそこまで感じられてラッキーぐらいだったかな。やっぱり感じる方が嬉しいし、楽しいし。

 そしたらね、そしたらね、止まんないんだよ。それまで聞いていた一番強烈な体験談、どう聞いたって三倍ぐらいには軽く盛ってるはずの話の状態に達しちゃったんだよ。もう体がバラバラになったと思ったぐらいだったもの。

 それでも止まんないんだよ。自分の体が信じられないってあの事だと思ったもの。その時に考えたのはリミッターが吹っ飛んだじゃないかって。だってだよ、これが限界、これが究極と思っても、すぐに置き去りにしちゃうんだ。

 よくイキっ放しになる話があったけど、今のヒロコはすぐにそうされちゃう。というか、やってるときの普通の状態。そこから巨大な花火が次々に打ち上げられるって言えばわかってもらえるかな。

 花火だってドンドン大きくなるし、連発の間隔も短くなる。それだけじゃない、花火の間にさらに超巨大なのも炸裂する。そこまでいけば気を失いそうなものだけど、なぜかそうならない。全部受け止めてさせられる。

 盛ってないよ。これでも出来るだけ穏やかに表現したつもり。だって、あんなもの言葉で表現することに無理があり過ぎる。だから札幌の夜の清純無垢のヒロコはもういない。そうなったのはなんの後悔もないし、女ならそうなるべきだとも思うよ。

 その代わりヒロコは変わった、いやあれは変えさせられたのかもしれない。そりゃ、そうなるよね。そんなことが出来てしまうのが早瀬の男の能力だと教え込まれた五年間だった。それを教え込まれた女が二度と離れられるものか。


 早瀬の男の秘密はそれだけじゃない。早瀬の男は側室を殆ど置かなかったで良さそう。そりゃ、今は一夫一婦制だけど、昔は子孫を増やすために側室の一人や二人は当たり前だった。

 今だって早瀬ぐらいの家なら愛人ぐらい養っていても不思議無いはずだけど、いくら調べても出てこない。これも鬼嫁が怖いからだと思ってたけど、どうも違う。早瀬の男は本当に妻を愛していたとしか思えないのよ。

 これじゃ説明が足りないね。早瀬の男は妻しか愛せなくなっていたとしか思えない。男って女より浮気性だって言うじゃない。どんなにイイ女を相手にしていても、つい他の女に目が向いてしまうって。

 極論すれば同じ相手ばかりじゃ飽きが来るって。でも早瀬の男は妻に溺愛なんてレベルじゃないほど、溺れ切ってしまってるで良さそう。ちょうどヒロコかが達也に溺れ切ってるレベルと同じぐらい。

 それもだよ、どんな鬼嫁になろうとも、早瀬の男には可愛い、可愛い奥様にしか見えなくなってるとしか思えない。これは早瀬の歴代の当主夫婦がそうであったとりかするしかないと思う。純情すぎる夫婦愛が燃え上がるほどの熱さであったのがすべての原動力だって。


 ここでだけど鬼嫁になってしまった早瀬浩子が本当に幸せになれるかなんだよね。こればっかりは、これから経験してみないとわからないけど、もともとのヒロコの夢は叶いそうな気がする。

 まず間違いないのは達也からの愛。命ある限りヒロコにすべてを捧げてくれるのは保証付きで良いと思う。それこそが早瀬の男だから。ヒロコがもともと一番欲しかったのはそれだもの。達也はヒロコがどう変わろうとも、達也の目に映るのは可愛い奥様のヒロコのはず。

 次に大事な夢である温かい家庭と家族だけど、早瀬の家では達也の時代の方が例外で良さそうなんだ。お父様の時代の使用人体制だけど、あれは最初の奥様があまりにもガチガチのお嬢様だったからなんだ。

 その前のお婆様の時代は違うのよ。お婆様は氷の女帝や稀代の策士と渡り合った女傑だけど、家は主夫が守ってたのよね。主夫と言っても仕事はしてたけど、能力の低さから肩書が大層なだけの閑職で、多忙を極める妻の代わりに家を守っていたんだ。これはひいお婆様の時代もそうだったで良さそう。

 そうなるとかなり変形だけど、ヒロコの夢が実現しそうじゃない。共働きで愛する達也が家を守ってくれる温かい家庭と家族が持てるのよ。貧しくはないけど、別にリッチを拒否しているわけじゃないし。

 年に一度ぐらいの家族旅行も出来る。そりゃリッチだから何度でも出来そうなものだけど、セレブはひたすら多忙。多忙すぎて年に一回ぐらいになりそうというか、お婆様の時代も、ひいお婆様の時代もそれぐらいだったみたい。

「ヒロコ」
「達也」

 今夜は初夜。正直なところ式から披露宴、二次会でかなり体はかなり疲れているけど、ヒロコの心は燃え上がってるし求めてる。そうなってるのがヒロコだし、そうなっているのを恥ずかしいとも思わない。変えたのは達也だもの。

 今夜から恋人じゃなく夫としてヒロコを喜ばしてもらわなくっちゃ。早瀬の夫婦の関係は、夫である達也がヒロコを喜ばせることが大きな原動力になるんだ。それだけじゃない、達也を喜ばせる行為も全部やってる。

 あの時に梅園先輩の変態行為を笑ったけど、順序こそまともだけど、全部やったもの。ヒロコだって抵抗があったし、拒否もしてたけど、あそこまで女として蕩けさせられたら仕方ないよ。


 もうすぐすべてを忘れさせる狂乱の嵐の中にヒロコは入る。それを味わえるのは早瀬の嫁の特権。これをヒロコが満足するまで尽くすのが早瀬の男の役割であり喜び。ちょっと変わった夫婦関係かもしれないけど、そういう家に嫁いできたんだもの。

「もう離さないよ」
「誰が離れるもんか」

 この時だけは、初めて結ばれた札幌の夜の気持ちに戻れる感じかな。そうじゃないね。あの札幌の夜からあれこれあったけど、あちこち寄り道して、グルッと一周回って戻って来たんだ。だから、あの時に達也しかいないと思った気持ちはもう変わらない。それだけでヒロコは満足。

「ヒロコがいれば何もいらない」

 これがヒロコの夢だよね。百点満点じゃないし、昔に思っていた夢とかなり変わっちゃったけど、本当に必要なエッセンスは満たされているはず。カスミンも言ってたもの。

「ヒロコの結婚は必ず成功する。そう出来るようにしてあげてるから安心して。早瀬の嫁になるのは、わたしにも見えなかったけど、それがヒロコの選んだ道ならだいじょうぶ」

 やっぱり達也を南鳥島に行かせるのはやめよう。早瀬の嫁が能力を発揮するには達也の存在が必要不可欠。ふたりが一緒じゃないとダメなはず。というか、達也以上にヒロコが我慢できそうにない。これがないとヒロコは頑張れないもの。そうよ幸せは早瀬の嫁が作るんだ。そのために鬼になってるんだから。