純情ラプソディ:第64話 早瀬の嫁

 さすがカスミン、頼りになると思ったけど、どうにも話に違和感があるのよね。カスミンがヒロコを騙してるわけじゃないだろうけど伏せようとしてるものがある。達也との結婚で本当に求められてるのはもしかして、

「だからヒロコは才能があり過ぎるのよ。夫婦は一つだけど二人でもあるってこと。役に立ってくれるのは一人でも十分という事だよ。そうだよ、ヒロコの思った通りで、月夜野社長が買ったのはヒロコだよ。ヒロコなら早瀬の総帥を十分に務められるってこと」

 でもヒロコは母子家庭の家の娘。達也の奥さんになれても早瀬グループを切り回すなんて到底無理だよ。そしたらカスミンは驚くような話をしてくれた。

「あははは、早瀬君も中学で家を出ちゃってるから、本当の早瀬の家の歴史を聞いていないのだろうね。まだ小学生だったから本当の話を聞かされていないとした方が良いかもしれない」

 本当の話ってなに? とにかく古臭い家だから、なにかの因縁話みたいなもの。なにかの祟りとか、呪いとか、

「まず早瀬の家に女系相続はない。そりゃ平安時代まで遡る古い家だから、一度もなかったかどうかは歴史の彼方だけど系図上では一度もないし近世以降は絶対ない」

 じゃあ、女系時代の話はなかったとか、

「女系時代はなかったけど、女傑時代はあった。そうだよ、力を揮ったのは早瀬の娘ではなく、早瀬の嫁だったんだ。それとだけど歴代の早瀬の嫁は、ほぼすべてだったらしいとするのがあの家の家系伝説さ」

 家の中は完全にかかあ天下で、亭主は完全に尻の下に敷かれていたって言うのよね。

「それは普通の早瀬の嫁レベル。もっと強烈なのが女傑だよ。なにしろ当主の言葉なんか誰も聞かなかったってぐらいとなってる」

 早瀬の家も戦国時代までは地方豪族として存続してたのは本当らしいけど、別世界の桃源郷に住んでいたわけではなく、戦乱にも幾度も巻き込まれてたんだって。簡単には早瀬の領地を狙って攻めてきたってこと。その時に早瀬一族の軍勢を率いて戦場を駆け回ったのも早瀬の嫁だって言うんだよ。とにかく周囲の豪族からは、

『早瀬の鬼御前』

 こう言われて恐れられていたらしい。ちなみに『おにごぜん』じゃなく『おにごぜ』って呼ぶらしい。それと率いると言っても指揮しているだけじゃなくて、先頭に立って戦っていたって言うから驚き。

「あのね、女だって男に負けなぐらいの戦士はいるよ。たとえば巴御前とかね。ジャンヌ・ダルクもそうじゃない」

 それはそうだけど、むちゃくちゃ強かったらしくて、早瀬の鬼御前が陣頭に立っただけで敵どころか味方も震え上がったって。とくに三好氏が攻め寄せて来た時には、

「三好の軍勢は三倍ぐらいだったらしいけど、馬上で杯をグッと煽って三好の軍勢を睨みつけ・・・」

 いきなり敵に向かって突撃したらしい。力自慢の大男でも扱えないような大薙刀というか、カスミンが言うには長巻と言うらしいけど、長い棒の先に刀を取り付けた武器を水車の様に振り回して、

「槍衾を作って防ごうとしても、槍の柄がバシバシ切り落とされ、次には首が一振りで三つも四つも飛んで行ったらしい」

 まさに鬼神の突進で三好軍は見る見る崩れ本陣まで乱入。そのまままの勢いで相手の大将の首を天高く吹っ飛ばしちゃった言うから怖いよ、怖すぎる。さらに逃げ惑う三好軍を徹底的に叩きのめし、執拗に追い回し、全滅に近いほどの大勝利を挙げたそう。

「その時の祟りとか、呪いとか」
「当時もそんな話が出たらしいよ。でも戦乱の世に生き抜くのに相手を殺すのは当然で、勝手に攻め寄せて来て、殺されたら逆恨みして祟るような怨霊など気にする必要もないクズって言い放ったってさ」

