純情ラプソディ:第49話 プレイオフ

 今日も朝から衣装合わせとメイク。さすがに三回目だから少し慣れたけど、なんか集まってる人数が少ないような。

「昨日で負けた連中は遊びに行くらしいよ」

 うぅ、それも楽しそう。せっかく札幌まで来てるのだから観光したいよ。今日もプレイオフで負けたらともかく、勝って王者決定戦をフルでやったりしたら、夜までかかっちゃうじゃない。

「なに言ってるのよ。ここに来た真の目的はなにか思い出しなさいよ」

 映画撮影とか観光じゃないよな。

「ビールだよビール。これがすべて。気合入れていくよ」

 着物に袴も昨日は一日中着てたようなものだから、ちょっとは慣れた感じはする。昨日みたいなよそ行き感はだいぶ無くなったかな。プレイオフの対戦相手は東大だけど、

「あそこは赤星名人もいるけど今岡君も要注意だね。去年の名人戦予選の三位だよ」

 今岡君は掛け値なしの実力者。ヒロコは大学選手権の時に負けてるものね。たしかに強かった。

「ただ三人目の桧山君も手強いよ」
「井形君は」

 大学選手権でカスミンが完封してるけど、

「井形君と下柳さんも弱くはないけど、そこで勝ちを拾えないとうちは苦しい」

 うちと似たようなチーム構成で、ポイントゲッター三人とその他二人ぐらいと見てよさそう。こういう時はエースが取りこぼすとシンドクなるのよね。たとえばだよ赤星名人と梅園先輩が戦ったりしようものなら、この対決に勝った方が絶対有利になるようなもの。

 とはいえ赤星名人と今岡君に楽々と勝たせたりしたら、残りは全勝が必要になる。そんなもの当たり前だけど、組み合わせが大きく勝負を左右する。

「むこうだって同じように見てるよ。ムイムイとヒナとヒロコの三人の内の最低一人に勝たないといけないし、片岡君だって調子が悪いとは言え五段の実力者だよ」

 相手から見たらそうなるか。

「そういうこと。実力は伯仲してるから、とにかく目の前の相手を倒すことのみ考えれば良い」

 それでも注目の組み合わせはよもやのリバースだった。つまり、

 赤星 対 達也
 今岡 対 片岡
 桧山 対 ヒロコ
 井形 対 雛野
 下柳 対 梅園

 今の片岡君では今岡君にはまず勝てない。達也は論外だから確実に東大は二勝。梅園先輩、雛野先輩は勝ってくれると信じてる。というか、もし二人の内のどちらかが負ければ敗退決定だよ。

 そうなると東大戦の帰趨を決めるのはヒロコの試合。これに勝った方が札幌杯の決勝に進める事になる。こりゃ、責任重大だ。

『難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花』

 いよいよ試合開始だ。こういう勝負は出来たら先手を取りたい。追いかける展開はやはり苦しいし、差を詰めようと思って焦りも出るもの。逆に先行すれば相手にプレッシャーを懸けることが出来て有利になることも多い。

 だから一枚目はなんとか取りたい。でも序盤戦は運不運が出やすところでもあるのよね。十五分間の記憶時間で札の配置を覚えているとは言うものの、五十枚もあるから怪しいところもあるのよね。

 出てくる歌にしても百首全部残っているから、すべての可能性を考えなきゃいけない。一枚札はともかく、二枚札、さらに三枚札以上になると、歌が始まった時にパッと候補札が見えるかどうかになるもの。

 それと選手ごとに得意札がある。どうしてそれが得意になったかの理由は様々だけど、得意札は自分の取りやすいところに置くのよね。上の句への反応も他の札に比べて格段に速いから、そういう得意札が相手の序盤に多いと、そうは取れないのよね。


 試合展開はまさに一枚を争う緊迫したものになっていった。少しでも離されると、その差を再び詰めるのは容易じゃないのは肌で感じてる。こりゃ手強いよ。さすが強豪東大のポイントゲッターだ。でもこういう時は、

『ヒロコもプレッシャーを感じるかもしれないけど、相手だって同じ重圧を感じてる。それに打ち勝つには気迫を途切らせないこと。互角の勝負を制するのは絶対に勝ってやると言う強い心だよ』

 梅園先輩はいつもこう言ってた。そう、ヒロコが苦しい時は相手だって苦しいってこと。ここまで来たんだ、準優勝だって副賞のビールは半年分出るんだ。

 今日のヒロコは五人の真ん中。試合中は持ち札に集中してるけど、両隣の気配は嫌でも伝わってくる。雛野先輩は快調そうだけど、片岡君は予想通り苦戦。やはり最初の予想通り、ヒロコの試合が勝負を分ける。

