純情ラプソディ:第62話 怒ったぞ

 達也をお母ちゃんに紹介して二人の関係はまた深まったんだけど、達也から相談が、

「二年ちょっとしたら卒業するけど、そうなれば早瀬グループに就職する」

 えらい気が早い話だな。まだ二年生だぞ。そこはともかく、達也はお父様のところで後継者修行に入るのか。ああいうものは、あえて他のところに就職して武者修行することもあると聞いたことあるけど、達也はそうしないみたいだね。

「そこから一年を目途に後継者宣言をする」

 バカに早いな。一年ぐらいで覚えられる仕事じゃないはずだけど、

「後継者って宣言するだけで、修業はオヤジの跡を継ぐまで延々と続くよ」

 あれかな。形を決めて妙な内紛を防ぐためとか。いずれにしても大変だなぁ。その点は達也に同情するよ。どう考えたって、

「そういうこと。ボンボン息子って白い目で見られ続けて、イジメ回されるって事」

 セレブは大変だ。そうなるとヒロコともし結婚するとしたら幾つぐらいかな。十八歳以上になれば結婚できるのだけど、二十代の前半で結婚する大学卒は少ないのよね。そりゃ、二十二歳で卒業するから、あんまり早く結婚して、子どもなんか出来ちゃったら仕事上で困るもの。

 そもそも平均結婚年齢自体が三十歳ぐらいだから、ヒロコのイメージとして結婚するなら早くて二十代の後半ぐらいなのよね。バリバリ仕事していたら、三十代後半でも当たり前みたいな感覚。達也ともそれぐらいだろうな。

「後継者発表の時に、同時にヒロコとの婚約も発表する」

 なるほど。そうなれば婚約が二十四歳で、結婚は二十五歳ぐらいの予定か・・・ちょっと待った、ちょっと待った。いきなり婚約って何よ。そりゃ結婚する前に婚約するものだけど、その前にすることが抜けてるじゃない。

 婚約ってね、婚約するかどうかの返事をもらってからするものよ。そりゃ、達也とは恋人同士だし、達也のお父様に会ったし、うちのお母ちゃんにも達也に会ってもらってる。ついでじゃないけど、ヒロコの一番大事なものを達也に捧げてる。

 そういう意味で結婚へのステップを順番に踏んでるとは言えるけど、それでもまだ深い関係にある恋人同士でしょうが。ここからステップアップするための重要過ぎるセレモニーをまだ通ってないよ。言うまでもないけどプロポーズ。

 ここも女の晴れ舞台の一つじゃない。恋人から妻に身を投じるかどうかの人生の重大な決断のステージじゃないの。これをどういうシチュエーションで、どういう演出にするかも達也の重大過ぎる仕事だぞ。

 それに、それにだよ、そこの返事をどうするか真剣に悩んでる真っ最中なんだ。なんか嫌な予感がしてきた。まさか達也の家ではプロポーズの風習がないとか。とにかく古臭い家なのはわかったから、

「早瀬の家でもプロポーズを受けてもらってから、婚約するのは同じだよ」

 だったら、どうしてなのよ。どうして、どうして、プロポーズより先に婚約発表のスケジュールを決めちゃうの。達也にとってヒロコはそんな扱いなの。まさかヒロコの処女を奪ったから所有物って見なしてるとか。

 それとも貧乏な家の娘だから、もらってやるのに感謝しているはずだにしてるとか。とにかくヒロコをバカにし過ぎてる。もう怒った、完全に怒った、そんな物扱いにするような家に誰が嫁ぐものか。達也との関係も今日限りだ。

「落ち着いてよヒロコ、誰もそんなことを思ってないから」
「だって、だって、他にどう考えろって言うのよ。プロポーズより婚約を先に決めたからヒロコに喜べってでも言うの。それが早瀬一族流のサプライズとか。人をコケにするのも大概にしてよね」

 やっぱり、もっと慎重に相手を選べば良かった。達也が悪い人間じゃないのは知ってるし、達也となら上手くいくと思ったし、上手くいくと思ったから処女だって捧げたんだよ。だけど達也に引っ付いてるものが悪すぎる。そこをヒロコは見誤っていた。

