今日は達也の誕生日。これまでのデートは心苦しかったけど達也の財布に頼ってた。全日本選手権までそうなったのも、さすがに気になってる。だから今日ぐらいはヒロコが御馳走して祝おうと思ってた。
でも、ヒロコの財布も寂しいものがあって、達也に満足してもらえるか不安だったんだ。財布と相談の末に選んだ店だけど、達也の方が百倍気を使ってくれた。
「ここは本当においしいよ。さすがはヒロコだ」
心から満足している風にしか見えなかった。プレゼントも予算がなかったからフォトフレームを精一杯デコレートして、二人のツーショットの写真を入れたんだけど、
「こんな嬉しいプレゼントはないよ。ヒロコの心が籠っている世界一のバースデー・プレゼントだ。ありがとう」
逢えば逢うほど達也に魅かれてる。ヒロコにはもったいないぐらいイイ男だと真剣に思ってる。こんなイイ男を彼氏にしてるなんて夢みたいじゃない。優しいけど、単に優しいだけじゃなく気遣いも出来て、それでいて男らしさもしっかりあるもの。
今日は心を決めてるの。関係を進めるつもり。その辺は流れもあるけど、そうなってもヒロコは逆らわずに乗るよ。最後までは怖いけど、それでも達也が望めば行ってやる。もう達也以外に考えられないもの。
いつものように話は楽しく進んでいた。達也は話題も豊富なの。ヒロコを決して飽きさせないし、聞き上手でヒロコも連れ込まれるようにあれこれ話してしまうぐらい。高校の時に達也を振った女がいるけど、よほど目が悪いんじゃないかと思えない。
「ところでボクも二十歳になった。告白の返事を聞いた日を覚えてるかな」
忘れるものか。達也の気持ちに答えた二人の交際記念日だもの。でも、その話題を持ち出すと言うことは、
「そうなんだ。こればっかりにはヒロコに悪いと思ってる。こんな状態でまだ早すぎるのはボクもわかってるけど、会うだけでも会ってくれないか。もちろんヒロコが気が進まいなら会わなくても良い」
どうしよう。ついにその日が来ちゃった。達也の話では今夜にでもって言うし。日を改めてが頭に浮かんだけど、先延ばししたって、いつかその日は来るものね。
「呼び出すのですか」
「今夜は待機してもらっている」
わぉ、待ってるのは達也のお父様だけど、同時に早瀬グループの総帥じゃない。それに待ちぼうけさせるなんて失礼も良いところだよ。そんなことをすればヒロコのイメージがダウンしちゃうよ。初対面の印象は大事だもの。
「お父様を待たせたら悪いよ。今から会いに連れて行って」
達也に連れて行かれたのは東門の裏通りみたいなところ。早瀬グループの総帥が利用するにしてはゴミゴミしたところだな。古ぼけたテナント・ビルの二階に階段で上がると、
『色気なし、カラオケなし、旨い酒あり』
こう書かれた黒板があり、重厚そうな木の扉。これを開くと、
『カランカラン』
ドアチャイム代わりにカウベルが鳴るみたい。店に入ると奥に続く立派なカウンターがあり、カウンターの奥にはビッシリ酒瓶が並んでる。チョッキをビシッと着こなした男の人が、
「いらっしゃいませ、お二人様ですか」
「そうですが、ここで待ち合わせをしています」
「社長はお待ちです。では一番奥にどうぞ」
ここってドラマとかに良く出てくるバーじゃない。奥に行くと一人の男がいたけど、
「オヤジ」
「達也か」
歳の頃は五十代かな。三つ揃えのスーツを着て貫禄も十分、声だって渋い。顔は厳つそうだけど。まずは挨拶しなくちゃ、
「港都大法学部二年の倉科浩子です。達也さんにはいつもお世話になっています」
お父様はジロジロとヒロコの顔を見て、
「早瀬達雄だ。座り給え」
迫力あるな。達也のお父様の名前は達雄だけど、親子だから一字を取ってるだけじゃないんだって。片諱って言うらしいけど、『達』の一字を代々受け継ぐそう。織田家の子孫が『信』を使ったり、徳川家の将軍に『家』が多いとか、室町将軍家に『義』が多いようなもの。
早瀬家なら遠祖が行綱で、基綱の子孫だから『綱』とか、行成から始まってるから、『行』とか『成』になりそうなものだけど、早瀬の苗字を名乗った時に『達』になったとか、ならなかったとか。
それと戸籍では達也はタツヤだし、達雄はタツオなんだけど、早瀬家の一族が集まる正式行事の時には、達也は『タツナリ』呼ばれ、達雄は『タツカツ』て呼ばれるんだって。そっちの方が早瀬家的には正式の名乗りになるらしい。古い家は由緒不明の習慣がテンコ盛りありそうで怖いよ。
そんなことはさておき、ヒロコはフルーツジュースを頼んだ。だってまだ未成年だし、お父様の前じゃない。相変わらずニコリともしないな。やっぱりヒロコは気に入ってもらえなかったのかな。
