純情ラプソディ:第66話 覚醒

 ヒロコの達也との婚約発表も予定通り卒業二年目に行われたけど、そこに現れたのが社長代行のカスミン。まさに威風堂々として、並み居る政財界人を睥睨して怖いぐらいだった。達也も、

「ヒロコ、如月社長代行って如月さんだよな」

 気持ちはわかる。でもヒロコにはすべてわかった。挨拶に来たカスミンは、

「久しぶりだねヒロコ。わかった、こういう事だよ」
「はい、よくわかりました」

 これは理屈じゃないけど、カスミンこそが氷の女帝と呼ばれた小山前社長だ。いやそれだけじゃなく、氷の女神と恐れられたエレギオンの首座の女神だ。首座の女神の能力を以てすれば、司法試験も、あの超絶的な語学力なんて朝飯前の話のはず。

 それだけじゃない、小山前社長は一代で神戸のアパレル・メーカーに過ぎなかったクレイエールをエレギオン・グループとして育て上げている。今では世界一とも呼ばれてるけど、そんな芸当が出来たのは四千六百年にも渡ってエレギオンを統治し続けた経験の賜物なんだよ。

 早瀬の家の伝説も知識として知っているだけでなく、猛女とも女傑と呼ばれたお婆様との直接交渉に臨まれ、実際に渡り合ってるんだよ。これはお父様から聞いた話だけど、

『お袋はこの世に怖いものはないと豪語する人だったが、唯一怖いと思ったのは小山前社長だとしていた』

 こんなに長いセンテンスではしゃべってくれなかったけど、まとめるとこんな感じになる。

「カルタはなぜ」
「あれ? コトリと正月に定期戦やってるから。負けた方が壁修理をしないといけないから真剣勝負だよ」

 都市伝説通りだ。あのコトリの呼び名が出た。稀代の策士と呼ばれるのは月夜野社長もそうだけど、故立花前副社長もそうなのよ。これに該当する人物も一人しかいない。三百年にも渡るアングマール戦を戦い抜いた名将であり、知恵の女神とまで謳われた次座の女神のみ。

 そしてこれも都市伝説とされてるけど、月夜野社長の名前は『うさぎ』だけど、ごく限られた親しい人のみが『コトリ』と呼ぶってなってるんだよ。カスミンがヒロコに『コトリ』の呼び名を使ってくれたと言うことは、

「これからはどう呼ばせて頂きましょうか」

 カスミンはニコッと笑って、

「そうだね。ユッキーと呼ぶ?」
「本当にそう呼ばせて頂いて宜しいでしょうか」
「ヒロコがそうしたければね。でもカスミンでイイよ」

 ヒロコは震えてた。この『ユッキー』もまた都市伝説。月夜野社長や立花前副社長がそう呼んでいたらしいとされてるけど、『コトリ』以上に呼んでる人は少ないとされてる。まさに選び抜かれ、信用を置くと認められた人にだけ許された特別の呼び名なんだよ。それをカスミンが自ら許してくれるなんて。

「感謝します。この信用に応えられる人間になるように精進します」
「期待してるよ。ヒロコならなれるよ」

 月夜野社長だけではなく、カスミンもヒロコをここまで認めてくれてるんだ。おそらく、これを伝えるために今夜は来てくれたはず。達也は隣で狐につままれた様な顔をして、

「ヒロコ、どういうことなんだ」
「だからあんたは甘いのよ。これぐらい自分で考えろ。一年間、なに遊んでたの」

 どうしてこんなに鈍いのよ、

「あれでわかれって言う方が無理じゃないか」
「アホンダラ、あれでわからん方が無能すぎる。誰を相手に話をしてると思ってるんだ」
「如月さんだろ」

 頭抱えたよ。達也の頭の中に詰まってるのは砂糖か、それともサッカリンかチクロか。

「あれで早瀬グループの安泰を如月社長代行が約束してくれたかぐらいわかんないの」
「友達だからそれぐらい言うだろ」

 ボケナスが、それしか見えんのか。あんまり腹立ったからお父様にも、

「達也さんとは結婚しますが、もっとしっかり勉強させてください。こんな事もわからないようでは、恐ろしくて何も任せる事が出来ないではありませんか」

 お父様は苦虫を噛みつぶしたような顔になり、

「それだけの器だ」
「それであっても足りなすぎます。お父様は自分の息子に甘すぎると思います」

 お父様はため息を吐くように、

「後は頼む」
「ええ、ヒロコが達也を叩き直します」

 お父様はしばらく考えた後に、

「早瀬海洋開発を任せる」
「かしこまりました」

 早瀬海洋開発の事情もあれこれ研究はしてたけど、なかなか複雑なことになってるのは知ってる。まずあそこの人事は変則で社長はお父様なんだけど、同時に早瀬HD社長でもあるから、副社長がCEOになって取り仕切ってるスタイル。そうなってしまった事情は長くなるから置いておく。