「頼むから落ち着いて、お願いだから。こんな事をする理由があるんだから」

 達也。そういうものは先に言え。話す順番ってものがあるだろうが。そんな事じゃ、早瀬の総帥なんか出来るか。ヒロコ一人をすんなり納得させる事も出来ずにどうやって人の上に立てるって言うんだよ。

 お父様のところで、その性根叩き直してもらえ。十年ぐらいぶっ叩かれてから、味噌汁で顔を洗ってから出直して来い。その時にまともな話が出来るようなら、考え直してやる。達也は気配りできる人だけど詰めが甘すぎるんだ。こんな大ポカやらかすようじゃ早瀬の家は破滅する。だからカルタもいつまで経ってもA級になれないんだ。

「カルタは関係ないだろう」

 関係あるに決まってるじゃないの。カルタに重要なエッセンスは、記憶力と、計算力と、判断力。つまり戦略性を高めないとA級には上がれない。そりゃ、戦術性の部分は天性のものもあるけど、戦略性の部分は努力で補える部分。

 達也のカルタは甘すぎるんだよ。札の配置の記憶も、決まり字の移動もね。空札の把握さえ甘いから、余計なところでお手付きするし、相手のフェイントにもすぐに引っかかる。取れるべき札をポロポロと取りこぼす。

 これが仕事に連動しないはずないでしょ。達也のこれからやらなければ仕事そのものじゃない。日々どころか時々刻々と移り変わる情勢の中で、それに迅速かつ的確な対応をしなくちゃならないんだよ。

 なにが社員の生活を背負うだよ。そんなこっちゃ、背中からポロポロ零れ落ちるだけだよ。達也の判断一つでどれだけの損失が出るかわかってんの。だからいつまで経っても全自動一勝献上機なんだよ。

 だいたいだよ、そう言われるのが悔しかったら、そう言われないように努力すりゃ良いだけじゃない。カルタなら被害はサークルだけで済むけど、達也が背負うとしているものが本当になんだかわかってるの。早瀬の総帥になるべき人間がA級にも上がれないないんじゃ、話にならないと思われるよ。

「わかった、悪かった。ヒロコが怒るのはわかったから、少しはボクの話も聞いてくれ」
「とりあえず聞いてあげるから、言ってみて」

 早瀬グループの心臓部が早瀬海洋開発。ここの成功が今の早瀬グループになってるけど、レアアース事業挑戦に苦戦しすぎて、経営権はエレギオンHDに握られてるのは知ってる。実質的には子会社同然でエレギオンHDの意向一つで社長のクビはいつでも挿げ替えられる状態。

 つまり早瀬家の跡取りは達也でも、早瀬グループの後継者はお父様が宣言しようが、任じようが、いつでもひっくり返される状態なんだよね。ここはごくシンプルに達也が早瀬グループを引き継ぐにはエレギオンHD,さらに言えば月夜野社長に認めてもらう必要があるって事。

「その月夜野社長だけど、ヒロコの事を何故か良く知ってるみたいなんだよ」
「だから達也は甘いのよ。相手を誰だと思ってるの。月夜野社長は達也のような甘ちゃんじゃないんだから」

 エレギオンHDに何があるかぐらいヒロコでも知ってるよ。あそこにはCIA並みとさえ言われてる調査部がある。エレギオンHDから見ても早瀬海洋開発のレアアース事業、メタンハイドレート事業の位置づけは重いに決まってるじゃない。

 そのかじ取り役はお父様に委ねてるけど、誰が後継者になるかを調べてない筈ないじゃないの。それもこれまでの慣例から達也しかいないのも丸わかり。そんなもの生まれ落ちた瞬間から調査は始まってるよ。

 別に達也との交際は秘密にしてないじゃない。将来の早瀬グループの後継者の交際相手がどんな女かだって調べるに決まってるよ。それも達也への評価の一つだよ。どんな相手を選ぶかだけでも人間性がわかるものだよ。

 ヒロコだってね、ヒロコだってね、達也と真剣に交際してからこれぐらいは調べて勉強してるんだ。月夜野社長が何故かヒロコを知っているって寝言をよく言えるよ。知ってない方がよっぽどおかしいだろ。下手すりゃ、ヒロコがいつどこで処女を失って、今までに達也と何回やってるかまで調べていたって不思議無いじゃない。

