「麻吹つばさもサヴァン症候群なのか」
「そうとも考えられるけど・・・」
この辺はサヴァン症候群で説明すること自体が仮説だし、証明しようもありません。
「麻吹つばさ一人なら先天性で説明可能だけど、知る限り六人は加納アングルもしくはそれ以上のアングルが見えてるじゃない」
六人もいたっけ。
「尾崎美里の師匠である新田まどかが使えていないはずがない」
そうなると後天的に獲得したものになりますが、
「麻吹つばさは通常の視覚での情報処理に加えて、通常では使われない脳の領域も使ってるで良いよな」
「それしか考えられない。その結果として麻吹アングルが視覚化されているはず」
ここで素朴な疑問が出てきました。麻吹つばさは常に麻吹アングルの光の棒が見えてるかどうかです。もし見えていたら、被写体だけではなく森羅万象のすべてのもから見えて大変なことになると思います。
「あの二人が研究室で写真を撮った時だけど、尾崎美里が撮ってる時から泉茜はもの凄い気迫で睨んでたよ。あれが答えじゃないのかな」
どういうこと。
「ジェイソン・パジェットは目に見えるものがすべてフラクタルに見えるようになってしまい、これはこれで日常の障害になっているの」
だろうな。何事も過ぎたるは及ばざるが如しみたいなものだろうけど、
「麻吹つばさはスイッチのオン・オフが出来るはずだよ」
「どういうこと」
「麻吹アングルを見る時と、そうでない時を自由自在に切り替えてるってこと」
そりゃ、便利そうです。ん、ん、ん、ひょっとして、
「それで良いと思う。あの二人があれほど気迫を込めた時に脳の特定部位に接続され活性化して働くぐらいだよ」
根性で気迫を入れただけで動くものではないでしょうが、それがキッカケになっているのは同意です。
「それが接続できるかどうかが麻吹つばさの言っていた天分で良いだろうな」
「たぶんね」
そうなると途中で考えてた共感覚は、
「同じ機能の部位が働くから見える色も同じだと考えてる。共感覚じゃなくて視覚による情報処理を切り替えてるイメージのはず」
共感覚者は文字や音に色を感じますが、これは人により異なることがわかっています。尾崎美里と泉茜が見ていた色は明らかに同じのはずですから、共感覚ではなく同じ脳の部位を働かせた視覚の変化と見るべきでしょう。では、尾崎美里と泉茜の差は、
「単純に考えれば良いと思う。特定部位の働く機能の差だよ」
推測に推測を重ねるしかありませんが、特定部位の脳の働きも同じでなく、機能が高いほど見える線が増えるぐらいです、
「そのつなげられるところって一か所なのかな」
「そうでない可能性さえあると思う」
涼はひょっとしたら、麻吹つばさは、さらなる可能性を感じているのじゃないかとしています。その辺になると雲をつかむような話になります。
「だから神の領域であり禁断の領域よ。人間の可能性の限界みたいな話で良いと思う」
「写真の行き着く先って、脳の働きを極限まで使い尽くした果てのものぐらいだろうな」
これが涼と二人で出した結論みたいなものです。おそらく天羽関数は人が目で見れる限界まで極められるはずと考えています。ところが麻吹アングルは視覚を超えたところにあり、
「だからディラックの海の例えをわざわざ」
「それもあるけど、名前の響きがイイじゃない。いかにも科学者らしい会話に見えるし」
そんな理由で使うな! 教授に解説させられて死にそうになったんだぞ。
「途中から思ってたのだけど、なんでもAIにしてしまうのは問題が多いと思うよ。AIは人にとって代わるものでなくて、人のサポートをするのが本来の役割のはずなのよ」
科学者に取って微妙過ぎる問題ですが、
「人手が足りないところ、人がやるのを嫌がる仕事をAIはすべきだよ。そういう仕事って単純作業が多いからAIの得意分野でもあるじゃない。人はAIが苦手な分野で働けば良いはずだよ。それが人とAIの棲み分けになるはず」
言いたいことはわかりますが、
「AIが人の仕事の殆どを取って代わったりしたらどうなる」
「遊んで暮らせるとか」
「それを究極の目的と考えてる人もいるけど、その前に社会が潰れるよ」
人は働かなければ食べていけません。働き場所がなくなれば飢えます。
「これまでも似たような事は人の歴史で起こってるけど、混乱こそあったものの今までは他の職業にシフトして吸収してきたぐらいかな」
産業革命とかコンピュターによる工場の自動化を涼は念頭に置いている気がします。これがAIの進出でも同じ結果になるかどうかは誰にもわからないかもしれません。人に最後まで残される仕事は創造になりますが、
「そこしかないと辛いよね。人がAIに確実に優るのは創造だけど、人だからと言って創造力が公平に与えられていないし、むしろ少ない方の人間が多いのじゃないかな。さっき単純労働はAIにすべきと言ったけど、それぐらいしか出来ない人間も少なくない気がする」
人に能力差があるのもまた確実。運動がわかりやすいですが、どんなに憧れ、努力してもプロになれる者は限定され、プロになっても一流として大金を得られるのも、またその中の一握り。
文学でも良いかもしれません。誰だって文章は書けますが、本を書いて書店に並べられる者は少なく、これがヒットして小説で食べられる者は滅多にいません。その差は努力で埋められるものではなく、才能としか言いようがありません。
「それでも目の前の仕事に熱中するのが科学者だから行くとこまで行くだろうけどね」
実は脳の研究も進んでいます。これは医学からの要請でもあり、脳損傷によって麻痺した部位の代替AIの研究です。さすがに手強い分野ですが、
「究極はサイボーグ人間だろ。そこまでやる必要はあるのかな。もっとも涼も真もそんなものが見れるほど生きてないけどね」