達也はジン・フィズを頼んでたけど、なんか間が悪い。だって親子なのに座ってから一言もしゃべらないんだもの。ただ黙々と飲んでるだけ。そりゃ、五年ぶりの再会だから共通の話題がないのはわかるけど、なんか話ぐらいするものだろ。
この辺は父親もいないし、兄貴や弟もいないからわからないけど、男親と息子の関係ってこんなものだろうか。それとも単純に仲が悪いだけとか。達也はどちらかというと饒舌な方だけど、お父様は極端に無口の線もあるか。
でもこんな空気はたまらないよ。そうだ、今日は達也の誕生日じゃない。それも二十歳だよ。父親なら何か言葉があってしかるべしじゃない。こういう時はヒロコが座持ちするべきなんだろうか。でもまだ初対面だし、出しゃばるのは良くない気もするけど、エエい、こんな空気に耐えられないよ。
「ちょっと宜しいですか。お父様は達也さんと五年ぶりにお会いなさったのですよね」
しばらく間が空いてから、
「そうだ」
「今日は達也さんの二十歳の誕生日です。まさかお忘れだとか」
また間が空いて、
「覚えている」
「なにか声をかけてあげられないのですか。達也さんは素敵な男性になられています。親としてはそうは見えないのですか」
あちゃ、難しそうな顔をしてる。言い過ぎたか。そしたらおもむろに、
「見える」
無駄口は叩かないのは良いとしても口が重すぎるよ。そしたら達也が、
「どうなんだ」
レスポンスが悪いのよね。こんなんで社長出来るのかな。
「認める」
「わかった」
後は二人とも一言も離さず。達也はヒロコを促して店を出た。こんな雰囲気でキスも出来ないしアレに進みようがないので、駅まで送ってもらったのだけど、
「ゴメン、お父様に気に入られなかったみたい」
「それは違うよ。オヤジはダメなものはダメとはっきり言う」
あの調子でダメと言われたら、さぞ断定的なんだろうな。達也が言うにはあれが帝王学の一つだって。感情を決して表に出さず、口にした言葉は必ず守ることで部下の信頼を得るとかなんとか。
「もしかして『認める』ってのがお父様のお返事だったとか」
「あそこまで言うとは思わなかった」
ずっこけそうになったけど、あの『認める』に含まれる意味は、達也の成長から、ヒロコの評価、さらには早瀬家の跡取りとしてのすべてを認めるのが入ってるって言うんだよ。でもさぁ、でもさぁ、達也が家から出て中学に行ったときにはもっとしゃべってたじゃない。
「あれか。あれはオヤジの話していない部分を補足しただけだ。そうじゃないとヒロコにはわからないだろう」
なんて話しにくい相手なんだ。じゃあ、話していない部分って、
「前提条件がなかっただろ。オヤジはそんな曖昧なことはしない」
だったらヒロコは、
「ヒロコにわかりやすく言えば、早瀬家が認めた恋人だってこと。どんな交際をしようが一切の口出しをしないし、そのすべてを認めるってこと」
なんちゅうコミュニケーション。たったあれだけの会話でそこまで汲み取らないといけないってことなの。それにしてもセレブの家は大変だ。まさか達也も結婚したら、ああなるとか。
「ボクはあの帝王学は合わなかったから家を出た部分もある。オヤジはそれを認め、ボクが中学から二十歳までの間に作り上げた男として早瀬家を継ぐとした。それもオヤジは認めた。だからボクは変わらないよ」
ちょっと安心した。だってヒロコが惚れてる達也は今の達也だもの。でもここで疑問が。お父様と会ったのがあの夜が初めてじゃない。会話だってロクロクしていないのに、そこまでヒロコを認めてしまうのはおかしいじゃない。
「そのことか。あまり言いたくないけど、オヤジはヒロコを知ってるよ。初対面で逢う前に出来る限りの情報を集めるのはビジネスの基本だよ。オヤジならヒロコの生い立ちはもちろん、スリーサイズだって知っていても不思議じゃない」
だから、あれだけヒロコをジロジロ見てたのか。きっと事前の情報との照らし合わせをやっていたぐらいかな。達也に返事した頃は、お父様に会って親公認の恋人になるのに抵抗があったけど、今はだいぶ違う。
正直な気持ちでいえば嬉しいんだ。今日はビックリするようなアクシデントがあったけど、流れによったらベッドインの覚悟もあったもの。そこまで想ったら、最後までやっぱり考えるもの。別に男性経験は一人に絞りたいまで決めつけてないけど、自然にそうなるのがヒロコの理想。
達也との交際が進んだ先にあるのが自然の気がしてるんだ。でもまだ達也は二十歳。ヒロコなんてまだ二十歳にもなっていないから、まだ先のお話。でも達也とならゴール・インできそうな気がする、
今夜は大きな節目を乗り越えた夜の気がする。達也なら必ずヒロコを迎えに来てくれるし、幸せにもしてくれるはず。そんな日が来るのを信じて、今は前を見て歩いて行こう。