 ホントに女かよ、

「早瀬家の本家と分家の格差もそこから来てるよ。大きな家では親戚同士は外敵には味方でもあるけど、内輪では惣領の座を争うライバルでもある。ましてや嫁にとって親戚なんて赤の他人だからね」

 ドライだ。

「お家騒動の類型は兄弟なり、叔父甥の家督争いじゃない。その昔に当主の叔父が当主の弟を立てようとした事があったそうよ。怒った早瀬の嫁は敵対する親戚をなで斬りしたんだって」

 おっそろし。南北朝の頃の話だそうだけど、早瀬本家 VS 有力親戚連合軍みたいになったらしいんだ。この時にそれこそ敵対した一族連中を女子供まで徹底的に根絶やしにしてしまったらしい。なんとか生き残った親戚は使用人程度の扱いに落とし、その後の新家の扱いも同じにして今に至るだそう。

 時代が時代だし、そこまでやれたから早瀬の家は生き残れたんだと思うけど、そんな鬼嫁が代々続いたら、男尊女卑なんてどこの世界になって、女尊男卑になってもおかしくないよね。

「早瀬研究所から早瀬電機に成長させたのも嫁たち。レアアースの時も凄かった」

 早瀬電機の将来が先細りになるを見越した達也のひい婆様はレアアース事業に参入してる。ここまではオール・ジャパン体制だったから、バスに乗り遅れるな程度だけど、パイロット事業がとん挫した後に単独で事業を引き継ぐと表明したんだよ。

 これには社内どころか、メインバンクも、提携企業も大反対。無謀過ぎると誰もが見てたぐらい。そしたらひい婆様は反対する者のクビを飛ばしまくって恐怖体制、独裁体制を敷いてしまったんだって。

 現代だから逆らう者は皆殺しじゃないけど、まさにバッサリ状態だったらしい。もちろん敵も作ったはずだけど、そんなものはどこ吹く風でレアアース事業に突撃していったとなってる。

 レアアース事業はとにかく難航したから、ひい婆様の跡を継いだお婆様は金策に走り回り、相手をペテンにかけるように事業資金をかき集めたらしい。物凄い手腕だったらしいけど、結果としては天文学的な負債が雪だるまのように膨れ上がったのも事実だって。そうなったら夜も寝られない状態になりそうだけど、

「借金は大きくなると逆に立場が強くなる時もあるのよ。文句があるなら破産してやるぐらいかな。貸してる方は元も子もなくなるから、さらに追加融資を毟り取られるようにさせられるのよ」

 もちろん、そこまで開き直れる人間はごく一部らしいけど、お婆様は多額の負債があることを逆に脅迫材料に使って資金調達をやりまくったというからまさに女傑。しかしそれでも追いつかなるほどレアアース事業は大苦戦状態になり、

「エレギオンHDの小山前社長や、当時の副社長だった月夜野社長に直談判してあの巨額の融資を取り付けてるよ。ヒロコも聞いたことぐらいあると思うけど、小山前社長もタダ者じゃないでしょ」

 小山前社長と言えば氷の女帝。政財界のドンにして、世界のスーパーVIP。なにしろ並み居る大国の指導者を一睨みで押さえつけたと言う怪物みたいな人。そんな人を相手にバンバンやりやってたんだ。

 ここまでくると女傑だけじゃなくて猛女も加わってる気がする。そりゃ、女にもそんな凄いのがいるとは思うけど、どうしてそんなんばっかりが早瀬の嫁に。

「それが早瀬の家に伝わる能力とされてる。昔は政略結婚とまで行かなくても、親が嫁を決めてたのよ。完全な政略結婚なら決め打ちで否応なしだけど、ある程度の選択もあったんだ」

 当人は蚊帳の外だろうけど当時でも縁談があっての結婚話だものね。そこで選んだのが悉く鬼嫁。これも早瀬の家の風習としか言いようがないけど、それだけ嫁が強いのに選ぶのは男だって。つまり当時ならお父様。

 それと鬼姑と鬼嫁の組み合わせになれば、それこそ血を見る嫁姑戦争が起こりそうなものだけど、殆どなかったって言うから奇怪だ。逆に親子じゃないかと思うほど仲睦まじかった話もあったぐらいだって。