「そこまではいくらなんでも」

 だから達也は甘いのよ。別に興味本位じゃないんだよ。どれぐらい愛し合ってるかで二人の交際の深さがわかるし、そのまま結婚にまで至るかだって見れるってこと。アレの相性が悪けりゃ回数も減って行くし、愛情も冷めて行って、達也が他の女性を選ぶ可能性を考えられるじゃない。

「まあそうなんだけど、もうちょっと落ち着いてよ、これじゃ、話がちっとも進まない」

 お父様がどこかの懇親会で月夜野社長と同席したそうだけど、その時に、

『あんたのところの息子さん、エエ娘と付き合ってるやないか。あの娘やったら文句無しや。これで将来も安泰やな。まだ二十歳やから逃げられんようにしいや。あんなエエ娘は二度と見つからへんで』

 こう言われたんだって。

「謎めいたセリフだったのだけど」
「これのどこが謎めいてるのよ、チイとは頭働かせろ」

 ここまで言われたら婚約まで縛り上げるよね。でもだよ、それは裏の予定。だってだよ婚約するのは四年後じゃない。それを達也の奴・・・今日は怒りがいくらでも込み上げてくる。

 お父様は意味を正しく汲み取って、そういう段取りで進めて行くことだけ決めたんだよ。達也もヒロコとの結婚が重要な意味があるぐらいは理解したで良いと思う。それなのに達也は肝心なところで舞い上がってる。

 だから達也は詰めが甘すぎる。達也が月夜野社長の言葉を受けてやらなければならない本当の役割が何かを理解していない。こんなの信じられないよ。目的がヒロコとの結婚であるのは正しいけど、結婚を決めれば済む話じゃないだろうが。

 達也が果たさなければならない役割は手段だよ。ヒロコとの愛をより深めプロポーズを受けさせるところに持ち込むこと。さらに言えば、ヒロコに気づかせないように元の結婚へのシナリオを遂行すること。

 そう、月夜野社長の言葉をヒロコに伝える事さえ大失策も良いところってこと。それじゃ、まるで月夜野社長の命令でヒロコは達也と結婚することになっちゃうじゃない。そんな政略結婚みたいなものを達也はしたいと言うの。

 ここも政略結婚でもなんでもとにかく達也がヒロコと結婚したいぐらいまでは理解してあげる。だけどだよ、それを理由にするのは最低。ヒロコにそう気づかせないように持っていくことが達也に求められるって、どうしてわからないのよ。ヒロコはそうして欲しいって、どうして達也のウスラトンカチには見えないのよ。

 月夜野社長はこれでも達也の器量を試しているはず。真の目的を隠しながら、相手を自然に喜ばすこと。それぐらい早瀬の総帥なら朝飯前にやれて当然ぐらい。達也がこれから戦う相手は、そんな海千山千の生き馬の目を抜いてやろうって連中ばっかりだよ。

 トップはバカ正直では務まらないの。相手を喜ばす、いや目的のためにはウソも騙しもなんでもあり。ただしすぐにバレるウソも騙しもダメ。騙したら相手に最後まで気づかせないようにする芸当なんて、パンを食べるぐらいの容易さでやらないと話にならないの。

 戦場と同じよ。戦場では戦う兵士は命令に忠実に動くことが求められ美徳とされる。それこそポチであることが最高の兵士でもある。けど、指揮官は違うのよ。指揮官の仕事は、ただ相手に勝つこと。勝つためにいかなる手段も躊躇なく使うことが求められるの。

 甘ちゃんの指揮官の下で戦えば死ぬんだよ。戦場だから死ぬこともあるけど、価値ある死ではなく、犬死させられちゃうんだよ。ポチを大量に犬死させるポチ指揮官なんて悪い冗談にもなりゃしない。そんな指揮官に誰が命を託すものか。

 ああ、達也って指揮官に向いてない。向いているのは兵士だよ。与えられた命令をいかに果たすかに頭を使うポチ。ありゃ、将軍じゃなく、せいぜい下士官ぐらいしか向いてない。こんなんでどうするつもり。