麻吹アングルへの挑戦:たどりついた果て

「子どもは涼に似たら良いな」
「ダメ、根性で真に似てもらう」

 女の子だったらボクに似たら可哀想ではないですか。

「ああ外見は涼で良いけど、こんな能力は不要」
「どういうこと?」

 涼はサヴァン症候群と自分の能力との関連を随分前から考えていたようです。サヴァン症候群は先天的にも後天的にも脳に障害が起こった時に発生しやすいとなっていますが、

「逆の気がする」

 脳の機能の問題になりますから、どこまで行っても仮説なのですが、脳の中で働きが乏しい部分をどう解釈するかの考え方で良さそうです。サヴァン能力が人間の脳の中にあるのは確実ですが、

「知的能力とサヴァン能力はトレード・オフと見るべき。知的能力が低下してサヴァン能力が発現したのではなく、サヴァン能力が発現して知的能力が低下した」
「おいおい、サヴァン能力が出現したから自閉症になったとか」
「そう考えると説明しやすい部分が多くなる」

 日本の知的障害者施設のサヴァン症候群の発生についての調査がありますが、あれは一〇〇%の可能性があると涼は考えているようです。知的障害が強すぎるとサヴァン症候群の存在すら確認できなくなるぐらいでしょうか。

「健常者に見える者でもサヴァン能力を持つ者はいるよ」
「それって試験だけ強い奴とか」

 学校とか資格試験にやたらと強いのに実社会ではイマイチ的な人物は確実に存在します。あれはサヴァン能力の桁外れの記憶能力のためと説明できると涼はしています。

「でも、試験でも応用能力は試されるけど」
「どんな試験でも教師モデルを超えないよ。サヴァンの記憶力はAI並みってこと」

 応用と言っても創造ではなく、記憶の中の組み合わせであり、ごく単純には応用パターンも含めてすべて記憶してしまえば国家資格試験程度なら合格してしまうぐらいです。その代わりに知的能力の低下があり、実社会で本当の意味の応用力を試されるとイマイチな人間が出来上がるぐらいです。

「でもそんな余計な能力がどうしてあるのだろう」
「必要とした時代があったとしか説明できない」

 基本的に記憶力はあって不便なものではありません。むしろあればあるほど有用とは言えます。

「太古の人類の知的能力は低かったはず。それをカバーするために記憶能力が発達した時期があったぐらいかな」

 発達しすぎた記憶能力はやがて知的能力を干渉するようになり、

「人類はサヴァン能力を封じたのよ。より正確にはサヴァン能力獲得に至ったものは生き残れなかったぐらい」

 生物は生き残りのために奇形的な発達をすることがあります。大きい方がサバイバルに有利として巨大化して滅んだ古代生物は数多くあります。巨大化だけでなく環境に特化しすぎて、環境変化に耐え切れず滅んだ生物も無数にあったはずです。

「今でこそ知的障害児でも生き残れるけど、太古じゃ生き残れない」

 それでも遺伝子として生き残り、今も一定頻度発生するぐらいでしょうか。では涼や麻吹つばさに出現しているサヴァン的な能力は、

「涼のはサヴァン能力の変形かも。だから子どもには不要。真がいなかったら涼は破滅してた」

 涼が言うには、山姥状態になっている時の知的能力は下がらず、ひたすら上がるそうですが、

「精神が耐えられなくなるよ。どういえば良いのかな。なんとも不自然な精神状態に置かれる感じ。最初の内は違和感ぐらいだったけど、これが膨らんでいって涼の精神を押しつぶそうとするぐらい」

 それって狂気の一歩寸前では、

「行ってたと思うよ。涼もそうなるとしか思えなかったもの。頭の回転は猛烈に早くなるのだけど、その速さに取り残されるじゃおかしいか。自分の精神なのに勝手に暴走して行くぐらいが近いかな」

 冷静そうに話すな。他人事じゃないんだぞ。

「感じとしては他人事だったよ。暴走して破滅の淵に突進していく自分を外から呆然と眺めてる感じ。時間の問題で落ちるだろうって」
「涼!」

 涼は子供時代がバカだったとしていますが、あれは無欲過ぎたで良いと見ています。無欲は誉め言葉ですが、無欲も度が過ぎると無関心まで行ってしまいます。人は欲が無いと向上しない部分が確実にあります。

 欲と言えば汚そうな印象になりますが、人に良く見られたいとか、物事をもっと良く知りたいクラスです。涼の子ども時代はそれさえなく、つまりは勉強も運動もしない、やる気のない出来の悪い子になります。

 涼にあったわずかな欲は親友である林さんと一緒にいたいだけ。林さんは聞くからに早熟の才女タイプみたいなので、それに付いて行きたいためだけに小学校六年生の時にサヴァン能力を獲得してしまったのです。

 中高時代は山姥への悪口を聞いたのもありましたが、林さんに付いて行けただけで満足してしまったで良さそうです。サヴァン能力を次に使ったのは、これまた林さんの進学に合わせるためだけだったのです。

 大学進学後も林さんはAI研を目指していたで良さそうです。AI研はデータサイエンス学科の中でも最難関とされるところです。ここに入るだけでなく、入った後も林さんに並んでついて行くためにサヴァン能力を使い続けていたぐらいでしょうか。