 問題はこの副社長。というか、この副社長も凡庸で、飾り物にされて実権は副社長の腹心である専務が握って切り回している。キレ者の評判はあるけど、それならそれで副社長のクビを切って専務に挿げ替えれば良さそうなもの。

 もちろんそれが出来ない理由があって、専務は実権を握っているのを良い事に茶坊主を集めて側近として固めているんだよ。それぐらいなら、大したことは無いけど、私腹を肥やすために横領をやっている噂があるらしい。

 そういう実情を口の重すぎるお父様からなんとか聞き出した。ヒロコの使命は横領の証拠を押さえて専務一派を追放するで良さそう。でもだよ、お父様だって噂を知っていて怪しんでいる訳じゃない、そのための調査もやってるはずだけど尻尾を捕まえられてないんだよね。

 こんなものヒロコが調べたって一朝一夕でどうにかなるものじゃない。そこでヒロコは割り切った。こんなもの犯罪調査じゃないのだから、組織として不要とされる人間を切り捨てれば済む話じゃないかって。やってやったよ、株主総会で副社長と専務の取締役解任決議を提出してやった。

 通ったかって、通らない議案を提出するものか。この議案が可決になる理由があるんだよ。本来は社長が握る実権を二段階下の専務が握っているじゃない。それでもうまく回っていればまだしもなんだけど、早瀬海洋開発の業績がお気に召さない大株主様がおられるのよ。大株主様はさらに条件を加え、

「後釜はヒロコよ。それと変則体制は認めない」

 カスミンが実際に株主総会に出席したのにはさすがのヒロコも驚いたけど、

「新社長の考えにわたしは賛成する。これに逆らう者は好まない」

 後は新社長であるヒロコが、大株主様であるエレギオンの氷の女帝のお墨付を得ていると認知されたから、CEOとして大ナタを揮いまくってやった。そして付いた呼び名が、

『早瀬の鬼嫁』

 お婆様時代の伝説の女傑が甦ったと陰口を叩かれまくったけど、同時に恐れられもした。この辺は最初が肝心だものね。そんなヒロコの活躍をお父様は、

「やはりな」

 そして達也と華燭の典。これでついにヒロコも早瀬浩子。カスミンも主賓に来てくれた。もっとも達也は相変わらずで、

「如月さんなら友人席でも良かったかな」

 殺してやろうかと思ったよ。カスミンが他所の会社の結婚式どころか、結婚式にさえ滅多に出席しないのを知らないのか。雛野先輩や梅園先輩の結婚式すら欠席してるんだぞ。そんなカスミンが出席する意味が、どれほどの価値と意味があるのかをまるで理解していない。

 だいたいだよ、事実上の親会社であるエレギオンHDの社長代行を友人席にしようと言う発想自体が謎過ぎる。今日だってカスミンは普通に来て。普通に受付通ってきたけど、本来なら早瀬グループの幹部が総出で出迎えるのべきだったのよ。カスミンに釘刺されて断られたけどね。よし、もう決めた、

「達也、辞令を出す予定だよ」
「ボクにか」
「南鳥島で修行してこい」
「えぇぇぇ」

 達也向きの仕事がないか考えたけど、あいつに出来るのは現場監督ぐらいだ。現場の労働者と一緒に汗を流し。苦楽を共にして仕事に取り組ませるのは得意そうだもの。本社のデスクなんか置いとくだけで害が出る。達也じゃ、クレクレ詐欺さえ見抜けないよ。

「でも新婚」
「甘ったれるな。南鳥島でしくじったら後はないと思え」
「ヒロコと離れ離れになるなんて」
「あの島には女はおらんからマスでもかいとれ」