『ビシッ』

 ちょっと出遅れたか。いや、反応は同時だったけど、相手の下段で出札までの距離の差だ。読みがちょっと甘かったかな。三枚札状態だったから、ヒロコの中段にあったのが先に目が付いてしまったのもツキがなかったかも。

 そうそう決まり字と言えば上の句の始まりって思う人が多いけど、競技かるたでは、下の句の決まり字も覚えてる。対で覚えるのだけど、下の句の決まり字も長いのは長いのよね。でもこれをちゃんと覚えていないと出札を間違うんだ。長いものなら、

 おぐらやま みねのもみじばこころあらば いまひとたひの みゆきまたなむ
 あらざらん このよのほかの おもいでに いまひとたひの あふこともかな

 下の句の大山札みたいなものだけど、『いまひとたひの』だけで覚えていると取り間違えるし、最悪お手付きにもなる。下の句の決まり字を覚える意味は、出札を見つける時間の短縮のため。

 だからカルタの上級者は上の句の詠みが進むにつれて、出札の候補札を絞って行くのだけど、その時に下の句を全部思い浮かべてる人はいない。頭に思い浮かべているのは、下の句の決まり字。

 下の句全部を思い出すのは時間の無駄になり、その分相手より出遅れてしまうのがカルタ。だから持ち札として並べられている下の句も見えているのは決まり字部分だけって事。そのために、カルタやっているのに歌全体を度忘れする事があるぐらい。

 極端な話、カルタを競技として上達すればするほど、競技中に頭の中にあるのは上の句の決まり字と、下の句の決まり字だけになる。他の字は考えもしないし、見もしない。視界から消えてるんだ。

 歌全体を思い出すのは競技となると無駄な時間になり、その無駄な時間がタッチの差を分けてしまうぐらいシビアな世界。外から見ると雅な遊びにも見えるかもしれないけど、実際にやっているのは極限まで無駄を省いた反応合戦をやっていると思ったら良いと思ってる。


 ヒロコ以外の勝負はついた。やはり二勝二敗。こっちは一枚を巡って、序盤からひたすら接戦。ただここに来て桧山君が先手を取る状態で苦しい。ここでお手付きなんかしようものなら一気に離されそう。

 残っている持ち札はヒロコが五枚、桧山君が四枚。残り九枚なんだけど、残り方が異様。全部十六枚札じゃない。十六枚札は『あ』から始まるのだけど、これはもう意味がない。二文字目が『い』『け』『し』は一枚ずつだけど、もうない。『き』と『ま』は二枚ずつだけどこれも無くなってる。

 信じられないけど『ら』が二枚、『さ』が三枚、『り』が二枚、『れ』が二枚。決まり字は三文字目なのは、

 あら・・・ぎ、し
 あり・・・あ、ま
 あわ・・・じ、れ

 問題は二文字目が『さ』で、

 あさじ
 あさぼらけ あ
 あさぼらけ う

 大山札がまだ二枚も残ってる。試合はさらに進み、二文字目の『ら』『り』は取り合って、依然一枚差。勝負は『わ』と『さ』の五枚勝負。ヒロコが三枚、桧山君が二枚。でもこのままなら良くて運命戦。

 ここで大山札はヒロコの陣内に二枚。ここで勝負に出た、そう囲い手に打って出たんだ。大山札の確率は二分の一、自陣だからお手付きなし。もし外れたら圧倒的に不利になるけど、取れたら同点にした上で、残る大山札もヒロコの陣内だから有利のはず。

 取れたよ。さらにもう一枚の大山札も取れて、ついに逆転。ヒロコが一枚、桧山君が二枚。これも運命戦に近いけど、三枚あるだけ心理的にはやや優位。配置は桧山君が下段だけど、ヒロコは上段。これを桧山君の了解を得て下段に移した。

 ヒロコほとにかくもう一枚取れば勝つから、桧山君はこれを阻止して運命戦に持ち込みたいはず。そうこの時点で桧山君は、自陣の二枚はもちろんだけど、ヒロコの一枚も取られてはいけない状態になってるってこと。

 ヒロコは自陣の一枚にすべての神経を集中させ囲い手にした。相手陣に出札が出れば運命戦に勝負をかけるのみ。空札を二枚挟んだ後に、

『ビシッ』

 三枚に神経を配らなければならず、そのうえヒロコの陣に出札が出た差だと思う。勝った、勝ったよ。これで王者決定戦に進出だ。ビール半年分はゲットした。