 涼が変わったのは林さんが黒木を好きになってからだと思います。林さんがいなくなると感じた涼は初めて異性を恋する欲が湧いて来たのです。そして選ばれたのがなぜかボク。涼はボクを手に入れるために初めてサヴァン能力をフル・パワーで使ったのです。

「でも落ちないよ。なぜか真が見えたんだ。真が救ってくれるとわかったんだ。そしたら救われた。真がいる限り涼はだいじょうぶだよ」

 涼はボクを愛することで精神の逃げ場を得たのかもしれません。今の涼はサヴァン能力への接続もしていません。それでも研究者としての能力は余裕で一流です。これはサヴァン能力で涼の知的能力が上がったのか、もともと大器晩成型であったかは誰にも検証不可能として良いでしょう。

「少なくとも涼にとってはそうだった。今から思えば命をすり減らす感じで使ってたと思うよ。どうしてあんな能力が人にあるのか不思議なぐらい」

 涼のサヴァン能力は危険なものです。フルで使えば精神を破滅させるものとして良さそうです。この歳まで涼が破滅しなかったのはその無欲さのせいです。涼に人並みの欲、たとえば名誉欲、出世欲、金銭欲などがあればとっくの昔に破滅していたはずです。

 涼は今でも無欲です。ボクを愛する以外は無関心として良いほどです。そうボクの愛を得たらサヴァン能力を使う欲さえ薄れてしまったぐらいでしょうか。そうなんです、涼が破滅しなかったのはサヴァン能力を自分のために使う欲が極めて乏しかったからです。

「麻吹つばさは」
「サヴァン能力の中に空間認知能力はあるとされている。簡単には知的障害者が驚くほど精巧な模型とか彫刻を作ってしまうぐらい。それも設計図とか無しで一目見ただけでなそうなの。この手の能力の特殊系かもしれない」
「でも、麻吹つばさはどう見ても健常人だぞ」

 涼は少し考えて、

「サヴァン能力の多くは知的能力とトレード・オフのケースが多いのは間違いないと思う。でも例外はある。たとえばジェイソン・パジェットのケース。彼はサヴァン能力が現れるまでは寝具のセールスマンであり、数学を得意と思ったこともなく高校でさえ中退している。それなのに今では数学の能力が花開いている。ちなみに家具店を三つも経営してるそうだから、実社会にもバッチリ適応してるよ」

 涼は麻吹つばさが利用している領域が、知的能力と干渉しないものだぐらいとしか言いようがないとしています。この辺は涼も説明しにくそうですが、人間の脳にはまだまだ余力があると考えているようです。

 人が生きていくのに、どれぐらいが使われているかさえ議論がありますが、あまり働いていない領域はサヴァン能力のようにかつては使われて封じられたものだけでなく、

「新たな環境変化に対応するための余力と言うか、予備と言うか・・・」

 そういう領域がまだまだあるのじゃないかとしています。

「そこを使えば安全って事か」
「保証付きじゃなくて安全なケースもあると言うか・・・違うな、これからの使い方次第ってイメージ」

 たとえればまだ使われていないコンピューターがあって、そこに新たにプログラムを入力して使うぐらいかもしれません。

「それも違うかな。コンピュターにたとえると無理があるから道具に近いかも。これもおかしいか」
「それって仏教でいう悟りとか、武術の達人が言う無我の境地とか」
「気持ち近いかも。でも同じかどうかはわからない」

 涼が言うには麻吹つばさは写真を突き詰めて行くうちに入り込んだのじゃないかとしています。麻吹つばさに続いた者たちも、同じように突き詰めて進んだ結果、同じ能力を獲得したぐらいでしょうか。

「涼はそんな感じだった。突き詰めて行くうちに進むところが取捨選択されていって、必然の場所にたどり着くぐらいかな」
「そうできるのが天分か」
「もともと持っていて眠っているだけかもしれないけど」

 この感覚はサヴァン的な能力者でないと実感は無理です。

「眠っているなら誰でも使えると感じているのが麻吹つばさか」
「そう感じているから、ああ言ったんじゃないかな」

 麻吹つばさは実際に達し、使いこなしてみてメリットしかないと判断したぐらいかもしれません。じゃあ、涼が達した領域は、

「立ち入り要注意かな。とにかく危険すぎるよ。良く生き残れたと思うもの。いや、素直に立ち入り禁止で良いと思う。涼はそれなりに使い慣れたけど、麻吹つばさのように他の人を連れて行きたいと思わないもの」

 涼はニコッと笑って、

「ぜ~んぶ、証明不可能な仮説よ。そんなことより涼は今の涼に満足してる。涼の能力で最愛の人を手に入れられたし、科技研の扉も開いたじゃない。他に何が必要だよ」

 そう、たどり着いた果ての仮説。

「ところで涼は何を研究するの?」
「しばらくは真の審査AIを手伝うことにする。それとね、育児の研究やりたいな」

 育児? 妙な研究だな。育児にAIは無理な気がするけど、

「涼はね、三人ぐらい欲しいかな」
「喜んで協力させて頂きます」