「とにかく伝説の世界だから真相は不明だけど、嫁姑戦争って家の台所、つまり家の内輪というか家庭の主導権の争奪戦の側面があるけど、早瀬の家の場合は争うものが違うからかも」

 ここもわかりにくいけど、普通の家では当主がいた上で家の女の世界の覇権争いが嫁姑戦争みたいなものかもしれない。しかし早瀬の家では表向きこそ男系相続だけど、実態は嫁から嫁に実権が受け継がれてるで良さそう。だから感覚としては父親と惣領息子との関係に近かったのかも、

「その見方で良いかもしれない。嫁姑戦争で家が滅ぶリスクは低いけど、親子で争えば国が亡ぶからね」

 でもさぁ、でもさぁ、

「達也のお母さんもそうだったのですか?」
「それはわからないよ。たった三年で亡くなってるからね。でも後妻を見る限り例外で良さそう」

 早瀬に鬼嫁が多かったのはそうみたいだけど、そうでない時もあったらしい。男が実質で当主やって嫁は普通ぐらいの関係。その時は何故か当主はまともと言うか、それなりに優秀で厳つい人物なんだそう。言われてみればお父様はそんな感じだった。

「多田行綱もそうだったらしいけど、真相は不明だよ」

 この例外も問題はあったそうで、お父様は無難に早瀬グループを受け継いでるけど、行綱は摂津源氏本家を滅亡させたようなものだし、関ヶ原の時の当主も西軍に加担し領地を没収され、お家復興をかけて大坂城に籠ったかららしい。だから早瀬の家は関が原から大坂夏の陣の時に一度滅んだようなものだって。

「その後の早瀬家は?」
「北摂大観って本に書き残されてるけど・・・」

 早瀬の当主は大坂夏の陣で討ち死にしてるけど、生き残った息子がいたんだよ。その嫁は武家としての復活を目指さず帰農したとなってる。最初は普通の百姓だったらしいけど、歴代の嫁の努力で大地主になり庄屋にまでなってる。

 家は栄えて大地主であるだけでなく、酒造業にも手を広げ、その富は長者として京大坂にも鳴り響き、大名にも多額のカネを貸して、参勤交代の時に殿様がわざわざ挨拶に立ち寄ったぐらいだそう。

「じゃあ、例外以外の息子は?」

 優男ではあったらしいけど、能力的にはイマイチで、武家の当主としては物足りな過ぎるぐらいだそう。カスミンが言うには、そうなっているのは偶然なのかトレードオフなのかは不明としてたけど、

「でも達也のお父様は政略結婚ですし、選んだのはお爺様では」
「政略結婚? 形の上ではそうなってるけど、あれは女の方が惚れまくって、迫りまくって、押しかけ女房同然だよ」

 これも例外の時はいつもうそうなってるらしい。だったら達也と言うか、早瀬の男の持つ能力とは、

「鬼嫁を的確に選び惚れる能力さ。結婚したら嫁の尻に敷かれまくって影薄い存在ぐらいになるぐらい」

 なんちゅうこと。ヒロコもそんな女傑だとか猛女だから達也は魅かれたなんて。いやだヒロコもそんな鬼嫁になっちゃうの。ヒロコがなりたいのは純情な可愛い奥様だよ。

「そこもどうなるかはわからない。早瀬家の男の能力が続いているのか、もう途切れたのか。はたまた早瀬君が例外で普通の嫁なのか」

 例外の場合はヒロコが惚れまくって達也に迫っているはず。達也との関係は逆だし、達也はお父様と違って厳ついタイプじゃなく優男。

「カスミも知ってるけど、早瀬君は優しすぎるね。頭は悪くないし、働き者だけど、甘さがあり過ぎるよ」

 やはりヒロコは鬼嫁になる宿命だとか。それ以外にあり得ないじゃない。それにしても、そんな事までカスミンはどうして、

「カスミもヒロコが、こんな運命に巻き込まれるのは計算外だった。でも乗りかかった船だから協力してあげる」
「カスミン、あなたは何者なの!」

 カスミンは慈しむような眼差しで、

「ヒロコの友達よ。今はそれ以上は知らない方がイイ。でもこの先で必ず会うことになる。その時になればヒロコの知りたいことが、だいたいわかるから楽しみにしておいてね。なにも心配すること無いから」